無責任な男
※映画Zのキャラが名前だけ出現
※何気に異世界トリップ主人公は海兵さん(ガープさん世代)
※若クザン注意?
人間、やれば何とかなるものだ。
掃除の手を止めて、俺は一人、うんうんと頷いた。
今朝まで着ていて、今壁に掛けてあるこのコートを着込めるのは、海軍でも上部の分類に入る者だけだ。
目が覚めたら知っているようで知らなかったこの世界に来て、収入の安定と身の保証を求めて入った海軍で、ひたすらにがむしゃらに死に物狂いに生きてきた結果だった。
『いつか』のために蓄えをしたし、『いつか』の為にこの身を鍛えた。
『いつか』が来る前に元の世界へ帰れるんじゃないかという希望もあったのだが、どうやらこちらの方が時間切れであるらしい。
感慨深い想いで正義を背負うコートを見上げていると、ノックもせずに部屋の扉がバタンと開かれた。
そうやって入ってくるのが誰かなんてわかりきったことなので、視線をそちらへ向ける。
「こら、クザン、ノックはどうした」
「……今は、そんな話をしてる場合じゃないんで」
言い放ちながらずかずかと部屋へ入ってきたのは、息を切らした未来の『大将青雉』だった。
今はまだ、大将なんて恐ろしい肩書きも持っていない。
俺が知っている『青雉』は『だらけきった正義』なんて言う、俺が思わず握手を交わしたいような信念を背負っていたが、彼はまだそれにたどり着いてもいなかった。
今の時間は戦闘訓練を受けている筈なのだが、どうやらサボるか早退するかしてきたらしい。
そちらへ体を向けると、近寄ってきたクザンが俺を殆ど真上から見下ろした。
さすがに俺の二倍とは言わないが、それでもかなり大きな相手を見上げて首を傾げれば、なんで、とその口が言葉を落とす。
「……なんで、辞めるんですか」
寄越された言葉は、俺が何となく予想していたものだった。
ついこの間まで俺の部下だった癖に俺よりずいぶん大きなその手が俺の腕を捕まえて、ぎゅう、と握りしめる。
今能力を発揮されたら片腕がもげそうだなあ、なんてことを考えて、ちょっと身を引いたがクザンの手は俺を逃がさなかった。
仕方なく、掴まれていない手で軽くその手を叩いてから、すぐ横のソファに座るように促す。
こんなに近くに寄ってこられたら、話すだけで首が痛い。俺は人と話す時は目と目を合わせて話せと教育されて育ったのだ、あの平和な世界で。
毎度毎度言われているからか、クザンは大人しくソファに腰を下ろした。
けれどそれでも、俺の手は放されることがない。
したいがままにさせながら、俺は目線の低くなったクザンを見やった。
「時期が来たからだ」
クザンへの返事は、つい先ほど、つるに聞かれた時と同じだった。
ロジャー海賊団の情報がつかめなくなった。
噂では、ラフテルでひとつなぎの大秘宝を見つけたのだとか、どこかで大きな海賊同盟を発足させようとしているのだとか、そんなことばかりが囁かれている。
けれども俺は、恐らくこの世界でロジャー海賊団以外に唯一、その本当の理由を知っている人間だった。
もうじき『ワンピース』が始まる。
それはすなわち、俺が海軍に居られる限界が来たということだった。
どんどん上を目指していくセンゴクや、大笑いしながら中将の位置にとどまって海賊を相手にしているガープや、他の海兵達と肩を並べるには、俺はひ弱すぎた。
わかっていたことだ。俺はもともとこの世界の人間じゃない。
未来を知っているし、平和な世界で生きてきたし、平凡な肉体しか持っていない。
それでもどうにか体を鍛えていたら、未来の『海軍大将』であるクザンが部下になるような立場にもなったりしたのだから、努力というのは大切だ。
ある程度の海賊達を相手になら、それなりに戦うことだってできるだろう。
ゼファーやガープと一緒に遠征に行かされることもあったせいで、それなりにサバイバルの知識を持つこともできた。
そして何よりそれほどの趣味もなく小さい家を借りて住んでいただけだったので、金は貯まりまくっている。
さすが、天下の海軍は上へ行くほど高給取りだ。
これなら確実に、つつましく余生を過ごすことができる。
そう判断した俺は、『ワンピース』が始まる前に海軍から去ろうと、随分と前から決めていた。
だって、このまま海軍にいたってどうしようもない。
俺は正義の味方ではいたいが、海兵としては最低なことに、正義のために死ぬこともできないのだ。
「……時期って、何の」
クザンが呟いて、その眉間に皺を寄せる。
今はアイマスクもつけていないその顔を見やって、こいつが大将になるのはいつ頃だろう、なんてことをぼんやり考えた。
今でも恐らく俺より強いこの海兵は、ゼファーに鍛えられてガープに構われてセンゴクに期待されて実戦をいくつもいくつも経験して、きっとこれからもどんどん強くなる。
その様子を横で見ていたいような気もしたが、結局俺は自分の安寧を手に取った。
そんな薄情な相手を前にしているというのに、クザンの手は俺から離れる様子が無い。
「まだ若いうちに、あっちこっち旅行してみようかと思ってな」
若いとは言っても、まあ、そこそこの年齢にはなったが。
強くなって軍資金も手に入れたのだから、折角だしこのグランドラインを旅するのだって悪くない。
そう思っているからこそ口にしてみると、クザンの目が剣呑なものに変わった。
煙に巻こうとしていると思っているんだろう。
そんなつもりは無いのに、随分と疑り深い元部下だ。
俺の下にいた間にひねたんだとしても、今はガープの下に行ったんだからもっと素直になってくれたってよかったのに。
「誤魔化さないでくださいよ。おつるさんは知ってたのに」
直接聞けって言われて教えてもらえなかったけど、と低く唸られて、う、と小さく息をのんだ。
妙に敏い元同僚殿が、『アンタ、何から逃げたいんだい』と言ってきたのを思い出す。
参謀は洞察力が高い。あれほど焦ったのは久しぶりだ。
どうにかロジャー海賊団がどうとは口を割らなかったが、これからロジャーが自首してきたら、きっとつるは俺が何から逃げようとしていたのかに気付くだろう。
まったく関わりも関わる予定も無いが、ロジャーと関係があるのかと疑われるのは困る。
やや置いてから、俺はクザンへ向かってへらりと笑った。
それを見て、俺の腕を掴んだままのクザンが眉を寄せる。
「……また誤魔化す」
言いながら腕を掴んできている手が少しばかり冷たくなったのを感じて、空いた手でクザンの肩を叩いた。
「クザン」
「…………」
ついでに名前を呼んで促せば、小さく息を吐いたクザンの掌から冷気が引いていく。
サカズキほどじゃないが、クザンもその能力が感情の変化でにじみ出てくる方だ。ボルサリーノくらいしっかり制御してくれたら会話も楽なんだが。
あんまり怒らせて部屋を氷漬けにさせてしまったら、次にこの部屋を使う海兵が哀れだろう。
「…………誤魔化さないでくださいよ」
まだ俺の腕を掴んだままで、さっきと同じ言葉をクザンが呟く。
すがるような小さな声に、俺は少しばかり首を傾げた。
つるだって、結局は『まあ、アンタの好きにしなよ』と逃がしてくれたというのに、どうしてただ俺の部下だっただけのクザンがこうも俺のことを気にするのだろうか。
もしやガープとの折り合いが悪くて俺の下に戻りたいとでも思っていたのか、と考えてみるが、クザンがガープを慕っているのは明らかなのですぐにそんな馬鹿げた思考は放り投げる。
『燃え上がる正義』なんて俺では絶対に無理なものを背負ったクザンは、ゼファーのことも随分慕っている。そうでなかったら、あんなしごきについていこうとは思わないだろう。黒腕のゼファーは恐ろしく強いのだ。あいつより下の世代じゃなくてよかったと思ったことも、一度や二度や三度じゃない。
俺の知っている『青雉』は、そうやってたくさんのものに囲まれながら強くなって、海軍大将になる。
そんな恵まれたクザンが、俺へ縋ってくる理由なんて無いだろう。
ただ単に、少しだけ、俺がいなくなるのが寂しいだけに違いない。
うぬぼれかもしれないが、そんなことを考えてにやりと笑う。
「寂しいのか、クザン」
だからそう尋ねてみると、ばっと俺から手が離れた。
あからさまに身を引いたクザンが、そんなわけないでしょうや、と唸る。
しかし、目が泳いでいて全く説得力がない。
わかりやすい元部下にもう一度笑ってから、俺は少しばかり身を屈めて、ソファに座っているクザンとの目線を合わせた。
同じ高さからじっと見つめれば、目を泳がせているクザンが、ちら、ちらとこちらを見る。
それを見つめ返してから、優しく聞こえるように囁いた。
「もし寂しいんなら、連れて行こうか」
尋ねながらも、クザンがそれに頷かないことなんて、わかりきったことだった。
俺の知っている『青雉』は、海軍大将になる男なのだ。
そんな奴が、途中で逃亡する情けない海兵の俺についてくるはずもない。
俺の言葉に、クザンの両目がもう一度俺を見つめた。
少しばかり沈黙して、どうしてかこくりと喉を鳴らしてから、その口が言葉を吐き出す。
「………………それ、本気で、言ってますか」
恐る恐ると紡がれた言葉に、もちろん、と頷いてから、俺は両手でクザンの両肩を軽く叩いた。
「お前が頷かないのもわかってるよ。そんな怖い顔するな」
眉間に皺を寄せて、目を鋭くさせて、断るのに決死の覚悟みたいな顔をされても困る。
振られると分かっていて誘い文句を吐いたのは俺なのだから、そんな真剣に答えなくたっていいのに。
はははと笑ってからその頭を軽く撫でてやると、俺にされるがままになったクザンが少しばかり俯いた。
がっくりと脱力しているその頭をぽんぽんと叩いてから、屈めていた体を起こす。
「まあ、マリンフォードから出るのは明後日の予定なんだ。今日はガープ達が『送別会』をやってくれるらしいが」
つるがそう言ったから決定事項で断れもしないんだろう。
そしてきっと、会場は同世代の彼らからのつるし上げに違いない。
誰にも『辞める』と言わずに辞表を出したのだ。
元帥から聞いたらしいセンゴクなんてとてつもなく怖い顔をしていて、思わず避けてしまった。あれこれと言われる覚悟はしないといけない。さすがに拳は出ないと願いたい。
わが身の安全を憂いてから、少しよそを向いていた視線をクザンへ戻す。
「明日、もしそっちが空いてたら、一緒に夕飯でもどうだ?」
それともデートが入ってるか、と尋ねると、クザンがうつむいていた顔をばっと上げた。
何かを言いたげにその口が少しばかり動いてから、それでもすぐに閉じて、続いて吐き出されたのはため息だ。
なんだ、と瞬きをしている間に、クザンがひょいとソファから立ち上がる。
「……それじゃ、あけときます。時間はどうすんですか」
「引き継ぎする書類を家から持ってくる予定なんだ。俺の方から迎えに行くさ」
「わかりましたよ。それじゃあ、訓練があるんで」
俺の言葉に頷いて、クザンはそのまま部屋を出て行った。
ぱたんと扉が閉じたのを見送ってから、やれやれと肩を竦める。
クザンが寂しがってくれるとは思わなかった。
確かに俺は『青雉』になるクザンを構っていたし、あれこれと世話を焼いた分懐いてくれているとは思うが、それは上司に対する尊敬という物とは少し違う気もしていたからだ。
何せ俺はただの一般的な日本人で、あるのはこの体と、時の経過でだんだんと薄れてきた未来の知識だけだった。
努力してどうにかやってきたが、その努力だって他の海兵達よりは身についていないだろう。俺が今の立場にいられるのは、ひとえに世代のおかげに他ならない。
軽く伸びをしてから、はあ、と息を吐く。
「……さて、続きと行くか」
一人の部屋で呟いて、俺は再び掃除を始めることにした。
その日の夜の『送別会』はセンゴクの小言で始まり小言で終了したことを、ここに記しておく。
繰り出された殺人的拳を避けることができたのは、相手が酔っていたからに他ならないだろう。用心していて助かったが、随分と体力を使った。
帰りにどうしてか夜中に出歩いていたクザンに会わなかったら、ぐったりしたまま眠っただろうことは想像に難くない。
必要な時に必要な場面で出会えるあたり、俺はやっぱり随分と恵まれてこの世界で生きているようだ。
end
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