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愛をほんのひとかけら
※『無責任』シリーズで上司と若クザンさん
※海軍在籍時
※映画キャラ(ゼファー)がちらっと登場につき注意



 「いたいたァ〜」

 ひょいと寄越された声に、クザンはその身を後ろへのけぞらせた。
 殆ど反射の動きだったそれに合わせたように、先ほどまでクザンの頭があった場所を何かが通り抜けていく。
 見あげたそれは誰かの腕で、眉を寄せたクザンが姿勢を戻すと、すぐ傍らにはいつの間にか、どこか楽しそうな顔の『先輩』が立っていた。
 いつだって人を食ったような笑みを浮かべている光人間が、この前までは掴まれてたのにねェ、なんて言いながらわきわきと片手を動かしている。

「いい反応するようになったじゃないかァ〜」

「そいつはどうも」

 嬉しげなその声へ言い返しながら、クザンは少しだけ傍らの海兵から距離を取った。
 クザンよりいくつか年上の彼は、クザンと同じく自然系の能力者だ。
 体を光に変える悪魔を宿した海軍の兵器たる彼が今のように戯れにクザンへその腕を振るってくるのは、よくあることだった。
 クザンにとっては有難迷惑な話だが、どうも彼は、クザンを後輩として可愛がっているつもりでいるらしい。
 同じ『後輩』であるクザンの同期達は一度か二度しかそう言った目に遭わなかったそうだが、クザンがそれを食らう頻度は他よりずいぶんと高い。
 更にいえば、実力が近いからか、この光人間やもう一人の自然系能力者と任務などで組されることも多いので、いいかげん慣れてしまった。
 大体、顔面に光の速さで叩きこまれる掌底には覇気がわずかに込められているのか、とてつもなく痛いのだ。回避するに越したことはない。
 何か用ですか、と訊ねたクザンに、ああそうだった、と唇を笑みの形にした相手が両手を叩く。
 それからその手がぱたぱたと己の体を探り、見つけたらしいポケットの中身をその指でひょいとつまみ出した。

「ほら、やるよォ〜」

「…………チョコレート?」

 その手の大きさに不釣合いな小ささのそれに、クザンの目が軽く瞬く。
 目の前の海兵にあまり似合わない可愛らしい印字は、クザンですら名前を知っているような有名な駄菓子のものだった。

「なんでまた……」

「さっさと手ェだしなァ〜?」

「ああ、はい」

 戸惑うクザンの前で包みが揺らされて、とりあえずクザンがそれを受け取る。
 薄い包装紙に包まれたそれは、よく店頭で売られている大きな袋入りのものの、ほんの一粒であるようだ。
 意味が分からないでいるクザンの前で、『先輩』が肩を竦める。

「今日はバレンタインだからねェ〜……」

「ああ、そういえ、ば……」

 放たれた言葉に頷きかけて、クザンはその目を己の掌から目の前の海兵へと戻した。
 とてつもなく怪訝そうな瞳を向けられても、クザンより年上の海兵はたじろいだ様子もなく笑っている。
 『バレンタイン』という日付がマリンフォードに浸透したのは、クザンの知る限り、数年前からのことだった。
 どこぞの島からやってきた行商人が、『故郷の風習だ』と言いながら物売りの文句にしたのが始まりだ。
 『大事な相手』に花やカードなどを贈ると言うそれに人々が目を向けて、商人がいなくなった翌年には他の店がそれを文句に物を売った。
 そうこうしていつの間にか定着したその日はつまり、最初にその風習を持ち込んだ行商人の言う通り、『大事な相手』へ『贈り物』をする日なのだ。
 そして、今の問答からすれば、クザンの手の上のチョコレートは、目の前の『先輩』からの『贈り物』と言うことになる。
 確かに実力は近く、他の海兵より手酷く扱われる分『気に入られている』という自覚はあるが、それにしてもこれは、薄気味が悪い。

「……あー……これ、返しても?」

「オォ〜……ひっどいねェ〜」

 尋ねたクザンの前で大げさに胸に手を当ててから、海兵は己の両手を自分のポケットへと隠してしまった。
 明らかな受け取り拒否にますます眉をよせ、一歩身を引いたクザンの前で、彼が口を動かす。

「どうしても返したいってェんなら、贈り主に返してきなよォ」

「いや、贈り主ってのはそっちのことじゃ……」

「さっきそこで貰ったんだけどねェ、わっしはあの人から貰う義理も無ェんでねェ〜」

 飄々と言い放つ海兵がクザンへ寄越した『チョコレート』は、どうやら誰かからの貰い物であるらしい、とクザンは把握した。
 だったら自分で返してくださいよ、と言葉を放ちつつ手のものを相手へ差し出しても、やはりポケットへしまい込んだ手を出さず、目の前の『先輩』が足を一歩後ろに引く。
 今にも逃げ出しそうな相手を見やり、クザンはため息を吐いた。
 仕方がない、とその手が包みを握りしめると、よしよし、とばかりに『先輩』が頷く。
 何とも満足そうなその顔に、彼にとってこの小さなひとかけらが何とも厄介なものだったらしいと把握して、クザンはふと相手へ尋ねた。

「これ、誰に貰ったんですか」

 どちらかと言えば来るもの拒まず去る者追わずに見える目の前の彼が、こんな小さなものを誰かに押し付けようとするほど嫌がっている相手など、クザンには心当たりがない。
 彼より年下でクザンより少し年上のもう一人の自然系能力者を脳裏へ思い浮かべてみたが、あの海兵がこういった贈り物を渡すような男には思えないし、それなりに仲が良いらしい相手からこんな駄菓子を貰って嫌がるとも思えない。
 不思議そうな後輩を見つめて、海兵が楽しげに笑う。
 それからその口が紡いだ名前に、クザンの目が軽く瞬きをした。





 

 口に入れたチョコレートが、じわりと口の中に甘味を広げる。
 先ほど食べた一粒より甘味のあるそれに、クザンはぎゅっと眉を寄せた。
 そのまま歯で噛み潰し飲み下したチョコレートは、つい先ほど遭遇したマグマ人間から、『おどれにくれてやる』と差し出されたものである。
 わしが買うてはおらんけェの、と言葉を続けてきたのは、かのマグマ人間もまた、それを『とある海兵』から手渡されたからであるようだ。
 小さなチョコレートの一粒が重たくも憎たらしく、すぐに開いて中身を取り出した後の包みをぐしゃぐしゃに握りつぶして、クザンはそれをポケットへと押し込んだ。
 それからその足がまっすぐに、一部屋へと向かう。
 ノックもせずに扉を開くと、ちょうど部屋へ戻ったところだったらしい海兵が、脱いだコートを片手にクザンの方を見やっていた。

「こらクザン、ノックはどうしたんだ」

 大した迫力も無い叱責を述べて、それからその後ろに『お前が来るなんて、珍しいな』なんて言葉が続く。
 それに何かを言い返そうとしたクザンは、ナマエと言う名前の彼が手に持っている駄菓子の大袋が、すっかり小さく折り畳まれているのを発見して動きを止めた。

「…………」

「クザン?」

 不思議そうにクザンの名前を呼んだ海兵が、とりあえず座ったらいい、なんて言ってクザンをすぐそこに置かれたソファへと誘導する。
 それに従って座り込んだクザンが見守る前で、折り畳んだつつみを机脇の小さな屑籠へと捨てたナマエは、己の持っていたコートを壁へと掛けた。

「どうしたんだ?」

 そうしてそれから、クザンの方を見やってそんな風に言葉を紡ぐ。
 それを聞いても、その、とクザンは声を漏らしただけだった。
 道すがらそれとなく話を集めた限り、この部屋の主でクザンの元上司であるこの海兵は、『今日はバレンタインだから』などと言いながら、あちこちで駄菓子を配っていたらしい。
 こんなにちっこかったぞ、とクザンに大きさを示して見せたのはガープで、あとで頂こうかね、なんていいながら貰ったらしいそれを執務机の端に置いたのはつるだった。
 駄菓子なんぞ配りおって、などと言いながらも受け取ったらしいセンゴクはいかめしい顔をしていて、おれァ甘いもんより酒がいいんだがな、なんて言ったクザン達の教官の手にも同じ駄菓子が一粒乗っていた。
 クザンの同期や知り合いである他の海兵達も、何人かが似たようにして同じ駄菓子を配られていたらしい。
 親愛を示すには随分と価格もサイズも小さな贈り物だが、クザンはそれを、素直に『羨ましい』と思った。
 こんな日に特別な贈り物を用意してはあからさますぎて避けられてしまうのではないかと、馬鹿な気を回して自分は用意の一つも出来なかった癖に、羨ましいと思ったのだ。
 だから、同期や『先輩方』が贈られたなら自分も遭遇すればこの手に一つくらい、それを渡されるのではないか、と期待したのである。二つほど受け取ったものを譲られたが、クザンが欲しいのはナマエのその手から直接渡されたものだった。
 けれどもどうしてかあちこちを歩き回っていたらしいナマエにクザンは追いつけず、そしてようやく追いついたと思ってみれば、配られていた贈り物は品切れとなってしまったようだ。
 子供じゃあるまいし、と思うものの、しょんぼりと肩を落とすことをこらえられず、クザンの目がわずかに伏せられる。
 突然やってきて人の執務室のソファで落ち込みだしたクザンに、部屋の主が困惑しているのが気配で分かった。

「クザン?」

 何か言いたげにその口がもう一度クザンを呼んで、それから、あ、と何かに気付いたように声が漏れる。
 それを聞いて伏せた目を上げたクザンの視界で、自分が先ほど掛けたばかりのコートへ近寄ったナマエが、正義を背負ったコートのポケットをごそごそと探っていた。

「あったあった」

 そうして、そんな風に言いながら、何かをポケットから掴みだす。
 そしてそれを手に持ったまま、彼はクザンへと近付いて、持っていたものをクザンへ向けて差し出した。

「ほら」

 受け取れ、とばかりに差し出されたものを、クザンの目がじっと見つめる。
 目の前に晒されているそれは、どう見ても何の変哲もない板状のチョコレートだった。海軍本部の売店でも売られているような、クザンの掌ほどの大きさのものだ。
 軽く揺らされてそれを受け取ったクザンが、その目を手の上のものから目の前に立つナマエへと戻す。

「……あの、これって」

「今日はバレンタインだからな」

 一時間ほど前に遭遇した光人間に言われたのと同じ台詞を零して、目の前の相手がクザンへ笑顔を向ける。
 柔らかなその顔に、もしや物欲しげな顔をしてしまったのだろうか、と思い至り、クザンはわずかに相手から目を逸らした。
 恥ずかしいのか何なのか分からないまま、かと言って手元のチョコレートを押し付け返すこともできず動きを止めたクザンの肩を、ナマエの手が軽く叩く。

「あれだろう、カードも花束も貰えなかったんだろう? 駄目だぞ、そう言う相手がいるなら訓練ばっかり頑張っていないで、ちゃんとアピールしないとな」

 それでも食べて頑張れ、と優しく寄越された酷い言葉に、思わず力を入れた指がわずかに板状のチョコレートを破壊しかけたのが分かった。
 胸がさすように痛み、わずかに息を吸い込む。
 数か月前なら、能力の発露すらあっただろう。
 ぐっとそれをこらえただけ成長できたと自分を慰めるように褒めながら、クザンの手がそっと、チョコレートを己の足の上へと逃がした。
 確かに、マリンフォードに根付いたバレンタインと言えば、その主流は『カード』や『花束』だ。
 親愛や友愛、そして恋情を伝えるのに絶好の日であるのだから、メッセージを伝えやすいカードやその気持ちを表しやすい花束が主流となるのは当然だろう。
 もちろんそれに何かを追加して送ることは多いし、目の前の海兵のように、食べ物を贈る人間もいる。
 そしてどうやらクザンの肩を優しく叩いているこの海兵は、クザンがそれを『誰か』から『貰えなくて』肩を落としているのだと思ったらしい。
 ひょっとしたら、クザンが慰めて貰いに来たものと思ったのかもしれない。
 何て酷い海兵だろうかと、クザンは思った。
 クザンがそう言った意味で見ているのは、たったひとりだ。
 アピールは出来る限りしているが、クザンが色々なものを振り絞って放った告白すらも全て躱している当の本人に慰められて、どうして気分を上昇できるだろう。
 何も言えなくなったクザンの前で首を傾げてから、ナマエの手がクザンの肩からそっと離れる。

「それにしても、お前、今日はどこにいたんだ?」

「……え?」

「どこ行っても見つからないから、ひょっとして休んで誰かとデートでもしてるのかと思ったのに」

 相変わらず酷いことを言っているが、その言葉の中にあった『探していた』という意味合いらしいものに、クザンの目が瞬きをする。

「……なんで、おれを捜してたんですか」

 それからその口が問いかければ、さっきも言ったじゃないか、とクザンの目の前の海兵はあっさりと返事を寄越した。

「今日がバレンタインだからだよ。俺の故郷では、バレンタインと言えばチョコレートなんだ」

 大体は女が男に配るんだけどな、まあここではそういうの無いみたいだしいいだろ。
 そんな風に言ってから、ああそうだ、とその口が言葉を続ける。

「ガープがもっとでかいの寄越せってうるさかったからな。お前のだけでかかったのは内緒にしてくれよ?」

 言葉を落とし、軽く人差し指を唇に当てて笑った彼は、そういえばお前のところの部隊に回す書類があったんだった、なんて言ってクザンの傍を離れていった。
 いつも座っているのとは逆側からがさがさと執務机に積まれた書類を確認している相手を見やり、やや置いて、クザンの目がちらりと自分の足の上に乗せたチョコレートを見やる。
 そこにあるのは、何の変哲もない、いつだって売店で売っているようなチョコレートだ。
 金額だって大したことがない。ナマエが買ったのだって、何かのついでに違いない。たまたまこれだけが残っていただけだ。そうに違いない。
 だというのに、さっきの口振りは、まるでクザンだけが『特別』だとでもいうようだった。
 分かっている。
 どうせまた、いつもの、何も考えていない言動に違いない。

「…………」

 分かっているのに、どうにも緩む口を堪えられず、クザンの手がそっと自分の口を片手で抑えた。
 早く普段通りの顔にならないといけないと分かっているのだが、中々思うようにいかない。
 まだこちらを向かないでほしいとその背中を見やりながら、掌の内側でほんの少しばかりくぐもった声を漏らす。

「……ナマエさん、おれ、お返し何も用意してねェんですけど」

「あー、来月のホワイトデーに三倍返しでいいぞ? なんてな」

 ナマエの放った単語の意味は分かりかねたが、それじゃあそうするんで飲みに行きましょう、と誘ったクザンは、あやふやながらも翌月の予約を手に入れることが出来たのだった。



end


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