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絶対の絶対が絶大
※シャチ寄り視点
※ローが不在



 ナマエというのは不思議な男だと、シャチは知っている。
 何を考えているのか分からない表情に乏しい顔をしていて、この常識を覆す海にいながらまるで全てを知っているかのように落ち着き払い、与えた仕事をさも当然ようにこなす。
 『こいつを仲間にする』なんて言ったシャチ達の敬愛する船長が連れてきた時も、笑顔の一つもなく、軽く挨拶のように頭を下げただけだった。
 口数も少なくて、最初はあまりいい印象ではなかったように思う。
 なんであんな奴を連れてきたんですか船長、と言っているペンギンを見たこともあったから、少なくとも、ペンギンもシャチと似た第一印象だったはずだ。
 けれども、彼が『いいやつ』の分類であるらしいということも、すでにシャチやペンギンや他のクルー達は知っていた。

「ナマエ、何してんだ?」

「何も」

 不寝番を終えて、当番をペンギンと代わってから休むことにしたシャチが、寝る前にと久しぶりに浮上した潜水艦の甲板で遭遇したのは、眩い日光が注ぎ始めたそこに佇んでいるナマエだった。
 海を眺めて立っていた相手へ近づいて尋ねれば、急に声を掛けてきたシャチに驚いた様子もなく、その視線も向けずに彼は答える。
 恐らく、甲板にシャチが出てきたときに、すでに気付いていたのだろう。
 その傍に近寄ってから、シャチもナマエが見やっているのと同じ方向を見やった。
 恐るべきグランドラインの海は、今は驚くほど平穏だ。
 偉大なる航路では逆にそれが一番怖いのだと、航海士のシロクマが困ったように言っていたことを思い出す。
 何か見えないかと海のかなたを眺めて、けれどもそこにはやはり目を突き刺すような青い空と青い海があるだけであることを確認したシャチは、その視線を空と海から傍らの男へと戻した。

「何見てたんだ?」

「海」

 シャチの問いかけに対する、ナマエの回答は端的だ。
 無駄を嫌う彼のその言動に肩を竦めてから、シャチは海原に背中を向ける。
 欄干に背を預けて少し頭を船より海側に倒しつつ、久しぶりの日光をその体に浴びたシャチの口から、あー、と声が漏れた。

「船長、そろそろ起きるかもなァ」

 シャチやナマエが従う『船長』は、その首と多額のベリーを引き換えることのできる賞金首だ。
 『死の外科医』などという矛盾に満ちた字を得たトラファルガー・ローは、昨晩、珍しく早めの就寝を行っていた。
 医者なのだからもう少しその体を気遣ってほしいとシャチもペンギンもベポも他のクルーも言っているのだが、命令されることを嫌うローがそれに従ってくれたことは殆ど無い。
 唯一の例外と言えば、シャチの側に立っている男の言葉だけだ。
 昨晩も、連日の徹夜や夜更かしを心配したペンギンの要請で、彼がローを寝かしつけに行っていた。
 どんなやり取りをして帰ってきたのかは分からないが、遊戯室に戻ってきた彼が『寝た』と言ったので、ローは確実に眠ったのだろうと、シャチも他のクルーも理解している。
 あれからそろそろ七時間だ。
 ローの睡眠時間はあまり長い方ではないが、ここ最近の無理を考慮すると、いつもよりは長く眠っていることだろう。
 寝起きには大概ひどい顔をしている船長を思い浮かべて、おれが寝る前に起きてくるかなあ、なんてことを考えたシャチの横で、何かを考えるようにしたナマエが、それからゆっくりと海から視線を外す。
 それとともに欄干に触れていた手が動いて、まるで注意を引くように、欄干に触れているシャチの腕を軽く叩いた。

「え? どうしたんだよ、ナマエ」

 急な接触に戸惑いながら、背中を欄干から離し、シャチがナマエの方にその体を向け直す。
 それとほとんど同時に、何かが潜水艦のすぐ傍をばしゃりと跳ねた。
 水音に思わずそちらを見やったシャチの目に、つい先ほどまで自分の頭がはみ出していたあたりを通過していく、銛のように鋭い鼻先をぎらりと光らせた見たこともない魚の姿が映る。

「…………は!?」

 ばしゃんとそのまま海へ帰っていった不審な魚を見送ってから、シャチの口からようやく声が漏れた。
 何だ今の、と呟くシャチへ、知らない、とナマエが答える。
 その目はどうでもよさそうに海を見やっているが、彼がシャチの注意を引こうとしなかったら、確実にあの不審魚はシャチの頭にぶつかってきていただろう。
 凶器のような鋭い鼻先が頭に当たっていたら、怪我をしていたかもしれない。

「うっわ……あんがとな、ナマエ」

「何がだ?」

 ぞわりと背中の冷えを感じたシャチが身震いをしつつ礼を紡げば、こともなげにナマエが言葉を返す。
 相変わらずの彼に、シャチは笑った。
 ナマエは『いいやつ』だ。
 今のように、小さな危険や大きな危険から手の届く範囲のものを守ってくれる。
 それは今の仲間であるシャチだったり、船長がナマエを気に入った時のように見ず知らずだったローをだったり、いつぞやのナマエを勧誘に来た他のルーキーの人間だったり、と様々だ。
 無表情だし口数も少ないが、その心は随分と優しくできている。
 けれども敵意を抱いた相手には容赦も無いことだって、シャチは知っていた。
 戦闘中はその名の通り獰猛だと言われたシャチですら、あんなにも容赦なく、まるで相手を落ちていた無機物か何かのように扱ったことは無い。
 危うくローに一太刀入れるところだったあの海賊は、きっともう海王類の腹の中だ。
 あの日の船長は、ナマエが自分のために怒ったととてもご機嫌だった。
 おかげで酒が進んで進んで、翌日の航海は二日酔いの人間が潜水艦にあふれていた。
 そういえばあの翌日元気だったのは、酒を飲まなかったナマエとベポだけだ。
 そんなことまで考えたところで、びゅう、と吹いた風がシャチの頬を撫でた。
 それと同時にどこか遠くから何かが唸るような低い風の音が聞こえだして、シャチの視線が先ほどまでナマエが眺めていた海の彼方を見やった。
 そうして、先ほどまで澄み渡っていた青空と青い海の向こうに、黒く唸るサイクロンがいることに気が付く。

「げ……っ」

「……」

 声を漏らしたシャチの横で、ナマエが軽くため息を吐く。
 その様子に、どうやらナマエはあれが見えるようになるのを待っていたらしい、とシャチは判断した。
 ベポもよく『ざわざわする』と言って嵐を察知することがあるが、あれと似た感覚をナマエも持っているのかもしれない。
 だってほら、もはや興味も失ったとばかりにその視線が逸らされて、ナマエの足はゆっくりと歩き出している。
 その進行方向が甲板から船内へ入るための扉へ向かっているのを見て、シャチも同じ方向へ足を動かす。
 サイクロンが来るというのに甲板にいてはまずい。巻き込まれないためにも早く潜水した方がいいだろう。
 そう考えて殆ど同時に船内へと入り、きちんと扉を閉めたシャチは、ベポがいるのとは逆の方向へ足を動かしたナマエに気付いて、その目をナマエの背中へ向けた。

「ん? ナマエ?」

 ナマエが向かっている先にあるのは、船長の寝室だ。
 確かにそろそろローが目を覚ます時間だろうが、起きていたとしてもまだ寝起きの最悪な機嫌の筈だ。
 戸惑うシャチを、足を止めたナマエがちらりと振り返る。

「起こしにこいと言われている」

 そんな風に言葉を紡いで、いつも通りの無表情のままもう一度前を向いたナマエは、そのまま船長室の方へと姿を消した。
 それを見送った格好になったシャチは、え、と声を漏らしてからナマエの寄越した言葉を反芻する。
 起こしにこいなんて、シャチは言われたことがない。
 ペンギンもベポも他のクルーも、それは同じだろう。
 恐ろしい思い出を抱えたローは、眠りながらその夢にすらうなされて、目を覚ましてもその続きにいるときがある。
 この船の誰よりも強いローが攻撃を繰り出してくれば、相手に危害を加えないでいることは難しい。
 それがお互いに分かっているからこそ、ローはクルーに寝起きは会いたがらないし、自分達が攻撃されるのはともかくとして、その後で眉間に皺を寄せたローが自身に苛立つことを知っているからこそ、クルー達もローの寝室へは近寄らない。
 だというのに、ナマエは『起こしにこいと言われた』と言う。
 それはすなわち、寝起きの機嫌が凶悪に最悪なローが、自分の寝起きに自室に人が存在していることを許した、ということだった。

「……うっは」

 それがどれだけ相手を信頼しているかの表れだと分かるから、シャチの口がへらりと緩む。
 ローはナマエを気に入っている。
 おれに命令するな、と唸って凶悪な顔で笑う癖に、ナマエの希望をかなえてやらなかったことなど殆ど無い。
 だからペンギンは、どうやっても寝ないローを眠らせるためにはナマエを派遣するし、他のクルーも異論などないのだ。
 ローは随分と、ナマエを気に入っている。
 ナマエがこの海賊団の証でもあるつなぎを着ないことに不機嫌そうな顔をするし、もう成人しているというのに子供のようなちょっかいの掛け方をしてはナマエに構われようと努力している。
 仕方なくを装って構うナマエだって、嫌なら突き放せる冷徹さを持っているのだから、結局のところローのそれを許容しているのだろうということは見ていて分かった。
 ナマエの横で楽しそうにしているローと、その横に座るナマエを見るのが、シャチは好きだ。
 きっと、他のクルー達も同じだろう。

「………………っし、後でコーヒーでも淹れとくか」

 ナマエが起こしに行ったのだから、そのうちローはナマエとともに食堂なり遊戯室なりにやってくるだろう。
 その姿を見てから眠ることに決めたシャチは、とりあえず先ほどのサイクロンを航海士に伝えるべく、その場から駆け出した。




end


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