彼シャツ
※出会って一週間頃
赤犬はでかい。
目の前に広げた赤いシャツを眺めて、俺は眉間に皺を寄せた。
俺がこの家に来てから、もう一週間以上が経つ。
片腕の火傷もそこそこ良くなって、慣れたおかげで日常生活にもあんまり支障はなくなってきた。
今の俺の目下の悩み事は、赤犬が勘違いをしたままだということだ。
俺は男だが、どうしてか女だと思われているのだ。
渡される服は当然女物だし、その辺で脱ごうとしようものならものすごい勢いで怒られる。怒った赤犬が怖いので、強硬手段をとることすらできない。
今日だって赤犬の趣味らしい大人しいワンピースを着ている。怒られるから、両足をそろえて座るのも慣れてしまった。
これは不味い。このままではオカマ一直線じゃないか。
せめて男の服を着れば勘違いも無くなるんじゃないかと、そう思いながら赤犬不在の今、衣類を探した俺が入手したのは、全部赤犬の服だった。
そりゃ、この家はもともと赤犬しか住んでいないんだから当然だろう。
赤犬はでかい。
分かってはいたが、でかすぎだ。
ベッドに敷いて余裕で寝れそうなサイズのそれは、けれども確かに赤犬のシャツだった。
着てみても、ものすごくだらしない格好になるだろう。
かといって、洋服を買いにいこうにも店が分からないし金も無い。ついでに言えば字が読めない。英語は滅びろ。
眉間に皺を寄せたまま、手を伸ばして赤犬のシャツを掴む。
背に腹は変えられないし、着てみるか。
だらしない格好になったとしても、女扱いされなくなるならそのほうがいい。
赤犬から貰ったワンピースを脱ぎ捨てて、そのまま赤犬のシャツを羽織ってみた。
やっぱり、でかい。
肩が全然合わないし、袖から手だって出ない。
何度か折ってどうにか出た手で前のボタンを閉めてみたけど、そのままするりと脱げてしまいそうだった。
裾の余り方も酷い。膝より下とはどういうことだ。
これじゃあワンピースと大差ないじゃないか。
きちんと着れてる分ワンピースのほうがいいくらいだ。
あんまりにも酷いので、脱ぐ前にちょっと今の姿を確認しておこうと鏡の前へ移動した丁度その時、がらりと引き戸が開かれた。
「ナマエ、帰っ……」
いつものように帰ってきた赤犬が、背中を向けている俺を見て動きを止める。
おかえりなさい、といつものように声の出ない口を動かしてそちらへ向き直ると、シャツがずれて脱げそうになったので慌てて両手で前を押さえた。
いくらなんでも、人前で服をはだけさせる趣味はない。
俺を見ていた赤犬の顔が、だんだんと赤くなる。
どうしたのだと目を丸くしていたら、眉間にぎゅっと皺を寄せた赤犬が大きく口を開いた。
「…………この、馬鹿もんがァアア!」
怒鳴った赤犬にワンピースを投げつけられて、結局俺は女装に逆戻りした。
どうやら、赤犬のシャツを勝手に着るのは駄目だったらしい。
でも、あんなに顔を真っ赤にして怒ることないじゃないか。
そう非難したかったけれども、俺の口からは声が出ないので、とりあえず反省したポーズを取るためにうなだれることしかできなかった。
そういえばアレって彼シャツという奴だったんだろうかと、気付いたのは随分と後のことだった。
end
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