とんでもない
※主人公視点
※シャチが少しだけ可哀想につき注意
久しぶりに降りた陸の上、町中の小さな道を歩いていた俺の目の前には、どう見たって鉄パイプと思えるものが転がっていた。
小道の出入り口付近にあるそれに、足を引っかけたら転んでしまいそうだなと判断してそれをひょいと掴み上げたところで、案外重たかったそれが揺れて傾く。
そしてそれと同時に鉄パイプが路地の外に出て、がつん、と何やら恐ろしい音と衝撃が手の上に走った。
思わず取り落としそうになった鉄パイプを握りしめながら、もしや何かを破壊してしまったかと視線を向けると、どうしてか俺の持っている拾い物に刃物を触れさせている危ない人間がいた。
その向かい側には腰の引けた男性が一人いて、そちらからは随分と酒の匂いがする。酔っ払いが危ない人に絡まれている現場に居合わせて、うっかりと横やりならぬ横鉄パイプを入れてしまったらしいと、俺はそこで気が付いた。
『どういうつもりだ』
『ひ、ひいっ』
刃物を持った男性の声に怯えてか、酔っ払いの方が悲鳴を上げて、それからばたばたと逃げ出していく。
どうせ行くなら俺も連れて行って欲しい。
恐ろしさのあまり声すら出せない状況で助けを求めて視線を向けてみても、逃げていく酔っ払いは振り返りもしないし、誰も助けてくれる様子すらなさそうだった。
ちくちくと頬を突き刺す視線を感じて、そろりと未だに刃物を持っている相手へと顔を向ける。
こんな真昼間から酔っ払いに手を上げようとしていたその男性は、顔をすっぽり覆う仮面を身に着けていた。
改めて見上げると、どこかで見たことのある姿だ。チェーンソーを持っていたホラー映画の殺人鬼を彷彿とさせるけれども、それとは違う。
少し考えてから、ようやくその名前を思い出した。
『殺戮武人、キラー』
物騒な二つ名の物騒な海賊だ。
おれを知っていて邪魔をしたのか、と低く唸った相手は否定しなかったので、間違いないだろう。
しかし、武器を構えられてしまって、慌てて持っていた鉄パイプを道の端へと放り投げる。
その名の通り闘うことが好きそうなキラーには悪いが、俺は弱くてまるで相手にならないだろうし、何より痛い思いをするのは遠慮したい。
片手には荷物を持ったままだが、そちらだってただの鞄だし、鉄パイプを放り捨てた俺は今丸腰だ。
闘う意図はないと空いた掌を晒して見せると、ふう、とキラーが息を吐く。
納得してくれたのかと思ってほっとして、とりあえず相手との距離を取ろうと足を動かした俺は、ずるりと足が滑ったのを感じた。
反射的に見やった足元で、酒瓶がころりと転がっている。どうやら零れた酒で地面が濡れて、柔らかな土に泥濘が出来ていたらしい。
転べば間違いなく服が汚れると気付いて必死に足を踏ん張るも、今度はもう片足で酒瓶を踏みつけてしまってまた転びかける。
うわ、と悲鳴を上げることすらままならずにわたわたと身じろいで、いっそ転んだ方がましなんじゃないかというほど慌てふためいた俺は、最後の最後でどうにか姿勢を戻すことが出来た。
ただし、その代わりに突き飛ばしてしまった相手がいる。
本来だったら触れる位置にはいなかった筈なのだ。きっと、俺があまりにも無様に転びそうだったから助けようとしてくれていたんだろう。
後ろ向きに思い切り倒れてしまったらしいキラーが、慌てた様子で起き上がった。
その体の下は、先程俺が足を滑らせていた泥濘の端だ。
『………………』
俺は何て駄目な奴なんだろうか。
さすがにそれにはキラーも怒ったのだろう、小さく唸るような声を漏らしたキラーがもう一度武器を構えた。
『おいおい、止めとけキラー』
何処からか見ていたらしいキッドが取り成してくれていなかったら、今頃俺の体は上と下で分かれていたに違いない。
「なあ、聞いてるのかよ、ナマエ」
随分前のことを思い返していた俺の肩が、ゆさゆさと揺さぶられる。
それを受けてようやく飛ばしていた思考を取り戻し、それから視線を向けると、俺のすぐ傍でシャチがむっと眉を寄せていた。
「なんで模擬戦やりたくねェんだよ」
思い出に思考を飛ばす前から寄越されていた台詞を繰り返されて、まだその話をしていたのか、と胸の内だけで呟いた。
理不尽は聞いているふりでやり過ごせばそのうちに過ぎ去ってくれるものなのに、今日のシャチは随分としつこい。
両手に木でできた少し妙な形の剣を持って、これで遊ぼうとシャチが誘ってきたのは昼食前の話だ。
ただのチャンバラごっこなら受けて立つところだが、つい昨日シャチとペンギンが『遊んで』いるところを見た身の上としては、ごめん被りたい。
俺があんな遊びをしたら、まず間違いなく青あざだらけになってしまう。
俺を叩きのめす『遊び』という名の虐めがしたいのかと思うほどだが、やらなければ殴る、なんて強制をしてこないあたり、シャチは俺のよく知るいじめっ子連中とは違うらしい。
しかし、とにかくしつこい。
「弱いものいじめは駄目だ」
なあなあと人の肩を揺さぶる相手に、いい加減諦めてほしくてそう言うと、ぴた、とシャチの動きが少しばかり止まった。
諦めてくれたのか、とその顔を見やって、何となく後悔する。
何故、そんなにも怖い顔で笑っているのだろうか。
ぞぞぞ、と背中が冷えるような冷たさすら感じて、少しだけ身じろいで相手を窺う。
「…………シャチ?」
それからそっと呼びかけると、やや置いてその顔に浮かんでいた凶悪すぎる笑みを緩めたシャチが、だったらよ、と声を漏らした。
「弱いものイジメにならねェように、鍛えりゃあいいだろ?」
「何年かかるんだ」
「そんなにかかんねえよ!」
うが、と歯を向いて怒られても、自分が強くなれる気は全くしない。
そう言えば、かなり高い所から落ちても骨が折れることは無かったが、俺の今の体の強度というのはどのくらいのものなんだろう。少し気になるが、だからと言ってわざわざ痛い思いはしたくない。
「なあ、良いだろナマエ、相手しろよ」
言葉を紡ぎながら、シャチが肩から滑らせた掌で俺の腕を掴む。
先ほどより強く握りしめられている腕に、少しの痛さを感じて眉を寄せた。
誰か助けてくれないだろうか。
そう思って少しばかり室内を見回してみるも、ベポはいないし、他のクルー達はどうしてだか遠巻きにこちらを見ているだけだ。
ペンギンに至ってはこちらに視線を向けもしない。
昨日ちょくちょくシャチの攻撃を受けていたから、今日は付き合っていられないということなのかもしれない。
ペンギンすら相手をしたくない人間の相手が、俺に務まるわけもないとは気付いてもらえないようだ。
「なあってば、船からは降りられねえんだから付き合えって」
それは、もしも陸についたらその島の住人へ喧嘩を売りに行くということだろうか。
間違いなく通報される。それで海軍に追われたらどうするつもりなんだろうか。
誰かが止めたほうがいいんじゃないだろうかと悩みつつ、腕を掴んで揺さぶってくるシャチに『嫌だ』と言ってみても、シャチは引き下がる気配すら無い。
本当にしつこい。
そろそろ誰かに怒ってもらってもいいんじゃないだろうか、なんてことを少し考えたところで、かちゃりと小さく何かの物音がした。
後ろ側から聞こえたそれに顔を向けようと身じろいだところで、俺の首の下を何かが通る。
硬いそれに顔を上向かせるようにされて、俺はそれが刀の鞘だと気が付いた。
その持ち主が、食堂の椅子に座っている俺を後ろから覗き込んでいる。
「シャチとが嫌ならおれとやるか、ナマエ」
にやりと笑って寄越された声に、俺は真後ろの相手に視線を向けたままで眉を寄せた。
「やらない」
「弱いものイジメになるからか?」
笑いながら尋ねてくるローは、もしかしてシャチと同じく俺を叩きのめしたいのだろうか。
眉を寄せたままで首を軽く横に振って、俺は改めてローへと告げた。
「ローとだけは、絶対にやらない」
いたぶられるというよりも、体をばらばらに刻まれてしまう未来しか想像できない。
その上で臓器を一つ一つ持ち上げて解説されていたのはいつぞやのシャチだったが、同じ目に遭うのはいやだ。
さすがにわざわざ自分の体の内側を覗いてみたいとは思わないぞと視線を向けると、俺の言葉を受けて、ふん、と声を漏らしたローの片手が刀から離れる。
鬼哭なんていう名前の剣をひょいと俺の顎の下から退かして、ローの体が俺とシャチの間に割り込んだ。
「そんなに暇だっていうんなら、おれが相手になってやる」
「あ、いや、それは遠慮します、はい」
ローの背中で隠れて見えないが、がたり、と物音がしたので、どうやらシャチが椅子から立ち上がったようだった。
ローが身じろいで手を伸ばしたので、多分逃げようとしたところを掴まえたんだろう。
遠慮するな、だの何だのと言っているローは、ひょっとしたら俺のことを庇ってくれたんだろうか。
何て頼りになる船長だと見つめた先でシャチの悲鳴が小さく聞こえた気がしたが、多分気のせいだった。
end
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