100万打記念企画
※性別バレ以前→性別バレ後
※マリンフォードに四季があるとして
「…………」
暑い。
心の底から心の中だけでそう呟いて、俺はへたりと畳に懐いていた。
畳ですらも温かさを感じて、べたついた肌に張り付いて不快感を感じる。
どうやら、このマリンフォードにも夏と言うものが来たらしい。
うんざりとした気持ちでごろごろと転がってみるものの、低い場所へ来ても涼しさは感じない。
この世界にはクーラーと言うものが無いらしいのだ。赤犬が置いていってくれた風をためておけるダイアルとやらもあるが、扇風機程度の涼しさしか感じないし、入っている空気が冷たいわけでもないのでテーブルの上に転がしてある。
火傷も治ったから、とどうにかあちこちの家事を行っていたが、もう限界だ。
「……っ」
こうなったら水でも浴びよう、と心に決めて、俺はむくりと起き上がった。
汗でまとわりつく髪の毛がいやで、かつらも頭から剥がしてぽいと放る。
肌に張り付いていた畳がぺりぺりと剥がれていって気持ち悪いが、今回は無視をしてそのまま立ち上がった。
見やった庭はまだまだ明るく、正午を過ぎたばかりなのは見れば分かる。
赤犬は多分また夕方に帰ってくるだろうから、時間は十分にあると、暑さにちょっとぼんやりしている頭で考える。
汗を吸った服を今すぐ脱ぎたくて、前側についているボタンに指を掛ける。すぐ傍は庭だが、赤犬が立っても外から見えないくらい高い垣根があるので大丈夫だ。
ぷちぷちぷち、と上から順にボタンをはずして、さあ脱ぐぞ、と服に両手をかける。
「ナマエ、おるか」
そしてそこで唐突に声を掛けられて、思い切り服の合せを掴んで閉じた。
慌てて振り向けば、いつの間に家に入ってきていたのか、この家の主がこちらを見やって怪訝そうな顔をしている。
その目が俺の姿をじっと見て、見る見るうちにその眉間に皺が寄ったのが分かった。
どうしてそんな顔をするのかと目を瞬かせてから、すぐに自分が服を脱ぎかけていたことを思い出し、慌ててボタンをしめる。赤犬はだらしない恰好が嫌いなのだ。
あわあわと指を動かしていたら、赤犬が近寄ってきた。その片手に何かを掴んでいる。
わずかに音を立てた布袋に驚いて目を向けたのを、赤犬のもう片方の手が伸びてくることで遮られた。
「…………掛けちごうちょる」
ちゃんとせんか、と低く唸った赤犬の指が、俺の着ている服のボタンのうち、一つだけの掛け間違いを指摘した。
慌ててそれを直して、それから改めて赤犬を見上げる。
「……?」
いつもなら夕方にしか帰ってこない筈なのに、どうして昼間に戻ってきたのだろうか。
そう尋ねたかったけど、俺の口からは言葉が出てこなかった。
この世界へ来てから、どうしてか声が出なくなったのだ。
怖い思いをしたからだねと何人かの人に優しく言われたが、そうでもない気がする。だって、本当に、『この世界』に紛れ込んだその時からそうだった。きっと俺は、『元の世界』に声だけ落として来たんだと思う。
話すことのできない俺の顔を見下ろしてから、ああ、と赤犬が声を漏らした。
それから、その手に持っていた布袋がこちらへと差し出される。
戸惑いつつそれに触れた俺は、その布袋から伝わる冷たさに目を瞬かせた。
思わずそれを抱きしめると、今日は暑いけェの、と俺の向かいで赤犬が口を動かす。
「日が落ちりゃあ涼しくなりよる。それまで、それで我慢せえ」
優しく寄越された言葉に、布袋を抱きしめたままでうんうんと頷いた。
頬や腕に触れる布袋の感触からして、どうやら中身は氷のようだ。
抱きしめているから溶けてきているはずなのに、布袋は濡れたりもしていない。多分、内側が水を弾く素材で出来ているんだろう。
体に押し付けたそれが冷たくて気持ちよく、口元が緩んだのが分かる。
ありがとう、と声をも無く口を動かすと、それを見ていた赤犬が、どうしてか小さくため息を零す。
「……ナマエ、おどれはもう少し警戒心っちゅうもんを持たんか」
女がそこらで服を脱ごうとするな、と続いた低い声には反論したかったが、その術は無いので諦めて、俺はうんうんともう一度頷いた。
※※※※※※※※※※※※※
マリンフォードの夏は毎年暑いが、冬は冬でとても寒い。
どうにかしてほしいと思いながら、俺はひしりとすぐ横の相手にしがみ付いた。
俺を見やって白いため息を零した相手が、俺に片腕を預けたままで、もう片方の手で軽く俺の頭を撫でてくる。
もう随分と伸びた俺の髪を梳いてから手を放して、赤犬が言葉を落とした。
「ナマエ、寒いなら中に入っちょれ」
そうして寄越された言葉に、ふるりと首を横に振る。
今俺と赤犬がいるのは、雪が積もった中庭が見える縁側だった。
月がきれいだから酒を飲むだなんて風情のあることを言った赤犬の傍には、酒の入った猪口がある。
本当はもう片方の腕も使いたいのかもしれないが、赤犬は優しいのでしがみ付く俺にそれを明け渡したままだ。
毛布に体をくるんで、ぴったりと赤犬に寄り添ったままで、雪の積もった庭を見る。
真っ白な庭に月明かりが落ちて、夜だと言うのに随分明るく見えた。
はあ、と吐き出した息が冷え切った空気の中で白く凍って消えて行って、ちょっと楽しくなって何度かやっているうちに息苦しくなったのでやめる。
横で赤犬が少しだけ笑った気がしたけど、見やった赤犬はこっちを見ていなかったので多分気のせいだろう。
明日の朝、日が昇ったら一度降りて足跡でもつけてみよう、と思うくらいには綺麗に積もった雪を見つめて、ぴゅう、と吹いた風に身を竦める。
「……っ」
本当に寒いなとふるりと体を震わせていたら、俺の体がひょいと持ち上げられた。
「?」
そうして戸惑っているうちに板より柔らかなものの上に降ろされて、困惑しながら視線を動かすと、俺の真上に赤犬の顔がある。
どうやら膝の上に乗せられたと気付いて、俺は慌てて身じろいだ。
「暴れんと、大人しゅうせェ」
けれども俺のそれを封じるように言葉を零して、赤犬の手が俺の体を包んでいる毛布を軽く引っ張る。
腕を内側に仕舞われて、開いていた隙間をきちんと閉じるようにされてしまった俺は、もはや手も足も出ない状態で赤犬の顔を見上げることしか出来なかった。
するりと滑った赤犬の手が軽く顔を撫でていったのを感じて、何となく恥ずかしくなって引き上げた毛布の縁で顔の半分を隠す。
俺が『男』だと知られてからの方が、赤犬のスキンシップは激しくなった気がする。
『女』だと思っていた頃は、両想いになった後だって、今みたいに抱き上げたりだってしなかったはずだ。俺自身だって、『男』だと気付かれたくなかったからくっつきに行ったりなんてしなかった。
どうしてかは分からないけど、嬉しいのも事実で、毛布の下で口元が緩んでしまった俺は本当にどうしようもない。
それでも、ずっと膝に乗せているとさすがに足が痺れてくるんじゃないだろうか、と窺うと、俺の視線に気付いた赤犬が片膝を立てて俺をそこにもたれさせ、更にもう片手で改めて俺の体を引き寄せた。
体が赤犬の胸板に密着して、戸惑う俺から目を離した赤犬が、先程酒を入れた猪口を掴んで中身を舐めた。
「……ナマエはぬくいのォ」
俺よりも温かい筈の体を持つ相手にそんな風に言葉を落とされて、一度だけ瞬きをする。
さっきまで『部屋に戻れ』と言っていたのに、どうやら今の赤犬には、俺を膝から降ろすという選択肢が無いようだ。多分、俺が寒がったから、温めてくれているつもりなんだろう。
相変わらず優しい相手に素直な嬉しさがわいて、赤犬の体に擦りつくようにしてから、改めて赤犬と同じ方へ視線を向ける。
しんしんと雪が降り積もった庭は、やっぱりきれいだった。
end
戻る | 小説ページTOPへ