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心の底からくだらない
※主人公は大将黄猿の部下



 何とも鬱陶しい雰囲気を醸し出す部下を見やり、ボルサリーノは軽く息を吐いた。
 部屋へ入ってきてからというもの、何とも暗い顔で書類をめくるナマエは、時々ため息まで零しながらその陰鬱な空気をまき散らしている。
 面倒くさいことこの上ない相手を放って仕事を続けていたが、短針が時計の半分を回っても変わらぬその様子に、仕方なくボルサリーノは声を掛けてやることにした。

「ナマエ、まァたふられたってェ〜?」

 優しげな声をつとめて出したと言うのに、それが図星であったからか、ナマエの動きが静止した。
 それから、ブリキのオモチャが軋むような音を立ててその顔がボルサリーノを見やり、眉がわずかに下げられる。
 情けない顔となったナマエの口から、何で知ってるんですか、と小さく声が漏れた。

「お昼にクザンから噂を聞いたからねェ〜……派手にやったそうじゃないかァ」

 昼寝をしていたクザンを踏みつけ自分が知らない情報を聞き出したという事実は些細なことなので口にはせずに、ボルサリーノは微笑んで言葉を紡いだ。
 話によれば、ナマエとその『恋人』との決別は昨晩の夕刻、ちょうどボルサリーノが遠征を終えて本部へ帰還する頃であったらしい。
 大衆の面前で頬を張られたと聞いているが、ボルサリーノには頬にガーゼを当てていたナマエの姿しか覚えが無い。
 どちらかといえばそそっかしい所のある男であるので、どうせまた自主訓練の最中に転んだりでもしたのだろうと思っていたが、今となっては跡形もないその頬を見る限り、あのガーゼの下にあったのは傷跡では無く紅葉であったのだろう。
 ボルサリーノを迎えに来た時は大して暗い顔もしていなかった癖をして、今のナマエは何とも暗い顔をしている。
 それほどに好きな相手だったならもう一度追いかけるなり縋るなりすればいいというのに、黙々と仕事に励むナマエにはその選択肢は無いようだった。
 ならば、ひたすらに執務室の中の空気を悪くするのも辞めてほしいと言うものだ。

「何でふられちまったんだァい?」

 ボルサリーノが軽く首を傾げて尋ねると、それが分からないんです、とナマエは返事をした。

「俺としては、至極当然のことをしただけなのですが、相手を逆上させてしまったようで」

「オ〜、女の子ってのは面倒な時があるからねェ〜」

 寄越された言葉に理解を示した様子で頷いてやってから、最初は何で喧嘩になったのかをボルサリーノは尋ねた。
 それを聞いて、ナマエが答える。

「ボルサリーノ大将をお出迎えするので、デートの誘いを断っただけなのですが」

「…………ん〜?」

「誕生日に恋人より上司をとるのかと怒鳴られまして」

 続けられた言葉に、ボルサリーノは軽く瞬きをした。
 少しだけ考えてから、その口がもう一度問いを紡ぐ。

「…………それでェ、なんて答えたんだァい?」

「ボルサリーノ大将をとると答えただけなんですが」

 頬を張られてしまいました、と返事をして、今はもう赤みのない頬を軽く押さえるそぶりをしたナマエに、そいつは災難だったねェ、とボルサリーノが言葉を紡ぐのには十数秒を要した。
 またか、とため息を吐きたいのを、仕方なく我慢する。
 ナマエは、いつもそうやって恋人に決別を言い渡されている男だった。
 恋多き海兵であるがゆえに、あちこちの女性を口説くのはまあ、風紀に乱れを及ばさない範囲である限りはボルサリーノとしても黙認している。
 三角関係を作るわけでも無く、一人の女性を思い熱烈にアピールして恋に生きている時のナマエは仕事の要領もよいので、その間のボルサリーノの仕事環境は快適そのものだからだ。
 しかし、ナマエは常にふられるのである。
 そして、大体の場合においてそれは、ボルサリーノが原因だった。
 正確には、何を置いてもボルサリーノを優先するナマエこそが、だ。
 昨日の出迎えも、ボルサリーノは決して義務付けたわけではない。
 軍艦に乗って帰還しているのだから、ボルサリーノとその部隊を迎えるのは軍港にいる海兵であって、執務室で書類と戯れていたナマエでは無い筈なのだ。
 しかしナマエは常に、笑顔でボルサリーノを出迎えにくる。
 お疲れさまでしたと微笑み、ボルサリーノに荷物があれば請け負って、かいがいしく世話を焼くのである。
 それはボルサリーノが遠征から帰還した時に限った話では無く、また噂によれば、ナマエが恋人の前で口にするのはボルサリーノのことばかりであるらしい。
 今も暗い顔をしているナマエは確かにその元恋人を好み、熱烈にアピールしていた筈だと言うのに、なんとおかしな話だろうか。

『愛されてんねェ』

 ボルサリーノに踏まれた腹を氷結させて再生しながら言っていたクザンの面白がる声音を思い出して、ボルサリーノはやれやれと肩を竦めた。
 愛だの恋だのといったくだらない話に興味はないが、毎度毎度その余波で執務室に暗い影を落とされるのは、何とも面倒くさい話である。

「ナマエ、ちょいと思うんだけどねェ〜」

 だからこそ口を開いたボルサリーノへ、どうかなさいましたか、とナマエが不思議そうな目を向けた。
 まっすぐに自分を見やるその視線を見返して、ボルサリーノは優しく言葉を紡ぐ。

「もうそのまま、わっしだけ一番にしておけばいいんじゃないかと思うんだよォ」

 寄越された言葉に、ナマエが一度、その目を瞬かせた。
 戸惑うようなその顔に、さてどう返事がくるだろうか、とボルサリーノは楽しげに笑って相手を観察する。
 ナマエがボルサリーノへそう言った感情を向けているのかどうかまではボルサリーノには分からないが、何よりもボルサリーノを優先させるのなら、いっそのことそのまま他に目を向けなければいいのだ。
 そうすれば、どこかで女性を掴まえることも、そうして結局ふられて暗い雰囲気を垂れ流すことを繰り返すことも無くなるだろう。
 腕を組み、ボルサリーノがいつものように笑って見つめる先で、ようやく思考をまとめたらしいナマエが、ゆっくりと口を動かす。

「…………普段と何も変わらないので、そうおっしゃられても困ります」

「………………そうくるかァい……」

 とても困った顔で寄越された無自覚な言葉に、それじゃあ仕方ないねェ、とボルサリーノはまた一つため息を零したのだった。


end


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