シェリー酒一杯分
※上司主人公と部下な若クザンさん
※映画『Z』のキャラクターが名前だけ出現注意?
「誕生日おめでとう、クザン」
渡された書類と交換するように言葉を投げて用意してあったものを差し出すと、俺を見下ろしたクザンがぱちりと瞬きをした。
不思議そうな目が俺の手の上の物を見下ろして、ゼファーがよく飲んでいるのと同じ銘柄の酒瓶を確認して、それからもう一度俺を見る。
「……おれに?」
「そう言っただろう」
尋ねられて頷きながら、俺は持っていたそれをクザンの手に押し付けた。
そのままぱっと瓶を放せば、慌てたように動いたクザンの手ががしりと酒瓶を掴まえる。
細い首に巻かれた可愛らしいリボンがひらりと軽く揺れて、それからすぐに項垂れた。
「……ナマエさん、おれの誕生日、覚えてたんですか」
瓶を持ち直しながら尋ねられて、部下の誕生日くらい覚えてるだろうと笑って答える。
遠征から帰ったのが一昨日で、思い出したのが昨日だったせいで大したものは用意できなかったのが少々残念だが、確かクザンはこの酒をよく飲んでいた筈だ。
だから大丈夫だろうと思って見上げたのに、何だか変な顔をしているクザンに、首を軽く傾げる。
「なんだ、もしかして外したか? その酒、よく飲んでなかったか」
俺の勘違いだったろうか。
それなら悪いことをした、と思っての俺の言葉に、いや当たってますけど、とクザンは何とも歯切れの悪い言葉を零した。
当たっているならもう少し喜んでくれてもいいんじゃないだろうか。
そう思ってみるものの、それは贈った方のエゴだろうと考え直し、クザンから先ほど受け取った書類を机の上に降ろす。
ぱらりとめくったその中身は、読み込んで印を押すだけの簡単なものだった。
ちらりと見やった壁かけの時計は、先ほども確認した通り、もうすぐ就業時間が終わることを示している。この書類を片付けたら帰るとしよう。
「……朝から何も言わなかったから、知らなかったのかと」
さっさと一枚目をめくった俺の上に、ぽつりと小さく呟きが落ちた。
その出所を見上げれば、まださっきと同じ少し変な顔をしたクザンが手元に酒瓶を持ったままで俺を見下ろしている。
「だってお前、仕事の初めに酒を渡すなんて駄目だろう」
別にそんな規約も規定もないし、クザンが仕事の間にその瓶を開けて飲むとも思えないが、俺の気分の問題だ。
あっさりした俺の言葉に、そんな理由ですか、とクザンはその目に呆れをにじませた。
「アンタが変なとこだけ生真面目なのは知ってますけど、だったら先に何か言ってください」
「だから今言ったじゃないか。もう一回言うか? 誕生日おめでとう、クザン」
何をこだわるのだろうかと不思議に思いながら言葉を紡いで、さっきは言わなかった続きを付け足す。
「お前が生まれてきてくれて嬉しいよ」
俺の目の前に佇んで俺を上から見下ろしてきているこの部下は、いずれ『海軍大将青雉』になる男だ。
俺が知っている未来の『大将』達の中では一番共感しやすい正義を彼が背負うのは、まだ随分と先だろう。
収入の安定と身の保証を求めて海軍へ入った時、まさかこうやって近くで話せるようになるとは思いもしなかった相手の一人だ。
今はまだ『燃え上がる正義』を胸にしたクザンは、俺の言葉を聞いて少しばかり眉を寄せた。
「……胡散臭いです」
「心からの言葉なのに、なんてひどい部下だろう」
心外だ。
わざとらしく悲しい顔をして見せたが、慣れてしまったらしいクザンは軽くため息を吐いただけだった。
その手が酒瓶を持ち直して、これはありがたく貰っておきます、とこちらへ言葉を寄越す。
そうしてくれと頷いてから、そういえば、と俺は視線をクザンの手にある酒瓶へ向けた。
「それ、そんなにうまいのか?」
ゼファーもよく飲んでいる銘柄なのだが、俺はまだ飲んだことが無い。
酒もたばこも少しは嗜むが、あまり強くないし、どうしても求めるものは『日本製品』に近いものになってしまうのからだ。
たまに連れて行かれる酒場でも、その酒瓶二、三本と同じ程度の値段のグラス一杯くらいの酒を舐めている。
一口分けてもらうにしても、同じ一口を俺のグラスから奪われてはたまらないのでただ眺めているだけがほとんどだった。
みみっちく思われるかもしれないが、ガープやゼファーの横に座っていれば、豪快な彼らの一口がどれほど大胆なものかくらいわかるので仕方ない。
俺の言葉に、クザンが不思議そうな顔をする。
「買ってくれたのに飲んだことないんですか」
「飲んだことは無くても、クザンが好き好んで飲んでるのは知ってるからな」
そう言ってから、ふと思いついた俺はしげしげとクザンの顔を見上げた。
俺の視線を受け止めて、なんですか、とクザンが呟く。
「いや、クザン、お前今日予定あるか?」
誕生日なんだから誰かとデートでもしてるかと思ったが、俺の予想を裏切ってクザンは首を横に振った。
どうやら、一昨日まで遠征だったせいで、昨日一日が事後処理に潰れてしまったらしい。
そうかとそれへ頷いて、机の上に書類を置いてから、だったら、と俺は言葉を紡いだ。
「それじゃ、せっかく誕生日なんだし、うちに来て飯でも食っていくか」
狭い家だし、今まで誰かを招いたことは無いが、散らかしているつもりもないし、意外と上司を立てる部下であるクザンなら大丈夫だろう。
料理なんて用意していないが、買っていけばいい。
なんならケーキも買ってやろうかと見上げた先で、は?、とクザンがどうにも間抜けな声を漏らす。
唐突すぎる俺の言葉に戸惑っているらしい相手へ笑ってから、俺はひょいと椅子から立ち上がった。
かちりと音を立てて、壁にかけたままの時計が長身を一番上に向けた。よし、終業時間だ。まだ書類は終わってないが、急ぎでもないし明日にしよう。
書類の上にペーパーウェイトを乗せて壁際へ移動し、家に帰る間見せびらかす必要もない白いコートを脱いで壁にかけてから、入れ替わりに朝着てきたコートを掴んで着込む。
少しの荷物を持って振り返ると、クザンはまださっきと同じ場所に佇んでさっきと同じ少し間抜けな顔をしていた。
「クザン?」
どうかしたのかとそれへ向けて声を掛ければ、慌てたようにこちらを向いたクザンが、何かを言いたげに口を動かす。
なんで、と読めたその動きを見やって、俺は笑った。
「飯を食わせてやるから、それ、少し飲ませてくれ」
言いつつ瓶を指差せば、俺の視線を追いかけて自分の手元を見やったクザンが、先ほど以上に呆れた顔をする。
飲みたいんなら自分で買えばいいじゃないですかと寄越された言葉に、ちょっとだけ飲みたいんだ、と俺は答えた。
「一瓶も買って、好みの味じゃなかったらどうしろって言うんだ。グラス一杯でいい」
「……小瓶で買えばいいでしょう」
「その銘柄は、それが一番小さかった」
言いつつ、クザンへと近づいてその顔を見上げる。
案外律儀な可愛い部下は、やや置いて、俺の視線に負けたように頷いた。
「……あー……まあ、買ってくれたのはナマエさんですから、飲むのに付き合ってくれるってんなら、別に……」
「それならよかった。ああそうだ、明日は俺もお前も非番だからな、ついでに泊まってくか?」
尋ねてみると、それはちょっと、とすげなく断られた。
あっさりしたクザンの言葉に笑ってから、わかったと頷いて先に歩き出す。
俺の後を追いかけて、クザンが歩き出したのを後ろに感じた。
「それじゃ、帰りがけに飯買いに行くか。ケーキは何がいい?」
「いや、そんな、ガキじゃないんで」
折角の俺の提案に拒否を寄越すクザンと言葉を交わしながら執務室を出て、通路を歩き、本部の外を目指して足を動かす。
話の流れで『家に誰かを招くのは初めてだ』と俺が言った辺りでどうしてかクザンが転んだが、その手が瓶だけは死守していた。
end
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