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融解した愛の甘さについて
※性別勘違いシリーズ
※性別バレ後


 この世界にも、バレンタインというものがあるらしい。
 俺がそれを知ったのは、マリンフォードと呼ばれるこの島で暮らすようになって、しばらく後のことだった。
 最近妙に町中がソワソワしているなと思って聞いたら、赤犬が教えてくれたのだ。
 その『バレンタイン』は、俺の生まれて育った世界にあったものにそっくりだ。
 チョコレートやお菓子を渡して愛の告白をする恋人同士のイベントだなんて、赤犬に出会う前の俺だったら、『義理チョコ』なるものを貰う為の日でしかない筈だった。
 しかし、今年は違う。
 何故なら、俺には『付き合っている相手』がいるのだ。
 教えてくれた赤犬は何も言わなかったけど、マリンフォードでのバレンタインが『そういう日』として知られているなら、きっと俺が渡したら、ちょっとくらいは喜んでもらえる。
 そう信じて疑うこともなく、当日頑張った俺は、自分の料理の才能の無さに絶望して、そのまま買い物に出掛けた。
 普段ならちゃんとした格好に着替えるのに、そうはせずに女装したままで外へ出たのは、『バレンタイン』の商品を扱う店はどこも女の人達で溢れてるだろうと予想したからだ。
 もしも俺が女装して道を歩くような変態だと気付かれたら、と思うと少し怖かったけど、みんな自分の買い物に夢中で、俺の事なんて気にした様子も無く、俺は自分の目的を果たすことが出来た。
 さすがに高級な店には入ることが出来なくて、海軍大将の赤犬に渡すには少し安っぽいチョコレートだけど、いくつか味見した中で一番おいしかったそれをその日の夜に差し出せたのは、赤犬がいつものようにまっすぐに家に帰って来てくれたからだ。
 すぐに見せたかったから、部屋へ着替えに行ってしまった赤犬を追いかけて、コートを脱いだところで差し出した箱を、赤犬はすぐに受け取ってくれた。

「…………」

 けれども、もしかしたらもう少し、待ったって良かったかもしれない。
 せめて渡す前に予告をしたら、もっと。
 眉を寄せた赤犬を見上げてそんなことを思いながら、片手でそっと赤犬の腕からぶら下がっているものに触れる。
 先ほど、危険を感じた俺が赤犬の腕にかちりとはめたそれは、赤犬が『何かあれば使え』と俺にくれたお下がりだ。
 『付き合っている相手』に手錠をくれる海軍大将なんて赤犬くらいなんじゃないかとも思ったけど、物をくれたのが嬉しくて、俺は毎日それを磨いて自分のポケットに入れていた。
 どうしてそれを今赤犬の片腕にはめているのかと言うと、俺の手から箱を受け取った途端、赤犬の方から猛烈な熱源を感じたからだ。
 海軍大将『赤犬』と言えば、悪魔の実の能力者であるマグマ人間だ。マグマグの実というものを食べたらしい。
 かつて俺を助けてくれた時に俺へ火傷まで与えた熱は、海楼石の手錠を付けた途端にすっかり収まった。
 まだ部屋の中は少し温かいけど、熱いってほどじゃない。
 感情の高ぶりでマグマ化する赤犬がマグマ化しそうになったと言うことは、それだけ喜んでくれたってことだろうから、俺は嬉しい。
 けれども、一瞬でも近くで熱が上がったことがその手にある箱の中身にどんな影響を与えるかなんて、分かりきったことだった。

「……すまんのう、ナマエ」

 低い声でそんなことを言いながら、赤犬がこちらを見下ろしている。
 注がれているその視線を受け止めて、俺はそっと手を伸ばし、赤犬の手の上にある箱を開けた。
 ひょいとめくったその中には、俺の片手くらいの大きさのチョコレートが、女の子が選びそうなハートの形でいくつか折り重なっていた。
 それぞれの形自体が少しゆがんでいて、そして継ぎ目が分からないくらいべったりとくっついて、ついでにいえば平べったくなってしまっている。
 どう見たって溶けている。焦げなかったのは、赤犬が俺の差し出した海楼石の手錠をすぐに受け入れてくれたからだろう。
 だけど、これじゃあ、固まるまで食べることは出来ない。
 赤犬が箱の中身を舐めるとは思えないし、溶けたチョコレートだけを口に運んでくれるかはちょっと疑問だ。よけいしょんぼりさせてしまうんじゃないだろうか。
 だけど、確かこういうふうに溶けたチョコレートをそのまま固まらせると、白くなって美味しくなくなることがあった気がする。『風味は劣ります』と言う奴だ。
 せっかく一番おいしい奴を買ったのに、美味しくないチョコレートを買ってきたと思われるのは困る。
 どうしよう、と考え込んだ俺の前で、赤犬は大人しく佇んでいた。
 俺からの反応を待っているらしい相手を見あげて、俺も眉を下げる。
 眉を寄せて、普段より厳しい顔をしているけど、赤犬の肩がしょんぼりと落ちているのが見ていて分かった。
 俺より随分と年上で、強くて、優しくて頼りがいのある赤犬が気落ちしている様子を見るのは、何だか慣れなくてそわそわする。
 俺が抱き付いて慰めるくらいでどうにかなってくれるんなら、今すぐ飛びついてぐりぐりと頭の一つも擦り付けたいところだけど、多分それじゃあ何の解決にもならないだろう。
 どうしたらいいだろうか、なんて考えたところで、そう言えば台所に隠してあるものがあったことを思い出した。
 ぽん、と手を叩いた俺を見下ろした赤犬が『ナマエ?』とこちらの名前を呼んだので、俺は身振りでここで待つよう赤犬に求めて、すぐに赤犬の部屋から抜け出した。
 本当は言葉を置いていきたいところだが、俺の喉は相変わらず言葉を出せないし、スケッチブックだって台所に置きっぱなしなのだ。
 ぱたぱたと廊下を駆けて台所へとたどり着き、テーブルの上に出しっぱなしだったスケッチブックを腕と胴の間に挟んでから、戸棚の内側に隠してあったものを取り出す。
 きちんと蓋をした容器の中身は、俺が午前中を費やして作ってしまった失敗作だ。
 チョコレートを買いに行くのが怖かったから、最初は今日と言う日のためにお菓子を作っていたのだ。
 しかし、雑誌に載っていた簡単らしい手順のクッキーは、見事に煎餅のような硬さになってしまった。あと少し粉っぽい。見事な失敗作だ。
 明日以降自分で頑張って食べようと思っていたのだが、これならまあ何とか、チョコレートを掬って食べて貰えるかもしれない。
 本当は普通のクッキーが良かったんだろうけど、残念ながら家の中にはこのくらいしかない。
 一応スプーンも持って、そのままきた道を戻ると、赤犬は着替えもせずに俺のことを待っていてくれたようだった。
 不思議そうにこちらを見つめる相手を見上げて、座ってくれと求めると、赤犬が赤いスーツ姿のままで畳の上に座り込む。
 片手に溶けたチョコレート入りの箱を持った相手の前に膝立ちになって、俺は持ってきたものを赤犬へ向けて差し出した。

「……作ったんか」

 容器の中のいびつなクッキーを眺めて寄越された言葉に、一つ頷く。
 それから、スプーンを容器の中へ置いて、空いた手でクッキーもどきを一枚取り、それを使ってゆるくなったチョコレートの端を擦った。
 粉っぽいクッキーの端にチョコレートが付いたものを、それから恐る恐る赤犬へと差し出してみる。
 とろとろのチョコレートに塗れた俺の自作のクッキーらしきものを見つめて、赤犬がむっと眉間のしわを深くした。
 それでも、その顔が怒ったり苛立ったりしたものではないと分かるから、更に手を動かして、酷いクッキーを赤犬の口に押し付ける。
 すぐに赤犬がそれを受け入れて、口の中に入ってきたチョコレート付きのそれに噛みついた。
 がり、ぼりとクッキーにあるまじき音がして、俺の手からクッキーらしきものが消えていく。
 唇についたチョコレートをその舌が軽く舐めて、口の中身を噛む赤犬を、俺はじっと見つめた。
 やっぱりすごい音がする。未だ赤犬は海楼石の手錠をしていて、体をマグマ化させることが出来ないのだ。口の中が痛くなっていないだろうか。
 せめて手錠を外したらもう少し食べやすいだろうか、とポケットの中の鍵を掴まえようとした俺の手が、伸びてきた赤犬の掌に捕まった。
 俺の手なんて片手で両掌共に隠してしまえるだろうほどの大きさの赤犬の手がしっかりと掴まえてくると、好きに動くことも出来ない。

「……?」

 どうしたのか、と首を傾げた先で、やがて口の中身を飲みこんだらしい赤犬が、掴んだままの俺の手を操って、俺の指先をまだクッキーもどきの入っている容器へと入れた。
 どうしたのか、と思いながらそこから一枚を掴まえると、また赤犬の手が動いて、俺の手をクッキーごと容器から離す。
 そうして今度は自分がもう片手で持っているチョコレートの箱へと近付けて、求められていることに気付いた俺の指が、クッキーもどきでそこから溶けたチョコレートを掬い上げた。
 てらりと光る柔らかなそれが赤犬の口元へと近付けられて、また赤犬がそれを食べる。
 二回、三回と同じことをして、それでもまだ俺の手を解放しない赤犬に、俺はそっと持っていた容器を畳の上へと置いた。
 それから、小脇に挟んで来たスケッチブックをぱらぱらと片手でめくって、前に使ったページを表にして赤犬へと向ける。

『食べるの 大丈夫?』

 美味しいか、とは尋ねられないのは、そのチョコレートはともかく、俺の手製のクッキーもどきが美味しいとは言えないことを知っているからだった。
 一生懸命に覚えようと頑張ってはいるけど、俺はまだまだ家事能力が低い。
 一応食べられる食事は作れるようになってきたとは思うけど、上手、とは言い難いことくらい分かってる。
 だからこそ何度も繰り返したそのページをちらりと見やり、赤犬が口の中身を飲みこんだ。

「……ああ、うまい」

 そうして寄越された返事に、俺は眉を寄せた。
 どう考えてもお世辞だ。だって、そんな煎餅みたいな音をさせるクッキーが美味しくないなんてことくらい、誰だって分かる。
 だけど、そう言ってくれるのが目の前の相手の優しさだと言うことも分かるから、不機嫌な顔をしたいのに何だか口が緩んでしまって、すごく変な顔になってしまった。
 それを見て少しばかり目を細めた赤犬が、そっと俺の手を解放する。
 両手が自由になり、膝立ちからそのまま畳の上に座り込むと、こちらを見下ろす赤犬の顔を真正面から見上げる格好になった。
 部屋の中に漂う甘ったるいにおいに鼻をくすぐられながら、じっと見つめた相手へゆっくりと微笑みかけて、スケッチブックを自分へ向ける。
 それから、パラパラとそれをめくり、チョコレートを買ってきた後で恥ずかしさと戦いながら書いたページにして、もう一度赤犬の方へとそれを向けた。顔が熱くなった気がするけど、我慢だ。
 それを目にした赤犬が、少しだけ驚いたように目を丸くしたのが見える。
 それもそうだろう。俺は恥ずかしいのが得意じゃないから、赤犬にそういうのを書いて見せたことはほとんどない。
 だけど、今日は特別なんだ。
 だってバレンタインだから。

『だいすき』

 ちょっと子供っぽい一言だったかもしれないけど、バレンタインにチョコレートを渡して告げたその言葉に、嘘なんてあるはずがない。
 どうしてか中々海楼石の手錠を外させてくれなかった赤犬が、わしもじゃァ、なんてすごくすごく嬉しくてたまらない言葉をくれたのは、チョコレートとクッキーもどきを食べながらのことだった。



end


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