100万打記念企画
※元上司が上司だったころと若クザンさん
「へえ、お前が『クザン』か」
配属された部隊の代表者に挨拶へ行った時、そんな風に言って笑いかけて来たナマエと言う名前の海兵は、妙になれなれしい男だった。
クザンと彼は殆ど初対面だと言うのに、まるで随分前からクザンを知っているような口振りで名前を呼んで、その目がクザンの上から下までを見つめる。
でかいなァとそのまま顔を上向かせて呟かれて、はあ、とクザンは何とも言えない声を漏らした。
「屈みましょうか」
クザンは海軍の中でもどちらかと言えば『大きい』に分類される人間だ。
部下に見下ろされるのが嫌な人間もいるだろう。縦社会の海軍でやっていくには、ある程度従順にやり過ごしていく必要があると言うことはクザンも知っている。
自分より少し上の世代の『怪物』達のような実力があるならその限りではないだろうし、クザン自身、教官に『見込みがある』と言われていた。どうせすぐにこの上下関係も逆転するのだから、今くらいは従ってやってもいい。
そんな、高慢にも思える考えで口を動かしたクザンの言葉に、ぱちりと目の前に佇む男が目を丸くした。
それからやや置いて、はは、と笑い声を零して、その掌がひょいとすぐ傍らにあったソファを示す。
「それじゃ、そこに座れ」
「え?」
柔らかなソファへの着席を促されて、クザンは少しばかり戸惑った。
しかしクザンの戸惑いなど気にした様子もなく、そこに座れば多分同じくらいだろ、なんて言い放った男の手が軽くクザンの体に触れて、そんなに強くも無い力でぐいとクザンを押しやる。
『クザン』の噂を知っているなら、その身に宿る悪魔が自然系であることも知っているだろう。
触れれば何らかの被害を受けるかもしれない相手に何のためらいもなく触れて来た掌に困惑しながら、それでも促されたクザンの足がソファへと歩み寄り、そこへそのまま腰を下ろす。
低いソファへ腰かけると、確かに今目の前の上司が言った通り、クザンの目線は彼の顔より幾分低くなった。
それを見やり、うん、とナマエが一つ頷く。
「やっぱりこのくらいの高さがいいな」
あんなに高いと見上げるのが大変だからなァと呟いて笑う目の前の海兵は、随分と普通の人間だった。
「別に、見上げなきゃいいんじゃねェんですか」
思わずクザンがそう呟くと、まあそう言うなよ、と言って男が肩を竦める。
「俺の生まれ育った場所では、人と話す時は相手の目を見ながら話すように教わってきたんだ」
「…………そりゃまた」
「それにしてもお前は素直だなァ、ボルサリーノだったら絶対に座らなかったぞ」
けらりと笑って放たれた男の口から漏れた『先輩』の名前に、そうなんですか、とクザンが適当に相槌を打つ。
『ボルサリーノ』と言うのは、クザンよりしばらく先に海軍に入隊している海兵だ。
その身に宿る悪魔はやはり自然系で、もう一人と同じく、『化物』と呼ばれるにふさわしい戦闘能力を有している。
能力の扱いには長けている方であるようだが、同世代や下の世代の海兵達からも畏怖の目を向けられていることが多いかの光人間にも、恐らく目の前に佇む上司は無遠慮に触れるのだろう。
少しばかり考えて、クザンは軽く首を傾げた。
「…………ナマエさんは、何かの能力者なんですか?」
「うん? 俺か」
どう見ても弱そうにしか見えない男へ問えば、クザンと同じ方向に軽く首を傾げた男が、そう見えるか? と困ったような顔をして笑った。
見えません、と素直に呟いたクザンへ、それはそれで失礼だと笑った口が言葉を投げる。
「まァその予想は当たってるわけだが。俺は普通の、そこらに転がっているようなただの海兵だよ」
「…………はあ」
「お前なら、俺だってすーぐ追い抜くんだろうなァ」
まるで子供の成長を言うように呟くナマエの顔には、言葉の割に卑屈さの一つも無い。
馴れ馴れしい目の前の海兵を見やり、クザンの手が軽く頭を掻いた。
「短い間だろうが、よろしくな」
そんなクザンへ微笑んで、無理やりその右手を握ってきた目の前の元上司には、優しげな微笑みしか見当たらなかった。
※
ナマエの自己申告の通り、かの海兵はいたって『普通』だった。
特筆出来るほどの体力があるわけでも無ければ、事務仕事に特化しているわけでも無い。ある程度は戦えるようだが細腕は非力で、恐らくクザンが本気で戦えば間違いなく殺してしまうだろう。
クザンをしごき鍛え上げている教官や、もっと上のガープやセンゴクと気安く会話を交わしているのは、ただ単に世代が近いからに他ならないようだ。
例えばクザンより少し上にいるマグマ人間のような苛烈な正義を掲げているわけでもない。もちろん『正義』側であることに異論はないようだが、強い信念を抱いたり、悪を憎んでいるわけでもない。
何の気なしに『どうして海軍に入ったんですか』と尋ねたクザンへ、『金が貯まるかと思って』と言ったその言葉は冗談ではあったのだろうが、観察すればするほどクザンは首を傾げるしかなかった。
さっさと跨いで超えていけばいいだけの小さな障害物なのか、そうでないのかの判断がつかずにいたクザンの中でのナマエに対する評価がわずかに変わったのは、いくつかの隊と合同で行うことになった演習でのことだ。
いつもなら一緒にいるはずの教官がおらず、殆ど肩書の無い新兵達の中では一番立場が上だったナマエが、その場の責任者となっていた。
「クザンはもう少し、周りに被害を出さないやり方で戦えるようにならないとなァ」
いつものように何人かの新兵達に遠巻きにされながら広範囲に能力を扱って模擬戦をこなしていたクザンへ笑いかけて、そんな風に言われた時、クザンは恐らくわずかに顔をしかめていただろう。
「…………アンタも、『能力に頼るな』って言うんですか」
思わず呟いたのは、教官が何度も繰り返し悪魔の実の能力者達に唱えてきたのと同じ台詞だ。
海楼石、海、覇気と言ったいくつかの弱点はあるにしても、悪魔の実の能力者がその戦闘で能力を扱うのは当然のことだ。
戦う場に自分の武器を持ち出さない人間などいないのだから、そこを制限される謂れはない。
少しばかり不満げな顔になったクザンを木箱に座らせて、そうじゃないって、とナマエが首を横に振った。
「せっかくの能力なんだ、それを使うのは大いに結構。まあ見てて痛いからわざと自分から当たりに行って体を再生するのは感心しないが、あれだって十分な威嚇になるしな」
くるりとペンを回して言いつつ、ナマエが肩を竦める。
「だが、仲間に被害を出してちゃ、せっかく助けたのに感謝の一つもしてもらえない」
それは寂しいだろうと続いた言葉に、クザンは少しばかり目を眇めた。
今ナマエが言っているのが、先程の演習の最中にうっかりとクザンの能力で片足を凍らせてしまった新兵のことだと気が付いたからだ。
演習とは言え、互いに相手を『海賊』と見立てての交戦の最中、飛んできた砲弾を凍らせて落とす為に放ったクザンの能力の余波によるものだった。
もちろんすぐに軍医が彼の足を解凍したので、壊死もせずにすぐに戻ってきていたのは知っている。
クザンが能力を使ったのは自分と自分の近くにいる海兵達を砲弾から守るためだったが、その結果として体を凍らせてしまったあの海兵は、場に戻ってからはクザンの傍に寄ってこなくなった。その現場を見ていたらしい他の新兵達も、大体が同じ反応だ。
自分と周囲が『違う』と思い知らされるのは、大概がそんな時である。
「……別に、礼を言われたくてやってることじゃねェんで」
ぽつりとクザンが呟くと、お前は偉いなァ、なんて向かいの海兵が言葉を紡ぐ。
「見返りを求めないのは正義の味方の美徳だな」
「……は」
「けど、どうせなら皆に味方して貰えた方がいいだろ」
だからもう少し細かいコントロールの練習をしような、なんて言って笑ったナマエに、クザンの眉が軽く寄せられる。
一見して不機嫌そうにも見えるその顔を見ても気にした様子もなく、ナマエは持っていたペンを胸のポケットへと戻した。
「お前の能力なら海だって凍らせるから、海上戦闘では心配がなくなるんだがなァ……こっち側まで凍るだろうってのがどうも……サカズキと組めばいいのか? いやあいつはあいつで巻き込むだろうしなァ……マグマは怖い」
海を眺めてぶつぶつと言葉を零すナマエの顔は、どちらかと言えば真剣だ。
ただの普通の人間でしかない筈の馴れ馴れしいこの海兵は、少し変わっている。
そんな風に思いながら横目でそれを眺めたクザンは、彼が海の方を眺めているのを確認してから、そっと目を逸らした。
見下ろした先の『化物』の掌が、小さく拳を握っているのが見えた。
※
合同演習からしばらく後、クザンが所属している部隊は、近海の海賊を討伐するための遠征へ出た。
小さな隊だけでは心もとないだろうといくつかの隊を合併させての任務で、その一番上に座ったのはクザンの上司では無く、野心に満ちた別の隊の人間だった。
最初はナマエが代表と軽く取り決められていたそうだが、どうやらその海兵に押しのけられたらしい。
軽く押されただけで席を明け渡すなど、クザンからすれば考えられないことだ。
しかし、当人が良いと言うのなら構わないのかと、わずかに感じた不快感を無視して任務を開始する。
簡単な遠征であった筈なのに、それがうまくいかなかったのは、どこかからか海軍側の情報が漏れていたせいだろう。
徒党を組んだ海賊同盟に迎え撃たれ、新兵だらけだった海軍側の方が先に被害を受けた。
クザンの身に宿る悪魔は確かに強いが、全ての軍艦を守り切れるはずもない。
それでも死者が出なかったのは、慌てた声を上げた部隊の責任者より早く、現場でクザンや他の海兵へ指示を飛ばした人間がいたからだ。
「よくやったなァ、クザン」
事後処理からようやく解放されたらしい男が近寄って来た時、クザンは軍艦の端で木箱に腰を下ろしていた。
ナマエさん、とその口が名前を呼んで、ちらりとその目がナマエを見やる。
もの言いたげなクザンの視線を受け止めて、近寄ってきたナマエは少し疲労しているようには見えるものの、怪我の一つも見当たらない。
少し厚着をしているのは、軍艦やその周辺の海が、ほとんど全て凍ってしまっているからだった。
クザンへ『海を凍らせろ』と指示したのがナマエであると言うことを、クザンは知っている。
『大丈夫だ、お前なら出来る』
周囲を巻き込むことをためらったクザンを激励しながら、ナマエは自分の隊以外の海兵達に距離を取るよう促していた。
『……っ! どうなっても知りませんよ!』
その言葉の真意を知ったのは、出来る限りのコントロールをしながら能力を使ったクザンの傍で、確かに冷気を浴びたはずの同じ部隊の海兵達が、しかし凍ったりすることなく身動きをし、『絶対に割れないからクザンを信じて降りろ』と怒鳴ったナマエの指示に従って凍りついた海へと飛び降りたからだ。
突然の冷気に体を強張らせた他の海兵達と違い、クザンの同僚達は一見してわかりづらい冬島仕様の装備をしていた。
全てが終わった後、遠征の前に装備を配ったのがナマエだったと話してくれたのは、いつだったかの演習でクザンが片足を凍らせてしまったあの海兵である。
すごかったなと笑ってくれた同僚を思い出して、それから小さく息を吐いたクザンの口から、零れたそれが白く凍って消えていく。
「……いつから、あんなもん用意してたんですか」
「うん? 何の話だ?」
とぼけるつもりなのか、ナマエはクザンの問いかけに軽く首を傾げただけだった。
その顔が笑っているのを見やってから、クザンの片腕がわざとらしくぴきりと音を立てて氷結する。
誰がどう見ても異様な光景であると言うのに、目の前で能力を使われても、ナマエには気にした様子も無い。
この場にいた誰よりもクザンの能力を信じてくれたからこその態度なのだろうかと思うと、クザンの胸の内にわずかなくすぐったさが湧き上がった。
不可解なそれを振り払うように軽く腕を振って氷結を解いてから、クザンの口から言葉が漏れる。
「正義の味方の美徳ってやつですか」
前に言われたことをなぞるようにクザンが呟けば、ははは、とナマエの口から困ったような笑い声が落ちた。
「俺は正義なんてガラじゃないなァ。全部、自分の都合の良いようにやってるだけだからな」
「そりゃあまた、海兵らしくない話で」
「そうだぞクザン、俺みたいな海兵にはなるなよ? ……まあ、お前なら大丈夫か」
クザンの事など上司と部下としてしか知らないだろうに、まるでクザンがどういう人間になるかを知っているような口振りで言い放って、ほら、とナマエの手がクザンへ向けて差し出される。
ここは寒いから船内に入るぞ、と氷結人間を誘ってくる海兵に、はい、と頷いたクザンの手が素直に伸ばされた。
end
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