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わるいひととおともだち
※『わるいひととくびわ』の続き




 見上げた空は晴れ渡り、今日も絶好の外出日和だ。

「……ん? おい、お前」

 一人で歩くにぎやかな通りにも飽きてきた頃、不意に落ちてきた声に、ナマエは無防備にそちらを見上げた。
 ふわりと漂った煙のにおいに瞬きをした先に、口から白い煙を吐き出した男が立っているのが見える。
 見たことのある顔だと判断して、ぱちぱちとさらに瞬きをしたナマエは、その名前を思い出す努力をした。

「んっと……」

 けれどもうまく出てこなくて、小さな皺がその眉間に寄せられる。

「べ、べー……」

 確かこの音から始まる名前だったはずだ、と思いながら、ナマエは答えを探すようにきょろりと周囲を見回した。
 けれども、のどかなグランドラインの一角にあるその島でもひときわにぎやかな通りに、目の前の男の顔が映った手配書は見当たらない。
 うーんと唸ったナマエの前で、最後の一吸いを終えた男が落とした煙草を踏みつぶし、ナマエの頭にぽんとその大きな手を乗せた。

「……ベックマンだ」

 言いつつ少し屈んだ男に答えを寄越されて、それだ、とナマエの視線が男へ戻される。
 ベックマンと名乗った男は少し強面で、屈んだ状態で少し上からナマエを見下ろすその目がじっとナマエを観察していた。
 この男は確か、赤髪と呼ばれる海賊の仲間だ。
 それを知っているから、ナマエは少しばかり不思議そうな顔をした。

「シャンクスは?」

 以前アイスを買ってくれた明朗快活な海賊を思い浮かべてナマエが問えば、ちっと別行動だ、と告げた男の視線がじっとナマエの首のあたりに集中する。
 その目が何を見ているのかに気が付いて、ああそうだ、とナマエは前の時の彼らとのやり取りを思い出した。

「これ、新しくしてもらった」

 外せるやつ、と言葉を放ちながら、ナマエは自分の首元を指差す。
 そこにはまっているのは、以前より少し豪華なつくりの、金属製のものだった。
 きらきら輝くそれがきれいなのか恰好いいのか趣味が悪いのかはナマエには分からないが、毎朝ドフラミンゴがはめてくれるのでドフラミンゴから見ておかしなものでは無いのだろうということは分かる。
 前のはこっち、と自分の足に巻かれたアンクルリングを示したナマエに、ベックマンは少しばかり呆れた顔をした。

「増えてるじゃねェか」

「うん。ドフラミンゴがくれた」

 寄越された言葉に頷き、ナマエの口元が少しばかり緩む。
 ナマエにとって、ドフラミンゴから寄越される全ては『大切』に分類すべきものだった。
 だって、それらは全て、ドフラミンゴが『ナマエのために用意した物』であるからだ。
 ナマエのために誂えられて、ナマエの体にだけ着けられる物だ。嬉しくないはずが無い。
 ナマエの様子を見下ろしたベックマンが、ほんの少しばかり眉を寄せる。

「この間、鷹の目が酒を飲みに来てたんだがな」

「?」

 唐突すぎる話題に、何の話だろうかとナマエは戸惑いを顔に浮かべた。
 けれどもそれを気にした様子なく、まあそれは別に構わねェんだが、と呟いたベックマンが、その口からため息を零す。

「それで、ここの港に『どっかの馬鹿』がわざとらしく旗を上げて船を停めてやがったせいで、うちのお頭が騒いでる」

「うん?」

「ナマエ、だったな。お前、今暇か」

 話のつながりが分からぬまま、そう尋ねられたナマエがえっと、と声を漏らす。
 暇かと言われれば、確かに暇だ。
 この島へ『何か』をしにやってきたドフラミンゴは、いつものようにその用事が終わるまでうろついていろとナマエをこの島の一番賑やかな通りに置いて行った。
 あれからもうそろそろ一時間、昼過ぎには戻ると言っていたから、噴水のあった広場でドフラミンゴが来るのを大人しく待っていようかと思っていたところだ。

「俺、ドフラミンゴ待ってる」

 だからそう答えたナマエへ、そうかと頷いたベックマンがその体を起こす。

「それじゃ、その待ち合わせ場所は?」

 そうして寄越された言葉にナマエが首を傾げ、その首元の首輪がちかりと光をはじいた。







「ようナマエ、元気そうだなァ!」

 噴水のある広場に現れた赤い髪の男は、そう声を掛けてナマエの髪をくしゃりと乱した。
 ぐりぐりと撫でられて体を傾がせたナマエが、慌てて体に力を入れる。
 すぐに手を離してにかりと笑い、片腕の男が噴水の縁に座っているナマエの横にどかりと座った。
 少し離れたところでその様子を見たベックマンが、何かを買いに出店へ足を向けたのを見やってから、ナマエはすぐ隣の男を見上げる。
 四皇だのと呼ばれる大海賊である『赤髪のシャンクス』は、その視線を受け止めてまだ口元に笑みをたたえていた。
 ナマエがドフラミンゴを噴水のあるこの広場で待つと言った後、ナマエをここまで連れてきたベックマンは、それからすぐにこの海賊をこの広場へと案内してきたようだった。
 どうしてだろうかと不思議そうなナマエを見下ろして、探したんだぜ、とシャンクスが言葉を零す。
 寄越された言葉に、ナマエは相手を見つめた。

「俺のこと探したの?」

「ああ。ドンキホーテ・ドフラミンゴの船が港にあったからなァ」

 王下七武海ってのは随分と大胆だ、と笑うシャンクスに、ナマエはますます不思議そうな顔をした。
 どうして、赤髪のシャンクスが自分を探すのだろうか。
 戸惑うナマエを見下ろしたシャンクスが、その手でもう一度ナマエの頭を撫でる。

「ナマエ、おれ達と来ないか」

 そうして寄越された誘い文句に、ナマエはぱちりと目を瞬かせた。
 意味が分からず首を傾げたのを、シャンクスは返事を待つように笑って見下ろしている。
 その目がちらりとナマエの首元を見やったのに気が付いて、ナマエは片手で自分の首に触れた。
 ひんやりとした金属の感触が、その指先をわずかに冷やす。
 小さな指が自分の首元のそれを掴まえたのを見つめて、シャンクスが言葉を重ねた。

「おれだったら、それを着けさせたりはしない」

 そうして寄越された言葉に、意味を理解して、ナマエはむっと口を尖らせた。
 シャンクスの言いようは、まるでナマエが無理やり首輪をはめられているかのようだ。
 確かにドフラミンゴはナマエに許可を取らなかったが、ナマエは首輪を嫌がったことなど一度も無いというのに。

「…………これ、俺の」

 言いながら、シャンクスの視界から隠すように両手で自分の首のあたりを覆って、ナマエは少しだけ肩を竦める。

「俺、ドフラミンゴの」

 この世界へ来た時、ナマエに大怪我をさせたのはドフラミンゴだった。
 けれどもその怪我をきちんと治癒してくれたし、ナマエを追い出したりはせずに手元に置いて、『おれのもんだ』と言ってナマエへこの世界の居場所をくれて、何をしようともしなかったナマエをあちこちに連れ出してくれた。
 見たこともない場所に連れて行って貰って、色んなものに触れて色んなことをした。
 ドフラミンゴは悪い大人だ。
 ナマエを丸ごと自分のものにして、その手元の居心地の良さをナマエに教えてしまった。
 けれどもあの日、元の世界よりドフラミンゴの手元を選んでしまったのはナマエ自身だ。

「俺が、自分できめた」

 だから言葉を放って、ナマエはじいっとシャンクスを見上げた。
 ナマエの言葉に、少しばかり目を瞠ったシャンクスが、それから眉を寄せる。
 仕方なさそうにその口がため息を吐いて、そっとナマエの頭からシャンクスの手が離れた。

「……今、こっから攫ってっても構わねェんだがなァ」

「シャンクス、俺のこと誘拐するの?」

「してほしいか?」

「ううん」

 首を傾げて言葉を落とされて、ナマエは間髪入れずに首を横に振った。
 それから、けど、と言葉を紡ぐ。

「ドフラミンゴ強いから、できないと思う」

 目の前の海賊が実際にどのくらい強いか分からないが、ナマエの知っている限り、一番信頼できる強さを持っているのは飼い主であるドンキホーテ・ドフラミンゴだった。
 そしてドフラミンゴは、自分が手放す以外で自分のものが誰かに奪われるのを良しとしない海賊だ。
 だからドフラミンゴ自身にいらないと言われない限り、ナマエはドフラミンゴの物として、奪われれば奪い返されるに決まっていた。
 きっぱりとしたナマエの言葉に、シャンクスがぱちりと瞬きをして、それから困ったような笑みがその顔に浮かぶ。

「……それだけ信用してるってェことか」

 なるほどなァ、と呟いて、その手が軽く自分の頭を掻いた。

「どうにも信じられなかったが……『あいつ』の言う通り、向こうも案外大事に扱ってるらしい。なァ、ベック」

 はあ、とため息を吐いてから言葉を零し、言葉の最後をナマエの向こう側を見やって言い放ったシャンクスに、ナマエの視線がシャンクスと同じ方を見やる。
 いつの間にかそこに立っていたベックマンが、そうみたいだな、と大して表情も崩さず答えつつ、その手に持っていた物をシャンクスへ向かって差し出した。
 どうやら先ほど出店で買ったらしい小さな酒樽のようなものを片手で受け取って、中身に軽く口を付けたシャンクスがその視線をナマエへ落とす。
 ほら、とベックマンに差し出された飲み物を受け取ったナマエがそれに気付いてシャンクスを見やると、はあ、とシャンクスはもう一度ため息を零した。

「奴隷や本気のペット扱いじゃない上に、当人が納得してるってんじゃァ、これ以上は何にも言えねェなァ……」

「諦めろ、お頭」

 ナマエの横で呟くシャンクスに、ナマエを挟んで反対側に腰を下ろしたベックマンが肩を竦めて言葉を放つ。
 ナマエの頭の上でそんな会話を交わす二人に、ナマエは両手で持った容器に刺さったストローへ口をつけながら首を傾げた。
 どうしたのか分からないが、どうやらシャンクスにはナマエの首輪を構う気はなくなったらしい。
 とりあえずそう判断して、肩にこもっていた力を抜く。
 さらに二言三言ベックマンと言葉を交わしたシャンクスが、ぐい、と手元の酒樽を煽ってから空になったらしいそれをナマエ越しにベックマンへ押し付けて、改めてナマエを見やった。

「ナマエ」

「うん?」

「ちょっと手ェ出せ」

 唐突な呼びかけに不思議そうな顔をしながら、ナマエはシャンクスの言葉に素直に従った。
 晒された小さな右掌の上に、シャンクスが懐から取り出した何かを乗せる。
 ころんと転がりかけたそれを慌てて握って、ナマエは寄越されたそれを見つめた。
 小さなガラス瓶の中に、紙片が入っている。
 その片面には何やら番号のようなものが書かれていて、なんだろうかと思いながらナマエが視線をシャンクスへ向けると、それをやる、と告げたシャンクスがひょいとナマエの横から立ち上がった。

「『あの』ドンキホーテ・ドフラミンゴだからな。何かやばいことに巻き込まれそうになったらすぐに逃げて来い。おれ達が匿ってやるから」

 いいな、と念を押すように言葉を寄越されて、戸惑った顔をしたナマエの頭をもう一度撫でてから、行くぞベック、とベックマンに声を掛けたシャンクスがそのまま歩き出す。
 はいよ、と返事をしたベックマンが、ちらりとナマエを見やりながら立ち上がって、軽く肩を竦めた。

「じゃあな。まァ、ガキは遠慮するな」

 そうしてそんな言葉を放って、シャンクスを追いかけて去っていく。
 ベックマンとシャンクスの背中を見送る格好になったナマエは、片手に飲み物の入った容器を持ち、もう片手に不思議な小瓶を持ったまま、一体なんだったのだろうかと首を傾げた。
 その視界の端で小瓶の中の紙片が動いたのを感じて、ナマエの目がもう一度小瓶を見やる。
 ガラス瓶の中に入った紙片は、しっかりと蓋もされているというのに、まるで何かに吸い寄せられるようにガラス瓶の片方側へとぴったり張り付き、ひらひらと少しばかり動いていた。
 そちらはちょうど、シャンクスとベックマンが去って行った方向だ。

「…………えっと、なんだっけ」

 何となくそれが何なのかを把握して、ナマエは一人で呟いた。
 この世界へ来て、あの漫画を読むことも無くなったせいか、こまごまとした単語や名前がうまく出てこないことが多くなってしまった。
 けれども確か、この紙は話の中で出てきていた筈だ。
 ええと、と頭を悩ませたナマエの上に、ふいに影が落ちた。

「ん? ナマエ、誰のビブルカードだ?」

 そうして言葉とともにひょいと手から小瓶を奪い取られて、ナマエがそれを追いかけて視線を上げる。

「ドフラミンゴ」

 そこに立っていた海賊の名前を呼んですぐに立ち上がると、小瓶を持ったままのドフラミンゴが、空いた手でひょいとナマエの体を持ち上げた。
 片腕で抱くようにされて、慌ててナマエが持っていた飲み物を抑える。
 ストローの刺さったそれを見やったドフラミンゴの口が勝手にストローへ噛みついて、中身を軽く飲んでから改めて小瓶を軽く振って中身を眺めた。

「フッフッフ! 電伝虫の番号まで書かれてるじゃねェか。まァた誰かにナンパされたか?」

「さっき、シャンクスから貰った」

 笑いながら言われて、飲み物を支えたままでナマエは正直に答える。
 ナマエの言葉に大して驚いた様子もなく、まるで知っていたかのようにそうかと簡単に頷いたドフラミンゴが、持っていた小瓶をナマエの方へと差し出した。
 寄越されたそれを受け取って、ナマエももう一度小瓶の中をのぞき込む。
 ドフラミンゴがビブルカードと呼んだそれには、やはり何か字が書かれている。
 ナマエにはよく分からないが、どうやらこれが『電伝虫の番号』らしい。
 だとすれば、それは赤髪のシャンクスの番号だろう。
 電話番号みたいなものだろうかとそれを眺めたナマエを抱えたままで、歩き出したドフラミンゴがどうしてか楽しそうにしている。
 小瓶を服の胸ポケットへ押し込んで、改めて両手で飲み物の容器を持ち直したナマエは首を傾げた。

「ドフラミンゴ、いいことあった?」

 『用事』がうまく行ったのだろうか。
 そう考えて尋ねたナマエへ、まァな、とドフラミンゴが答える。

「まさか別のとこからも話が行くたァ思ってなかったからなァ。礼に、鷹の目の野郎には今度キツイ酒でも持っていってやるか、フフフフ!」

「……?」

 とても楽しそうだが、ドフラミンゴが何を言っているかよく分からない。
 不思議そうに相手を見つめたナマエは、けれどドフラミンゴが上機嫌なのは変わりないのでそれ以上追及はせず、とりあえずドフラミンゴに飲み物を零してしまわぬようストローを口に入れて中身を飲み干すことにした。
 途中でもう一口寄越せと言われて明け渡した容器の中身は空にされてしまったが、ドフラミンゴが満足したなら構わないことだった。




end


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