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教唆者の訴え
※『おてがみ』シリーズ



 海軍と『白ひげ』の全面戦争となる筈だったあの日、『火拳』を逃がしたクザンとそれを『唆した』ナマエの首には、恐ろしい金額の賞金がかかった。
 海軍や賞金稼ぎに命を狙われ、逃亡生活を送ることとなった二人は、もはや慣れた様子で、ゆるりとあちこちの海の上を渡っている。

「……っと、はい、到着」

 夜の帳が落ちたとある島の沿岸で、声を漏らしながら氷を張ったクザンの足が、すとん、と岩を踏みつける。
 自転車を漕ぐのをやめたクザンは、自転車の後輪側を張った氷の上で傾けて、それからちらりと後ろを見やった。

「この前みたいにすっころばねェようにね」

「転びませんよ!」

 気遣うクザンの言葉に、むっとした顔で返事をしたのは、クザンの漕ぐ自転車の後ろに座っていた青年だ。
 その足がひょいと荷台をまたぎ、それからクザンより小さな体がクザンの張った氷の上へと降りる。
 すぐに岩場へと移動していったそれを見送ってから、クザンも同じように自転車を降りた。
 風雨が激しいのか、荒く削れた岩の多いそこに頭を掻いたクザンの手から、クザンの漕いできた自転車がさらわれる。

「この辺でいいですか?」

「あー……いいんじゃない?」

「せめてこっち見てから言ってくださいよ」

 寄越された言葉に適当な返事をしたクザンへ、ナマエがそう非難の声を上げた。
 言われて視線を向ければ、そこいらに転がっている岩のうちでも随分と大きな岩が並ぶあたりに移動した青年が、クザンの自転車をその岩の蔭へと隠している。
 万が一にも転がってきた岩に押しつぶされないようにという配慮か、傾斜の上側に隠したそれに暗い色のシートまで被せてから、さらにその手がきょろりと見回した周囲のものを自転車の上へと寄せた。
 クザンが近寄って見やった先で、一仕事を終えたらしいナマエが改めてクザンを見上げる。
 どうですか、と己の手元を示す相手に、今度はその仕事ぶりをちゃんと目で確認してから、クザンは口を動かした。

「……あー……いいんじゃない?」

「さっきとセリフが変わらないんですが」

 本気でそう思っているのかと眉を寄せて聞かれるが、クザンからすればそれ以外になんと言っていいのかも分からない。
 島へ入るときはいつも適当な場所に放置されていたクザンの自転車が、ナマエによって隠されるようになってからもう半年以上は経つ。
 最初の頃よりは随分と腕が上がっているようにも思えるが、目ざとい者が見ればすぐにわかる程度のものだ。
 しかしそれでも本人は満足なのか、とんとん、とその手が自転車の隠れているあたりを叩いて、それから屈んでいた体が立ち上がる。

「それじゃあ行きましょう、クザンさん。今日も移動お疲れ様でした」

「はいよ、ナマエもお疲れ」

 寄越された言葉にクザンが返事をすると、俺は座っていただけですよ、と言ってナマエが笑った。







 辿りついた島にあったその町は、どうやら夜もなお騒がしい部類の場所であったらしい。
 男や女を誘う生業の人間が数人路地わきに立っていて、時々手招かれるたびにクザンのそばにいるナマエが困ったような顔をする。
 その手がクザンのコートをつかむのをそのままにさせつつ、クザンはふと目に留まったものを見つけてその歩みを止めた。

「……クザンさん?」

 どうしたんですか、とそれに気付いて声をかけてくる相手に、あれ、とすぐそばにあった壁を指さす。
 クザンのそれに従って壁際へ視線を向けたナマエが、え、と声を漏らした。
 クザンが示したその壁には、手配書が二枚張りつけられていた。
 どちらも見覚えのある顔だ。
 恐ろしい金額の上に鎮座するそれに、あらら、とクザンの口から声が漏れる。

「どうしようか、ナマエ」

「どうしようって、あの……」

 声を漏らしつつ、ナマエがクザンのコートを引っ張った。
 何をしているのかと思って見下ろしたクザンの目に、自分の顔を隠そうとしているナマエの姿が映り込む。
 それ意味あるの、と軽く笑ってから、クザンは改めて壁に貼られた手配書を見つめた。
 そして、普通とは違う『手配書』に、ぱちりとその目が瞬きをする。
 手配書の『生死を問わない』という一言に、それぞれ赤い線が引かれているのだ。
 どう考えても誰かが行った落書きだ。
 そして、こんな目につく場所に手配書を張られているというのに、それほど変装もしないまま街中へと入ってきてしまったクザンとナマエの傍らを、島民たちは気にした様子もなく通り過ぎていく。
 ちらちらと寄越される視線はあるが、敵愾心は感じない。

「クザンさん、買い物早めに済ませて、すぐ逃げましょう」

「そうだねェ……」

 人様のコートで顔を隠した男に言われて軽く頷き、それからふと視界の端で何かが翻ったのに気付いたクザンは、手配書からそちらへ視線を向けた。
 そして、店先の軒下からつるされた小さな黒い布を見て、なるほど、と軽く頷く。

「……どうも、のんびりしてってもよさそうだけどね」

「な! 何言ってるんですか!」

 あんな目立つところに手配書まで貼られてるんですよ、と慌てた声を小さく上げるナマエの頭を軽く捕まえて、クザンは自分のコートからナマエの顔を引きはがした。
 抵抗しようとしたナマエを気にせず、ほらあれ、と先ほど手配書にやったように、今度は翻る黒い布を指さす。

「ここ、『白ひげ』の縄張りみてェだ」

 ほかに掲げる人間など許してはもらえないだろうジョリーロジャーが、夜闇の隅で店先を飾っていた。







 クザンとナマエの首に懸賞金がかかったあの大事件によって、『白ひげ』は海軍にとらわれていた『家族』を取り戻した。
 海賊王ロジャーの息子であるエースという名の海賊は、今もグランドラインのどこかで海賊として生きているだろう。
 そして、クザンの海軍に対する裏切りは、全世界へ向けて放映された。
 途中で放送が絶たれたことは間違いないが、そのあとの新聞記事もクザンとナマエにかかった賞金も、その大いなる裏切りを肯定するには充分なものだ。
 結果としてクザンとナマエは海軍のほかに多くの賞金稼ぎに追われるようになったのだが、どうやら『白ひげ』に恩義を感じる人間たちにとっては、ただの犯罪者ともならないらしい。

「……おれァ、一応海兵なんだけど」

「『元』じゃないですか」

 久し振りに店先で食事をとりつつ、呟いたクザンにナマエが傍らからそう言葉を放った。
 ひどすぎるいいようだが事実なので、そうだねと頷いたクザンの手がフォークを操る。
 島へ入ってから二日目の今日、クザンはナマエとともに昼間の街中を歩いていた。
 夜だからか、とも思っていたのだが、昼間の町に入っても、クザンとナマエの周りには騒ぎもない。
 ナマエは気付いていなかったが、クザンを指さして騒ごうとした島民を捕まえて黙らせたほかの島民が放っていた言葉を盗み聞いた限り、『白ひげ』から騒がず放っておけという通達のようなものが出ているらしいということも分かった。
 賞金首を見ても騒がず驚かない島民たちに不思議そうにしていたナマエには、クザンのほうから適当に話した。
 わざわざ『白ひげ海賊団』の名前を省いたというのに、『白ひげ』ってすごいんですね、と寄越された言葉からしてまるで意味はなかったようだ。
 ともかく、久方ぶりに得ることのできた平穏に、クザンは軽くため息を零してから頬杖をついた。

「行儀悪いですよ、クザンさん」

 それを見やってナマエのほうから注意が飛んでくるが、気にせずはいはいと返事をする。
 そうしながら、クザンは人の行き交うテラスわきの通りをぼんやりと眺めた。
 子供すら笑顔で出歩くこの島は、どうやら初夏の始まりつつある春島であったようだ。
 クザンの記憶の限り、海軍支部からも遠い場所である。だからこそ、大海賊の旗を借りなくては平穏を保てないのだろう。
 海軍に喧嘩を売った『白ひげ』は、またその名を世界に轟かせ、そしてその勢力も増したと聞く。
 『白ひげ』に喧嘩を売ろうという馬鹿でも現れなければ、この島は平和そのものなのではないだろうか。
 クザンにはしなくてはならないことがある。けれども、その全部に付き合わせるには、傍らの青年は貧弱だ。
 そこまで考えたところで、ぽすん、とクザンの腹部に軽い衝撃が寄越された。
 それに気付いてクザンが視線を向けると、隣に座っていたナマエの左手が、クザンの腹に触れている。
 コートを脱いで薄着しているクザンの腹部をつねってくるその手に、あいたた、とクザンがまるで痛みを感じていない声を漏らした。

「急になにすんの、ナマエ」

「今、俺は悪い企みを感じ取りました」

「なんの話?」

 軽く笑って腹に触れていた手を引きはがすと、ナマエがじろりとクザンを見上げる。

「前も言いましたけど、置いていったら末代までですよ」

 そうしてきっぱりと寄越された言葉に、クザンはわずかに目を瞬かせた。
 そしてそれからその唇の笑みを深くして、わかってるよ、とそちらへ言葉を返す。
 ナマエの手を逃がしてから、その手が改めてフォークを捕まえた。

「まあ、最近ずうっと海の上だったし、ちィっと体休めてからいこうか」

「そうですね、最近クザンさん頑張ってましたし」

「あらら、おれァいつでも頑張ってんのに」

「知ってます」

 冷め始めた料理をつつきながらそんな言葉を交わして、それからしばらくの間、クザンはナマエとともに一時の休息を謳歌した。
 数日ののち、島を離れた自転車の上には、人影が二人分のままだった。



end


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