火のない所に煙は立たぬ?
※戦争編以前
※主人公が体だけ退行につき注意
※いい加減ベガパンクごめん
目の前の事態に、青雉はぱちりと瞬きをした。
いつものように自転車で海を渡るという警邏を行って、そろそろ戻るかとマリンフォードへ帰ってきたのはつい先ほどの出来事だ。
運よく誰にも出会わず、たどり着いたこの部屋は確かに青雉の執務室である筈だった。
だというのに青雉が戸惑い顔で入り口に佇んでいるのは、室内に見慣れない子供が一人いるからだ。
来客用のローテーブルには所狭しと資料が広げられて、いくつかの種類ごとに分けたそれを持ち上げて運んでいるその子供は、どう見ても十歳にも満たない風貌をしていた。
青雉に会わせて作らせた執務机は子供の背より高さがあるせいで、書類を運んでいる彼は一生懸命伸びをしながら資料を運搬している。
町中で見かけるような真新しい子供服を着込んで、その頭に少しサイズの大きい海兵の帽子をかぶった子供は、書類をよいしょと執務机の上に乗せたところでその頭からぽとりと後ろへ帽子を落とし、慌てたようにそれを拾おうと身をひるがえした。
そうして拾い上げたそれを持ちながら立ち上がったところで、ようやく青雉に気が付いて、その目が青雉を見上げる。
ぱちりと大きな目に瞬きをされて、青雉は軽く首を傾げた。
「あららら…………誰?」
問いながら、どこかで見たことのある顔だ、とも判断する。
どこでだったか、と思えばすぐに答えは出たと言うのに、関係を尋ねようにも青雉が脳裏に浮かべたその人物は室内には見当たらなかった。
いつもならまだ執務室にいて、帰ってきた青雉を出迎える時間帯であるにも関わらずだ。
どこかに書類でも届けに行っているのか、とまで考えた青雉の足元へ、とてとてと子供が駆け寄ってくる。
「おかえりなさい、クザンたいしょー!」
そうして高い声で言いながらどしりと足へしがみ付れて、青雉はおや、と片眉を動かした。
青雉が『散歩』や『警邏』や『巡回』から戻るたびに聞くような台詞を放った子供を見下ろせば、見ず知らずの大人に抱き付いているはずの子供は、にこにこととても嬉しそうに笑っている。
その表情を確認して、まさか、と思いながらも、常識の通用しない海を知っている青雉はとりあえず口を動かした。
「…………ナマエ?」
「わかってくれたたいしょーかっこいい!」
呼びかけに答えるように、子供がさらに嬉しそうな顔をする。
ぎゅうぎゅうと細い腕で青雉の足に抱き着いて、すてきだいすきけっこんしてくださいといつもの言葉を放つナマエに、青雉は改めて首を傾げた。
ナマエというのは、青雉がいつもこの部屋へ置いていく、青雉の部下だった。
海賊に襲われていた一般人で、不毛にも同じ性別である青雉に一目惚れをして、あらゆる手段を使って青雉のそばにいようとした彼は、しかし確か成人男性であった筈である。
どう見ても十歳に満たない子供を見下ろした青雉は、やや置いてからそっと口を動かす。
「…………あー……とりあえず、説明してくれる?」
「はい!」
にっこり笑った子供の口からは、何ともはきはきとした返事が寄越された。
※
時折挟まれる愛の告白をすべて差し引いてナマエの話を要約すると、つまりナマエは資料を届けに行った先でベガパンクの実験に巻き込まれてしまったらしい、というのがその姿の原因だった。
それはちょうど青雉が本部から離れた昨日のことで、すでに身体的な異常はないことも検査済みであるらしい。
「何それ、おれ連絡受けてねェんだけど」
「あ、おれが、たいしょーにごれんらくしなくてもだいじょーぶですっていいました」
部下のそんな事態を知らされてもいなかった青雉が言葉を放てば、ナマエはあっさりとそんな風に言葉を返す。
何勝手なこと言ってんのとため息を吐いてから、ソファに座った青雉はその視線をローテーブルの上の書類を掴んでいるナマエへ向けた。
「それで、いつもとに戻るって?」
「もーじき、げどくざいがかんせいするそうです」
青雉へそう返事をしながら、ナマエはせっせと書類を選り分けている。
本部を離れる前、青雉はそれなりに急ぎのものだけは決裁をしていったが、それ以外は放置していったので、その分の書類が溜まっているらしい。
体が大きい時と大して変わらぬ軽やかな仕分け作業を眺めながら、青雉は自分の膝を使って頬杖をついた。
「そんな状態の時くらい、休めばいいじゃないの」
「だいじょーぶですよ! クザンたいしょー、こっちにハンコください」
青雉相手にそう返事をしてから、ナマエがずいと最後の一山を青雉へ向けて差し出す。
それを受けて、空いた手で資料を受け取った青雉は、ぱらりとその中身をめくった。
必要事項がきちんと記入されているかを確認してから、先ほど机の上から運んできた承認印を角の枠に押す。
速乾の朱肉が渇いたのを確認してから青雉の手が書類を向かいへ差し戻すと、受け取ったナマエはとんとんとその書類の束を整えた。
少し俯いたからか、その頭の上の海兵帽子がずるりとずれて、小さな手がそれを慌てて直す。
じいっとその様子を青雉が眺めていると、やや置いて視線に気付いたらしいナマエが、書類をローテーブルに置いてから顔を上げた。
「たいしょー?」
どうしたのか、と問いかけてくるその両目を見つめ返して、頬杖をついたままの青雉が呟く。
「……その帽子、なんか見覚えがある気がするんだけど」
言葉を紡ぐと、え? と戸惑った顔をしたナマエは、その両手で自分の頭の上の帽子に触れた。
これですか、と尋ねられて、そうそれ、と青雉が頷く。
その視線を帽子に向けながら、鍔の端についた焦げ跡にやはり見覚えがあると判断した青雉の前で、不思議そうにしながらナマエは答えた。
「さすがに、きょじんぞくだってはたらけるかいぐんにも、こどもようのせいふくはなくって。おまえがしふくでほんぶのなかをうろちょろするなとおこられて……あ」
「ふうん」
ナマエが紡ぐ言葉を聞きながら、伸ばされた青雉の手がひょいとナマエの頭の上から海兵帽子を奪い取る。
町中で売られている『子供向け』のものとは違う、きちんとした制帽であることが示されているその内側を見下ろしてから、やっぱり、と青雉は呟いた。
「これ、サカズキのじゃない」
サイズはもとより、その鍔の端についた焦げ跡は、前にマグマ化を解ききれていなかった時に帽子に触ってしまったサカズキがつけたもので間違いない。
特注で任せているらしいその制帽には裏に『大将サカズキ』のものであることを示す印まであって、青雉の眉間にほんの少しのしわが寄った。
帽子の無くなった頭で、少し乱れた髪をてぐしで直しながら、ナマエが頷く。
「せめてかぶってろっていわれて、おかりしました。じたくにならしきゅうひんあるんで、あしたにはおかえしするよていなんですけど」
言葉を放ちながら青雉の方へと手を差し出してくるナマエへ、そ、と返事を落としてから、青雉の手がぽいと自分の側にその帽子を放る。
くるりと少し回った帽子はそのままぽとりとソファの上へと落下して、背もたれにもたれるようにしながら裏返った。
「あれ? たいしょー?」
「今日はもう仕事終わりにしなさいや」
後でおれから返しとくから、と言われて、不思議そうにしながらもナマエがありがとうございますと礼を言う。
小さな彼は、そうしていると本当にただの子供のようだった。
今の自分の姿に不安は無いのだろうかと青雉は思ったが、すでにその姿のままで一日は経過しているのだと言う事実を思い出して、口にするのはやめておく。
不安に思うだとか、戸惑うだとか、そういった反応は恐らく昨日のうちに終わらせてしまったに違いない。
そう思うと、本部を離れてしまっていたのが少し残念なことであるような気がした。
「その服、どうしたの?」
「あ、これはつるちゅーじょーがくださいました」
かってきてくれたそうです、と言われて、それじゃあそっちにも後で礼を言っとかなけりゃなあ、と青雉は呟く。
不思議そうな顔で自分を見つめるナマエへ視線を向けてから、頬杖をやめた青雉がのそりと立ち上がった。
元の姿の時でも随分と身長差があったと言うのに、今のナマエでは殆ど真上を見上げるようにしなくては立ち上がった青雉を見上げることができない。
今にも後ろにひっくり返りそうな格好で見上げてくるナマエを見下ろして、そっと身を屈めた青雉がローテーブルを運んで向かいに座るナマエの服を捕まえた。
「よっと」
「わ」
そのままぐいと上へ引っ張れば、驚いた声を漏らしたナマエが、両手で自分の襟を掴む。
呼吸を確保したまま丈夫な服によって宙吊りにされたナマエは、ますます不思議そうな視線を青雉に向けていた。
「あの、たいしょー?」
どうしたんですか、と尋ねてくるナマエの視線を見返してから、別になんでもないけど? と青雉は答える。
ひょうひょうとしたその顔を見てから、首を傾げたナマエは、おずおずとその口を動かした。
「あの……もちあげてくださるなら、こう、そのままだっこしてくれたほうがうれしいしたのしいしすきです」
「しがみ付いたら離れそうにないじゃないの。面倒くさい」
「なぜきづかれた……!」
欲望に忠実なナマエへ青雉が言い返せば、ナマエがどうしてか衝撃を受けたような顔をする。
分かりやすいんだよとそれへ向けて言ってやりながら、青雉はぷらりと足を揺らすナマエを持ち上げたままで歩き出した。
そのつま先が執務室に唯一ある扉の方へ向かっていると気付いて、ナマエの目がぱちぱちと瞬きをする。
「ちっと散歩に行くから、おれに付き合いなさいや」
「おさんぽですか?」
言葉を放った青雉へ、さっき帰ってきたばかりなのに、と不思議そうにしながらもナマエはこくりとすぐさま頷いた。
嬉しそうに笑っているその様子は、見た目も相まって本当に子供のようだ。
無邪気にすら見えるその顔を見やって、アイスでも食いに行こうか、と青雉は囁く。
建物を出るということなのだが、ナマエはそれに反対することなく、はいと大きくもう一度頷いた。
素直な子供のようなナマエを持ち上げたまま執務室を出て、青雉の足はそのまま外へ出られる方向へと向けられた。
てくてくと足を動かしながら、何味がいいかと尋ねた青雉に、チョコがいいです、と高い声が可愛らしい言葉を口にする。
「あ、でもクザンたいしょーはバニラたべてください」
「ん? なんで」
「そしてあわよくばこぼしてください」
「やだよ」
見た目を裏切る発言を寄越したナマエにあきれ顔をしながら、青雉はあっさりと彼の言葉を却下した。
一生懸命チョコアイスを食べる少年を見守る大将青雉が町中で目撃され、隠し子がいたらしいとひっそり噂が立ったのは、その日の夜のことである。
end
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