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自主的アイスノン
※変態主とクザンさん



 ナマエの体はうまくこの世界に適応できていないのか、季節の変わり目は風邪をひきやすい。
 仕事を休んで、熱を出し、ごほごほとせき込みながら、目の前の天井を睨み付けるのはお決まりのパターンだった。
 体が熱いし息がつらい、苦しい。
 そんな言葉が頭の中をぐるぐると回って、ぜい、とナマエの口が息を吐き出す。
 静かすぎる部屋には自分の咳の音以外には当然ながら何も無く、どうしようもない寂しさが満たされていた。
 ベッドわきの窓の外からは、見知らぬ子供たちが遊んでいるのだろう笑い声がかすかに聞こえていて、それがまたナマエの侘しさを倍増させる。
 この世界に、ナマエは一人きりだった。
 今さら過ぎる事実だ。
 ナマエは元々、この世界の人間では無かった。
 もう帰ることはできないだろう『元の世界』には家族も友人もいるが、この世界に彼らはいない。
 熱のせいでか泣きたくなって、ナマエはそっと目を閉じた。
 かぶっていた毛布を自分の頭まで引き上げて、静かな部屋から自分自身を遮断する。
 それでも堪え切れなかったものが目の端から伝って、ふ、と涙をはらんだ息を吐きながらその手でごしりと目元を擦った。
 何とも言えない気持ちを吐き出したくて、けれども泣き叫べばいいのかどうかすらも分からない。
 熱に茹った頭でただひたすらに日々のことを思い出していたら、そこに浮かんで消えなくなったのは、ナマエが海軍へ在籍するきっかけを作った男の顔だった。
 ナマエと同じ性別で、ナマエより年上で、だらだらと仕事をして、あの日ナマエを助けてくれた『ヒーロー』だ。
 彼がいるから、ナマエはもう帰れないだろうこの世界でも絶望することなく生きてこれた。

「……クザン、だいしょ、う」

 鼻の詰まったまま小さく言葉を紡いで、ほっとナマエが息を吐く。
 その目が毛布の中で見開かれたのは、はいはい、とどうでもよさそうな声が毛布の向こう側から聞こえたからだった。
 思わず毛布を跳ねのけて、ナマエの目が声の出所を確認する。
 確かに先ほどまで誰もいなかった筈のナマエの部屋には、どうしてか一人分の人影があった。
 青いシャツに白いベストを着込んで頭にアイマスクを装備したその人は、誰がどう見ても、海軍大将青雉だ。

「…………おがじい、幻覚が見える……」

「そりゃあ、よっぽど熱が高いんだろうね」

 呟いたナマエへ肩を竦めて、『幻覚』がナマエのそばに座り込む。
 カーペットは敷いているが、それほど柔らかくも無いだろうに、相手には気にした様子も無い。
 声も聞こえる、と呟く途中でごほごほと口を押さえてせき込んだナマエに、はいはい喋んないの、と優しげな声が落ちてきた。
 何とも都合のいい幻覚が目の前にあることに、ナマエは困惑する。
 どうにか咳が収まって、ちらりとその視線を向けたナマエを見返した青雉は、ごそりとその手が持ってきていた袋を漁り、中から取り出したものをベッドサイドのチェストに並べた。

「これ、スモーカーからのお土産ね。お大事に、だってさ」

 放たれた言葉に、ナマエは昨日、久しぶりにスモーカーに会ったことを思い出した。
 顔色が悪かったナマエに怪訝そうな顔をして、風邪だったら休め他に感染させるなと唸っていたスモーカーも、一応は心配をしてくれていたらしい。
 青雉が並べたそれらはどうやらゼリーであるらしく、中に果肉の入ったそれらが甘そうな色味のゼラチンに包まれていた。
 並べながらそれを確認した青雉が、うまそうじゃないの、と呟く。
 そうして、じっと様子を窺っているナマエを見やって、何その顔、と小さく笑った。

「ナマエが言ったんでしょうや。好きな時に来てくださいって」

 言いながら、その手が持っていた鍵を軽く揺らす。
 それはどう見てもナマエの部屋の鍵で、そういえば以前ナマエが青雉へ無理やり押し付けたものだった。
 使う機会は無いと思うよ、と呆れた顔をして言ったかの大将青雉は、けれどもちゃんと、捨てずにそれを持っていてくれたらしい。
 これが自分が見ているただの『幻覚』だったとしても嬉しすぎて堪らず、ぎゅう、とナマエの手が毛布を握りしめる。
 体調が万全であったなら今すぐ飛びかかっているところだが、残念ながら体が鉛のように重たくてそれすらもかなわない。

「もう昼飯も食ったわけね。薬は飲んだ?」

 ナマエがチェストへ放置した皿を見ながら寄越された問いかけに、咳をこらえてナマエは頷く。
 それじゃこのゼリーはまた後で食べなさいね、と優しく言いながらも、青雉には立ち上がる気配も無い。
 しばらくその姿を眺めて、揺らぎも消えもしない相手を見つめたナマエは、熱で潤んだ目で何度か瞬きをしてから、あの、と小さく声を絞り出した。
 かすれたその囁きをちゃんと拾ってくれたらしい青雉が、何、とそれへ返事をする。

「…………もじや……本物でずか……?」

 鼻声で問いかけたナマエに、青雉は少しばかり戸惑ったような顔をした。
 それからすぐにその表情に呆れをにじませて、軽くため息を零す。

「……なに、まだその話だったわけ?」

 呆れたような声が響いているが、そこはナマエが確認すべき重大な箇所である。
 さらに問いかけようとしてごほげほとせき込んだナマエの頭に、ひんやりとしたものが触れた。

「本物本物。ほら」

 額に触れているひんやりとしたその掌の持ち主が、面倒くさそうに言葉を紡いでいる。
 氷嚢も既に溶けてしまっていて、久しぶりに体に触れる冷たい物体に、ナマエの口から少しばかりのため息が漏れた。

「………………つべだい……」

「あらら、随分汗かいてんねェ」

 後で着替えるか、なんて優しげなことを言っている青雉は、どうやらその自己申告の通り『本物』であるらしい。
 一昨日からいつもの散歩に出ていて、まだ帰ってこない日程である筈なのに、と思うと少々不思議だが、そういえばナマエが休むと連絡を入れた時、一応連絡を入れておくと言われたような気がする。
 ただの風邪で休んでいるナマエをわざわざ見舞いに帰ってきてくれたのだと思えば、きゅうんと何かがナマエの胸を締め付けた。
 けれども、それと同時に自分が今『感染する』病気にかかっているのだと言うことを思い出し、毛布を手放した手がそっと青雉の腕に触れる。

「ぼんものだっだら、がえっでぐださ……」

「ん? 何で」

 まったく力の入らない手で青雉の掌を引き剥がそうとしながら呟いたナマエに、青雉は少しばかり不思議そうに首を傾げていた。
 その手に少しだけ遮られた視界でそれを見上げながら、うつしちゃうから、とどうにかナマエは言葉を紡ぐ。
 大将青雉が風邪などひいて寝込んだらナマエは万全の態勢で看病をするつもりではあるが、熱が出るのも咳をするのも寝込むのも苦しいしつらいことだと知っているのだ。
 そんな辛い目に遭わせたいわけがないし、何より自分が体に飼っている菌が自分より先に青雉の体に侵入するなど、目の前の男に恋している身としては何とも妬ましくて仕方ない。
 とぎれとぎれにそんなことまで口走ったナマエに、青雉がまたも呆れた顔をする。

「風邪ひいてもそういうのは変わんないのね」

 言いつつ、動いたもう片手がナマエの手を自分の腕から引き剥がし、やさしさに満ちた動きでそっとベッドに縫い止めた。

「まァ、そこまでやわじゃないし、大丈夫だって。ほら、病人は大人しく寝なさいや」

 そうしてそう言葉を落としてから、その手がそっとナマエから離れる。
 去っていった冷たい温もりに、あ、と思わずナマエの口からは残念そうな声が漏れた。
 それをきちんと聞いたらしい青雉が、少しめくれていた毛布を掛け直しながら、ん? と声を漏らして身を屈める。
 上背のある青雉は床に座ったところでそう変わりなく、その顔は殆ど真上からナマエのことを見下ろしていた。

「どうしたの。もっかい?」

 尋ねながら、返事も待たずに触れてきた氷結人間の手が、優しくナマエの額に触れる。
大きな掌は額だけでなく熱を持った頬やこめかみまで捕まえて、じわりとナマエの体を冷やした。
 快いそれに目を細めて、ナマエの頭が少しばかりその掌に擦りついて、その口がへらりと緩む。

「ん……きもちいー、です……」

「………………………………そ」

 心の底からの気持ちを吐き出して目を閉じたナマエの上で、どうしてか青雉が少しばかりの前を置いた後で言葉を落とした。
 結局そのまま寝入ってしまったナマエが、熱が下がって目を覚ました時、部屋にはもはや誰もいなかった。
 けれども、ベッドサイドのゼリーの群れが、あれが『幻覚』では無かったことをしっかりと伝えてくれたのだった。




end


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