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仮面の外側



「ですから、毎回逃げ出そうとするのはどうかおやめになってください」

「あー、はいはい」

 傍らから寄越される小言を受け流して、クザンが軽く息を零し、空気を白く凍らせる。
 最近徒党を組みつつあるという噂のある海賊を『大将青雉』率いる軍艦が叩くと決められて、派遣された遠征の最中。
 補給のために立ち寄った冬島はとても穏やかな春を迎えつつあり、白く雪の残る道端を歩く人々の顔も明るかった。
 近くに火山があるのか、温泉もあるらしいと聞いたクザンが軍艦の停泊を三日伸ばさせたのは、強行軍で移動してきた部隊の部下達を労う意図も確かにあったのだが、それ以外の『狙い』はどうやら副官達にはお見通しであったらしい。

「一日で帰ってくるって言ったのに」

「そうおっしゃって、前回は七日もお帰りになりませんでした」

 さてちょっと散歩にでも、といつもの自転車の元へ向かったクザンの前へ同僚と共に立ちはだかっていた小さな部下が、きっぱりとそう言葉を述べる。
 結局クザンの手元に自転車は寄越されず、暇なら昼寝でいいじゃないですか、と言ったもう一人の副官がそれを別の場所へと片付けに行ってしまった。
 アイマスクを汚してしまったから昼寝はやめたのだと主張して、どこ持ってくの、と運ばれていく自転車を見送ったクザンの意識を逸らさせたのはナマエで、『気晴らしでしたら散歩に行きましょう』と有無を言わさぬ笑顔で放たれたそれに、クザンが逆らうことなどできはしなかった。
 身の丈もクザンに届かず、その力もクザンには及ばないが、傍らを歩む副官の、クザンに対する影響力は恐ろしいものがある。
 恐らく、その事実に気付いているのはクザンだけだろう。
 彼が付き合ってくれるのなら、まあ散歩で我慢してもいいのではないか、と思う程度には、クザンは傍らの彼を好いていた。
 そうやって抱いているその好意が、ただの友愛だったならどんなに良かったことだろう。

「あの時は、結局三日目でお近くにいらっしゃったガープ中将が補佐としていらっしゃいましたが……いいですかクザン大将、何もかも拳で解決してしまうあの方を抑えることなんて、元帥にすら難しいんですよ」

「あららら……そういや、苦労したとか言ってたっけ。おれァ久しぶりにガープさんと出られて楽しかったけど」

「……まさか、それを狙ったなんて言いませんよね……? やめてください、何人が胃痛で医務室を訪ねたと思っているんですか」

 隣へ合わせてゆったり歩いたクザンの横で、ナマエが眉を寄せている。
 自分を見上げてくるそれを見やり、クザンが軽く笑ってみせると、その笑みの意味を正しく理解したらしい彼はまなじりをつり上げた。
 そうして伸ばされた手が、がしりとクザンの腕を掴む。

「二度とさせませんよ!」

 クザンを引き止めようと指に力を入れているようだが、クザンに言わせれば迂闊なことこの上ない動きだった。
 『青雉』の名を持つ海軍大将たるクザンは、ヒエヒエの実と呼ばれる悪魔の実を食らった氷結人間だ。
 それに対する防御策も持っていない者の中で、いともたやすく人間を氷像に変えるクザンの腕に無遠慮に触れてくるのは傍らの彼くらいなものだろう。

「はいはい、了解」

 冬島へ上陸する際にその指を衣類で隠してしまっているから伝わる筈もないと言うのに、その温度がわずかに感じられたような気がして、傍らへ返事をしながら、傍から視線を逃がしたクザンは胸の内だけで自嘲した。
 海軍大将と海兵が、二人そろって町はずれを歩いている。何の当てもないそれは、ただの散歩だ。
 春が訪れつつあるとは言え、冬島の空気は冷え切っていて、日が落ちれば随分と寒くなるだろう。
 ある程度自身の能力で調節のきくクザンはともかく、ただの人間でしかないナマエにとっては堪えるだろうから早めに切り上げてやった方がいいとは分かっているのに、久しぶりの『二人きり』を手放したくなくて足先を軍艦がある港とは逆へと向けている。
 同性で、年下の部下にこうまで入れあげるだなんて、なんともらしくない話だった。
 しかし、落ちたものは仕方が無いのだ。

「……あ」

 何の意図もなく街道の外れを歩んでいたクザンの傍らで、ふとナマエが声を漏らす。
 それと同時にわずかに腕へかかっていた拘束の力が弱まり、足を止めたクザンが視線を向けると、クザンよりわずかに後方で立ち止まったナマエの手がクザンの腕を逃がしたところだった。
 その目がすぐそばの店を眺めていると気付いて、クザンの目もそちらを見やる。
 それと同時にわずかにその目が眇められたのは、そこにあったのが女性の好きそうな小物を大窓側に並べた店だったからだった。

「……何、またお土産?」

「あ……はい」

 問いかけたクザンに、ちらりとクザンを見やったナマエがわずかに笑う。
 零れた言葉が空気を白く染めたのすら何となく腹立たしいものを感じて、ふうん、と漏れたクザンの声も空気をわずかに白くした。

「それじゃ、見てきたら?」

「お付き合いしてくださるんですか」

「いや、おれァ入れないじゃない」

 その強大な力に合わせたように一般兵より体格の良いクザンには、中々に小さく見える店だ。
 入ったところでくつろいで買い物もできそうにない店を指差して、クザンはナマエへ言葉を向けた。

「待ってるから、買って来たら?」

 どんなの買うか気になるし、なんて言って笑ってやれば、ナマエがじっとクザンを見つめる。
 逃げませんか、と問うてくるその視線に軽く片目を瞑ってやると、クザンの攻撃を受けたナマエがどうしてか一歩足を後ろに引いた。

「……す、すぐ戻りますから、絶対ここから離れないでくださいね!」

 慌てた様子で顔を逸らしながら、言葉を落としたナマエが店へと向かっていく。
 はいよ、とそれへ応えてやって、営業中の札が掛かったドアベル付きの扉を押し開く小さな背中を見送ったクザンは、道端に佇んだままでゆっくりとため息を零した。
 ナマエが今のように行き掛かりの雑貨屋や土産屋へ足を運ぶようになったのは、ここ最近のことだ。
 原因はただ一人、マリンフォードで彼を待つかの『婚約者』だった。
 クザンが己の恋心を自覚してしばらく後、自分から彼を遠ざけたくて話を運んだ見合い話は、クザンが予想もしないほど早く進んで、すぐにナマエはその女性と婚約してしまった。
 その口から彼女の名前を出されることも多くなり、今のように、遠征や演習の合間に彼女へ『土産』などを選ぶようになった。
 よほど相性がいいのだろう。女性に対する愚痴などクザンは聞いたこともないし、噂に聞く二人の様子はいつだって仲睦まじい。
 彼が幸せになればいい、と思っている筈なのに、目の当たりにしてしまったら苛立ちを抑えられる自信が無くて、『会わせろ』と言いながらもクザンはナマエと彼女が揃っている様子を見に行くことができないままだ。
 自分が宛がったと言うのに、その相手に嫉妬するなんてどうかしている。
 そうは思っても、自分の心をどうにかする術をしらないクザンには、耐えるという道しか残されていなかった。

『貴方が好きです。……ずっと』

 あり得るはずがないのに、焦がれるあまり、その口から告白される夢まで見る始末だ。
 起きた瞬間の絶望感と来たら数日引きずるほどだったし、あんな天国から地獄へ突き落とされるような夢は、もう二度と見たくない。
 恋心というものが目に見える何かだったなら、クザンは海軍最高戦力のその力でもってそれを破壊していたに違いないだろう。
 けれども、そんなことは出来ないから、なすすべもないのだ。

「お待たせしました」

 からん、と軽くドアベルの音を立てて出てきたナマエが、すぐにクザンの方へと近寄ってくる。

「どんなの買ったの」

 見下ろしたクザンがそう尋ねると、ナマエはすぐにがさりと手元の袋を開いた。
 それからひょいとつまみ出されたのは、女性の髪を良く飾っているバレッタだった。

「気に入ってもらえるかは分かりませんが」

 この島の特産品なのか、貝殻を加工したものが散りばめられた美しい装飾品を片手にして、そんな風に言ったナマエが笑う。
 誰かにお土産を買うのって楽しいんですね、と言葉を続けた相手に、それが『あの子』だからでしょ、と言ってやろうとしたクザンの口は、しかし動かなかった。
 ただ、胸のうちのどこかが痛んだ気がして、ゆっくりと息を吐く。

「……まァまァ、いいんじゃない?」

「いいの買ったね、とか褒めてくださってもいいんですよ、クザン大将」

「いやァ、貰う当人でもないのにそんな無責任なこたァ言えないでしょうよ」

 相手が気に入らなかった時におれの所為にされちゃ困るし、と茶化すように零した自分の声がどこか遠くに感じたが、ナマエが気にしていない様子からして、クザンの見た目におかしなところは無い筈だ。

「またそんな風に仰って」

 困った人だとばかりに眉を寄せて笑ったナマエが、ごそりと『土産品』を紙袋の中へと戻す。
 そうしてそれから、新たな何かをまた袋の口から引っ張り出した。

「それなら、これだったらどうですか」

 そう言って尋ねながら、はい、とナマエがクザンへ向けて差し出したものに、ぱちりとクザンが瞬きをする。
 その視線を受け止めているのは、ナマエの手の上にある、大判のアイマスクだった。
 殆ど柄のないそれへクザンが手を出すと、ぽん、とその上へとそれが乗せられる。

「汚したものが綺麗になって手元に戻ってくるまで、代わりに使ってください」

 そんな風に言って笑ったナマエに、どうやらこれは自分のものらしい、とクザンは理解した。
 恐らくは『土産』を選ぶついでだったのだろうが、目の前の彼がクザンの為に、と買ってくれたものだ。
 大事な『婚約者』のことを考えていただろうその思考にクザンのことを割り込ませてくれたという、小さな証だった。

「…………へえ、いいの買ったね」

 先ほどナマエが求めていた『褒め言葉』を口にしてから、そっとクザンの手が受け取ったものを上着の内ポケットへとしまう。
 それから軽く背中を伸ばして、クザンは片手で頭を掻いた。
 口元が緩みそうな気がして必死に引き締めているが、はたしてうまくいっているのかどうかも分からない。
 こんな簡単なことで嬉しくなるだなんて、つくづく恋心とは愚かなものだ。

「あー……あれだ、ありがとって言っとこうじゃない」

「いえいえ、どういたしまして。もっと面白い柄があればよかったんですけど」

「アイマスクに柄は関係なくない?」

「見ている俺達が楽しいじゃないですか」

 何かを誤魔化すように目を逸らしているクザンに、ナマエはどうやら気付いていないらしい。
 これで今日も安眠ですね、とナマエは笑っていたが、こんな大事なものを簡単に使えるわけないとは、さすがに言えなかった。



end


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