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教唆者の供述によれば
※夏島



 暑いですクザンさん、とナマエがクザンに訴えるのは、夏島の海域に入るたびのことだった。
 ただ立っているだけで汗がにじんでくるような暑さは海の上にいても変わらず、それどころか潮風の生ぬるさが肌にまとわりつくようで鬱陶しい。
 日が暮れようともほとんど変わらないその熱に、そうだね、と返事をしたクザンがちらりと傍らを見やる。
 常に自転車に乗り続けているわけにもいかず、今日は一日体を休めようかと決めたクザンがナマエを連れて来た岩場は、人里からは随分と離れた場所だった。
 賞金稼ぎが血眼で探しかねない、恐ろしい金額を首にかけられたナマエやクザンが隠れるには最適な場所だ。
 クザンの体躯が入る程度には大きい、控えめな色味のテントを張ってその中に寝転んだまま、眠れません、と唸るナマエは服も肌蹴た随分とあられも無い恰好をしている。
 クザンも似たように薄着にはなっていたが、仰向けに転がって汗の張り付いた肌着を掴んでぱたぱたと空気を送り込むナマエの様子に、クザンは小さくため息を零した。

「そんな恰好しちゃってたら、虫に食われるでしょうよ」

 虫よけの対策はしているが、それだって万全ではない。
 グランドラインには恐るべき病を宿した害虫も数多く、それで命を落とす者もいるのだ。
 せめてちゃんと服を着なって、と先ほどナマエが脱ぎ捨てた上着を指差したクザンに、だって暑いんですよ、とナマエが反論した。

「こんなに暑いのに何枚も着てたら、熱中症で夜のうちに死んじゃいますよ。知らないんですかクザンさん、太陽が出ていなくても熱中症にはなるんですよ」

「はいはい……水分はこまめにとりなさいね」

「すごく信じていない気がする」

 心配して進言してやったクザンを酷いと詰って、しかしクザンをつねりにくる気力もないのか、ナマエは再びテントの中で地面に懐いた。
 岩場に置いたテントの底はごつごつとしていて、せめて寝やすいようにと毛布を敷かせていたのに、それも既に足で蹴飛ばしてしまっている。
 そのくせ、岩が痛いし島ごと熱い、とだらりと転がったまま文句を言う相手に、仕方ねえな、とクザンが呟いた。
 小さなその声に、ぱっとナマエが顔を上げる。
 汗で額に前髪を貼りつかせたまま、期待に満ちた顔をした彼を見やって、クザンは肩を竦めた。

「あんまりやると痕跡が残るから、派手には出来ねえんだけど」

「控えめで! 控えめでお願いしますっ」

 きらきらと瞳を輝かせて頼み込むナマエに、現金なもんだよね、と笑ったクザンの手がテントの外へと伸びる。
 蚊帳代わりの垂れからはみ出たその手が大地に触れると、ぱき、とその場に小さく物音がした。
 それと共に外気がひんやりと冷えだして、おお、と声を漏らしたナマエが改めて地面に懐く。

「冷たくて気持ちいいです……」

「ほら、凍傷になるから、そんなにくっついてねえの」

「はい」

 寄越された言葉に頷いてすぐに起き上がったナマエは、汗まみれの体に先ほど脱ぎ捨てた服を着込んだ。
 それから自分が蹴飛ばした毛布を敷き直して、その上にころりと横になる。
 その間にもぱきぱきと辺りから小さく音が零れて、こんなもんか、と呟いたクザンが手を引いた時には、周囲の気温は随分と下がっていた。
 ちらりと見えるテントの外は、うっすらと霜が降りている。
 生ぬるい風を冷やすそれに、はあ、とナマエが満足げなため息を零した。

「こういう時ほど、クザンさんがヒエヒエの実の能力者で良かったと思ったことはないです……」

「……まあ、喜ぶんなら何でもいいけど」

 朝にはどうせ消えてるだろうから今のうちにさっさと眠っちゃいなさいね、と言葉を続けたクザンに、はい、とすぐ横でナマエが素直に頷いた。
 それからそのまま目を閉じた傍らの青年に、やれやれ、と体を同じように横たえたままで片腕で頭を支えたクザンが軽く笑う。
 自分も同じように眠ってしまおうとアイマスクを引き下ろしかけて、しかしクザンがその動きを止めたのは、少し遠くから声がしたからだった。

「…………ん?」

「…………クザンさん?」

 静かに声を漏らしたクザンに気付いて、まだ眠りには落ちていなかったナマエが目を開けてその名前を呼ぶ。
 唇に人差し指を当ててそちらに沈黙を促してから、起き上がったクザンがテントの中から外を窺った。
 何かあれば逃げ出せるようにと、島はずれの岩場に置いたテントの中で、その目がわずかに眇められる。
 寄越された指示に口を閉じたまま、険しい顔になったクザンを見やって瞬きをしたナマエもころりと寝返りを打って、随分と涼しくなったその場所から外を窺った。
 テントに唯一ある出口の向こう側には海原が広がっていて、そこにあった不審な一つに、あ、とナマエの口が沈黙を破って声を漏らす。

「白ひげ海賊団だ」

 船首に白鯨を抱えた大きな海賊船がどうしてかそこにいて、青い炎を纏った何かが夜空を羽ばたいてクザン達のいるほうへと向かってくるのが見えた。







「馬鹿みてェに暑いこの島に、お前ェらがいて良かったよい」

 元海兵を相手にそんなことをしみじみと言い放ち、不死鳥の二つ名を持つ海賊がその手にしっかりとガラス作りの盃を握りしめた。
 細かく削られた氷で満ちたそこには何やら酒が注がれているようで、面倒くさそうにそちらを見やったクザンが、けだるげなため息を零す。

「……何でまた、おたくらと遭ってんだか」

「さあねい、そっちがおれ達の進路にいんだろい」

 追いかけたつもりはないと肩を竦めて冷たい酒を舐めた不死鳥に、今日わざわざ引っ張ってきたのはそっちでしょうよ、とクザンが呟く。
 テントに襲来した青い火の鳥が、悪いようにはしないからと半ば強制的にクザンともう一人をモビーディック号へと連れて戻ったのは、ほんの一時間足らず前のことだ。
 クザンとしては全力で拒否をしてもよかったのだが、誘いに来た『白ひげ海賊団』に目を瞬かせたナマエが了承してしまったのがクザンの敗因だった。
 今も、クザンの同行者は海賊達に取り囲まれたままで笑っている。
 楽しそうなナマエを少し後ろでクザンが眺めるのはいつものことだが、おい青雉! と白ひげ海賊団の誰かがクザンの下へとやってくるのは、少しばかりいつもと違う。
 彼らがクザンに向けるのはとてつもなく友好的な笑顔で、『元』とは言え海兵を前に海賊がそんな顔をしていいのかとクザンは思ったが、面倒だったので口にはしなかった。
 その代わりに、差し出されたタライの中の真水に軽く手をやって凍らせれば、タライまで凍りついたそれに、おお、とリーゼント頭のクルーが感嘆の声を上げる。

「便利だなァ、悪魔の実の能力ってのは!」

「そう?」

「おー! 夏島であんな目立つ状態になっただけのことはあるぜ!」

 にかりと笑う目の前のクルーには悪気が無いようだが、放たれた言葉に、はあ、とクザンの口からはもう一度ため息が落ちた。
 外気温を下げようと発動されたクザンの能力は、テント内からの死角にあった大岩を素晴らしく凍らせてしまっていた。
 言われて見れば遠目からでも目立つほどで、やってきたのが白ひげ海賊団ではなく賞金稼ぎや海軍だったなら、クザンとナマエは今頃また海の上で自転車に乗っていたことだろう。
 加減が難しいんだよね、と呟くクザンに、そんだけ強力じゃあな、なんて言いながらアイスピックを振りかざしたリーゼント頭が、ザクザクとタライの中の氷を砕く。
 それから取り出した大きな塊を手に持って、他のクルーの名前を呼びながらそちらへ向けて放り投げた。
 放物線を描いて飛んでいった氷のかけらが、月光でちかりと光って甲板に落ちる。
 それを見やり、今度はアイスピックを放り込んだ氷入りのタライごと誰かに放ったリーゼント頭は、慣れ慣れしくもクザンの横に座り込んだ。
 その手がスプーンを掴んで、どうやら持ってきたらしい氷入りの器を膝に乗せる。
 甘そうなシロップが掛かったそれは、いわゆるかき氷と言う奴だった。
 酒を飲むクルーとそうでないクルーに分かれている理由がクザンには全く分からないが、見渡す限り似たように氷を楽しんでいるクルーだらけだ。
 当然、彼らがその手に持っている氷を作り出したのは、氷結人間であるクザンである。
 海賊の為に能力を使うのなんて面倒な話だったが、頼む頼むと頼み込んでくるむさくるしい男達に詰め寄られるのも勘弁してほしく、かと言って船の人間を丸ごと氷漬けにすればすぐ傍らのただ一人に非難されることは分かりきっていた。
 何より『そんなに脅かさなくても、クザンさんならやってくれますよ』と信頼に満ちた言葉をすぐ傍で放たれて、それをクザンに裏切れる筈もない。
 冷えた酒を飲んでいるはずの不死鳥に『甘いねい』と笑われたが、全くもってその通りだ。

「あー、つめたくてうめー……おれ、今だけはお前のこと大好きだわ……」

「あららら、そりゃあ困っちゃうね」

 はー、とすぐそばで息を吐きながら寄越された言葉に、どうでもよさそうな声でクザンが応える。
 何だよおれの愛がいらないってのかとリーゼント頭は言うが、クザンがそれに返事するより早く、がたりと少し大きめの音が鳴った。
 なんだ、とクザンが傍らの海賊と一緒に視線を向けると、手元の器を落としたらしいナマエが、どうしてかとても驚いた顔でクザン達の方を向いている。

「だ、だめですよ!」

 それから慌てたように言葉を紡ぎつつ、空だった器を拾い直してクザンと海賊の方へと近寄った。
 更にはクザンとリーゼント頭の間に割り込んで、まるでクザンを背中に庇うようにしながら言葉を紡ぐ。

「この人すっごくだらしないんですよ、大好きとかそんなこと言ってたら人生を棒に振りますよ!?」

「…………そこまで言っちゃう?」

 酷くない、と呟くクザンに、俺は経験した先輩として言ってるんです、とナマエがクザンに背中を向けたままで言い放った。
 確かに逃亡生活を強いられてはいるが、やっぱりそこまで言うことないでしょうよ、と後ろから抗議しようとして、ナマエの言葉の意味を考えたクザンが、ん? と声を漏らす。
 人生を棒に振っているかどうかはともかくとして、今ナマエは何と言っただろうか。
 言葉の意味がおかしな方向にいっているような気がして首を傾げたクザンの向かいで、割り込んで来たナマエを見やったリーゼント頭が、どうしてかニヤニヤとした笑みを浮かべた。

「えー、そりゃ困るなァ、おれの一生はオヤジに捧げるって決めてんのに」

「それはそれでどうなんですか。自分の人生を誰かに押し付けるだなんて重たすぎるじゃないですか、そりゃあの船長さんならプレッシャーとかは感じないと思いますけど」

「なんでそこだけ真面目なのお前」

 クザンからは見えないが、また真顔で言っているんだろうナマエの向かいで、リーゼント頭が乗ってこなかった相手に少しつまらなそうな顔をする。
 騒ぐなよい暑苦しい、とクザンの後ろの方から不死鳥が抗議の声を零したところで、うお、と声を漏らした誰かがまたどこかで器を取り落とした音を出した。
 聞き覚えのあるそれにクザンが視線を向けると、先日の戦争の発端でもあるポートガス・D・エースが、もう怪我の見当たらないその体を丸めているところだった。
 恐らく氷を口いっぱい頬張ったのだろう、その両手でぐっと頭を抱えている。
 同じようにそちらを見たナマエが、エース、と慌てたようにその名前を呼んで、ぱっとクザンとリーゼント頭の傍を離れていった。

「大丈夫かエース、頭が痛いのか?」

 温いお茶を飲むか頭を冷やすかすれば治るらしいぞ、と何処かで聞きかじったらしい知識を披露するナマエの背中を眺めて、クザンが立てた膝に頬杖をつく。
 その顔には何とも言えない表情が浮かんでいて、横からクザンのそれを眺めたリーゼント頭が、それから少し体をずらしてクザンの体越しに向こう側の不死鳥を見やったのが分かった。

「何だこいつら、面白いな」

「面倒臭ェだけだよい」

 海賊二人がそんな会話を交わしていたが、口をはさむ労力を惜しんだクザンは、そのままぼんやりと火拳を世話するナマエの姿を眺めていた。




end


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