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かぜっぴき

 油断した。
 ベッドの真上を睨みつつ、俺はごほんと咳き込んだ。
 暑いし苦しいしダルいしつらい。
 明らかに風邪の症状だ。医者が置いていった薬を飲んで少しはマシになったが、まだ身動きの一つもしたくない。
 風邪を引くなんて、この世界に生まれなおしてからは多分初めてのことだ。
 俺は危機管理のできる幼児だった。
 それが何でこんな風邪を引いているのかなんていうと、まあ、全面的に今横に座っている奴が悪い。

「……どふりゃみんご、うつりゅかや……でちぇっちぇ」

「フッフッフ! なァに言ってんだ、おれァそんなヤワじゃねェよ」

 俺からの発言に、ドフラミンゴはそんな風に言って笑った。
 自分の立場と言うものを、このドレスローザ国王はもう少し理解した方がいい。
 馬鹿は風邪を引かないというが、あれだって本人が風邪だと自覚しないというだけの話である。
 病気と言うのは、基本的にどんな人間にも等しく平等に襲い掛かってくるものの筈なのだ。
 そして、ただの子供の俺が風邪を引くのと、立場もあるドフラミンゴが風邪を引くのとでは随分と意味が違う。
 じとりと見上げた俺を見下ろして、サングラスを掛けた誰かさんの手がひょいと俺の頭からタオルを奪い取った。
 さっきモネが用意してくれていた白いボウルに放り込まれたそれが、ぱしゃぱしゃと水音を立てて、少ししてひんやりとしながら戻ってくる。

「ほらよ」

「……ありがろ」

 熱の所為でいつもより回らない舌を動かしつつ、額に置かれたタオルにとりあえず礼を言う。
 しかし、ドフラミンゴはもう少しタオルを絞る努力をするべきじゃないだろうか。びしゃびしゃだ。
 せめて顔に水が垂れてこないようにと額のそれを頭頂部向けに傾けられるよう顔の角度を調節しながら、俺はドフラミンゴから目を逸らした。
 こんなことなら、昨日、庭先でかまくら作りなんて一緒にやらなければよかった。
 そうは思ってみるが、あの時の俺にその選択ができたかと言うとちょっと言葉に詰まる。
 だって、かまくら作りをしましょうと言って笑っていたモネを悲しませることは出来なかったし、お子様スコップから園芸用巨大スコップまで用意したベビー5の期待を裏切ることも出来なかった。
 俺よりもめちゃくちゃ強いとは言え、ドフラミンゴに比べてか弱い彼女達の前では、俺は基本的に無力だ。
 でもレイリーも女性には優しくするものだとか言っていたから、間違ってはいなかったと思う。
 つまり、やっぱり今俺の横に座っているドフラミンゴが悪いのだ。
 だって、俺が作った俺用のかまくらに、俺の何倍もある海賊が無理やり押し入ってこようとするとか思うわけが無い。ちょっと怖かった。
 執務とやらをしていたはずなのに、遊ぶのがお好きなドフラミンゴには我慢が出来なかったらしい。
 見事に崩れたかまくらの下敷きになった俺は、そうして見事に風邪を引いた。
 湯たんぽのごとくほかほかと温かい俺の体に驚いたような顔をしたドフラミンゴの手配で医者も診に来たし、薬の前にベビー5が用意してくれた食事はリゾットだった。
 申し訳なさそうな顔をして見舞いに来たモネにはもちろん出来る限りの笑顔を向けて、そうして今に至る。
 どうやら、ドフラミンゴも、少しくらいは『申し訳ない』とかそういう感情を持つことが出来る人間だったらしい。
 だから多分、見舞いに来る相手が何を言っても俺の傍から離れようとしないんだろう。
 それは分かるが、やはり国王陛下とかいう立場に対しての自覚が足りないような気がする。
 大体、七武海で国王で闇のブローカーってなんだろうか。肩書きが多すぎだ。

「つらいか、ナマエ」

 熱で茹った頭でつらつらそんなことを考えていたら、横から声が掛かった。
 少しばかり身じろいで顔を傾けると、額から横に水が垂れてむずがゆい。
 それを我慢して視線を向けた先には、いつもの笑顔のドフラミンゴがいる。
 つらいか、って、つらく見えないんだろうか。
 げほ、と咳き込みたくなるのを必死に我慢してから、俺は小さく頷いた。
 せめてマスクを着用しないだろうか。これじゃおちおち咳もできやしない。
 俺の願いなど伝わることもなく、俺の回答に『そうか』と頷いたドフラミンゴが、椅子に座ったままで前傾姿勢を取る。
 顔が近付いてきて、俺は少しばかり身を引いた。

「……どふりゃ、みんご、はにゃりぇちぇ」

 咳を我慢するにも限界があるぞ。
 じとりと睨んで言葉を漏らしたのに、フッフッフ、と笑ったドフラミンゴの大きな手が伸びてきて、俺の頭を軽く撫でる。

「今、シーザーの奴によく効く薬を作れつってるからな。もう少し我慢しろ」

 寄越された言葉に、俺は瞬きをした。
 思わず堪えていた咳が出そうになって、耐えられずドフラミンゴに背中を向ける形で寝返りを打つ。
 べちゃべちゃのタオルが額からぽとりと落ちたが、気にしている場合じゃない。
 両手で口元を押さえて、ついでに身を丸めて毛布の中に顔を向けてから、げほげほげほと咳き込んだ。
 俺の様子に、ドフラミンゴの手が優しく背中を擦ってくれている。
 何度か咳き込んで、それがようやく収まってから、すう、と息を吸い込んで吐き出し、俺は体の向きをドフラミンゴのほうへと戻した。

「シーザー、おいしゃしゃんちぎゃう」

 マスターとか呼ばれていたあのガス人間は、確か科学者だったはずだ。なんと言う無理難題だろうか。
 というよりも、風邪薬自体はもう医者から処方されたはずではなかっただろうか。
 あと俺に出来ることと言えば、大人しく眠って大人しく食事して大人しく薬を飲んで、自分の回復力に期待することくらいだ。
 俺の言葉に、細かいことは気にするな、とドフラミンゴが笑う。
 いや、気にするところだろう。
 シュロロロ笑っていた科学者が一人しくしく部屋で泣いているのではないかと思って、俺は少しばかり眉を寄せた。
 じっと非難するように見つめてみるも、ドフラミンゴの表情は変わらない。

「だからお前は大人しくそうやって眠って、薬の完成を待っていろ」

 囁くように言い放って、手を動かしたドフラミンゴが、先ほど俺が落としたタオルを摘み上げた。
 ぺしゃりとそれを額に乗せられて、みずみずしいそれからこぼれた水滴が俺の頭を伝い落ちていく。

「…………ん、わきゃっちゃ」

 だからとりあえずもう一度タオルを絞ってくれ。
 とは言えないまま、俺はとりあえず頷いた。







「どふりゃみんご、おやくそくっちぇいうんだじぇ、こうゆーの」

「フ、フッフッフ! げほっ」

 言わんこっちゃない。
 見事に風邪を引いたドフラミンゴにため息を付きつつ、俺はモネが絞っていってくれたタオルを軽く広げて、よいしょとよじ登ったベッドの上のドフラミンゴの額に乗せた。
 顔の半分をマスクで隠した俺を見上げたドフラミンゴは笑っているが、熱の所為で少し赤くなっている。
 俺の風邪が治るまで数日掛かったが、ドフラミンゴならきっと、それより早く治るだろう。
 よしよしとドフラミンゴがいつもやるみたいに目の前の頭を撫でて、ベッドの上で座りなおす。

「なおりゅまりぇかんびょーしちぇやりゅかりゃ、はやくなおっちぇ」

 囁きつつ顔を覗き込むと、ごほんと咳き込んだドフラミンゴは、どうしてか楽しそうだった。
 風邪も楽しめるとは、この若様は筋金入りだ。




end


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