自分のものには責任を持ちましょう
「クザン大将のうそつき」
「あららら、酷い言われ様だ」
執務室へ入ってきてすぐさま投げられた言葉に、やれやれとクザンはため息を吐いた。
つかつかと歩いてきた青年が、机に肘をついているクザンの向かいで足を止め、クザンを見下ろす。
眉間に皺を寄せているその様子からして、怒っていることは明白だった。
「だって、三日で帰るって言ったじゃないですか」
上司へ向かってそう言い放つナマエに、うん、とクザンは頷いた。
「ちゃんと三日過ごして帰ってきたじゃない」
今回の散歩と言う名のサボりには目的地があったのだ。
海上を自転車でこいで辿り着いたそこで、クザンは予定通り三日を消化した。
そうしてそのまままっすぐ本部へと帰ってきたというのに、どうしてそんなに怒っているのだろうか。
首を傾げたクザンの向かいで、分からないんですか、と怒り交じりの声を出したナマエが続ける。
「片道三日掛かる距離だって言うんなら、そこは九日掛かるって言っておくべきですよ」
「あー……そりゃそうだ」
きっぱりとしたその言葉に、クザンは納得の頷きを返した。
足し算くらいしてください、と唸って、ナマエはクザンを睨みつける。
「クザン大将のうそつき」
先ほどと同じ言葉で詰られて、クザンは少しばかり瞬きをした。
もしや、何かナマエと約束をしていて、それをすっぽかしてしまったのだろうか。
少し考えてみるが、クザンの頭には何も浮かばなかった。
机の中には手帳があるが、元々書き込まないからまっさらなままだ。役には立たない。
「……もしかして、おれに何か用事だったか?」
直接聞いてみようと口を動かしたクザンに、ナマエは不思議そうな顔をした。
「? 別に何にもありませんけど」
「えー……」
何を言っているのかと言いたげな顔をされて、クザンの口から不満げな声が出る。
じゃあ何でそんなに怒ってるの、と尋ねたクザンに、またしても眉間に皺を寄せたナマエは、だって貴方がうそつきだから、と呟いた。
「そりゃ嘘をついた格好になったのは悪かったけど、今理由だって分かったじゃない?」
「分かりましたね。移動時間を考慮しなくていいのは大将黄猿までですよ、クザン大将」
確かに、黄猿と呼ばれる海軍大将は光人間だ。今回クザンがせっせと漕いでいった距離だって、さっさと移動してしまうだろう。
けれども、クザンだって嘘をついたつもりはないのだ。
納得できないクザンの前で、腕を組んだナマエが続ける。
「そんなに時間掛かるんなら、俺も連れて行けば良かったんです」
「…………ん?」
「そうしたら、三日経っても帰ってこない人が帰ってくるまで、六日間も落ち着かず過ごさなくて済みましたし」
真っ当な主張をしていると言いたげな真剣な顔で、ナマエは言った。
「そうじゃなかったらあの変なかたつむりの大きいのを連れて行くべきでした」
彼が言うのは、恐らく青雉のデスク脇にも一匹設置されている電伝虫のことだろう。
寝息を零すそれをちらりと見て、自分の自転車のハンドル辺りにそれが座っているのを想像したクザンは、ふるりと首を横に振った。
「やだよおれ、自転車にあれつけるの」
重量があって邪魔そうで、かつどこまで逃げても海軍からの連絡が入ってくるなど冗談じゃない。
クザンの主張に、ナマエが腰に手を当てた。
「その手間を惜しんで言った日程を超えても帰ってこなかったから、うそつきだって言ってるんです。クザン大将のうそつき」
またしても詰られて、やれやれとクザンはため息を零す。
つまり、ナマエはクザンが言った期日を越えても帰ってこなかったから怒っているのだろう。
きっと不安そうな顔をしたのだろうと思うと、ほんの少しの申し訳ない気持ちが湧いて、クザンはナマエを見あげた。
「……結局、アレだ。寂しかったわけね」
ごめんねナマエ、と紡いだクザンの言葉を否定はせずに、ナマエはまだクザンを睨みつけている。
「置いていかれた方がどれだけ不安か考えてみたらいいと思います。海軍大将のくせに」
海賊に襲われたらどうするつもりなんですか、とナマエは言う。
倒すか逃げるかするんじゃないの、とクザンが返事をすると、ナマエの口から漏れる声がほんの少しだけ弱くなった。
「……何かあったんだったらどうしようって、思ってました」
心配したのだと、そう続いた言葉に、クザンは首を傾げる。
「おれってそんなに頼りない?」
青雉クザンは海軍大将だ。氷結人間であり海軍の最高戦力の一人でもある彼が、そう簡単にやられてしまうわけがない。
クザンの言葉に、このまま行方不明になったらどうしようって思ってました、とナマエは答えた。
「いやいやいや、それこそサカズキやボルサリーノが許さないでしょうよ。あとセンゴクさんもね」
「俺だって許しませんよ」
「そいつァ怖い」
きっぱりと答えるナマエを茶化そうとクザンが軽く声を掛けても、ナマエの表情は変わらない。
怯えるようにその手が小さく拳を作って、持っていた薄い書類に少しばかりの皺が寄った。
「……一人にされたらどうしようって、思ったんですからね」
「…………友達を作るいい機会じゃなかった?」
ぽつりと落ちた不安の呟きに、クザンは優しくそう声を掛ける。
目の前の彼は、大体においてクザンにべったりだ。
恐らくは、知らない場所に慣れなくて不安なのだろう。
クザンの部下には面倒見の良い連中も多いから、そのうち打ち解けるだろうとクザンは思っているのだが、まだ時間が足りていないらしい。
それでも、頼る相手であるクザンが居なければ他へ頼らざるを得ないのだから、そうやって他の人間とも親交を深めてはどうだと、そういう意味で言葉を投げたクザンに、ナマエの表情がほんの少しだけ和らいだ。
不思議そうなその目がクザンを見下ろして、何言ってるんですか、と言葉が落ちる。
「友達は前からいますよ。クザン大将がいらっしゃらない日は一緒にご飯食べてます」
「…………え」
思わぬ返事に、クザンはぱちりと瞬きをした。
「嘘。初耳なんだけど」
「こんな変な嘘つきません」
思わず呟いたクザンを前に、ナマエはきっぱりとそう言い放つ。
クザンが全く気付かないでいる間に、ナマエは誰かと親交を深めていたらしい。
思わぬ展開に目を丸くするクザンを見ながら、ナマエは肩を竦めた。
「一昨日は家に泊まりに行きました、誰かさんが帰ってこなくて静か過ぎる家にいるのが嫌になったので」
家に泊まれるほどの親密度というのは、随分な深さではないだろうか。
そんな相手が出来ているとは全く知らなかったと、クザンは少しばかりの焦りを感じた。
何に対して焦っているのかが全く分からないが、とにかく、自分の見えない範囲でナマエの世界が広がっているという事実が一等恐ろしい。
せめてその『誰か』の名前を把握したいと、クザンの口から言葉がこぼれる。
「待ってナマエ、それって誰?」
「クザン大将のうそつき」
「そこはもうごめんなさい。本当にごめんなさい。許して。じゃなくって、それって誰」
「誠意が足りないから許しません。だから教えません」
「酷くない?」
「酷くないです」
けれども、ナマエは返事の替わりにクザンを詰っただけだった。
END
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