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突発リクエスト1


『クザン大将! 俺と結婚してください!』

『悪いけど、男の子はお断りだから』

『じゃあ婿に来てください!』

『同じこと言わせて楽しい?』

『分かりました、俺が嫁に行きます!』

『人の話は聞きなさいよ』

 にこにこ笑ってそんなばかげたことを言うナマエをあしらうのが、少し前までの青雉の日課だった。
 海賊に襲われていた一般人であるナマエを助けたのは青雉だ。
 そしてどうしてか、ナマエは青雉と同じ性別でありながら、青雉に一目惚れをしたらしい。
 それでも、どうせそんなものは一過性なのだろうと放っておいたのに、気付けばナマエは海軍に入隊していて、そして気付けば青雉の部下へ配置されていた。
 元帥の命令ともなれば受けないわけにはいかない。
 一体どんな手を回したのか分からないが、とにかく、迫ってくるナマエをあしらうのが、青雉の日課だったのだ。
 それが最近では必要無くなったのは、ナマエが青雉の部下から任を解かれて黄猿のところへ配置され直したからだ。
 ナマエが来る前と大して変わっていないのに、がらんとして見える執務室で、青雉はペンを軽く揺らした。
 いなくなって初めて気付くのは、ナマエが青雉のやりやすいように書類を片付けてくれていたという事実だった。
 期日の順に並んで、分類されて、ちょっと目を通してサインするまでに整えられていた書類の山が、今となっては懐かしい。
 自分の仕事もあっただろうし、その処理量を思うと青雉であったら自転車で逃げ出したくなるような物だったろうに、ナマエはいつだって笑顔だった。
 にこにこと笑って、どれだけ青雉が手ひどくあしらっても何をされても喜んで、クザン大将、と青雉を呼んでいた。

「…………はァ」

 ぼんやりと息を吐いて、青雉の手がぽいとペンを放る。
 何だかもうやる気が出ない。
 最近、仕事を頑張りすぎていた気もする。
 どうして頑張っていたんだったかと考えながら、青雉はちらりと執務室を眺めた。
 少し前だったら、『お疲れ様です肩でも揉みましょうか!』と言いながらあわよくばあちこちを触ろうと飛び掛ってくるだろう部下の姿は、今は無い。
 もう部下ではないのだから当然なのに、何だか酷い違和感を感じて、青雉はふいと室内から外へと目を逸らした。
 窓の外は、随分といい天気だ。
 昼寝をするには最適だろうと考えてしまったら、青雉はもう室内に留まっていることは出来なかった。







 ナマエはとぼとぼと足を動かしていた。
 その両腕に抱えた書類は、これから黄猿の元へと運ぶべき報告書だ。
 ナマエへそれを取りに行くよう告げた黄猿は移動時間すら指定して来ていて、書類を運びながらちらりと腕の時計を確認したナマエは、予定より少し早く済ませそうだと気付いてほっと息を吐いた。
 ナマエは勤務時間をきっかりと管理されていた。
 何故なら、青雉に会いに行かないようにさせるためだ。
 最初は誤魔化していたナマエの上司が先日漏らした話によれば、青雉の少し前のサボり癖の悪化の要因は、ナマエであるらしい。
 青雉がナマエから離れるために仕事を放り出していたのだと教えられた時の衝撃は、計り知れないものだった。
 そこまで嫌がられているとは思っていなかったのだ。
 ナマエは青雉が好きだった。
 助けてくれたときの格好良さも、普段のゆるさも、優しさも仕草も見た目も、つまりは全部が好きだった。
 男同士だというのにきっぱりと自分の思いを告げてアタックしていたナマエを、青雉はあしらっていたけれども、厳しく拒否したりはしていなかったはずだ。
 そうは思うけれども、ナマエと一緒にいる時間を減らそうという努力をしていたということは、もしかしたら厳しく対応することすら面倒だったのかもしれない。
 何せ、ナマエの思い人は面倒くさがりだった。
 よくあちこちで昼寝をしていたし、それを見かけては起きるまで待つのがナマエは好きだった。
 けれど、それもこれも全部が嫌がられていたんだとしたら、と考えると、さすがのナマエも黄猿の監視から逃れようと言う気にはなれない。
 むしろ、上司からの制限は好都合だった。
 どれだけ会いたいと喚いて見せたって、会いに行かない理由に出来る。
 ナマエは青雉が好きだ。
 だから、実は嫌われていたんだという事実を突きつけられてしまったら、ショックで立ち直れないかもしれない。
 そのまま海軍を辞めて、青雉から貰ったり勝手に失敬したりしたアレコレに囲まれながら、自分が消えて無くなるまで自室に引きこもりたくなるだろうことは自覚している。
 遠目から眺めるくらいはしたいけれども、最後通牒を寄越されるのは嫌だ。
 わがままな自分に苦笑いしながら足を動かしていたナマエは、ふと視界の端に過ぎったものに気付いてぴたりとその動きを止めた。
 ぎしりと体を軋ませながら、恐る恐る今見えたものを確認するために顔を動かす。
 通路と通路の間に出来た中庭の一角に、見間違えるはずの無い長身が横たわっている。

「…………クザン、大将……」

 どうやら昼寝中らしい青雉は、いつものようにアイマスクをつけていた。
 遠目で眺めたいと思った丁度そのときに見ることが出来るなんて、なんと言う幸運だろうか。
 ナマエは一人ガッツポーズをして、片手を動かしたことで落としかけた書類を慌てて抱え直した。汚してしまったら、黄猿から何を言われるか分からない。
 そうして、通路の端から寝転んでいる青雉を観察する。
 よほど眠りが深いのか、青雉はただぐうぐうと寝息を零しているだけで、寝返りの一つも打たなかった。
 あれほど眠り込んでいると、目を覚ますまではしばらく掛かる。
 少し眺めただけでそれを理解したナマエは、それからきょろりと周囲を見回した。
 本部の外れの通路には、ナマエ以外には誰もいない。
 元々人通りの少ない一角だ。だから青雉も、こんなところで昼寝をしているのだろう。
 少しばかり考えてから、ナマエの足がそっと中庭へと踏み出される。
 遠目から眺めるだけでいいと思った筈なのに、いざ見れば近付きたくなってしまう。恋する人間は欲深いのだとナマエが自覚したのは、この世界で青雉に出会ってからだ。
 恐る恐る、できる限り足音を消して近付いて、ナマエは寝転ぶ青雉の傍に屈みこんだ。
 青雉は近付いてきたナマエに気付くことなく、未だ寝息を零している。
 傍らに屈みこんで、眠っている青雉を眺めるのも、ナマエは好きだった。
 そうして目を覚ました青雉がアイマスクを持ち上げたら、おはようございますの挨拶と共に告白をするのだ。
 好きですと告げるナマエを見上げた青雉は、毎回少し呆れたような顔をする。そんな表情の変化を見ることも、ナマエは好きだった。
 けれども、そのときも実は本気で嫌がっていて嫌悪を感じていたんだとすれば、もはや同じように出来るはずもない。
 寝息を零す青雉を見下ろしていたナマエの手元で、ふわりと吹いた風で書類がかさりと音を立てる。
 ナマエの手が書類を持ち直して、屈んでいた体勢から立ち上がった。
 そうだ。ナマエは今仕事中だった。
 時間を計っているだろう黄猿の元へ、時間内に手元の書類を届けなくてはいけない。
 ちらりと見やった腕時計から、余裕がなくなりそうだと判断して、ナマエはもう一度青雉を見下ろした。
 クザン大将、と呼びかけそうになった口は、気持ちよさそうに眠る青雉を前にして閉ざされる。
 前だったら用事も無いのに起こしたりは絶対にしないが、いっそこの無防備な胸元に飛び込んで起こしてやりたい。
 驚いた顔が見たい。その目でこっちを見て、前のように呆れた声で名前を呼んで欲しい。ぽいと横に放るように退かされたって構わない。
 そうは思っても、もしも青雉が自分を嫌っているのだとしたら、とまで考えれば、行動に移すことなど出来なかった。
 ナマエは青雉が好きだ。
 だから、無理なのだ。
 ぐっと口を真横に引き結んで、更に数秒青雉を眺めたナマエは、それから何かを振り切るようにきびすを返す。 



 そうしてそのままその場を立ち去ったナマエは、自分が去った後、青雉がぴたりと寝息を止めて起き上がったことも。

「…………部下辞めたら、待ってもないわけか。別にいいけど」

 アイマスクを押し上げながらそんな風に呟いて不機嫌そうな顔をしたことも、全く知らなかったのだった。




end


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