わるいこ!
※バレ後
ふと少しばかりのこそばゆさを感じて、サカズキはわずかに目を開いた。
見上げた先には、もはや見慣れた自室の天井がある。
半端に閉じたカーテンの隙間から注いでいる日差しはまだ明るく、こんな時間まで布団に横になっている自分にわずかに眉間のしわを深くしてから、妙に力の入らない体に気付いた。
数秒を置いて自分の状態を理解して、その首が軽く傾き、傍らを見やる。
サカズキの体躯に合わせた敷布団のすぐ横に、座り込んでいただろう人影がそのまま畳に伏しているのがサカズキの視界に入った。
そこにいたのは、少し女性的な恰好をした、今サカズキが生活を共にしているナマエだった。
サカズキが贈った服を着る際には、長髪の鬘をかぶるほどそう言った格好にこだわりが有るらしい彼だが、短くなっていた地毛がきちんと伸びてきたようで、ここ最近はそのつややかな黒髪で過ごしていることが多い。
今もそうで、先ほどサカズキが感じたくすぐったさは、触れている彼の髪による刺激であったようだった。
小さくて弱い手がしっかりとサカズキの片手を握りしめていて、その額がサカズキの指の背に押し当てられている。
どうやら、手を握って傍にいたはずだと言うのに、彼はそのまま眠り込んでしまったらしい。
その様子に小さく息を吐いてから、捕らわれた片手はそのままにサカズキがけだるい体をゆっくりと起こすと、額に乗せられていた白い手拭いが落ちた。
ちゃり、と小さく鎖の擦れる音がして、その視線が眠り込んでいる小さな彼が捉えているのとは逆の腕を見やる。
布団から逃げ出してきたサカズキの右腕には、彼が自室に置いてあった海楼石の手錠が半分だけ掛けられていた。
海の屑達を捉える為の道具を使っていることが何だか可笑しく、サカズキの口にはわずかに笑みが浮かぶ。
海軍大将『赤犬』であるサカズキが、風邪をひいてしまったのはつい一昨日のことだった。
部下と共に冬島へ遠征へ出て戻った後、軟弱だったらしい部下達が本部内で流行らせた病に、まんまと蝕まれてしまったのだ。
かといって入院するほどのことでも無いだろうと、数日の休みだけを貰って自宅療養をしている。
サカズキがその腕に海楼石の手錠をはめているのは、サカズキが未だ傍らで眠っているナマエへそう指示したからだ。
サカズキの能力は、悪を焼き焦がすマグマだった。
かつて、ナマエを救う際にその身に火傷を負わせたことをサカズキは覚えているし、ナマエもそうだろう。
感情の高ぶり程度でも体が簡単にマグマに変わってしまうサカズキをナマエが看病すると言うのなら、サカズキはその為の対策をするまでの話だ。
片腕を差し伸べたサカズキにとても困惑した顔をして、恐る恐ると手錠をかけてきたナマエを思い浮かべれば、サカズキの口元の笑みが深くなった。
力の入りにくい右腕を放っておいて、その視線がもう一度傍らを見やる。
「……ナマエ」
二日置いて、随分とまともになってきた声でその名前を呼びながら、サカズキはその左手を少しばかり動かした。
押し付けられている額をその唇の方へと辿って、触れた顎を掌に乗せる。
指で軽く頬をくすぐれば、くすぐったかったのかナマエがむずがるようにその頬をサカズキの手に擦り付けて、それからゆっくりとその目が開かれた。
「…………?」
サカズキの手を両手でつかんだまま、おかしな体勢だった体をゆっくりと動かして、その目がぼんやりとサカズキを見やる。
「…………!」
そうして、やや置いてからサカズキが起き上がっていることに気が付いて、慌てたようにその目が見開かれる。
ばっとサカズキの手が放されて、サカズキがそれに眉を寄せる暇も与えずサカズキの体に飛びついて来た小さな体が、サカズキをぐいと後ろへ押しやった。
「!、!」
声のでないナマエが、必死に何かを言っている。
近いその顔を見やりながら、されるがままにずるずると後ろへ押し倒されて、サカズキは仕方なく先ほどまでと変わらぬ体勢へと逆戻りする。
「わしゃあ、もう平気じゃあ」
どうやら『寝ていろ』と言いたいらしい相手を見上げてそう言うと、サカズキを押し倒した後で体を離したナマエが、もう一度隣に座り込みながらふるふると首を横に振った。
その手がそっとサカズキの額に触れて、何かを比べるようにもう片手で自分の額に触れる。
元の体温が違うのだからそんな行動に意味は無いだろうと思いながらも、サカズキはナマエのしたいようにさせていた。
きゅっと眉間に皺を寄せて真剣な顔をしているナマエを見るのは、別段不快でも無いからだ。
「、」
やや置いて、サカズキの自己申告の通り熱が下がっているらしいと判断したナマエは、わずかに顔をほころばせた。
けれどもその小さな手はもう一度サカズキの肩を布団の方へと軽く押しやって、先ほどめくれた掛け布団がサカズキの両肩に合わせて引き上げられる。
最後に子供へするようにとんとんと布団の上からサカズキの体を叩いてから、微笑んだナマエの手が先ほどサカズキが落とした手拭いを捕まえた。
それをすぐそばのタライへ落として、水に浸した手拭いが硬く絞られる。
あまり日に焼けていない掌から肘へと伝い落ちたしずくがその膝を少しばかり濡らしたのも気にせずに、きちんと手拭いをたたみ直して、ナマエはそれをサカズキの額に乗せた。
ひんやりとした手拭いにわずかにサカズキが目を細めれば、よしよしとナマエの手がついでのようにサカズキの頭を撫でる。
海軍大将にまでなったサカズキへ、そんな風に触れてくるのはこの青年くらいのものだろう。
もちろん、それ以外であったならサカズキがその行為を許すはずもない。
自分が特別扱いされているのかを知っているのか知らないのか、どちらかも分からないナマエを見やったサカズキの前で、その手をサカズキから離して傾いていた体を起こしたナマエは、ぽん、と軽く両手を打った。
それから、タライの向こう側に置いてあったスケッチブックを持ち直し、それをサカズキの方へと向ける。
開かれた白い紙面には、子供のようにいびつな字で、簡単な文章がつづられていた。
どう見てもナマエがつづったと分かる文字だ。
言葉も文字も無くしたナマエが、そうやって自分の言いたいことを伝えるための努力を始めたのは、つい先日のことだった。
一生懸命にサカズキへと文字を綴って寄越すのが可愛らしくて、サカズキもあれこれと道具やテキストを買って帰る毎日だ。
『くすりのジカンだから ごはんも』
そんな風につづられた文字を見やったサカズキが頷くと、こくんと頷き返したナマエがスケッチブックを置き、そのまま立ち上がった。
すぐに部屋を出て行こうとして歩き出してから、部屋の出口でぴたりとその動きが止まる。
「?」
見送っていたサカズキが寝転んだままで軽く首を傾げると、すぐにその足が来た道を戻ってきて、先ほど畳に寝かせたスケッチブックを捕まえた。
そうしてパラリと中身をめくって、どうやら事前に書いてあったらしい文面がサカズキの方へと向けられる。
『すぐもどるので、ちゃんと寝てて』
言いつつじっと注がれたのは、若干の疑いの眼差しだ。
何度か向けられたその文面と眼差しに、サカズキは分かっちょる、と呟いた。
しかしそれもまた何度か繰り返した返事であるので、ナマエの目から疑いは消えない。
けれども、ずっと見張っているわけにもいかないと分かっているのだろう、やや置いてからスケッチブックを閉じたナマエは、ちらちらとサカズキを見やりつつ部屋を出て、そのままとたたたたと廊下を駆けて行ってしまった。
それを見送って少し置いてから、軽く息を吐いたサカズキの体が、またむくりと起き上がる。
ぽとりと落ちた手拭いを傍らに置いてから、そのまま重たい体で立ち上がって、力の入らない足をどうにか動かして箪笥へと向かった。
熱が出ている間に汗をかいてしまったので、着替えくらいはしておきたいのだ。
別にナマエが戻ってから着替えを手伝ってもらっても構わないが、先に着替えておけばナマエは怒るだろうと、サカズキはこっそりと考える。
きっと子供のように少しばかり頬を膨らませて、サカズキをまた無理やり布団に寝かせて、傍らに座ってサカズキの手を握りしめているに違いない。
本人は『無茶をするから見張っている』のだと書いていたが、せっかく海楼石の手錠までつけてマグマ化する心配も無くなっているのだから、何の気負いも警戒も無く触れる間に触っておくべきだ。
他の海軍大将が聞いたらニヤニヤ笑ってきそうなことを考えながら、サカズキは汗を吸った服を脱ぎ捨てる。
「! ……!!」
「あァ、すまん」
しっかりと清潔な私服に着替え終えて布団に戻った大将赤犬のもくろみ通り、食事を持ってきた可愛らしい彼のナマエはぷりぷりと怒りながらサカズキに食事をとらせて薬を飲ませ、サカズキが眠りに落ちるまでずっとサカズキの右手を握りしめていた。
end
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