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沼に嵌まるも好き好き (1/4)
※無責任な(元)上司はまだ海兵さん
※サカさんは若い頃からあの口調だったと言う捏造入り
※映画『Z』のキャラが名前だけ登場




 恋は落ちるものだと誰かが言っていた気がするが、ちょっと違うんじゃないだろうか、とクザンは思った。
 どちらかといえばこれは、気付かないうちに踏み込んだ沼底の泥に足を取られて身動きが取れなくなった事態に似ている。

「クザンじゃないか」

 どうしたんだこんなところで、久しぶりだな。
 そんな風に言って相変わらずの笑みを浮かべた相手に、そうですね、とクザンは一つ相槌を打った。
 すぐ近くまでやってきた相手がじっと顔を見上げるのが分かって、少しだけ身を折る。
 いっそその場に座り込んでしまえば早いのだろうが、ナマエの前でそんな行儀の悪い真似は出来なかった。
 クザンを見上げるナマエの視線はまっすぐで、クザンが彼の部下でなくなってからもまるで変わらない。
 態度が変わらないと言うことに少しばかりの安堵を感じるのは、彼から『異動』を申し渡される数日前、クザンが『沼』から抜け出す方法を模索して口を滑らせたからだ。

『あー……その、ナマエさんのこと、好きです』

『そうか、ありがとう。俺もだよ』

 クザンの渾身の告白は、あっさりと友愛や親愛に挿げ替えられてしまった。
 ただ単にクザンからの告白を拒んだのではなく、ナマエにとってクザンは『愛の告白』を向けてくる対象ですらなかったということだ。
 男同士なのだからそれも当然なのかもしれないが、クザンはしっかりとそれに傷付いた。
 そしてその数日後に『異動』を言い渡された時には、もしやナマエはクザンの抱える心をきちんと分かっていて、その上で自分から遠ざけようとしたのではないかと思ったほどである。

『お前はもっと上に行く男だからな』

 しかし、そう言って笑顔を向けて来た相手に、ただの杞憂だと言うこともすぐに分かった。
 ナマエがクザンへ向けた眼差しに宿っていたのは、信頼と期待、ただそれだけだ。
 クザンは気付けば相手を好きになっていたと言うのに、同じ気持ちを返してもらえない恋のなんと不毛なことだろう。
 ほんのしばらく前のことを思い出し、軽く息を吐いてから、クザンの口が目的を果たすためにゆるりと動く。

「ナマエさん、怪我したんですか」

「ああ、まあ、軽ーくな」

 尋ねたクザンの言葉に返事をして、ナマエは布でつっている利き腕をわずかに動かした。
 一昨日の遠征で、目の前の海兵が珍しく怪我をしたらしいとクザンが耳にしたのは昨日の事だった。
 命に別条がないと言うこともきいたが、どうしても目で見て確認しなくては気になってたまらず、かといって別の部隊に配属された自分がわざわざその様子を確認しに行っていいのかも分からず、こうやって彼が通るだろう通路で待ち伏せていたのだ。

「ナマエさんらしくないですね、怪我なんて」

 見下ろした先の痛々しい包帯を見て呟くクザンに、油断したんだよなァ、とナマエは困ったような顔をして笑った。
 油断、とその言葉を口の中で繰り返して、クザンは更に首を傾げる。
 『油断』だなんて、それこそナマエにふさわしくない言葉だ。
 クザンの目の前に佇む海兵は、その身体能力こそ低いが、その分策略や事前の準備などに力を注ぐ海兵だ。
 戦闘の場面においても周辺に目を配ることを忘れず、たとえばクザンが何かをやらかしても、すぐにそれに対する対処を命じてくれる、そういう上司だった。
 実際、クザンがその部下となっている間、ナマエがかすり傷以外の手傷を負った姿など見たことも無い。ナマエはそのように立ち回っていたし、クザンは出来るだけさりげなく、そんなナマエを守れるように動き回っていた。
 困惑するクザンの前で、ははは、と笑ったナマエが軽く頭を掻く。

「ずっとお前に頼りきりだったからなァ、すっかりお前がいるもんだと思ってたんだ」

 ボケちまったかなァ、なんて年齢に見合わないことを口にするナマエに、どういう顔をすればいいのか分からなくなったクザンは、彼が見上げやすいようにと屈めていた背中を伸ばした。
 ナマエは時々、こうやって、『沼』にはまったクザンへ笑顔で泥を振りかけるようなことを言う。
 もはやクザンは身動きもとれないというのに、まだまだ足りないとでも言うつもりだろうか。
 無意識のくせに酷い海兵だと、詰っても分かってくれないだろう相手に小さくため息を零す。

「……それ、センゴクさんに言ったら『言い訳するな』って殴られますよ」

 目を逸らしたのを誤魔化すように言葉を口にしたクザンへ、おお鋭いな、とナマエが返事をした。
 それを聞いて改めてクザンが視線を向ければ、ナマエが無事な片手で軽く自分の頭を押さえる。

「もう食らってきた」

 痛かったぞお前も気を付けろよ、なんて言って笑うナマエに、クザンは素直に『はい』と返した。
 それを聞き、それじゃあな、と言葉を置いて、ナマエが先にクザンの横を通り抜ける。
 向かっている方向からして執務室へ行くのだろうとその背中を見送ったクザンは、それからわずかに力のこもっていた体から力を抜いた。
 角を曲がって見えなくなったナマエの動きは、平常時と殆ど変化がなかった。命に別状のない怪我である、という話は間違いなかったらしい。
 どういう状況で怪我をしたのかは分からないが、その時の海賊は捕まったと言う話なので、クザンがその報復に出られるわけでもない。
 何はともあれ無事であることが確認できたことに安堵して、クザンもナマエが歩いて行ったのとは別の方向へ足を動かす。
 訓練場へ向かうべく歩き、角を曲がった。
 そこで唐突にぴかりと背後から光が放たれ、最近見慣れるようになったそれに驚いて振り返ったクザンの頭を、がしりと大きな何かが掴まえる。

「いいとこにいるじゃないかァ、クザァン」

 顔を正面から掴まえている掌の長い指の間から見えた相手の顔は、にこにこと笑っている筈なのに全く優しげに見えない海兵のそれだった。





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