現在職務遂行中
素晴らしいことが起きた。
何のことかと言うと、俺はついにサカズキの遠征に連れて行ってもらうことが出来たのだ。
正確には『遠征』ではなくて『訓練』であるらしいのだが、どちらにしてもサカズキの遠出に連れて行って貰えたことに変わりはない。
まだ後ろ足だけで立ち上がってもサカズキの腰にも届かないような俺を連れていくと決めたサカズキの真意は分からないが、何かの期待を俺に掛けてくれたと言うのなら、俺はそれに応えるだけだ。
そう、応えるだけなのだ。
「…………わふ」
だからこそ、こんな暑さに負けてなるものか。
そう心に誓い、気合を入れて佇む俺が今いるこの場所は、炎天下の夏島だった。
今回のサカズキの部隊の『訓練』が行われている島だ。
どうやら犬の体と言うのは汗をかくことが殆ど出来ないらしく、気化熱の足りない俺の体はあつあつのほかほかだった。
それでも木陰に逃げ出したりしないのは、軍艦を降りた先の岩場でサカズキが佇み、『訓練』を行っている海兵達を見守っているからだ。
俺も同じように視線を向ければ、何隻かの軍艦が模擬戦をやっていて、時々砲撃や怒号が飛び交っていた。
太陽に晒された岩場は、ただの岩であるはずなのにじわりと温かく、俺の肉球をじりじりと熱している。
この暑さの中、あのスーツのままコートまで背中に掛けて佇めるサカズキは、さすが海軍大将だった。
ひょっとすると、マグマ人間というのは随分と体温が高くて、こんな炎天下ですらも涼しく感じるのかもしれない。
そんなことを考えて見上げると、ゆらりとその肩の上に陽炎が見えた気がして、俺はふるりと頭を横に振った。
俺のその動きが視界に入ったのか、ずっと海の方を眺めていたサカズキが、ちらりとこちらへ視線を向ける。
「……ナマエ、影に入っとれと言うたろうが」
「わん」
そうして寄越された言葉に返事の鳴き声を上げて、ぱたりと尻尾を左右に振る。
さっきから何度も、サカズキは俺に『影へ行け』と言っていた。
けれどもそれに従うと、俺はサカズキから随分離れた場所に行かなくてはいけない。
サカズキが立っているこの岩場は海が見渡せる高い場所にあって、周りには木の一本も生えていないのだ。
何の仕事も無いなら指示に従うが、今の俺の背中には、先程訓練が始まる前にサカズキの部下が背負わせてくれた鞄がある。
中には水筒が入っていて、俺の頭を撫でて行ったドレーク曰く、その中身は『サカズキ大将の為の水』だった。
これだけ暑いのだ。サカズキだってそのうち水分が欲しくなるだろうし、ならば俺はサカズキが飲みたい時にすぐ飲めるよう待機しているべきだった。
まだこの体は小さくてこんなことしか出来ないのだから、絶対にやり遂げるのだ。
気合いを入れて両足を踏ん張り、ぐっと胸を張った俺の真横で、何をはりきっちょるんじゃあ、とサカズキが少しだけ呆れたような声を出した。
しかしそれでも、俺を強制的に影へ追いやったりはすることなく、仕方なさそうにその目が海の方を眺めたのが分かる。
また『訓練』の監督を始めたサカズキの横で、俺も同じように海を見やった。
サカズキがこうして見守っているからか、それともサカズキの部隊だからか、ぎらぎらと輝く太陽の真下でも、海兵達の動きは俊敏だった。
鬼気迫る怒号と共に競い合い、暑苦しく攻撃し合っている。
人数の割に軍艦が多いような気がしたのだが、ひょっとするとこの『訓練』が終わるころには一隻二隻は使い物にならなくなるのかもしれない。
そこまで想定してここまで来たのだとしたら、この激しい『訓練』はきっとまだまだ続くだろう。
砲撃が続き、白い煙の向こうから飛び出して来た砲弾が相手側の船から飛び立った誰かに真っ二つに切り裂かれる。
それと共に強烈な炸裂音がして、はじけ飛んだ軍艦の装甲の一部がこちら側へと跳んできた。
「きゃんっ」
驚いて変な声が出た俺が目を閉じるよりも早く、飛んできたそれに何かがぶつかり、どしゅうと熱そうな音を立てて煙を零しながら勢いを殺して落ちていく。
すぐ横に真上からの日差しとは違う熱さを感じて視線を向けると、向こう側にあるサカズキの左腕が、すっかりマグマへと変貌していた。
正面へまっすぐ向けられているので、多分今、飛んできたあれを撃ち落したのはサカズキのマグマだろう。
そっと岩壁から身を乗り出して見下ろせば、海に落ちた溶岩が海水に冷やされて黒く変色していくところだった。
たくさんの海水が湯気に変わり、むわりと上がってくるその熱気に慌てて身を引く。
「処理が甘いわ」
すぐ横でそんな風にサカズキが唸って、どろどろに溶けたその拳が正面より少し上へと向けられた。
零れたマグマがぼたぼたと岩の上へ落ちるのも気にせずに、ぶくりと膨らませたそれから飛び出した溶岩がいまだに『訓練』を続ける海兵達の方へと飛んでいく。
そこらの大砲よりも恐ろしいそれらに気付いた海兵達が悲鳴のような声を上げて、慌ててそれを回避している。
まさか部下を殺すつもりはないだろうから手加減はしているだろうけど、サカズキが飛ばしたマグマはやっぱり強力なようで、砲撃で撃ち落とすのも苦労するようだった。
ざばんざばんと海に落ちて水柱を上げるそれらを眺めて、当たったら熱そうだななんてのんきなことを考えてから、むわりと漂ってきた熱気に、わふ、と小さく声を漏らす。
ちらりと見やった先ではサカズキがすでにマグマ化を解いていたけど、俺から見てサカズキの向こう側にあたる岩の上は、赤黒いマグマでじゅうじゅうと焦げていた。
岩すら溶かすその熱気が、太陽の日差しとはまた違った方向からこちらを攻撃してきている。
見上げたサカズキは表情の一つも変えないから、やはりマグマ人間は周囲の体感温度が他と違うのかもしれない。
そうだとしたら氷結人間の青雉もそうなんだろうか。言葉が通じたなら聞いてみたいところだ。
それにしても、暑い。
漂う熱気に足を少しだけ引きかけて、しかし背中の重みを思い出した俺は改めて居住まいを正した。
今の俺は仕事中だ。
もはや人間ではなくてただの犬だが、サカズキに拾われたあの日から、俺はサカズキの役に立つ犬になると決めたのだ。
そうなれば、いくら汗をかけない体で毛皮に包まれていたからと言って、職務を放棄していいわけがない。
ふん、と鼻息を荒くして、しかしやっぱり体温調節の為に舌を出して息を零した俺の上に、すっと影が掛かった。
「……わふ?」
戸惑って見上げれば、あの白い正義のコートの裾をこちらへ向けて差し出したサカズキが、俺の上に影を作っていた。
その目はまたこちらを見ていて、頑固な奴じゃのう、なんて言葉がこちらへと落ちる。
「これで少しは楽になったじゃろう」
手間かけさせよって、なんて言いながらも怒ってはいないその顔に、ぱちぱちと瞬きをする。
相変わらずすぐ近くでは岩の溶ける音がしていて、そちらから漂う熱気には少しの変化もなかった。
その原因を作り出したのはサカズキだが、俺の真上からの日光を遮ってくれているのもサカズキだ。
やることは徹底的で一部の海兵からは怖がられることもあるようだが、やっぱり相変わらず、サカズキは優しい。
その優しさを向けられて嬉しくなった俺は、ぱたたたと尻尾を振って、わん! と元気よくそちらへ返事をした。
ちぎれそうなくらい尾を振る俺に笑って、サカズキの視線がもう一度、『訓練』を行っている部下達へと向けられる。
直射日光を遮ってくれるサカズキのすぐ隣で、相変わらず漂ってくる溶岩の熱気に耐えながら、俺はその日の職務を全うした。
余談だが、後でサカズキが分けてくれた水はとても温かったが最高にうまかった。
end
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