愛の比重
「お菓子がないならいたずらします」
執務室へ入ってきたナマエの、第一声はそれだった。
執務椅子に座って、今こそ眠ろうと机に伏してアイマスクを下げるところだったクザンが、面倒くさそうな顔をしてそれを見やり、体を起こして仕方なさそうにその手を執務机の引き出しに向ける。
開いたそこから掴みだしたものをナマエへ向けて差し出すと、破かれた包みの端から少しばかりの甘いにおいが零れ落ちた。
「はい、どーぞ」
「…………持っているとは思わなかった……!」
差し出されたものを見やって、ナマエが衝撃を受けたように後ろへとよろめく。
自分が期待していたこたえが返されなかったことに対する驚愕すら浮かべている顔を見やって、封の開いたチョコレートを差し出したまま、逆の手で頬杖をついたクザンの口からはため息が漏れた。
「言われる気がしてたんだよねェ、今日はハロウィンだし?」
言い放ちつつ見つめたクザンの前には、ごまかし程度の仮装をしているつもりなのか、頭の上にかぼちゃのランタンのような顔を適当に描いた紙袋を乗せたナマエがいる。
ナマエと呼ばれるこの少しおかしな部下が、こういった行事を見逃さないということくらい、クザンには分かりきったことだった。
クリスマスもクザンの誕生日もそれ以外の祝日や行事も、なんだかんだと絡めてはクザンへと近寄ってくるのが彼なのだから、それはもう仕方ない。
クザンの言葉を聞いて、目を輝かせたナマエが両手を組んで顔を輝かせた。
「なんという洞察力! クザン大将素敵! 格好いい!」
「はいはい……」
語彙の少ないいつもの賛美に適当に返事をしながら、クザンの手がひらひらと板状のチョコレートを揺らす。
さっさと受け取りなさいや、とクザンが促すと、ありがとうございますと声を零したナマエが素直に両手でそれを受け取った。
自由になった手を降ろして、クザンは改めてナマエを見やる。
「まあ、おれの食べかけだけど」
包みが少し開かれていることに不思議そうな顔をしたナマエへ、そんな風にクザンは呟いた。
今日がハロウィンだと言うことを知ったのが、今朝、海軍本部へ足を踏み入れてからのことだったのだ。
執務室へ向かう通りがかりに立ち寄った売店で何となくチョコレートを購入して、歩きながら少しつまむと言う大将赤犬や元帥あたりが見かければ顔をしかめて注意してきそうなことをしながら執務室にたどり着いて、何となく見やったカレンダーの日付が『ハロウィン』だった。
売店でもオレンジ色のかぼちゃが目立った場所に飾られていた筈である。
しかしながら買い直すのも面倒で、途中で食べ飽きたそれをクザンは引き出しへ突っ込んだ。
そしてクザンの想定通り、開口一番でおかしなことを言い放ったナマエの手にそれはわたっている。
「それだってお菓子には違いないで……って、何してんの?」
半分ほど中身が無いことを非難される前にそう言葉を紡いだクザンは、目の前でおかしな行動を初めたナマエに、少しばかり怪訝そうな顔をした。
「え?」
おかしなことを聞かれた、と言いたげな顔をしてそんな声を漏らしたナマエの手には、どこに常備していたのか、透明な袋がある。
そしてその中に先ほどクザンが渡したチョコレートが包みごと放り込まれていて、しっかりとその口が縛られるところだった。
「……なんで密封してんの?」
「いや、保管しようと思いまして」
思わず呟いたクザンを前に、ナマエはあっさりとそう言い放つ。
まるで何も間違ったことなどしていない、と言いたげなその顔を見やって少し置いてから、クザンはやれやれとため息を落とした。
ナマエは元より言動のおかしな海兵だが、その収集癖はその『おかしさ』の中でも頭一つほど抜き出ている『おかしな』部分だ。
クザンが使ったものや持っているものを手に入れたがるのである。
それはインクの出が悪くなって新しいものを買おうかと考えていた執務用のペンであったり、クザンが使った食器であったり、ハンカチやネクタイであったりと様々だった。
奪われるがままであったならクザンもいい加減それをやめさせていただろうが、ナマエはそれらの代用品を置いていくので、今のところクザンがそれに対して言及したことは殆どない。
いつだったか、使い古しが高級な新品に変わるのだから注意するのも面倒だし別に構わないだろうと言った時、スモーカーがどうしようもないものを見る目でクザンを見ていたことを思い出す。
そしてどうやらそのナマエの『悪癖』は、今回、食べ物にまで及んでしまったらしい。
さすがに食べかけのチョコレートに代用品は必要ないが、密閉状態でそれを自宅のどこかに飾りかねないナマエに肩を竦めてから、頬杖をついたままのクザンの手がひらひらとナマエを手招く。
それを見て不思議そうな顔をしたナマエが、少し空いていた距離を一歩二歩と近づけて、綺麗に保たれているクザンの執務机の向かい側に佇んだ。
「クザン大将?」
どうかしましたか、と尋ねるその顔を見やってから、頬杖をやめたクザンの左手がすばやく動く。
「あああ!」
そうしてチョコレートの入った袋を奪い取られて、ナマエが悲鳴を上げた。
慌てて伸ばしてくるその手を避けて自分の下へそれを取り戻したクザンの手が、すでに口を堅く結ばれてしまった袋を横からびりりと破いた。
「な、何してるんですかクザン大将!」
「こんなの、保管したってどうしようもないでしょうが」
焦ったように声を上げ、机を迂回して傍らまで寄ってきたナマエへ言いながら、無事にチョコレートを取り出したクザンがちらりとナマエを見やる。
それを見つめ返したナマエが、どうやって取り出そうかとまごまごと手をもたつかせながら、だって、と子供のように言葉を放った。
「そ、それ、クザン大将のたべかけって……!」
「だから。開いてんだからさっさと食いなさいって」
言いつつ、クザンの手がびりびりとチョコレートの包みを破る。
ああそんな、もっと丁寧にっ! と悲鳴を上げるナマエを無視して中身を取り出したクザンは、その体に宿る悪魔のおかげで少しひんやりとした指先でチョコレートの残りを摘み上げ、それをそのままナマエの方へと向けた。
「ほら」
「え」
椅子に座ったままでも全く問題なく届くナマエの顔の前にチョコレートを運んだクザンへ、ナマエがぱちりと瞬きをする。
戸惑い顔をしたナマエに、チョコレートを持っていない手で改めて頬杖をついたクザンが、椅子の向きをナマエの方へと向けた。
正面からその顔を見やりながら、ほら、ともう一度言葉を紡ぐ。
「あーん」
優しく声を掛けてやれば、今度こそ、クザンの行動の理由をナマエは理解したらしい。
驚きに目を見開き、それからすぐさま赤くなっていくその顔を見上げて、クザンの口元に軽い笑みが浮かぶ。
クザンに対して好きだの愛しているだの結婚しようと無理難題を並べて、時にはクザンが呆れるほど大胆な発言すらする癖に、クザンのすぐ横に立つクザンの部下は、変なところで純情な反応を見せる。
それは大概が『クザンから』ナマエへ何かをしたときで、今のように顔を真っ赤にしてしまうと、ナマエはそれからしばらく身動きをとらないのだ。
おれが悪魔の実の能力者でよかったよね、などと呟きつつ、指先に冷気を集めてチョコレートが体温で溶けてしまったりしないようにしながら、頬杖をついたクザンはじっとナマエを見上げる。
「ナマエ?」
特別優しく声を掛けてやっても、ナマエは何の反応も寄越さない。
ぱくぱくと魚がやるように口を開閉させて、ぎしりと体を軋ませているナマエに、クザンの笑みはますます深くなった。
男同士で、クザンよりずいぶん年下で、不毛で馬鹿なことばかり言うナマエのそういう反応を見るのは、クザンにとっては小さな楽しみの一つだ。
だから彼を見やって、ひらひらと軽くチョコレートを揺らしながら、ナマエ? ともう一度その名前を呼ぶ。
「……〜〜ッ!」
ようやくいろいろなものを思い切ったらしいナマエが真っ赤な顔をしたままチョコレートに噛みついてきたのは、それから何分か経ってからのことだった。
口にチョコレートを頬張ったまま、結婚してくださいだなんて馬鹿なことを不明瞭に叫んで飛びかかってきた軽い体を、座ったままで身動きの取れなかったクザンは仕方なく受け止めてやった。
end
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