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嘘偽りなく本当のことを



 ナマエの態度にそんな兆候は無かったはずだと、クザンはぼんやり今までのやりとりを反芻していた。
 その目の前には、とても真剣な顔をしたナマエが佇み、ソファの定位置に座ったクザンを見下ろしている。
 顔はわずかに赤く染まっていて、先ほどの会話がクザンの勘違いでは無いことを伝えていた。

『クザンさん、俺、帰りたくなくなりました』

 ナマエがこの島で過ごすようになって一年目、三週間ぶりに訪れたクザンへ向けて、ナマエはそう言ったのだ。
 外での昼食を終えて部屋へ戻ってからの、会話の流れも無い唐突すぎるそれに首を傾げたクザンへ、ナマエはまっすぐにその視線を向けていた。

『だって、帰ったらクザンさんいないじゃないですか』

 とても大事なことだと言うようなそれに、クザンの顔にわずかな笑みが浮かんだのは、仕方の無いことだろう。
 クザンがそういう人間であれば勘違いしてもおかしくないような台詞だ。

『あららら……ちょっと保護してくれただけの人間にそんなこと言っちゃうわけ』

 だから、そう言って注意をしてやろうとしたクザンへ向けて、ナマエは更に口を動かしたのだ。

「好きです」

 数秒前と今と、全く同じ言葉が同じ声と抑揚で綴られて、クザンは瞬きをすることしかできない。
 顔を少しばかり赤くしたまま、それでもまっすぐにクザンを見下ろしたナマエは、少しだけ眉を下げた。

「……そんな困った顔しないでくださいよ」

「そりゃ……困るでしょうや」

 寄越された言葉に、クザンはため息を零す。
 ただの親愛と言うには何とも真剣な声音で、クザンが茶化して誤魔化してしまうには何ともまっすぐな眼差しなのだ。
 どう考えてもナマエの『好き』は『そういう意味』であり、まさか年下の同性にそんな感情を向けられるとは思っても見なかったクザンにとっては、晴天の霹靂でしかない。
 困ってしまったクザンを見下ろして、クザンさんがいけないんですよ、とナマエは責任を目の前の海軍大将へと押し付けた。

「クザンさんが俺を助けたりなんかするから。信じてくれないくせに、信じたいなんて言うから」

「……ナマエ」

 ナマエが綴るそれは、しばらく前にクザンが告げた言葉だった。
 だとすれば彼は、その思いを半年近くも隠してきたことになる。
 まったく気付かなかった、とその顔を見上げたクザンへ向けて、ナマエが続けた。

「そのくせ、俺の目の前で女の人を口説いたりなんてするからですよ」

 顔は赤いものの、眉を寄せたナマエは何だか不満げだ。
 その顔を見上げてから、そう言えば昼食を食べに行った時に女性に声を掛けたな、とクザンは思い出した。
 ナマエが途中で買い物をしたいと言ったのでそれを待っている間に通りかかった美人は、クザンを適当にあしらって行ってしまった。
 ナマエはその後に戻ってきたが、どうやらその現場も目撃していたらしい。
 よく分からないまま、クザンは首を傾げた。

「……何、妬いたの?」

「妬いたと言うか、もうこれは言わずにはいられない! と思いまして」

 クザンの言葉に、ナマエが拳を握る。
 その顔は真剣そのもので、どうしてそんな結論になるんだか、と呟いたクザンの口元がわずかに緩んだ。

「変なところで行動力あるよね」

「…………俺は、本当に急に、この世界に来ましたから」

 呟いたクザンへ返事にならない言葉を紡いで、ナマエがわずかに目を眇める。
 相変わらずの『嘘』が、何故だか重たい事実のように聞こえて、クザンは目の前の相手を観察した。

「突然、帰っちゃうかもしれませんし」

 まるでそれが怖いとでも言うように、ナマエが呟く。

「……だったら言っておかないと、一生後悔しますよ、きっと」

 そんな風に続けてから、そこでようやく、ナマエの顔が緩んだ。
 言えてよかった、とでもいうようなその顔を見ながら、クザンが肩を竦める。

「…………男の、こんな年上相手に好きだって言ったことの方が、酷い思い出になりそうだけどね」

 せめてクザンかナマエが女性だったなら美談だったかもしれないが、二人とも男性だ。
 いずれ後悔するんじゃないかと尋ねたクザンへ、そんなこと無いですよ、とナマエが笑う。
 それから、コーヒー淹れますね、と言葉を続けて、その体がキッチンへと向かった。
 ソファから見える範囲に移動していった背中を見送り、クザンがわずかに首を傾げる。

「………………返事はきかないの?」

 好きだ、と告白したのなら、次に彼が求めるべきはそれではないだろうか。
 尋ねたクザンの声は室内によく響き、ナマエの動きが少しだけ止まった。
 水を入れたケトルを持ったままで、背中を向けたまま、ナマエが呟く。

「返事、くれるんですか?」

 問いかけるそれは、まるで怯えているようだった。
 まあね、と返事をしかけてから、クザンもそれに気付いて口を閉じる。
 今この場で、クザンがナマエに告げる『返事』は、断り文句しか存在していないのだ。
 クザンは女性が好きで、ナマエだって目撃したのならそのくらいは把握しているだろう。
 だからこそ、ナマエはそれを求めていないのだ。
 そう把握して、あー、とクザンが声を漏らす。

「………………そうね、また今度ってことで」

「はい」

 クザンの言葉を予想していたのか、ナマエが頷いた。
 そこでようやくケトルを火にかけて、その手がクザン用のカップと自分用のカップを食器棚から取り出す。
 コーヒーも用意して、それぞれにフィルターをセットしてから、ナマエがクザンの方を振り向いた。

「あの、」

「ん?」

「これからも、会いには来てくれますか?」

 それとももう嫌ですか、と尋ねるナマエに、クザンは体を前に倒して頬杖をついた。
 開いた手をひらりと振って、わざとらしくいつも通り、まあね、と言葉を紡ぐ。

「ナマエの飯も、食べ慣れてだんだんクセになってきたし?」

 茶化すようにそう言ったクザンに、ナマエがあからさまに体の力を抜いた。
 安堵したように笑って、その手が手元のコーヒー缶を片付ける。

「それならよかった。男は胃袋を掴むもんだって言われましたからね」

「いや、胃袋っつうか……舌じゃない?」

 軽口をたたきながら、いつも通りの顔になってしまったナマエへ向けて、クザンも軽く笑顔を向けた。
 結局それからもナマエの態度は何も変わらず、『返事』をしていないという事実を、クザンはすっかり忘れてしまっていた。



end


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