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わるいひと
※ネタの後半


 ドフラミンゴが、いわゆる悪い大人だということをナマエは知っていた。
 何故なら、七武海のドンキホーテ・ドフラミンゴがなにやら悪いことをしているということを『知識』として知っていたし、怪しい話を部下としているところも何度か見かけたし、何より初対面で子供のナマエを殴ったのは確かにこの大男なのだ。
 ナマエは自分が今居る世界が『漫画』として存在している世界からきた人間で、どうしてかドフラミンゴの『能力』が効かなかった。
 怪しい奴だなと笑ったドフラミンゴの一撃は軽いものだったのだろうが、ただの小学生でしかないナマエの体は大怪我をした。
 驚いた顔をしたドフラミンゴは、弱くて脆いナマエに怪訝そうな顔をして、ただ迷い込んだだけなんだと弁解したナマエの怪我を治療させて居場所をくれた。

「行く当てがないなら、おれが飼ってやる。お前はおれのもんだ、ナマエ」

 フフフフと笑ったドフラミンゴにそう言われても、飼われるというのが不都合に感じなかったナマエはただ頷いただけだった。
 人間を飼うというのがドフラミンゴにとって珍しいことなのかそうでないのかも、ただ漫画の知識しかないナマエには分からない。しいて言うなら、ヒューマンオークションの大元をやっているらしいから違和感は無かった。
 大きな首輪と上等な服を手に入れて、しばらくは広い部屋で殆どを過ごしていたけれども、ドフラミンゴの気まぐれでか、ある日を境にナマエはあちこちを連れまわされるようになった。
 外の世界は広かった。
 海は青くて空は高くて、潮風は生ぬるかったり冷たかったりした。
 雷が降る海もつららで出来た森も、海の底も魚人ばかりの島も、ナマエは全部が全部初めて見るものだった。
 悪い大人のドフラミンゴの事情に巻き込まれたりもしたけれど、それだって目新しい出来事の一つだ。
 人質に取られたナマエをドフラミンゴは笑いながら助けたし、ドフラミンゴが強いことを知っているから怖くも無かった。
 ナマエは初めて、毎日が楽しいと思った。
 だから、ずっとずっと、こうして過ごしていられたらいいと思ったのだ。
 けれども、そんな願いが届くはずがないということも、何となく分かっていた。

「ん? おい、ナマエ」

 ふと何かに気がついたように呼ばれて、ナマエは目の前の本から顔を上げる。
 小さな子供用の本を買ってきてくれたらしいドフラミンゴは、少し怪訝そうな顔でその視線を室内に巡らせていた。
 どうしたのかとそちらを見つめていれば、サングラスを掛けたままの視線がナマエを見やる。

「お前の鞄、どうした?」

 見当たらねェぞと言葉を寄越されて、ナマエの目が一つ、瞬きをする。
 その手が、ぱたんと本を閉じた。

「なくした」

 そうしてそう言葉を返せば、ドフラミンゴは少し考えるそぶりをした。

「なくした? あー……そういや昨日は持ち歩いてたな。昨日の島でか?」

「多分、そうだと思う」

 ドフラミンゴの言う通り、昨日降りた島でナマエはランドセルを背負っていた。
 真っ黒なそれは近所の家から貰ったお下がりで、すでに六年を使いまわされたランドセルはくすんでいた。
 けれども、ナマエにとっては大事な鞄だ。
 だから確かに昨日は背負っていたし、ドフラミンゴは覚えていないようだが、きちんとこの船へ持って帰ってきた。
 昨日眠る前、ベッドの横に放ったのをナマエは覚えている。

「……」

 けれども、確かに放ったはずの場所に、それは無かった。
 誰かが片付けたわけではない。それなら、分かりやすい場所に置かれているはずだ。
 恐らく『消えた』のだと、ナマエは判断した。
 昨日の教科書のように、一昨日のノートのように、その前の筆箱のように。
 まるで最初からそこに無かったかのように跡形も無く消えてしまったランドセルの行方に、ナマエは心当たりがある。
 ここは『漫画』の世界で、ナマエやナマエの持ち物たちが本来あるべき場所ではないのだ。
 ナマエの身の回りで、持ってきたものは全部なくなってしまった。
 だとすればきっと、今度はナマエ自身の番だろう。

「どうした? ナマエ。そんなに大事なもんだったか」

 少し暗い顔をしたのが分かったのか、ドフラミンゴがそんな言葉を零す。
 ひょいと立ち上がった大きな体に近寄られて、ナマエは絨毯に座り込んだままでドフラミンゴを見上げた。
 ナマエの傍に近寄ってようやく動きを止めたドフラミンゴが、その場に屈みこんで真上からナマエを覗き込む。
 大きな手が伸びてきて、ナマエの小さな頭を少し乱暴に撫でた。

「フッフッフ! 玩具を取られた犬みたいな顔してるじゃねェか。そう落ち込むなよ、ナマエ」

 まるで犬にするように手を動かしてそんなことを言うドフラミンゴに、別にそんな顔はしてないのに、と反論することもせず、ナマエはされるがままに頭を揺らす。
 しばらく撫でて満足したのかドフラミンゴの手がぱっとナマエの頭を解放して、ぐらぐらと視界を揺らされていたナマエはぱたりとそのままその場に倒れた。

「どうした? もう寝るか」

 倒れたナマエに、ドフラミンゴが不思議そうにそんなことを言う。人の頭を揺さぶっておきながら、自分の非など全く気付いた様子もない。

「…………うん」

 別に眠くはないが、確かに、もう遅い時間だ。眠ったほうがいいかもしれない。
 まだぐらぐら揺れる視界を堪えながらどうにかナマエが頷くと、伸びてきた手がひょいとナマエの首輪を掴んだ。
 厚みと余裕のある首輪で頭を持ち上げられて、少し浮いたナマエの上半身の下へ滑り込んだドフラミンゴのもう片手がナマエの体を持ち上げる。
 軽々と持ち上げられたナマエが運ばれたのは室内にある大きなベッドで、ぽんと放られた少年はマットレスのスプリングで軽く弾んだ。

「まァ、寝なきゃ大きくなれねェらしいからな。仕方無ェ奴だ」

 そんなことを言いながら、どうしてかドフラミンゴはとても楽しそうに、ナマエの体に毛布を掛けた。
 肌触りも上等なそれに体を包まれて、ナマエはもぞもぞと身じろぎ、枕に頭を預けながらドフラミンゴを見やる。
 ベッドに腰掛けるようにしながらナマエを見下ろしたドフラミンゴが、その視線に気付いてにまりといつものように笑みを浮かべた。

「明日は、新しい鞄でも買うか」

 アレは使い古されてたしなァ、と言い放ったドフラミンゴの言葉にこくりと頷いたナマエは、けれどもその約束が果たされないことを、何となく感じ取っていた。
 筆箱にノート、教科書にランドセル。
 『この世界』から消えてしまったナマエの所持品がどこへ『帰って』しまったのかなんて、少し考えれば分かることだ。
 ここはナマエのいるべき世界ではないのだから。

「……ドフラミンゴ」

 枕に顔を半分預けたままでナマエが名を呼べば、それを耳にしたドフラミンゴがサングラスの向こうからナマエを見下ろす。
 ドフラミンゴがいわゆる悪い大人だということを、ナマエは知っている。
 『漫画』ではどちらかと言えば悪者の分類だ。きっといつか、主人公に倒されてしまうんだろう。
 それでも、ドフラミンゴが優しくしてくれてることも、ナマエは知っていた。
 楽しい世界を見せてくれた。『飼う』と言って、身一つでこの世界へ放り込まれたナマエを養ってくれた。ドフラミンゴを倒すために人質にされたナマエを、助けてくれた。

「……」

 ドフラミンゴはやっぱり、悪い大人だ。ナマエは思った。
 悪い大人でなかったら、ナマエに『元の世界へ戻りたくない』なんて思わせるはずが無い。
 じっと自分を見下ろす悪い大人を見上げて、ナマエの口が言葉を紡ぐ。

「…………ありがと」

 さよならとか、ばいばいとか、そんな言葉よりも先に漏れたそれに、ドフラミンゴが怪訝そうな顔をする。
 どういう意味だと聞かれたけれども、ナマエは寝たフリをして答えないことにした。







 ぱちりと目を開いたとき、そこにあったのは懐かしくも見覚えのある光景だった。
 乱雑にものの並んだ狭い部屋で、ナマエはむくりと起き上がる。
 小さく冷蔵庫の鳴る室内は、ナマエがずっと育ってきたアパートの一室だった。
 静か過ぎる室内で、ナマエはきょろりと周囲を見回す。
 どうやらナマエはフローリングに倒れるように眠っていたようで、そのすぐ傍にはランドセルが口を開いて落ちていた。周りに、教科書やノート、筆箱も転がっている。

「…………帰ってきたんだ」

 ぽつりと小さく呟いて、ナマエはふと自分の首に手を寄せる。
 ずっとつけていたはずの首輪が無くなっていて、何だか寂しいような気がした。
 ドフラミンゴがくれた『ペット』の証は、どうやらあの世界に置いてきてしまったらしい。
 着ている服も、いつの間にか自分がもともと着ていたものに変わっていた。
 まるで何もかも無かった事になったかのようだ。
 けれど、左手の甲にある小さな傷跡を見下ろしたナマエは、ドフラミンゴの傍で過ごしていた時間が夢ではなかったことを理解した。そこにあるのは、人質にとられた時に抵抗をして相手のナイフで引っかいた傷跡だ。

「……ドフラミンゴ」

 そっと名前を呼んでみても、当然ながら返事は無かった。
 自分の世界に帰ってきてしまったのだから、きっともう、ドフラミンゴと会うことは無いだろう。
 そんな風に考えて、少しばかり眉を寄せたナマエの手が、物であふれたテーブルへ伸びる。
 小さなリモコンを捕まえて、古びたテレビの電源を入れた。
 まだ朝方らしく、ニュース番組がそこに流れる。
 リポーターの前に置かれたカレンダーの日付に、ナマエは自分がこの部屋に置き去りにされて二日経っていると気がついた。
 二日どころではない時間を過ごしてきたはずだが、どういう比率になっているのだろうか。
 少し考えても分からず、小さな口からはため息が漏れた。
 部屋の中には、ナマエの母親の姿は無い。
 恐らく、まだ戻ってきていないのだろう。
 もしかしたら、もう帰ってこないつもりなのかもしれない。
 一人きりになってしまったナマエは、物で溢れた狭い部屋で、そっと小さく拳を握った。
 午前中なのだから明るいはずなのに、部屋に溢れた物が落とす影が、ナマエの気持ちも室内も暗くしている。
 ここにいても仕方がないと、テレビを消したナマエは立ち上がった。
 外に出て、誰かに助けを求めなければ、子供のナマエは生きていけない。
 帰ってこないつもりなら、母親のことも探さなくてはいけないだろう。
 こういう場合は誰を頼ったらいいのだろう、なんて考えながら、ナマエは自分のランドセルをひょいと跨いだ。

「おい、何勝手なことしていやがる」

 そのまま玄関へ向かおうとしたナマエの動きを止めたのは、後ろから寄越されたそんな声だった。
 ナマエの目が、ぱちぱちと瞬きをする。
 この部屋には、今、ナマエが一人きりだったはずだ。
 なのに、どうして後ろから声を掛けられているのだろう。
 それに、今の声にはどうしようもなく聞き覚えがある。
 恐る恐る後ろを振り向いたナマエは、そこにあるものに目を丸く見開いた。
 何も無い場所から、大きな腕が一本、ナマエへ向かって差し出されるように出現していた。
 その付け根は空気が歪むようになった場所に溶けていて、その先に誰がいるのかも見ることが出来ない。
 けれどもナマエは、その腕が誰のものなのかが一目で分かった。
 大きくて、簡単にナマエの体を持ち上げることの出来るその腕は、どう見たって絶対に、ドンキホーテ・ドフラミンゴのものだ。

「…………ドフラ、ミンゴ?」

 何故その腕が自分の目の前にあるのだろうかと、ナマエは首を傾げた。
 何故ならここは、ナマエの世界だった。
 目が覚めるまでナマエがいた『漫画』の世界ではないのだ。
 ドフラミンゴは『漫画』の世界の人物だ。
 なのにどうして、その腕がナマエへむけて差し出されているのだろう。
 立ち尽くしたまま見つめた先で、大きな手がくいと指を動かして、それから少し苛立ったような動きで掌をさらす様に指を広げた。
 小さな舌打ちがその場に響いて、恐らくは腕の付け根のゆがみの向こうから、ドフラミンゴが言葉を放る。

「お前はおれのペットだろうが、ナマエ。戻ってくんだろう?」

 異論は認めねえぞと言い放って、いつものようにフフフフとドフラミンゴが笑う。
 それを聞いて、ナマエは一度後ろを振り返った。
 先ほどまで目指していた玄関が、閉じたままでナマエを見つめている。
 鍵がしっかりと掛かったそれを見つめて、何かを振り切るように正面へ視線を戻したナマエは、ふにゃりと嬉しそうにその口元を緩めた。
 そしてそのままその場から歩き出してドフラミンゴの腕へと近付き、ドフラミンゴのそれに比べれば小さな手が、ぺたりとその腕に触れる。
 ドフラミンゴが、いわゆる悪い大人だということをナマエは知っていた。
 だってそうだろう、そうでなかったら、子供を世界から攫っていこうとなんてするはずが無い。

「……うん。帰るよ、ドフラミンゴ」

 そうでなかったら、あんなに優しくして、世界より自分を選ばせるわけがないのだ。

 笑顔を浮かべた少年がその場に存在していたのは、それから三秒ほど後までのことだった。




end


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