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わるいひととまいにち


 ナマエの朝は、『飼い主』の腕の中で始まる。
 すっきりさっぱり忘れてしまった夢の中から浮上して、ぱち、と目を開いたナマエがまず一番初めにその視界に収めたのは、とてもたくましい胸板だった。
 上等な白いシーツに接しているむき出しのそれを眺めたナマエの目が、それを辿るように上へと向けられて、自分の頭より少し上にあるその顔を見つける。
 ドンキホーテ・ドフラミンゴと名乗るナマエの飼い主は、どうやらまだ夢の世界の住人であるらしい。大きくて太いその腕がナマエの体を囲うようにナマエの上へと乗せられていて、触れた個所が少しだけ温かかった。
 いつもならサングラスで隠れているその瞳を閉じて、ぐっすりと眠り込んでいるらしいドフラミンゴの様子を窺いながら、ナマエがそろりと身じろぎをする。
 出来る限り目の前の相手に触れたり振動を加えないよう気を付けながら、そろりそろりと身じろいで、小さな体が大きなベッドの上のシーツの海の上を滑った。
 そして、あともう少しで『飼い主』の腕から抜け出せる、という段階で、ん、と傍らから低く声が落ちる。
 それと同時に、あとほんの少しでナマエの体の上からいなくなるはずだったその腕が動き、あっさりとナマエの体を掴まえた。
 掴んだ服を引き上げられれば簡単に元の位置まで戻されて、ぱちぱちと目を瞬かせたナマエが顔を向けた先で、くあ、と大きく欠伸を零したドンキホーテ・ドフラミンゴがその目を開く。

「あー……よォ、ナマエ」

「おはよ、ドフラミンゴ」

 寝起きの少しかすれたその声を聞きながら、ナマエはそちらへ律儀に朝の挨拶を投げた。
 ああオハヨウ、とそれへ返事をして、ドフラミンゴの口元に笑みが浮かぶ。

「またおれの勝ちか」

「うん」

 問われて、ナマエがこくりと頷いた。
 一週間ほど前にドフラミンゴが持ちかけて来たゲームは、ドフラミンゴを起こすことなくベッドの上を抜け出せるかどうか、なんていうとてもシンプルなものだった。
 ドフラミンゴより先に目を醒ましたナマエが、ドフラミンゴに気付かれることなくその両足をベッドから降ろせばナマエの勝利で、ドフラミンゴがそれに気付いて目覚めればドフラミンゴの勝ちだ。
 もう一週間も挑戦しているが、ナマエはその全てで敗北していた。
 勝ったからと言って何かがあるわけではないのだが、せっかくの勝負なのだし一度くらいは勝ってみたいなと見た目に見合った子供らしさで思ったナマエの挑戦を、ドフラミンゴは毎回笑って受け入れ、そしてその手に勝利を掴んでいる。
 ナマエよりずいぶんと大きなその体がむくりとベッドの上に起き上がり、それを追いかけるようにしてナマエも起き上がった。
 ベッドサイドのチェストに手を伸ばしたドフラミンゴに気が付いて、すぐにドフラミンゴの正面へと移動したナマエが、自分の細い首を晒すように頭を逸らす。
 それを見やってフフフと笑い、ドフラミンゴがその手に取ったのはきらびやかな装飾の『首輪』だった。以前、ドフラミンゴがわざわざ発注したものだ。
 細工が細かい分、眠っている間にどこかをひっかいては怪我をするかもしれないと、ドフラミンゴはそれをナマエの首から外して眠らせるようになった。
 そうして毎朝、今のようにくるりとナマエの首に首輪を当てて、ぱちぱちと音を立てて留め具を掛けるのだ。
 ナマエ自身の手では外せそうにないほど細やかな細工が閉ざされて、そうして今日も、ナマエの首元にはナマエがドフラミンゴの物であるという『証』が出来上がる。

「よく似合ってるぜ、ナマエ」

 丁寧にはめたそれとナマエの顔を見比べて、にやりと笑ったドフラミンゴがそう言うと、ナマエの目が少しだけ嬉しそうに揺れた。
 初めてその首輪をナマエへ装着させた日から、ドフラミンゴは毎朝毎朝ナマエへ向けてそう言う。
 もはやただの挨拶のように軽く寄越される言葉を、それでもナマエはいつも嬉しく思っていた。
 ナマエの首にあるその首輪は、ナマエがドンキホーテ・ドフラミンゴの所有物であるという証だ。
 それが似合っているということは、ナマエは今日も『ドフラミンゴのもの』なのである。
 生まれた世界よりこの世界を選んだナマエにとって、これほど素晴らしいことはない。

「ありがとう、ドフラミンゴ」

 だからこそ、毎朝繰り返す言葉を口にしたナマエを見下ろして、フフフフ、とドフラミンゴが笑い声を零した。







 着替えて少し遅い朝食が済むと、ドフラミンゴはナマエをそのまま船へと連れ出した。
 昨日、一昨日と城にこもっていたし、まだ書類仕事は残っているらしいが、今日は出かけるようだ。

「どこに行くの?」

 乗せられた船の上で尋ねたナマエに、どこがいい? とドフラミンゴが笑って問いを返す。
 その両目はすでにサングラスによって隠されていて、いつも通りのドフラミンゴに抱き上げられたまま、うーんと、とナマエは少しだけ考えた。
 ドフラミンゴの『ペット』となってから、ナマエはこの世界のあちこちを連れて歩かれていた。
 ナマエの知っている海とは違うグランドラインは、その殆どがナマエにとっては初めて見るものばかりだった。
 海を泳ぐ人魚や魚人も、ドフラミンゴに脅かされて逃げ出していった海王類も、二つの輪が重なった丸い虹もおかしな姿の魚も、暑すぎたり寒すぎたりちょうど良かったりする島々も、全部ドフラミンゴがナマエに見せてくれたものだ。
 きらきら輝く思い出を脳裏に浮かべて、それからうんと一つ頷いたナマエが、その片手でドフラミンゴの服を軽く捕まえた。

「ドフラミンゴと一緒なら、どこでも楽しいよ」

 だからドフラミンゴの行きたいところに行こう、とナマエが紡いだのは、先ほどの『どこがいい?』という問いに対する返事だった。

「フッフッフ! そうか」

 まるでわかりきっていた答えを聞いたようにドフラミンゴが笑って言葉を零し、それからナマエを抱き上げたままですぐ傍らにあった欄干の上に腰掛けた。
 体躯の大きなドフラミンゴがそうすると、少しその体が空中にはみ出してしまう。
 その上でドフラミンゴが体の向きを変えたものだから、気付けばナマエの体の半分も空中に突き出されていた。
 もしもドフラミンゴがそのままナマエの体を支えている手を離して体を傾ければ、ナマエはいともたやすく真下へ落下して、そのままデッキに叩き付けられてしまうだろう。
 怖がったりしてもいいようなその状況でもナマエがそれをしないのは、自分の飼い主がそんなことをしないと分かりきってるからだった。
 ドフラミンゴの膝に腰を下ろして、ナマエがちらりと真下を見下ろす。
 出航の準備をしているらしいクルー達が下にある甲板の上を歩き回っていて、必要な荷物をあれこれと運んでいた。夏島仕様の衣類を運んでいる様子からして、どうやら、すでに行き先は決まっているらしい。
 ナマエはその行き先を知らないが、ドフラミンゴと一緒なら、やっぱりどこだって構わないことだ。
 ぷらんと宙に浮いた足をそのままに、ドフラミンゴの方へと寄りかかるようにしてから、ナマエがちらりとドフラミンゴへ視線を戻す。

「今日は飛んでかないの?」

「お前にゃあおれの能力もきかねェからなァ」

 ナマエの問いに返事になるようなならないような言葉を零したドフラミンゴが、誤魔化すようにナマエの頭を軽く撫でた。







 ナマエがドフラミンゴによって連れていかれたのは、夜が訪れつつある夏島だった。
 どうやらそこではちょうど、島を上げての祭りが行われているところであったらしい。
 島民は殆どが仮装していて、他の島からの人間も大勢いるようだ。
 ナマエももちろんそのうちの一人で、きょろりと周囲を見回すナマエを抱えたドフラミンゴも、周囲の人間達と同じく楽しげにしていた。
 その体の周りに少し隙間があるのは、ドンキホーテ・ドフラミンゴが名の知れた海賊だからに他ならない。
 一緒に船を降りた何人かの幹部達も島の中に散っていて、今のナマエはドフラミンゴと二人きりだ。
 騒がしい雑踏の最中、あちこちに並ぶ出店を見ては目を丸くしていたナマエは、すでにその両腕に買い与えられたものを抱え込んでいた。
 吹けば音の鳴るオモチャや揺らして遊ぶものなどと言った可愛らしい玩具達が、ナマエの細い腕の中でがちゃがちゃと音を立てている。
 そうしてその片手は棒にささった綿菓子を持っていて、ドフラミンゴが普段着込んでいる羽毛のコートよりいくぶん柔らかな色合いのそれを軽くかじったナマエが、それをそのまま傍らにある顔の方へと寄せた。
 それに気付いたドフラミンゴが、大きく開いた口でそれに噛り付く。

「甘ェな」

 ざり、とむしり取ったそれをそのまま口の中に引きこんでから、そのまま口の中で溶かしたらしいドフラミンゴがそんな風に言う。
 わたあめだから、とそれに返事をして、ナマエももう一度手元の駄菓子にかじりついた。
 口に入れたわたあめは、ナマエの舌から水分を奪うように溶けて、跡形もなく消えていく。
 じわりと広がる甘味を味わい、それからもう一度周囲を見回して、ナマエが口を動かした。

「みんな、楽しそう」

「年に一回らしいぞ」

 この日の為に用意をするんだとよ、と言葉を落として歩くドフラミンゴは、どうやら催しをやっている広場へ向かっているようだ。
 先ほど電伝虫で話していたので、恐らくすでにファミリー達がドフラミンゴのための席を用意していることだろう。
 広場では一体何を見るんだろうかと少しだけ考えたナマエの耳に、ひゅるるる、と空気を割るような高い音が響く。
 は、と気付いてナマエが顔を上げると、ちょうど暗くなった夜空の真ん中で大きく割れた花火が広がり、それからほんの少しだけ遅れて体を揺らすような大きな音が跳んできたところだった。

「花火だ」

「ん? 何だ、あれは知ってんのか」

「うん」

 問われた言葉に頷いて、ナマエはきらきらと散っていく花火を見上げる。
 続いていくつも打ち上げられたそれらが割れて、夜空を明るく鮮やかに彩り始めた。
 行き交っていた人々もナマエと同じ方向を見やり、時々歓声を上げている。
 ドフラミンゴに答えたとおり、ナマエは花火を見たことがあった。
 ナマエが住んでいた部屋のベランダから眺めたそれと、今夜空に広がっている『花火』の違いは、色やその形くらいだ。
 体を揺さぶるようなその音も、夜空を照らそうとでも言うように広がるその火花の美しさも、一人でベランダから眺めた時と変わらない。
 それなのにどうしてか、あの時よりわくわくと胸が湧き立つのを感じて、ナマエは片腕でおもちゃを抱えたままで身じろいだ。
 ナマエの身動きに気付いて、どうした、とドフラミンゴが問いかける。
 ちらりと見やれば、ドフラミンゴはすでに花火では無くナマエの方を見ていて、ナマエの返事を待っているようだった。
 いつものようにかけているサングラスが夜空に広がった花火のいくつかの色を反射して、開いたそれに合わせてまた一つ、どん、と大きく音が鳴る。
 ドフラミンゴと同じように同じ色に照らされながら、片手にわたあめを持ったまま、ナマエはその顔に珍しく笑顔を浮かべた。
 一人で見ていた時よりわくわくするのは、きっと、今の自分が『一人』ではないからだ。
 そう感じて、嬉しそうにくすぐったそうにその目を細めたナマエが、すごいね、とその口を動かす。

「すごくきれい!」

 楽しげに弾んだ声を零したナマエに、そうか、とドフラミンゴも笑みを浮かべる。
 その顔から少しだけ視界を逸らしてナマエが見上げた先で、また一つ、燃えた花が夜空に咲いた。







 ナマエがドフラミンゴと共に島の祭りから引き上げたのは、もうかなり遅い時間だった。
 花火で少し興奮状態だったナマエももう落ち着いて、その代わりに眠たさで体が少々脱力している。
 小さなナマエの体を船室のベッドへ放り投げて、ドフラミンゴも同じベッドにどかりと腰を下ろした。
 ドフラミンゴの体に合わせた大きなベッドの上でもぞもぞと身じろいで、ナマエの体がシーツの海を泳ぐ。
 中央へ近寄ってくるナマエに笑い、ベッドの上に座り込んだ状態のドフラミンゴが、ナマエの服を掴まえた。

「ほら、来い」

 そうしてぐいと引っ張られて、ナマエがされるがままにベッドの上を移動する。
 くったりとしたナマエの体を自分の膝の上へと移動させて、ドフラミンゴの指がナマエの首筋をくすぐった。
 首輪に触れてくる感触にナマエが顎を上げれば、露わになったその首元から、かちかちと音を立てて首輪が外される。
 派手なつくりのそれをドフラミンゴがサイドテーブルへ置くその様子を、ナマエはぼんやりと眺めていた。

「風呂は明日だな。もう寝ろ」

 その様子を見てか、ドフラミンゴがそんな風に言って、ナマエをベッドの上へと戻す。
 ぽん、と放られたナマエの体がスプリングの上を軽く跳ねて、それからそのままシーツに懐いた。
 同じようにベッドの上に体を横たえたドフラミンゴが、自分とナマエの体の上に適当に掛け布をかけて、大きなその手と腕をナマエの体の上に乗せる。
 抱え込むようにされて、少しだけドフラミンゴの方へと体を寄せて寝やすい体勢を取りながら、ナマエはぼんやりとした目のままでドフラミンゴを見上げた。

「どうした? ナマエ」

 それを見下ろして尋ねてくるドフラミンゴの声音は、随分と優しげだ。
 初めて出会った時にナマエに暴力をふるったドフラミンゴは、けれどもそれからはずっと、ナマエに対して優しかった。
 ナマエに居場所を与えて、今日のようにあちこちに連れ回して、いつだってナマエを守ってくれている。
 そうやってナマエに何より自分を選ばせた『わるいひと』を見上げて、やがてぼんやりとしていたナマエの目がそっと閉ざされた。
 押し寄せる睡魔に勝てず、その体から力が抜けていく。
 明日の朝こそは『ゲーム』に勝てるだろうか。どうやれば勝てるだろうか、なんてことを少しだけ考えてみるものの、眠気が強くて考えもまとまらない。

「……おやすみ、ドフラミンゴ……」

 どうにか最後の挨拶をその口で唱えて、そのままナマエは意識を手放した。
 同じ挨拶をドフラミンゴが返してくれた気もするが、もう確認することすら出来はしない。
 こうして、ナマエの一日は『飼い主』の腕の中で終わるのである。



end


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