アニマルセラピー
※主人公=ワニ
※クロコダイルに対する捏造が激しいので注意
「きゅー……」
ワニって鳴くらしいって知ったのは、うっかりとこの世界に生まれ直してからのことだった。
父だか母だかの鳴き声はそれはもう恐ろしい雷のような唸り声なのだが、子供ワニの鳴き声はそれに比べると随分と可愛いきゅうきゅうきゃうきゃうした音だ。
何故そんなことが分かるのかというと、俺の口からその音が絶賛漏れ出し中だからなわけなのだが。
「きゅ……」
息を吐く代わりに鳴き声を漏らして、俺はのそのそと広い庭を歩く。
あの日死んだ俺は、『以前』の記憶を持ったままこの世界へと生まれ直してしまった。
いっそ記憶なんていらなかったのに、覚えていた物だからこの体が『ワニ』と呼ばれる生物であることも知っているし、つまり自分が『人間』じゃないことも知っている。
ついでにいえば、ここがどういう世界なのかもだ。
「フッフッフ! どうしたナマエ、水に入りてえのか?」
かかってきた声とともに、がしりと体が真上からわし掴まれた。
「きゅ」
声を漏らして体をよじり、俺は顔ごと声の主を見やる。
目に痛いピンクの羽毛みたいなコートをまとった大男が、俺を掴んだ手を動かし、自分の体に俺を押し付けるようにした。
いつも思うんだが、この男はワニが怖くはないのだろうか。
まあ、ワニ生に絶望して住処から当てもなく旅に出た俺を拾ってくれた時も、まったく気にした様子も無かったが。
「きゅう」
「ん? そうか」
鳴き声を漏らしてみると、別に伝わったわけでも無いくせにうんうんと頷いたこの知ったかぶりの大男が誰なのかを、俺は知っている。
こいつはドンキホーテ・ドフラミンゴだ。
俺が人間として生きていた時読んでいた、漫画の登場人物だったはずの男だった。
そうして連れて歩かれて気付いたのが、この世界が漫画『ワンピース』の世界であるということだ。
俺は普通に死んだはずなのに、目が覚めると漫画の世界にいた。
意味が分からないが、目も覚めないまま過ごしているのだから、この世界が『現実』であることにはもう納得するしかない。
俺を拾ったドフラミンゴに飼われて、俺はこの世界で息をしている。
「丁度さっき客が来たんだ、付き合えよ」
そんな言葉を落として、ドフラミンゴが俺を人間の赤ん坊みたいに抱いたままで歩き出す。
ぐらぐら揺れるので短い両手両足をぎゅっとドフラミンゴの体に押し付けると、それに気付いたドフラミンゴはくすぐったそうに笑った。
多分俺の爪がくすぐったんだろうとは思うが、まあ致し方ないことなので耐えてくれ。
しかし、客が来ていると言われて連れて行かれるのは初めてかもしれない。
その客はもしやワニが好きな客なんだろうか。
俺は媚びればいいのか?
いや、ワニの媚び方なんて俺は知らない。
猫みたいに体を擦り付けてみたり犬みたいに飛びかかればいいんだろうか。
猫はともかく、犬みたいな行動をすると襲ったと勘違いされそうだ。
「きゅ?」
わけがわからず見上げれば、俺を見下ろしたドフラミンゴがフッフッフ! と鳴き声を漏らす。
ついでに動いた自由な手が俺の方へと伸びてきて、俺の目と目の間を指がぐりぐりと撫でた。
ああそこを撫でられるのちょっと気持ちいい、とうっかり目を細めた俺を連れて歩いたドフラミンゴが、やがてぴたりと手を止める。
それに気付いて少し閉じていた目を開いた俺は、いつの間にやら客間に連れてこられていると気が付いた。
「よォ、待たせたか」
部屋へ入ってすぐにそんな声を掛けたドフラミンゴに、どうやら随分仲の良い相手らしいと判断して体をよじる。
俺の動きに気付いて片手の上に俺を乗せたドフラミンゴが自分と同じ方向へ俺を向かせたので、俺は室内にいるその『客』を目にすることが出来た。
「……遅ェんだよ」
うんざりした声を漏らしつつ、ドフラミンゴの上等なソファに座っていたのは、ドフラミンゴよりちょっと小さな大男だった。
というよりも、鰐だ。鰐がいる。
毛皮のコートを着込んで、顔にぴっと傷跡が一本入った男が、葉巻をふかして不機嫌そうな顔をしている。
誰がどう見ても、この男は『サー・クロコダイル』だ。
なるほど、七武海友達だったのか。
そういえば、ドフラミンゴはクロコダイルへ同盟だのなんだのと声を掛けていたような気がする。
わざわざこのドレスローザまで遊びに来るくらい、二人の仲が良かったとは知らなかった。
「こいつが庭をうろうろしてたんでなァ。ほらよ」
言いつつ手を動かしたドフラミンゴが、ぽいと俺をクロコダイルへ向けて放り投げる。
思わず目を見開いて口も若干開いてしまった俺は、図らずとも無遠慮な犬のごとくクロコダイルに飛びかかる格好になってしまったが、クロコダイルは気にせず高級そうな指輪のついた手で俺を難なく受け止めた。
「投げて寄越すんじゃねェよ」
「フッフッフ! いいじゃねェか、ワニ野郎なら受け止めるって『信頼』してんだぜ?」
楽しそうに鳴いたドフラミンゴへ、ちっ、とクロコダイルが舌打ちをしながら俺を自分の膝の上へと降ろす。
俺はさっきまで庭を歩いていたのだが、こんな高級そうな衣類に包まれた足の上に乗ったら汚してしまうんじゃないだろうか。
そんなことを考えると体が強張ってしまって、恐る恐る見上げた俺の背中にクロコダイルの恐るべき右手が乗せられた。
ぐりぐりと背骨を撫でられて、思わず体から力が抜ける。
「きゅ〜……」
ちょっと待ってくれ、気持ちが良すぎる。
今まで感じたことも無い感覚に、俺は自分の体から力が抜けたのが分かった。
べたりとおみ足の上に腹ばいになってしまったが、クリーニング代は俺の飼い主のドフラミンゴに払ってもらうことにしよう。
そんなことを考えている間に、クロコダイルの大きな手が尻尾の先端から鼻の先まで俺の体を撫でまわす。
触れる指の強弱も、撫で方も、撫でる個所も完璧だ。気持ちいい。なんというテクニシャンだろうか。
緩む体とは裏腹に、俺は戦慄した。
毎日こんな撫で方をされていたら、もはや撫でられることしか考えられない駄目ワニになってしまうに違いない。なんと恐ろしい。
「随分気持ちよさそうだなァ、ナマエ」
声がかかったのとともに寝かされている足が少しばかり振動して、俺は殆ど閉じていた目をこじ開けた。
そうして見やれば、俺の体を絶賛撫でまわし中のクロコダイルの隣に、ドフラミンゴが座っている。
右側に座ったドフラミンゴをちらりと見やったクロコダイルは嫌そうな顔をしているが、その右手の動きは全く止まらないので追い払うつもりも無いらしい。
ソファに並んで座るのを許すとは、やっぱり仲良しなのか。
「てめェが満足に撫でてもいねェんじゃねェのか、フラミンゴ野郎」
低く言葉を吐き出したクロコダイルへ、フフフフ! とドフラミンゴが鳴き声を漏らして笑う。
そうして伸びてきたクロコダイルより大きな手が、クロコダイルの攻撃に参戦したのが触れられた尻尾から伝わった。
「きゅ、きゅう……!」
二人がかりとかやめてくれ。本気でただの駄目ワニになってしまう。
そう思うものの、ワニのこの身では言葉すら吐き出せず、クロコダイルの手によって骨抜き状態にされた俺はクロコダイルの膝から逃げ出すことも叶わない。
「きゅう、きゅ、きゅ〜……」
しかもドフラミンゴがクロコダイルの撫で方を真似てくるものだから、結局俺はそれから小一時間ほど、ただの駄目ワニと成り下がってだらしなくクロコダイルの膝の上に懐く結果となってしまった。
満足いくまで俺を撫でまわしたらしいクロコダイルは、その日はそのまま帰っていった。
『何か』をドフラミンゴと企んでいるのかもしれないが、それからも何度かドレスローザを訪れているらしい。
けれども、クロコダイルに引き合わされる時、毎回クロコダイルは撫でるだけ撫でた後で帰っていくので、結局俺はどうしてクロコダイルがドフラミンゴに会いに来ているのか分からないままだ。
「キモチイイか? ナマエ」
「きゅ〜……」
クロコダイルが帰った後の客間で、クロコダイルの座っていたあたりに降ろされた俺の体を、ドフラミンゴが撫でまわす。
凶悪な王下七武海の二人がこうも頻繁に会っているだなんて海軍が知ったら軍議もののような気もするが、それよりなにより、ドフラミンゴがクロコダイルの技術を習得しつつあることの方が俺には問題だ。
まずい、本気でドフラミンゴの手だけでもめちゃくちゃに気持ちがいい。
「きゅ、きゅ」
逃げたくても逃げられないほどに力の抜けた体で、されるがままになりながらドフラミンゴを見やる。
俺を見下ろすドフラミンゴは、何がそれほど口元を緩ませているのかも分からないくらいに楽しそうな顔をしていたが、その手には全く容赦がない。
せめて頭の中身まで駄目ワニに成り下がらないよう、必死になって素数を数えながら、俺はただ、今日もその手の前に身を横たわらせることしかできないのだった。
end
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