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これはもはや運命です
※記憶喪失ネタ注意?




 ナマエが頭をぶつけて意識不明となったのは、クザンが連れ出した海賊討伐の遠征でのことだった。
 とは言っても海賊からの攻撃を受けただとか言う海賊が哀れになるような事態では無く、それらを駆逐するべくふるわれた大将青雉の能力により凍った海水に足をとられ、無様に転んでしまったと言うだけのことだ。
 絶対零度で凍った海面は人が乗ってもびくともしないほどに堅く、ゆえにナマエの頭は何ともいい音をたてた。
 驚いてそれから笑ったクザンが、伏したままのナマエが気絶していると気付いて少しばかり慌てたのは先日の話である。
 けれどもその時の驚愕だって、今の比ではないだろう。

「ええと……それじゃその、貴方が俺の上司さん……なんですよね?」

 戸惑い交じりに言葉を零したクザンの目の前の青年は、誰がどう見てもナマエである筈なのに、まるで別人のような顔をしている。
 威圧感を与えるのだろう、上背のあるクザンを見上げるその目は少しばかりおどおどとしていて、打ち付けて少し出血していた額に張り付けられたガーゼが痛々しい。
 意識が混濁している様子だったナマエは、本部に戻って早々に入院することとなった。
 そしてクザンが病室に入った時、何ともタイミングよく目を覚ましたナマエは、クザンの名前どころか自分の名前すらも知らなかった。
 不思議そうに周囲を見回し、それから怯えたような顔をしてクザンに『自分の名前』を聞いて、教えられたそれを口の中でもごもごと反芻して、困ったような顔をしている。

「……頭をぶつけて記憶喪失だなんて、普通しないでしょうや」

「はァ……すみません」

 思わずうんざりと呟いたクザンに、ナマエがそっと頭を下げた。
 謝らなくていいけど、とそちらへ言葉を置いてから、クザンの手がナマエのベッドわきのチェストへ伸びて、小さな電伝虫に触れる。
 ナースコールとなっているそれの殻の上のスイッチを押してから、もう一度ちらりとベッドの上のナマエを見やった。
 クザンの視線を受け止めて、戸惑い顔のナマエが不思議そうに首を傾げる。
 こんなにも『普通』のナマエを見るのは、ボルサリーノの下からクザンの下へと配属し直されたあの時以来だ。
 あれはわけの分からない誤解をナマエがしていたからだが、このナマエはこの状態が『普通』のようだった。
 当然だ。記憶をなくしたナマエは、クザンへ抱いていた感情も何一つ忘れてしまっている。クザンが見舞いに来ていると気付いたらすぐさま喜ぶ顔を見せるだろうと思っていたが、クザンを知らないこの『ナマエ』がそんな顔をするはずもない。

「……とりあえず、医者に話聞くか」

 クザンには少し小さい椅子へ腰かけて告げたクザンに、ベッドに座ったままのナマエが『はい』と素直に頷いた。







 頭を打ったことによる記憶の混乱、というのが医者の診断だった。
 精密に検査をしたが脳に問題はないようなので、しばらく入院をして様子を見ましょう、と告げた彼に頷き、クザンはひとまずナマエの休暇を延ばすために本部へと足を向けた。
 扉を開いて執務室を眺めてから、あららら、とその口から声が漏れる。

「ひっでェ有様」

 呟くクザンの視界にあるのは、書類が山のように積まれた自分の執務机だ。
 急ぎの書類以外は放って行ったのだから当然だが、他の部署はクザンがわざとらしく遠征に行っている間にも当然仕事を片付けていたらしい。
 いつもなら、それらをある程度処理をしながら、ナマエが帰りを待っているはずだったのだ。
 けれども今度の遠征先が冬島の近海で、珍しい海洋生物が見られるらしいと言う話を聞いてきたナマエが『見たい』と口にしたから、まあ見学でもしてなさいや、とクザンは彼を遠征に連れ出した。
 今になって思えば、そんなことをしなければ良かったのだと思う。
 ナマエは首を横に振ったのだ。自分は戦えないのだから遠征に行っても仕方がないし仕事がたまるからと、彼は確かにそう言っていた。
 変なところで遠慮をするナマエに、いいじゃないのおれが守ってあげるから、とクザンが言った。
 だと言うのに、この体たらくである。

「……はあ」

 思わずため息を零してから、クザンは執務室へと足を踏み込んだ。
 書類の山を倒さぬよう慎重に執務机の引き出しを開いて、中から必要な書類を取り出す。
 閉じるのが面倒だったので引き出しもそのままに、机の端に置きっぱなしだった印鑑で許可印を押して、それから内容を適当に書き込み、一枚の書類を作成したクザンはそのまま執務室を出た。
 来た道を戻りながら書類を提出して、病院へと戻るために足を動かす。
 ナマエの顔を見て、必要なものを確認してから、それを差し入れてやろうと思ったからだ。
 しかしその歩みは、病室の手前でぴたりと止まった。

「ナマエ、もう、全部忘れちゃうなんてヒナ憤慨!」

「す、すみません」

「謝らないでちょうだい。ほら、着替えはこれでいいのかしら」

 病室から聞こえてきたその声は、間違いなくナマエと、その友人らしいヒナのものだ。
 ナマエがこの病院へ入院したのは昨日のことで、ある程度のあらましはすでにクザンが報告してあったため、話が伝わったらしい。
 個室だからか遠慮なく何かを話している二人の様子に、歩みを止めたクザンが軽く頭を掻く。
 ナマエがどうやって彼女と知り合い親交を深めているのかは知らないが、仲が良いことはクザンも知っていた。クザンもよく知るスモーカーとヒナは、ナマエのよき飲み仲間であるらしい。
 怪我をして入院までしていると聞けば、見舞いに来る程度には親交があると言うことだろう。

「……さて、行くか」

 小さく呟いて、クザンはそのまま踵を返した。
 聞こえた会話の限りでは、ヒナがナマエの世話を焼いているらしい。ならば、クザンがナマエの下を訪れる理由は無い。
 クザンに馬鹿げた言葉を吐き続けていたナマエは、今はそのことを忘れている。それならば、もしもあのヒナという彼女が『そういった』意味でナマエを好きだったなら、とまで考えれば、二人きりにしてやることの方が正解であるような気がした。
 ナマエはクザンより年下で、同性で、これから『先』がいくらだって用意されているべき青年だった。
 怪我をさせてしまったのは頂けないが、もしかすると、これはある意味では好機だったのかもしれない。
 後で、ナマエのあの『病』のことは部下達も含めて口止めしておこう。
 そんな風に考えながら吐いた息が通路わきの窓ガラスの一枚を軽く凍らせて、クザンは慌ててそのままその場を後にした。







 クザンがナマエの病室を訪れたのは、結局、様子を見ることになっての入院手続きが行われてから一週間後のことだった。
 その日だって別にクザンには病院を訪れるつもりも無かったのだが、珍しく本部に顔を出したスモーカーが、何とも言えない顔でクザンの執務室を訪れて、会いに行かないんですかと唸ったのだ。
 何となく散歩に出かける気にもなれず、しばらくナマエのサポートを受けてこなしてきていた仕事を一人で行うと言う真面目な勤務態度をとっていたと言うのに、どうにもどこかからかクザンの様子に対しての直訴が出たらしい。
 以前の反省を踏まえて、能力が外に出ないよう気を配っていただけに心外だが、スモーカーが買ったらしい見舞いの品まで押し付けられてしまったクザンは、仕方なくそのままナマエの下へ向かう格好となった。

「あ、こんにちは」

「ん。元気そうだね」

 訪れたクザンを前に、へらりと笑ったナマエは相変わらずベッドの上の住人だった。
 すでに額のガーゼは取れているが、小さなかさぶたが出来ている。
 痒そうだねとそれを見やったクザンが言うと、掻かないように気を付けています、とナマエはとてもまじめな顔で答えた。
 その手が何やらペンを持っていて、手元に白い紙の束がある。

「……何してるの、それ?」

 尋ねつつスモーカーから預かってきたものをベッドサイドの子電伝虫に並べて、相変わらず少しサイズの小さい椅子に座ったクザンが見やると、ナマエはきりっと目を光らせてその手のペンを握りしめた。

「ちょっと、おうかがいしたいことがあって」

「何を?」

「『俺』のこと、教えてください」

 そのままの状態で尋ねられた言葉に、ぱちりとクザンが瞬きをする。
 それを見つめ返しながら、クザンさんに聞けって言われました、とナマエが言葉を紡いだ。

「ヒナさんにもスモーカーさんにも……あ、あとボルサリーノ大将さんにも聞いたんですけど、一番知ってるのはクザンさんだろうって」

 そう言われたので、と言葉を寄越されて、クザンは軽く頭を掻く。

「……何か聞いた?」

「え? いえ、これから聞きます」

 尋ねたクザンを前にナマエは不思議そうであるので、どうやらクザンがしいた緘口令は守られてはいるらしい。
 他の誰にも言わせないなら自分から言えばいいと、どうやら『誰か』が画策したようだ。
 そう判断して、脳裏に同僚の顔を浮かべたクザンは、はァ、とわずかにため息を零した。

「……いいよ、ほら、何が聞きたいの」

 そうしてそう言葉を零せば、ありがとうございます、とナマエが顔を綻ばせる。
 嬉しげなそれはクザンが遠征や散歩から帰って来た時に見せるそれによく似ていて、まだ一週間程度しか間が空いていないのに、随分と懐かしいような気がした。
 そんなことを考えていたクザンの体がすこしばかり強張ったのは、ナマエが最初の質問をしたからだ。

「俺は移民らしいんですが、どこからここに来たんですか?」

 にこにこと笑って、答えを貰えると信用しきった顔のままの問いかけに、クザンはぱちりと瞬きをする。
 問われても、クザンはその答えを知らなかった。
 ナマエは、海賊に襲われていたところをクザンが助けた人間だった。
 グランドラインに生きる人間にしては無防備で、あまりにも頼りない背中と体つきをしていた。
 助けたクザン相手に『恋に落ちました!』と馬鹿みたいな宣言をして、そのままマリンフォードへ移民として受け入れられ、海軍へと入隊してクザンの近くに収まった。

「……『遠く』からっては、聞いてるけど」

 一度だけ聞いたそれを答えとして吐き出すと、そうなんですか? とナマエが首を傾げた。
 その顔に少しだけ失望が浮かんで、それを見たクザンの顔も少しだけ暗くなる。
 ナマエのペンは動かないまま、ええと、と声を漏らした彼がさらに問いかけを零した。

「それじゃ、俺の親の名前とかはご存知ですか?」

「残念だけど、知らないねェ」

「えっと……それじゃあ、他に家族のこととか」

 重なっていく問いかけに、クザンはただ首を横に振る。
 そうして返事をしながら、自分は目の前に座る彼のことをそれほど知らなかったのだと、今さらになって気が付いた。
 クザンの知っている『ナマエ』は、クザンに馬鹿げた愛を叫んで纏わりつくその姿だけだ。
 スモーカーやヒナなどの友人と共に過ごしているところも殆ど見たことが無いし、今ナマエが訊ねてきたような話を話題にしたことも無い。
 思えば、ナマエは自分のことを話さない青年だった。
 話したくない過去など誰にだってあるだろうが、ナマエもそうだったのだろうか。
 記憶をなくしたナマエを見つめていても答えなど出てこない疑問を抱いたクザンの前で、結局役に立つ回答を得られなかったナマエが、少しばかり困った顔をする。
 さらにええと、と声を漏らしてから、その口が次なる問いかけをした。

「そ、それじゃ、俺が働いているのはどこですか!」

「……そりゃ、海軍だけど?」

 唐突に寄越された、わかりきった問いかけに、クザンが首を傾げる。
 その名前と所属は、クザンが目覚めたばかりの彼に与えた最初の情報だ。二人の関係性を話すうえで必要なものだったのだから当然だろう。
 寄越された答えに、そうですよね、と照れたように笑ったナマエが、手元のペンで広げたままの紙束に文字を書く。
 どうしてかそれは時々センゴクが書初めしている『文字』で、そんなの書けたの、としげしげ眺めたクザンを前に、ほっとしたような息がナマエから放たれた。

「すみませんでした、クザンさん。変なことたくさん聞いて」

「いや、別に……こっちこそ、答えらんなくて悪ィね」

 寄越された謝罪にクザンが肩を竦めれば、いいんです、と呟いたナマエがそっとペンを置いた。

「俺のことは、俺が思い出せばいいだけの話ですから。そんな顔しないでください」

 困ったように笑いながら言われて、ん? とクザンは声を漏らした。
 そんな顔、という言葉に自分の表情を確認しようと周囲を見回してみるものの、ナマエの病室には鏡が見当たらない。
 少し探して諦めて、軽く右手で顔の半分を隠してから、クザンの目がちらりとナマエを見やった。

「……どんな顔してた?」

「え? えーっと、なんていうか、困った顔っていうか」

 尋ねられるとは思わなかったのか、ぱちりと目を瞬かせたナマエが、呟きながら頭を掻く。
 困らせるつもりなんて無かったんです、と続いた気遣わしげな言葉に、クザンは少しばかり目を細めた。

「……ナマエは、ほんと……」

 自分の一大事だと言うのに、人の顔を見て気遣おうとするだなんて聞いたことも無い。
 いっそ何も知らなかったクザンを詰ったって許されるだろうに、それをしないナマエを前にわずかに口元が緩んで、口元から外れたその手が先ほどチェストに置いた見舞い品へと伸びた。
 紙袋に入った中身は、どうやらスモーカーが本部へ戻りがてら購入してきた菓子類であるらしい。
 珍しい種類のくじらの絵が描かれた包みに、そういや遠征先でも大喜びしてたな、なんてことを考えながら一つつかみ出して、クザンの視線がベッドの上の住人へと向けられる。

「……………………どうしたの」

 思わずそこで問いかけてしまったのは、何故かベッドの上のナマエがクザンから顔も体も逸らしてしまっていたからだった。
 耳が赤くなっているので、どうやら赤面しているらしい、ということは分かる。
 分かるが、一体何がどうしてそうなっているのだろうか。

「ナマエ?」

 尋ねつつ椅子から腰を浮かせたクザンが片手をベッドにつくと、ナマエの体格とはまるで違うその体重を支えたベッドがわずかに軋んだ。
 顔を覗きこもうとするクザンから逃げるように体を逸らしたナマエが、どうにもならないと判断したのか、ぐるんと迎え撃つようにクザンを見やる。
 その双眸はクザンを睨み付けているが、顔が赤く染まっているせいで全く迫力が無い。
 近くになったその顔から距離をとるように体を起こして、どうしたの、と再びクザンが尋ねる。
 それを聞いて、一度深呼吸をしたナマエが、ぐっとその手で拳を握った。
 よく分からない既視感に、クザンはぱちりと瞬きをする。
 こんなに真剣な顔になったナマエを、クザンはどこかで見たことがある気がした。

「…………その、クザンさん」

 そっと言葉を吐きだしたナマエが、もう一度息を吸い込み、ついでにごくりと喉を鳴らしてから、震える声で言葉を続ける。

「俺が、貴方を好きだって言ったら困りますか」

 囁くようなその言葉に、ああ、とクザンは思い出した。
 クザンがナマエと初めて出会ったあの日、馬鹿げたことに『恋に落ちました』と宣言してきたあの時のナマエも、今と似たような顔をしていた。
 困りますか、と聞いてきたのも同じだ。
 あの時は確か、混乱しているのだろうと思ったクザンは『別に構わないけど』と答えたのだ。
 それから、ナマエは会うたびクザンに愛を囁いて、馬鹿みたいな発言ばかり繰り返すようになった。
 記憶をなくしたナマエは、哀れにも過去の自分と同じ轍を踏もうとしているらしい。
 そう把握して、クザンの口からはわずかにため息が漏れる。
 クザンを見つめるナマエの瞳は真剣で、冗談の類では無いことを主張していた。
 ナマエはクザンより年下で、同性で、これから『先』がいくらだって用意されているべき青年だった。
 記憶を無くしている間のことをどのように覚えているのかは分からないが、選択肢は用意してやるべきだ。
 だから、ここでクザンが応えるべき言葉は決まっている。
 決まっているはずだ。

「……別に、構わないけど?」

 だと言うのに、あの日と同じ言葉を紡いでしまったのは、一体何故なのか。
 理解することを放棄したクザンの前で、ナマエがとても嬉しそうな顔をする。
 輝かんばかりの笑顔で『好きです!』と声を上げた彼の台詞を久しぶりに聞きながら、はいはい、とクザンは受け流すような適当な返事をした。



 ナマエが『元』に戻ったのはその日の夜のことで、結局彼は、記憶をなくしている間のことは全く覚えていなかった。



end


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