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わるいひととしろひげ
※『わるいひととぱいん』の続き



 グランドラインの大海原の向こうへ太陽が傾き、空がオレンジ色に染まり始めた頃。
 彼方を眺めながら周辺の見張りを買って出ていた白ひげ海賊団の一番隊隊長は、その影を見つけて少しばかり眉を動かした。

「……おいおい、本気かよい」

 思わず呟いて、小さくため息を零してからその手が持っていた双眼鏡を降ろす。
 随分と遠かったその影は、明らかにその大きさを増して、どんどん白ひげ海賊団の本船であるモビーディック号へと近づいてきているようだ。
 その手が見張り台の端に触れて、下を覗きこんだマルコの口から大声が出た。

「右舷前方、客がお越しだよい! オヤジに伝えろい!」

 放たれた声に反応したクルー達が、ばたばたと甲板の上を走り回りだし、何人かが揃って船内へと駆けこんでいく。
 それを見送ってから、ひょいと空中へその身を投げたマルコの体が青い炎に包まれた。
 両腕を大きな翼に変えて、軽く羽ばたいたその身がモビーディック号より海側へと飛び出す。
 それとほぼ同時に、彼方から近づいてきたその『影』が、ばささ、とマルコが羽ばたくのに似た音を立ててモビーディック号へ『飛んで』近づき、体を前転させて放ったマルコの蹴りをバシリと大きく弾いた。
 太陽のおかげで半分ほどオレンジ色にも見える桃色の影がそのままモビーディック号の甲板へと落下して、体勢を立て直したらしいその『影』が両足でモビーディック号を踏みつける。

「フッフッフ! いきなり蹴りたァご挨拶だなァ、不死鳥マルコ!」

 巨躯を支えて笑った王下七武海が、サングラスのままでマルコを見上げた。
 トレードマークとなっているその桃色の羽毛コートを見下ろし、羽ばたきながら体勢を変えたマルコも甲板へと降り立つ。

「来るんなら船で来いよい。あんな勢いで飛んでこられたら敵襲だと思うだろい」

 わざとらしく言葉を放ったマルコの目が、ちらりと男を見上げた。
 マルコよりずいぶんと上背のある大男は、このモビーディック号のクルーのほとんどが知る海賊だ。
 ドンキホーテ・ドフラミンゴと名乗るドレスローザの国王が、マルコの視線を受け止めて笑っている。

「何言ってんだ、王下七武海が四皇と接触したなんて大々的に知られたら、おつるさんにドヤされちまうじゃねェか」

 海兵の名前を出して楽しげに笑った男が、白ひげ海賊団へ『訪れる』と連絡を入れてきたのは、つい一昨日のことだった。
 どうやってか白ひげの電伝虫の番号を調べていたらしい男からの通信に、マルコ達も半信半疑であったが、昨日立ち寄った島で手配されていた『手土産』を受け取った段階で、本気であると気が付いた。
 モビーディック号のクルー達であっても一日では飲みつくせないに違いない量の酒が、今はモビーディック号の船倉と甲板にひしめいている。
 隊長格や他のクルー達による厳重なる検閲の結果、本当にただの酒であると分かったそれの二樽ほどは、先に酒盛りを始めてしまった白ひげ海賊団船長のそばにある筈だ。
 楽しげにもいつも通りにも見えるその顔に軽くため息を吐いてから、マルコは片手を自分の首の後ろへやった。
 そのままで軽く首を傾げて、どうにも一人に見える男を観察する。
 ドフラミンゴが訪れた『理由』の姿が見当たらない、とその目が一度瞬きをしたところで、ドフラミンゴの着込んでいる羽毛コートの一部がもぞりと動いた。
 それに気づいて、ドフラミンゴの指がひょいと自分の胸元から背中へ向けて回り込んでいた細いベルトをぱちりと外し、そのままひょいとコートに手を差し入れ、そこからずるりと何かを引きずり出す。
 片手に服を掴まれて、まるで猫の子のように持ち上げられて現れたのは、誰がどう見ても人間の子供だった。
 子供の両手が持っているベルトは、先ほどドフラミンゴが外した細いものであるようだ。

「ドフラミンゴ、ついた?」

「ああ、ついたぜ。フフフフ!」

 男を見上げて尋ねた少年へ、ドフラミンゴがあっさりとそう答える。
 そのままひょいと足元へ降ろされて、ドフラミンゴのそばではその小ささの目立つ少年がきょろりと周囲を見回した。
 そうしてそのままその目でマルコを見つけて、あ、と小さな口が声を零す。

「マルコだ」

「ようナマエ、元気そうだねい」

 寄越された声音にマルコが言えば、うん、とナマエは頷く。
 動いた拍子に光を反射したその首元の首輪が、ちかりと光ってマルコの目を攻撃した。







 ナマエという名前の『ドンキホーテ・ドフラミンゴのペット』とマルコが出会ったのは、つい一か月ほど前のことだった。
 マルコを相手に何とも酷い呼び方をした少年を構ったマルコは、確かに『今度はオヤジに会わせてやる』とナマエを誘った。
 いくらドフラミンゴでも少年を一人で白ひげ海賊団に接触させはしないだろうとは思っていたが、己と子供だけの単独で乗り込んでくるとはマルコも予想していなかったことだ。
 暗くなったグランドラインの夜、昨日受け取った酒を広げて酒盛りをするクルー達の端に混ざったマルコの視線が、ちらりと一角で酒を飲んでいる大男とマルコ達が敬愛する船長を見やる。
 男の周りに座っているクルー達は、男が船長に何かをしでかさないかと、酒を飲みながらも警戒を怠っていない。
 あれでは酒もうまくないだろう。明日には労ってやらないと、などと考えたマルコの隣に、小さな影がちょこんと座った。

「マルコ、ドフラミンゴ見てる?」

 それから言葉を寄越されて、気配と声でそれが誰かを判断したマルコの目が、ちらりと傍らに座った子供を見やる。
 丸い白い皿を自分の前に置いて、不思議そうな目をした少年がマルコを見ていた。
 別に見てねェよい、とそちらへ嘘を返してから、マルコの体が完全に少年へ向き直る。

「それよりナマエ、楽しんでるかよい」

 そのままの状態で尋ねると、うん、とナマエという名前の彼は素直に頷いた。

「さっき、なみゅー……る?が海の中からジャンプしてた。すごかった」

「ナミュールで合ってるよい。へェ、さっき騒いでたのはそれかい」

「うん。なんか回ってた」

 言葉を零したナマエの顔は少しばかりほころんでいて、心なしか楽しげにも見える。
 どうやら本当に楽しんでいるらしいと判断して、そうかよい、とマルコも頷いた。
 マルコの手がひょいと大皿へと伸ばされて、先ほど運ばれてきたばかりの新しい料理をナマエの皿の上へ盛る。
 白い皿を埋めていく料理を見下ろしてから、ナマエはちらりと白ひげ海賊団の船長が座っている辺りを見やった。
 それに気付いて手を止めたマルコも見やれば、少年の視線に気付いたらしいこの場にただ二人だけの部外者のうちの片割れが、ひらりとその指を動かして見せる。
 それを受けてぶんぶんと短い手を振り返してから、ナマエの視線が皿とマルコの方へと戻された。
 それを見やってカラアゲまで皿へ積んでやったところで手を止めたマルコが、呆れたように声を漏らした。

「本当に、よく懐いてるよい」

 『天夜叉』と呼ばれるあの海賊に子供が懐いている姿など、まさかマルコはその目で見ると思ってもいなかった。
 恐らく、マルコと同じような感想を、モビーディック号のクルー達の大半は持っているだろう。
 けれどもマルコの言葉を受けて、子供は不思議そうに首を傾げているばかりだ。
 その首を飾る悪趣味な首輪が、明かり用の松明からの光をはじいている。
 どう考えても飼われている少年は、自分が『ドフラミンゴのもの』であることを隠そうともしない。
 今は離れた場所に座っているドンキホーテ・ドフラミンゴの姿が見えない場所へ行こうともしないと、マルコはすでに気が付いていた。
 時々ちらちらとドフラミンゴの様子を窺っては、先ほどのように手を振ったり振り返したりしているのだ。見ていればいやでも分かる。

「ナマエ、お前らどう言う流れで『そう』なってんだよい」

 ふと思いついて尋ねたマルコに、隣に座ったままぱくりと先ほどマルコが取り分けたカラアゲを口に運んだナマエが、ぱちぱちと瞬きをした。
 そのままもぐもぐと口の中身をかみしめ、ごくんと飲み込んでから、えっと、とその口から声が漏れる。

「初めて会った時、ドフラミンゴに叩かれた」

「…………は?」

「それで怪我して、でもドフラミンゴがお医者さん呼んで治してくれた」

 淡々と語られるナマエの言葉は、おおよそマルコの予想と外れたものだった。
 戸惑うマルコに気付いた様子もなく、俺がちょっと変だったから気に入ったって言ってた、と続けて、ナマエはこともなげに言葉を紡ぐ。

「あれから俺、ドフラミンゴの」

 あっさりと言い放つナマエは、自分の境遇に疑問を抱いた様子もない。
 そのまままた一つ料理を口に運んだナマエのそばで、自分のグラスの中身を舐めたマルコが重ねて尋ねた。

「……家は、どうしたんだよい」

 まさかいくらドンキホーテ・ドフラミンゴでも、赤子をその手で打つなんていうことはしないだろう。
 もしそんなことをしていたら、体を守るすべも知らない赤子はその暴力の下で死んでいてもおかしくない。
 だとすればナマエは今の年齢かそれより少し下の年頃でドフラミンゴとの遭遇を果たしたことになり、それならばそれまでの間に『育った』場所がある筈だ。
 マルコの問いかけに、ナマエは先ほどと同じように口の中身の物を飲み込んでから答えた。

「一回帰ったけど、ドフラミンゴと一緒にいたかったから戻ってきた」

 まるで海が海であるというように、ナマエはこともなげに言葉を放つ。

「俺、ドフラミンゴの」

 あっさりきっぱりとしたその声に、やや置いてから、マルコの口からはため息が漏れた。

「……本当に、こんなガキにどういう教育してんだよい……」

 偉大なる白ひげに拾われ家族となったクルーであっても、こんな子供のようにまっすぐな目で『所有されている』と宣言するような者はいない。
 小さく細い首に首輪まで掛けて、王下七武海の大男は子供が『所有物』であると主張し、それを少年自身にも教え込んでいた。
 それがどうしてかなんてこと、マルコが知る由も無いが、それが健全な状態でないことくらいは分かる。
 どうしたものかとグラスを片手に考えるマルコを見やり、不思議そうにしたナマエは、美味しかった、と呟いて大皿から先ほど自分の口に放り込んだカラアゲをいくつかもう一度自分の皿へと確保して、それからひょいと立ち上がった。
 それに気付いてマルコが見やれば、小さな背中はすでにマルコの方を向いていて、酒を食らいながら他所の酒盛りを眺めている七武海の方へと歩いていくところだった。

「ドフラミンゴ」

「ん? どうしたナマエ」

 少年が声を掛ければ当たり前のようにドフラミンゴが返事をしているのが、マルコの耳にもわずかに届く。
 なにがしかを告げながらドフラミンゴへ近寄ったナマエが、その手に持っていたフォークで自分の皿の上の物を突き刺して、それをそのまま座っているドフラミンゴへ差し出していた。
 それを受けて、楽しげに笑ったままのドフラミンゴがフォークに噛みつく。
 まったく自然体のその様子に、ちらりとそちらを見やった白ひげがその視線をマルコに向けたのが見えた。
 笑っている白ひげ海賊団の船長へ、マルコは軽く肩を竦めて返事をする。
 全く持っておかしな光景だが、それがナマエとドフラミンゴにとっては自然なものだと言うことくらい、見ていればいやでも分かった。
 王下七武海の『天夜叉』ドンキホーテ・ドフラミンゴは、『ペット』のナマエという名前の少年を可愛がっている。
 恐らくは海軍上層部のお墨付きだろうその光景に、マルコや他の海賊が何かを言ったところで変化がある筈もない。
 マルコにできたことと言えば、宴がお開きになった頃、うつらうつらとしているナマエを来た時と同じように体に括り付けて連れて帰ろうとした危険な酔っ払いを、まとめて無理やり船内の小さな個室に蹴り込むことくらいのものだった。



end


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