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世間見ず。
※マルコ隊長と(無知識)異世界トリップ主人公



「そんなの知らない!」

 甲板の辺りから聞こえた声に、マルコはやれやれとため息を吐いた。
 聞こえた声が、誰のものなのかをマルコは知っている。
 あれは、つい最近マルコが拾ってきたナマエという名の青年のものだ。
 一切れの板に捕まって海を漂流していたナマエは、どこの島に住んでいたかも分からない、ずいぶんと世間知らずな青年だった。
 いちいち海王類に驚き、エースやジョズの能力に驚き、ついでに白兵戦に驚き、船に驚き彼方まで続く海に驚き、グランドラインの島々で驚き、とにかく忙しい。
 『知らない!』と声を上げながら目をキラキラさせて近付いていくナマエに、周りにいる人間は大概説明をしてやっている。
 今日は船尾近くで釣りをしている予定だったはずだから、今頃はいつものように周りのクルーがナマエが注目している何がしかを説明するかしてやっていることだろう。
 今日は何があったんだろうか。
 珍しい魚なり海王類なりが掛かったか。
 少し考えるように視線を揺らしたマルコは、ぱたんと開いていた資料の本を閉じた。

「今日は何を見たのかねい」

 呟きつつ、デッキの端においてあった椅子から立ち上がる。
 マルコや他のクルーにとっては当たり前のことでも、すぐに大きな反応をしてみせるナマエの様子を見るのは、今のところの白ひげ海賊団におけるなかなかの楽しみの一つだ。
 何せ何でもかんでも『知らない』『知らない』と言ってくるものだから、どんな下っ端のクルーだって得意な顔で教えてやることができる。
 得意げな顔をした弟分が新入りのナマエへ教えてやる様子を見て、後でそれをからかうのは確かになかなかに面白い。
 サッチ辺りが聞いたら笑顔で頷くような趣味の悪いことを考えつつ、声がした船尾の辺りへ向かおうとしたマルコは、ばたばたと駆けてくる足音に気付いて動きを止めた。
 おや、と見やった先に、先ほど大きな声をあげたその当人が走ってくる姿がある。

「ナマエ?」

「マルコ! マルコマルコマルコマルコ隊長!」

 最後の最後に敬称をつけてマルコを呼びながら、駆けてきた青年はその勢いのままマルコへと飛び掛ってきた。
 当然、それを受け止めてやる義理などマルコには無く、華麗に身をかわした一番隊長の隣を通過したナマエが、びたんとデッキに体を打ち付ける。

「…………いってぇええええ!」

「……自業自得だよい」

 そうして悲鳴を上げた青年に、マルコは呆れた声を出した。
 とりあえずそのまま近寄って、ごろごろと打ち付けた顎を押さえながら転がるナマエを見下ろす。
 この船に乗る男の誰より貧弱な体つきのナマエは、少し日に焼けた手で顎を擦りながら、涙目でマルコを見上げた。

「どうかしたかよい、ナマエ」

「うう……」

 尋ねながらマルコが横に屈めば、転がった状態だったナマエがどうにかようやく起き上がって、ちらりとその視線をマルコへ向けてくる。
 大体同じ高さになったその顔を見返しながら、マルコは首を傾げた。
 いつもなら、あの叫び声を上げた後は大体一時間くらいはその対象にくっついて離れないはずだというのに、どうしてナマエはここまで走ってきたのだろうか。
 海王類が出た時だってここまで潔く逃げてきたことも無いし、ましてやマルコを頼って飛びついてきたことも無い。
 何かあったのかと船尾のほうを見やろうとしたマルコの腕を、がしりと何かが掴む。
 それは当然ながらナマエの掌で、ひ弱な握力で腕を掴まれたマルコは、とりあえず掌の主へ視線を戻した。

「ナマエ?」

 そうして呼びかければ、何故か不満げな顔をした青年が、子供のように口を尖らせて言葉を紡ぐ。

「俺知らなかったんだけど、マルコ」

「何がだよい」

「マルコが能力者だって! 何で教えてくれなかったんだよー!」

 とてつもなく不満げに声を上げられて、マルコはぱちりと瞬きをした。
 ナマエがこの船へ乗って、もう一ヶ月が経つ。
 その間に一度はよその海賊とも戦闘を交えたし、マルコが敬愛するオヤジからの使いで近くの島まで飛んだことも数回ある。
 その時当然マルコは不死鳥の姿をとっていたはずだが、どうやらナマエは今までそれを見たことが無かったらしい。
 そういえば、ひ弱なナマエを戦わせるのはまだ早いという結論を隊長格の間で出した覚えがある。
 だから、先日の戦闘では始まったのとほぼ同時に目を驚きで満たしていたナマエをナース達のほうへ押し付けた覚えがある。
 そして、使いでマルコが船を離れたのも戻ったのも夜明け頃だった。ナマエは基本的に就寝時間だ。
 だがしかし。
 マルコは思う。
 確かに半ば意識を失っていたが、漂流していたナマエを助けてこの船へ乗せたのはマルコだ。
 空を飛んで助けたあの時のことも、この青年は覚えていないというのだろうか。

「…………今更だろい」

「今更って! 言わなきゃわかんねーっての! 俺そういう探知機能ついてないから! さっきサッチに教えてもらうまでマルコはただのおっさんだと思って……って、あいたたたたたっ」

 呆れた顔をしたマルコは、聞き捨てならないナマエの台詞にその頭をがしりと掴んだ。
 ぎりぎりと指に力を入れられて、ごめんなさいごめんなさいとナマエが声を上げる。
 このまま潰してやろうかと言う気持ちをどうにか堪えて、マルコはそっと手を放した。
 同時にナマエが少しばかりマルコから距離を取って、マルコの攻撃によって痛んでいるだろう頭を軽く擦る。

「暴力反対! 俺痛いの嫌い!」

「好きな奴もそういねェだろい」

 ぶうぶう文句を言う相手にマルコが肩を竦めると、そうだけど! と声を上げてから、ナマエがじとりと恨みがましくマルコを見やった。

「……俺だけトリトリ見てないの不公平だから、見せて」

「何でおれが」

「だって! 俺それ知らない」

 いつもの台詞を言って、だから見せてくれとナマエが視線で訴えかけてきているのを、マルコは感じた。
 このまま放っておいても、ナマエはマルコが不死鳥の姿を見せるまで、ずっと付きまとってこの問答を繰り返すだろう。
 分かっているのだからさっさと見せてやろうと思うところを、奇妙な不快感が邪魔している。
 屈んでいた膝を伸ばすように立ち上がって、やだよい、とマルコは呟いた。

「何でだよー見せてー見ーせーてー」

「ナマエ、お前その台詞、ビスタのエロ本強請ってたときと一緒だよい」

「あー、俺ビスタとは話が合う気がした。巨乳もいいけどやっぱり美乳だよ。じゃなくて、見ーせーてー」

 マルコが見下ろした先で、ナマエが口を動かした。
 年頃はエースとそう変わらないらしいというのに、こういうときのナマエは酷く幼い。
 子供のような彼へ、マルコの口からはため息が漏れた。

「…………一回は見てんだろい」

「え」

「だからそれを思い出せばいい。いちいちおれに強請るまでもねえよい」

 目を丸くしたナマエへそう言えば、マルコを見上げていたナマエが困ったように眉を寄せる。
 一生懸命記憶を攫っているらしいその様子に、マルコはもう一度ため息を零した。
 本当に、ナマエはあれを覚えていないらしい。
 朦朧としていたが意識はあった筈だというのに。
 記憶に留めるほどでもない些細な出来事として処理されてしまったのだと思えば、それはそれでつまらない。
 何せナマエは、このグランドラインではありふれたものに対しても『知らない』と言いながら瞳を輝かせる、度を越えた世間知らずのはずなのだ。
 人を運べるほどの大きさの火の鳥だなんて、そんなものを見たら忘れないだろうと思っていたというのに、と思えば何だかもやもやしたものが脳裏に過ぎって、マルコはそれを振り払うようにナマエを見やった。

「ナマエ」

 まだ一生懸命記憶を探っているナマエを呼べば、何、と返事をしたナマエが仕方無さそうにマルコへ視線を向ける。
 いくら考え事の最中に呼んだからと言って、求めているものを与えようとしている相手に酷い態度だ。
 ナマエの様子に苦笑いしつつ、マルコは軽く両手を広げた。

「仕方無ェ奴だよい。見せてやるから、今度は忘れんない」

「!」

 放たれたマルコの言葉に、ナマエが瞳を輝かせた。
 こくこくと言葉もなく頷いたナマエの前で、マルコの体から青い炎が噴出する。
 瞬く間にそれはマルコの体を覆いながら変化させて、マルコがばさりと羽ばたいたとき、そこにいたのは一匹の火の鳥だった。
 そのまま空へと飛び上がり、見張り台を迂回するように上空へ上がってから、それからすぐに甲板へと下降する。
 一分にも満たない飛翔を終えてナマエの目の前に降りたマルコは、どうだよいと言い放ちながら青年を見やって、そこにあった表情に目を丸くした。
 いつものように目を輝かせていると思っていたナマエは、そうではなく、ただあっけに取られた顔をしていた。
 驚くというより衝撃を受けているようなその様子に、どうかしたのかと首を傾げる。

「ナマエ?」

「…………え……」

「ん?」

「えぇえええええええ」

 そうして放たれたナマエの声は、どうしてか無念だと言いたげな低いものだった。
 何事かとマルコが見下ろした先で、ナマエががくりと肩を落とし、ばしばしと甲板を叩いている。

「だまされた……悪魔の実のネーミングセンスにだまされた……!!!」

「……何だってんだよい」

 とてつもなく悔しげなナマエに、マルコの眉間に皺が寄る。
 強請られたから仕方なく不死鳥の姿を見せてやったというのに、感動されることも無くこんな態度を取られては、マルコの機嫌だって下降するというものだ。
 ナマエの顔を覗き込むべく屈んでマルコが放った低い声に、だって、とうつむいたままのナマエが言い放った。

「普通、鳥つったら可愛いもんじゃないか!」

「……ああ?」

「こう、手乗りな感じの! 文鳥とか! インコとか! オウムとか! フクロウとか! ……百歩譲って鷹とか!」

 どうしようもなく悔しそうな声を出して、ナマエは甲板へ言葉を吐き出した。

「マルコみたいなおっさんが可愛くなるのかと、そんな光景見たことないとそう思ったのに……! この、このトリトリ詐欺!」

「よしナマエ、その喧嘩買うよい」

「あいたたたたた! 売ってない! 喧嘩売ってないぃい!」

 もう一度がしりとナマエの頭を掴んだマルコに、早くもナマエの口からは悲鳴が上がった。
 ぺちぺちと掴んでいる手を叩かれているが、マルコは気にせず指に力を入れる。
 勝手に期待されて、その期待通りでなかったからと詐欺を疑われてはたまらない。
 頭を掴んだままのマルコの腕を必死に叩いて、痛い痛いと悲鳴を上げたナマエは、目じりに涙すら浮かべながら、ああでもっ と小さく声を出した。

「何だよ、俺助けたのもマルコなんじゃんっ! そういうのはちゃんと言えよな、俺知らなかった!」

 一ヶ月も経つというのにそんなことを言うナマエに、マルコの手がぴしりと固まる。
 言っていなかっただろうか。
 言われてみれば確かに、わざわざ不死鳥になったマルコが助けたのだとは言わなかった気がする。
 だがしかし、そんなもの状況証拠で簡単に思い至るものではないだろうか。
 そんなことを考えていたらマルコの指から力がわずかに抜けて、可哀想な頭部を救出したナマエが両手で自分の頭を擦りほぐした。

「ここには野生の火の鳥もいるんだと思ってたんだからなっ! そういう大事なことは教えないと駄目だぜ」

 でもありがとうな、マルコ、俺を助けてくれて。
 先ほどまでとは打って変わって、にこにこ笑いながらそんなことを言ってくるナマエの顔を、しばらく眺めて。

「…………今更だろい」

 マルコはそれから、がくりと脱力してうなだれたのだった。
 それでも、先ほどまでのモヤモヤとした不快感は無くなっていたので、もう一度その頭にクロー・ホールドを仕掛けることで勘弁してやった白ひげ海賊団の一番隊隊長は、ずいぶんと寛容な海賊である。


end


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