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わるいひととかがくしゃ


 ドンキホーテ・ドフラミンゴとは、ナマエの『飼い主』の名前だった。

「俺、ドフラミンゴの」

 だからこそナマエはそう主張するのに、それを聞いた大概の相手は眉を寄せたりナマエを憐れんだりする。
 ナマエにとってのドフラミンゴとは、ナマエに首輪をつけて居場所を与え、親にも置いて行かれたナマエを自分の手元へ置いてくれた、ナマエの中で一番大切な相手だというのに、なんて酷い話だろうか。
 まるでへそを曲げたように少しだけ口を尖らせたナマエの唇が、むに、と軽くつつかれた。

「それをおれに言ってどうすんだ、ナマエ」

 面白そうにそんな風に言葉を零すのは、ナマエの体をその膝の上に乗せたまま、ゆったりとソファに座り込んでいる大男だ。
 桃色の羽毛をあしらったコートに埋もれ、サングラスをかけたその目が自分の方を見ているのを見上げてから、ナマエは軽く口を開く。

「何にもしない」

 そうしてそう答え、もぞりと身じろいだ小さな体がドフラミンゴの足の上に座り直した。
 ナマエの手には、子供向けの絵本に似た本がある。
 記されている文字は英語で、まだ小学校も卒業していなかったナマエには意味の分からぬものが殆どの筈だったが、この数週間のうちにある程度は読めるようになった。
 ナマエが時間をつぶすために読めぬ字で綴られた本や新聞を眺めていると知ったドフラミンゴが、暇潰しに字を教えてくれたからだ。
 今では、大将青雉が用意してくれたネームプレートも読める。しっかりと『ドフラミンゴのもの』だと記されていたそれに嬉しくなって、堂々とつけて歩ける『会議』の日を心待ちにしているのはナマエだけの秘密だ。

「ドフラミンゴ、俺、じゃま?」

 膝に座ったままで、ドフラミンゴを見やったナマエが首を傾げる。
 それを聞いて、ナマエの口元に触れていた手を降ろしたドフラミンゴが、体を少しだけ傾けて頬杖をついた。
 その巨躯が軽く揺れてもナマエの体が傾いたりしないのは、その背中をドフラミンゴのもう片手が支えているからである。

「別に邪魔だと思っちゃいねェよ。もしも邪魔なら、その辺に放ってるに決まってんだろう?」

 笑って寄越された言葉に、ナマエはわずかに瞬きをした。
 それから少しだけ考えて、ううん、と小さく声を漏らす。
 ドンキホーテ・ドフラミンゴと呼ばれるナマエの飼い主は、その巨躯に見合った膂力の持ち主だが、ナマエ相手には随分と手加減をしてくれているように思える。
 恐らく、出合い頭に叩かれた不審者であるナマエが、その軽い一撃で怪我をしたのがそもそもの原因なのだろう。
 ベッドやソファなどの柔らかい場所以外めがけて放られたことなどナマエはないし、その時だって投げつけるような乱暴さを受けたことはない。
 だからこそのナマエの声音に、何だ違うってか、とドフラミンゴが笑ったままで首を傾げる。
 それを受けて、うん、と頷き、ナマエはその目でドフラミンゴを見上げた。

「ドフラミンゴ、優しいから」

 だから邪魔だったらちゃんと言ってほしい、と続いたナマエの言葉に、サングラスの向こうの目がぱちりと瞬く。
 それから数秒を置いて、フッフッフッフッフ! と漏れた楽しげな笑い声に、ナマエはとても不思議そうな顔をした。







「まァたお前がおかしなことでも言ったんだろうよ」

 何故か笑われたのだと述べたナマエへ、一瞥もくれずそう返事をしたのは頭に一対の角を生やした科学者だった。
 何ともあんまりなその台詞に、むっとナマエが眉を寄せる。

「俺、おかしなこと言ってない」

「うるせェ、今大事なところなんだ、黙ってろ」

 少年の言葉を切り捨てるように言い放った科学者が、ナマエから言わせれば大きい体を少し丸めるようにしながら薬品を調合している。目の前のその背中を眺めて、ナマエは広いテーブルに両手を置いて頬杖をついた。
 その手に持つ薬品がどういうものかをナマエは知らないが、漫画で読んだ知識の限りでも、そして悪い大人であるドフラミンゴがその庇護下に置いているという点から見ても、目の前の男は『悪い大人』の一人だった。
 派手な実験も多い上、やっていることが非人道的であるために、ドフラミンゴによってドレスローザとは別の場所に設けられたこの研究所にナマエがいるのは、ドフラミンゴの今度の『仕事』がこの近海で行われるもので、ナマエを待たせる適当な島が近くに存在していなかったからだ。
 それならドレスローザへ置いていけばいいのに、ドフラミンゴはある時期から、ナマエをあまり城へ置き去りにはしなくなった。
 その結果として、ナマエはその目で人魚や魚人や巨人や小人を見て、おかしな海と空と島を見て、不思議な現象をいくつも見た。
 目の前のそれも、そのうちの一つだ。

「…………」

 口を閉じたまま、そっと動いたナマエの片手が、目の前をふわりと漂うものへと伸びる。
 空気に揺れる、まるで触れることを誘うようなそれの端を掴まえると、両手に薬品を持ったままの科学者がぴくりと体を震わせた。

「おい、触るな」

 そうして振り返り声を漏らして、その目がナマエを睨み付ける。
 ナマエが掴んだ白いもやはそのまままっすぐ科学者の体へとつながっていて、すなわちは彼の体の一部だった。
 頭に角を生やした科学者は、ガスガスの実と呼ばれる悪魔の実の能力者だからだ。
 本来ならどんなものも受け付けない筈のその端を掴んでいた手をそっと開いて、『ガス』を掌から逃がし、ナマエはもう一度頬杖をついた。

「シーザー、今何してる?」

「アホにはわかんねェ高尚な『研究』だ、分かったら邪魔するんじゃねえ」

 問いかけたナマエへ応えて、シーザーが言う。
 じろりとねめつけるその瞳にはわずかな怒りすら覗いており、吐き捨てるような苛立ちに塗れたその声を聞いて、ナマエが頬杖をやめた。
 じっとその目でシーザーを見つめてから、前へと傾いていた体を引き、椅子へ深く腰掛けたまま、小さな頭が下げられる。

「うん、わかった。大人しくしてる。ごめんなさい」

「チッ! わかりゃいいんだ、わかりゃ! まったく、ジョーカーもなんでおれのところにこんな奴を……」

 大人しく言葉を零したナマエへ、舌打ちを零した科学者は唸り、そのままぶつぶつと文句を言いながら背中を向け直した。
 本当なら部屋をたたき出したいってェのに、と呟いているが、それがシーザーには出来ないことだと言うのはナマエも分かっていた。
 『この部屋で待ってろ』とナマエへ命じたのは、ここへナマエを連れ込み出て行ったドンキホーテ・ドフラミンゴだからだ。
 ヒステリックに怒鳴ることの多いシーザーも、さすがにその手で『ジョーカー』のペットへ無体を働くことは出来ないのである。
 椅子に座るナマエのことは無視することにしたらしく、シーザーの手がまたしても薬品に触れ、いくつかの調合を始める。

「…………」

 大人しく椅子に座ったままで口を閉じたナマエは、少しだけ周囲を見回した。
 しかし、時間をつぶすための手段は手の届く範囲にはなく、仕方なく視線をシーザーの背中へと戻す。
 ナマエが見つめる先でいくつかの薬品を混ぜ、その後の変化を記録して確認した科学者は、更にいくつか物を動かしてからやや置いて、ゆっくりと動きを止めてちらりとナマエの方を見やった。
 向けられた視線をナマエが見つめ返せば、すぐにその目は逸らされる。
 どうしたのだろうと見つめた先で、更にいくつかの道具に触れながらもう一度ちらりとナマエを見やったシーザーは、それからその眉間に皺を寄せた。

「…………おい」

「?」

 声を掛けられてナマエが首を傾げると、それを見たシーザーが言葉を続ける。

「何を大人しくしていやがるんだ」

 問いかけるその言葉に、ナマエはますます不思議そうな顔をする。

「大人しくしてるって、言ったから」

 自分が口にした言葉を繰り返し、だからその通りにしているのだと、行儀よく椅子に座ったままの少年は呟いた。
 それを聞いたシーザーが、その体をナマエの方へと向ける。
 両手に持ったガラス瓶の中の薬品が揺れて、泡立ったその表面からぽしゅりと小さく音を立てて煙が零れた。

「ガキってのはもっとうるせェもんだろう」

 ここからたたき出したくてたまらなくなるくらいに騒ぐもんだろうがと唸られて、ナマエはどうしたのだろうかとシーザーを見上げた。
 ドフラミンゴは、ナマエに『ここで待ってろ』と言ったのだ。
 ペットであるナマエはその言葉を忠実に守ると決めているし、シーザーだって自分を守ってくれているドンキホーテ・ドフラミンゴの言葉に背こうと思っているとは思えない。
 シーザーにはナマエを追いだせないのだから、これ以上苛立たないでいる為には、ナマエが大人しくしているべきだ。

「俺、大人しくするの得意だよ?」

 じっとしてるの、と言葉を続けて、ナマエはその両手を揃えて膝の上に置いた。
 置物のようにじっとしていることはさすがに出来ないが、ナマエはもとより『外で遊びたい』と言った欲の無い子供だった。
 同年齢の友人がいなかったことや、母親が自分に殆ど無関心だったことが関係しているのかもしれないが、ナマエ自身には分からない。
 『わがまま』と呼ぶようなことを口にするようになったのだって、ドフラミンゴがナマエに首輪を巻いて飼ってくれるようになってからのことだ。
 だから気にしなくていいのにと呟くナマエへ向けて、シーザーが顔をしかめた。

「ガキがそんなもん得意になってどうする、馬鹿馬鹿しい……やめだ、やめ」

 呆れたような声音と共に、その手ががちゃんと音を立てて持っていた薬品を置いた。
 揺れた薬品からはまた煙が漏れたが、シーザーは気にした様子もなく軽く手を払う。
 その様子に、ナマエの目が瞬きをした。

「おわり?」

「こっちはな。今日の研究対象はお前に変更だ、ナマエ」

 そんな風に言葉を置いて、シーザーの指がびしりとナマエを示した。
 向けられた自分より大きな手を見つめてから、俺? とナマエが不思議そうに声を零す。
 そうだとそれへ頷いて、体を揺らがせたシーザーの姿がナマエのすぐ傍へと移動した。
 ゆらりと揺れるその手が、そのままナマエの肩を掴まえる。

「結局、この間は採血も出来なかったからなァ」

 しみじみと呟きつつ、すぐ傍からシーザーがナマエの顔を覗き込んだ。

「海楼石を持っているわけでもなけりゃ、悪魔の実の能力者でも覇気使いってわけでもねェお前が、何でおれを掴まえられる?」

 落ちて来たガスガスの実の能力者のその言葉は、ナマエが初めて彼と会い、揺らぐその体に手を触れた時から何度か向けられているのと同じ問だった。
 好奇心と興味に満ちた眼差しをナマエへ向けて、今にもその体すべてを切り開いて調べつくしてしまいそうだったシーザーを止めたのは、シーザーの傍からナマエを抱え上げて笑ったドンキホーテ・ドフラミンゴだ。

『フッフッフ! おれのペットだ、下手な真似をしようと思うなよ?』

 楽しげに笑ったドフラミンゴの言葉で、シーザーはあっさりナマエへ伸ばしかけていたその手を降ろした。
 あの日から何度か寄越されているその言葉へ、ナマエはいつもと同じように返事をする。

「俺には分かんない。ドフラミンゴが、ドフラミンゴのもきかないって言ってた」

 他の人のも、と初めて付け足した言葉に、シーザーが軽く目を細める。
 シュロロロロ、とその口が笑い声のようなものを零して、ぐっとナマエの肩を掴んだ後で離れたその手が、その衣服のどこからともなく注射器を取り出した。 

「俄然興味が湧いて来たぜ。よしナマエ、腕を出せ」

「…………注射するの?」

 わざとらしく微笑みながら寄越された言葉に、ナマエはそっと腕を後ろへ隠そうとしながら尋ねた。
 どう見ても空っぽの注射器だが、その中にこれから何か薬品が入り、ナマエの腕にその針が突き刺さるのだろうか。
 何度かやった予防接種でも痛くてたまらなかったのを思い出し、ナマエの顔が情けなく眉をさげる。

「してやりてェところだが、釘を刺されたからなァ」

 ナマエへ向けて囁いて、肩を竦めたシーザーが注射器の針を軽く揺らした。
 光をはじいたその切っ先がちかりと輝き、そのままナマエの方へと向けられる。

「お前がもう少し成長したら、隙を見て持ち掛けてやる」

「……じゃあ、今日は注射じゃない?」

「サンプルに血をとるくらいさせろ。安心しろ、きちんと消毒はしてやる」

 恐る恐る問いかけたナマエへ、囁いたシーザーがもう片手でガーゼを取り出した。
 つんと香るアルコールの匂いは、ナマエの知っている『保健室』の匂いによく似ている。
 さあ、と近付くそれから後ろへ向けて体を引いて、ナマエはじっとシーザーを見上げた。

「…………痛い?」

 殴られて怪我をするのとはまた違う、小さな針が刺さる痛みを知る少年の言葉に、シーザーが心外だとばかりに眉を寄せる。
 大仰にその両手が揺らされて、疑われるとは心外だ、とその口が芝居がかった言葉を零した。

「心配するな、痛いことなんて何もしない。おれは天才科学者だぞ?」

 どこに根拠があるのかもナマエには分からないが、そんな風に言ったシーザーの顔は自信に満ち溢れている。
 片手の指で注射器を挟んだまま、近寄ったその手がナマエの腕に触れた。

「ジョーカーだっておれを信用してる。お前もおれを信用しろ」

 その顔に穏やかに見える笑みを浮かべ、そう囁いたシーザーの声を聞いて、ナマエは少しだけ考えるそぶりをした。
 その頭に思い浮かんだのは、当然、ここへナマエを置いていった『飼い主』の顔だ。
 大人しくしていろとナマエへ言い、ここへナマエの身柄を預けていったドフラミンゴは、確かにシーザーのことを信用していると言えるだろう。
 ナマエの飼い主であるドフラミンゴが彼を信じているのなら、確かにナマエも、シーザー・クラウンを信じていいと言えるかもしれない。
 そこまで考え至り、ナマエの頭がやがて上下に振られる。

「………………うん、わかった」

 呟いたナマエを見下ろして、シーザー・クラウンはそれはもう嬉しそうな笑みを浮かべた。







「ドフラミンゴ、シーザーがうそついた!」

「あ、こらナマエ、ジョーカーに言いつけてんじゃねェ!」

 声を上げ、現れた大男へ飛びついたナマエの後ろで、科学者が慌てたように声を上げる。

「なんだ、騒がしいじゃねェか」

 楽しげに呟いたドフラミンゴの両手がナマエを掴まえて、そのままひょいと抱え上げた。
 どんな嘘を吐かれたんだと間近で問われて、眉を寄せたナマエのその手が、つい先ほど攻撃された己の腕を軽く押さえる。

「痛くないって言ったのに、痛くしたっ」

 口を尖らせ、珍しくそう訴えるナマエに、ほォ、とドフラミンゴが声を零す。
 その顔がナマエの後方の科学者を見やり、視線を向けられたシーザーが慌てふためいたのか、がしゃがしゃと周囲の物を派手に床へと落下させた。

「ち、違うんだジョーカー、おれはその、」

 慌てたように声を零すシーザーへ向けて、フッフッフ、とドフラミンゴが笑う。
 その口も笑みの形を浮かべていると言うのに、機嫌が悪く思えるドフラミンゴの腕に抱かれながら、ナマエはぎゅっと両手でドフラミンゴの着込んでいるコートを掴まえた。
 なだめるように背中を撫でてくれるその大きな手に少しだけ息を吐いて、その頭をドフラミンゴの体へと押し付ける。
 ドフラミンゴという飼い主の腕の中は、そのペットであるナマエにとってこの世界で一番安心できる場所だった。
 ここにいれば、シーザーが無体を働くこともなく、腕に針が刺さる危険性も全くない。どれだけ恐ろしいものの傍によっても安全でいられるのは、ドフラミンゴがナマエを守ってくれるからだ。
 恐ろしいことを生業とする『悪い大人』のドフラミンゴは、確かに一度はナマエに怪我を負わせたが、けれどもナマエに言わせれば、ナマエが知っている中で一番優しい『わるいひと』だった。

「ドフラミンゴ、」

「なんだナマエ、泣いてんのか?」

 名前を呼んだナマエの声が少しばかりかすれたからか、ドフラミンゴが笑いを含んだ声を零す。
 泣いてない、とそれへ返事をして、ぐす、とわずかに鼻をすすり安堵のため息を零したナマエの背中側で、シーザー・クラウンが絞り出すように掠れた悲鳴を零したが、顔を上げず振り返らなかったナマエには、残念ながらその理由は分からなかった。




end


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