仮面の下
※『仮面』シリーズの二人
※いちゃいちゃ
※がっつりと名無しオリキャラ注意
『……え! 大将、ナマエを略奪したんですか!?』
ナマエとクザンの顛末を聞いての開口一番、我が同僚殿は信じられないものを見る目でクザンを見やった。
あららら、と声を零した上司に詰め寄って、ばしん、とその手が机を叩く。
『人のものに! 手を出すのは! とてもいけないことなんですよ!』
いくら結婚していないからって婚約していたら結婚していたも同然なんですよと、不実を詰る同僚の言葉が、ナマエの耳を痛ませる。
どうにか大将青雉の前から引き離し、更に詳しく事情を説明したところで、何だそれ、と唸った彼は、ナマエへとても不審なものを見る目を向けた。
『ナマエ、お前、面倒くさいな……』
ぽつりと呟かれた言葉に、返す言葉も無い、とナマエがわずかに項垂れたのは仕方のないことだろう。
確かに、思えば勘違いも手伝って、とても面倒な経路をたどってしまったものだ。
例えばナマエが『当たって砕ける』ことを前提にしていたら、二人の間はもっと早くに変わっていたに違いない。
『ちょいと、そんなに虐めないでよ。おかげで見つかった人もいるんだからさ』
詰られている時も全く怒らなかったクザンが、そんな風に言ってナマエを救出してくれた。
ナマエの元婚約者の話まで聞いていた同僚は『そりゃそうですけど』と引き下がり、仕方なさそうに祝福してくれて、ナマエが驚いたのはここだけの話だ。
男同士だとかそういうものを気にしないのかと尋ねれば、自分には無理だが否定はしないと返事が寄越された。
それからというもの、ナマエ達は普段と変わらぬ毎日を過ごしている。
「クザン大将……って、あれ」
扉を叩き、いつもの通り書類を運んで室内へと侵入したナマエは、執務机にいつもの姿が見当たらないと気付いて、ぱちりと瞬きをした。
それから視線を動かし、執務机の前に置かれているソファまで見やったところで、そこに横たわっている部屋の主に気付いて納得する。
どうやらクザンは、ナマエが書類を届けたりかき集めに言っている間に眠り込んでしまったらしい。
以前だったら逃げ出していたかもしれないとも思ったが、机の上の大量の書類はまだ半分程度しか進んでおらず、さすがに危機感を抱いたのだろうな、なんてことを考えながら、ナマエは抱えてきた書類を執務机の上へと追加した。
「……ふう」
軽く息を吐き、机の上に転がっていたペーパーウェイトを書類束の頂点へと鎮座させてから、ナマエがくるりと後ろを振り返る。
「クザン大将、起きないんですか」
声を掛けてみるが、ソファに転がったクザンは安らかに寝息を立てているだけだった。
アイマスクまで使用すると言う、何とも分かりやすい仮眠体勢だ。
見やった時計はまだ昼頃を示している。どうしても眠りたいと言うのならもう少しだけ寝かせてもいいかと、ナマエは珍しくそんな甘いことを考えた。
今日は非番である同僚が聞けば『仕事が最優先だろう』とまなじりをつり上げそうだ。
確かに書類は溜まっているし、終わらせなければ帰れないが、だからこそ少しくらい遅れてもいいのではないかと、社会人としてはあるまじきことまでナマエの頭の端を掠った。
ナマエとクザンは、いわゆる『恋人』に値する関係だった。
ナマエはクザンが好きで、クザンもナマエが好きだと言ったのだから当然だ。
それが年齢や性別などを超えた恋愛感情であることは今更確かめるまでもなく、ナマエの死ぬべき恋を知っていた元婚約者も、『よかった』と微笑んで祝福してくれた。
だがしかし、ナマエとクザンの間に、何か劇的な変化が起こったわけでもない。
告白してすぐさま肉体関係を結んだわけでもなく、ナマエがクザンの家へと転がり込んだりその逆をしたわけでもなく、今までと変わらずに海軍本部のこの執務室で顔を合わせて、仕事をして別れるだけだ。
もちろん外食に誘われればついていくが、そんなことは上官と部下の間でも行われることで、初めてでもない。
ナマエとしては、クザンがまっすぐにナマエを見やったり、穏やかな声でナマエの名前を呼ぶだけでも満足なのだが、世間一般的にはそう見えないのだろう。
『なァ、ナマエ』
一ヶ月見てみたけど本当に付き合っているのかと、気の早い心配をされたのはつい昨日のことだった。
どうやらナマエの同僚殿は、ナマエが彼へことのあらましを話したあの日、翌日からは目の前で上司と自分の同僚がいちゃいちゃとむつまじく過ごす様子を見ることになる覚悟を決めてくれていたらしい。
どうしてそうなるのかとナマエは困惑したが、どうやら同僚にとっての『恋人同士』というのは、常にむつまじく過ごしているものであるようだ。
特に付き合いたての頃は、と強調されても、ナマエにはよく分からない。大体、人前でそんなことをして恥ずかしくないのか。まさか同僚自身もそうしているのか。
ひそひそと話していたらどうしてかクザンの機嫌が悪くなったので、それ以上の追及が出来なかったことは残念だった。
そんなことを考えながらそろりとソファに横たわるクザンへと近付いて、ナマエはそのままクザンの横へと膝をついた。
「……今日は、一緒に食事なんていかがかと思ったんですが」
眠り込む恋人へ向けて、そんな風に呟いてみる。
どうしてナマエがあえてそうしたいと思ったかと言えば、今日がクザンの誕生日だからだった。
朝、執務室へやってきたクザンへ『おめでとうございます』と言ってクザンからは『ありがとう』と言われているが、まさか恋人の誕生日を祝うのにその程度で済ませるはずもない。
プレゼントは持ってきたが、仕事の合間に渡すのもどうかと考えてそのまま机の引き出しに隠してある。
渡しながら食事に誘おうと思うのだが、そう言えばクザンの予定を確かめていなかった。
いつもは大概クザンの方から食事に誘ってくるので、ナマエから誘ったことなど殆ど無い。
どうやって誘うべきかと考えて、妙なくすぐったさを感じたナマエの口元が笑みの形に弛んだ。
ほんの一ヶ月と少し前までは、ソファに寝転ぶ目の前の上官とこういう関係になれるなんて、夢にも思いはしなかった。
夢を見ていなかったことくらいは、氷に顔をぶつけた時に嫌と言うほど理解している。
嬉しくて嬉しくて、ナマエはここ最近、毎日が夢み心地だ。
そんなことを考えながらじっとクザンを見つめていると、ふとナマエの胸に悪戯心が沸き上がった。
思わずその目がきょろきょろと周囲を見回して、室内に自分とクザンの二人きりであることを確認する。
「…………クザン大将、本当に寝てらっしゃいますか?」
確かめるように囁いてみるが、眠りに落ちているクザンからの返事はない。
そのことに、ごくりとナマエは喉を鳴らした。
ゆっくりとその体が傾いて、ソファへ仰向けに寝転ぶクザンの顔へと、ナマエの顔がそろりと近付く。
クザンはその両目をアイマスクで隠していて、静かに眠るクザンの様子にどことなく倒錯的なものを見出し、何も知らない相手に不埒を働くことへの罪悪感に似た高揚を感じながら、ナマエはそのままクザンの唇へ自分の口を押し当てた。
子供がするような、ただ唇が触れ合うだけのキスを十秒ほど贈って、それからそろりとその唇が離れる。
「……んぐっ!?」
しかしそこで離れることを阻むように真後ろから頭を掴んで引き寄せられて、ナマエは再びクザンの唇に自分の口を押し当てる格好になった。
驚きに見開いた目元が何かに覆われて、何も見えなくなる。
頭の後ろ側でバチンと音を立てて軽く叩きつけられ、ナマエはそれがゴム帯だと気が付いた。目元を覆う柔らかな布の感触とその大きさに、どうやらそれが、今先程までクザンの目元を覆っていたアイマスクであるということも理解する。
「……なァにしてんの、ナマエ」
ちゅ、と可愛らしく吸われた後で押し付けられていた唇が離れ、近い場所から低い囁き声と共に吐息で口元をくすぐられて、ナマエの体がびくりと強張った。
顔を覆っているアイマスクは大きく、その角度がおかしかったのか、くい、と少しばかり裏返しのアイマスクがいじられたが、今のナマエにはそれどころではなかった。
顔が熱い。耳も赤いだろう。ひょっとしたら全身真っ赤になってしまっているかもしれない。
「ク……クザン、大将……?」
起きてらっしゃったんですか、と尋ねる自分の声が情けなく裏返っていて、今すぐにでも逃げ出したいと言うのに、抱き寄せるように頭の後ろへ回っている大きな手がそれをさせなかった。
せめてアイマスクを外したいと思うのに、手を動かそうとしたところで『とらないで』と言われると、ナマエにはそれ以上どうすることも出来ない。
「あんなことされちゃあ、そりゃあ起きるよ」
ナマエの見えないところでそんな風に囁くクザンは、どうやら笑っているようだ。
怒ってはいないと言う事実には少しばかり安心したが、申し訳ありませんでした、とナマエが謝っても、どうやらクザンには逃がすつもりが無いらしい。
「クザン大将っ?」
それどころかまた腕に力を込められ、ぐぐ、と抵抗むなしく顔を下へ引き寄せられていると気付いて、ナマエの口から情けない声が漏れた。
それを気にした様子もなく、ナマエを自分の方へと引き寄せたクザンは、とても楽しそうに言葉を紡ぐ。
「とんだ誕生日プレゼントだけど、ありがたく貰おうかな」
違います、別でちゃんと用意してあります、なんていうナマエのむなしい抵抗は、丸ごとクザンの口に食べられてしまった。
end
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