雨の日も二人
※子ボルサリーノ逆トリップ注意
※時間軸が曖昧
ナマエが目を覚ました時、外からは激しく水音が響いていた。
その手がベッドわきのカーテンを引いて、時計の時刻に比べて薄暗い外を見やる。
「……雨か」
窓を叩くような雨粒に呟いて、ナマエは軽く伸びをした。
そこで、はた、と気付いてその目が室内を見やる。
「…………ボルサリーノ?」
どう考えても日本人の名前では無いそれをナマエへ名乗った小さな子供の姿が、薄暗い室内のどこにもないのだ。
この家には余分な寝具など無く、ナマエよりずいぶんと小さな少年の寝床はナマエと同じベッドだと言うのに、これはおかしな話だとナマエの頭が軽く傾いだ。
不思議そうな顔のまま、少しばかり考えてから、あ、とナマエの口から声が漏れる。
「…………ピクニックだ」
それは昨日、子供がナマエへ寄越した提案だった。
※
ボルサリーノという名前の子供がナマエの元へとやってきたのは、ほんの数日前のことだった。
目の前の何もない筈の空間から唐突に飛び出して来た子供の足がナマエの肩を蹴り飛ばし、驚いて倒れたナマエの腹の上へと落下したのだ。
困惑しながらも、『前例』があるためにそれほど動揺しなかったナマエを見おろし、その手にあったイーゼルを恐るべき右手の『光』で半壊させた子供は、しかし行くあてなど無く、そのままナマエの世話になることになった。
最初はどうもナマエを警戒していたようだが、ナマエが『ヒカリニンゲン』である自分より弱いと把握するとすぐにその様子も無くなった。
何とも酷い話だが、ただの絵描きでしかないナマエの手が何かを凍らせたり光に変化するわけがないので、それももっともな話だとナマエも納得している。
「…………ボルサリーノ、眩しい」
寝室を出て訪れたリビングで、まるで太陽を放り込んだかのように煌々と輝く一角へ向けて、一昨日ようやく見つけた古びたサングラスをかけたナマエはそう口を動かした。
色のついたガラスの向こうで、両手で膝を抱えたままの小さな子供の、その体が発光している。
『ヒカリニンゲン』と呼ぶらしい特異体質の異世界人は、その体のすべてを光に変化させることが出来る少年だった。
その『光』には温度すら乗せることができ、そのせいでナマエのイーゼルは一つ駄目になった。
恐るべき能力を持っている子供がそのコントロールに長けていなかったら、さすがにナマエもボルサリーノの寝床を別に用意したに違いない。
そう、ボルサリーノは、自分のその『能力』の扱いがとても巧みだ。
それだと言うのに、ナマエに言葉を投げられてもなお光を弱めずに、ボルサリーノはちらりとナマエを振り返る。
その顔が少し困っているように見えて、軽く頭を傾けてからナマエは子供へ近付いた。
「どうかしたのか?」
室内灯よりよほど明るく屋内を照らす子供へ向けて、ナマエがそう問いかける。
膝を抱えて座ったままで、なんでもないよォ、とボルサリーノは呟いた。
少し間延びした癖のある喋り方を乗せるその声も、やはりどこか沈んで聞こえる。
光源に近付いてはさすがにサングラスをしたままでも耐えられず、少しばかり目を眇めながら、そのままナマエはボルサリーノの傍へと屈みこんだ。
「何でもないなら、光るのをやめてくれ。何も見えなくなったら絵が描けない」
網膜を焼くような輝きを放つ子供へそう言えば、子供がむっと口を尖らせた。
「……それならァ、あっちいけばいいでしょォ〜」
じぶんからちかづいてきといて、と続く言葉には不機嫌さすら滲んでいるようだ。
肌を刺す光に少し熱がこもったのを感じながら、だって気になるんだから仕方ないだろう、と光の源へ向けてナマエは呟いた。
その手がボルサリーノの体へと触れて、身じろぐ子供に構わず、ひょいと子供の体を持ち上げる。
自分の膝へ乗せるようにすると、不安定な場所へ乗せられてナマエの手を掴んだボルサリーノの体が、少しばかり光を弱めた。
「……なにしてるのォ?」
戸惑ったように言いながら、ボルサリーノがナマエを見上げる。
サングラスの向こうのその顔を見つめてから、ナマエは気にせずボルサリーノを抱き直し、ひょいとそのまま立ち上がった。
小さな子供の体は軽く、普段大量の画材を持って移動することの多いナマエの腕は簡単にそれを支える。
ますます不安定な体勢になり、慌ててナマエの肩に手を回したボルサリーノは、更にその体の光を弱めた。
「ナマエ〜……?」
「せっかく用意したのに、こんなところで拗ねててどうするんだ」
不思議そうな子供へ向けて言いながら、ナマエはそのままリビングを横切り、隣接されているキッチンへと足を運んだ。
輝く子供を抱えたままで、その手がキッチン内の冷蔵庫を開き、中から昨晩作ったものを取り出す。
男所帯で作ったそれはあまり手は込んでいないが『弁当』で、耐熱式の小さな容器を温めるべくレンジへ入れ、扉を閉じると、その腕の中の輝きが更に弱まった。
まだ少し光ってはいるが、サングラスを掛けなくても大丈夫そうだ、と判断して、レンジのスイッチを押したナマエの手がサングラスを外す。
少しだけ視界に残像の残る目を瞬かせて、それから腕に抱える子供を見ると、不思議そうなその顔がナマエを見上げていた。
「…………おそと、あめだよォ〜?」
そんな風に呟くボルサリーノに、そうだな、とナマエは答える。
キッチンからも覗く窓の外は、先ほど寝室で確認したのと同じく豪雨だった。
ひさしが大きいからか、寝室で聞いたほど窓を叩く音はしないが、無風でもないだろう。
冬だったら凍えるほど寒かったに違いないそちらを見やってから、すぐにナマエの目がボルサリーノへと向けられる。
「レインコートを買っておいてよかったな、ボルサリーノ」
つい先日、世話をする子供の衣服を買いに行った先で、ナマエが買い与えたそれは玄関に干されていた。
出番など無いかもしれないと思った可愛らしい黄色の生地を思い浮かべたナマエの服を、小さな手が掴まえる。
「……あめがふってたらァ、おえかきできないでしょォ?」
おしごとなのに、と続くボルサリーノの声は、何とも弱弱しい。
普段の様子とは打って変わった、何とも幼いその様子に少しだけ微笑んでから、まあな、とナマエは頷いた。
傘をさしてスケッチなどできるはずもないし、何よりナマエの持っている画材はそれほど水に強くはない。
しかし、それなら絵はまたの機会に描けばいいだけのことだ。
そう言ったナマエへ、ボルサリーノが眉を寄せた。
「ぬれちゃうよォ〜?」
言葉を零して、子供は首を傾げる。
そろそろ新しいスケッチをしようかなと呟いたナマエへ、それならピクニックにいきたい、と声を上げたのは昨日のボルサリーノだった。
行ったことが無いと言い、本で読んだから行きたいともう一度繰り返した子供に、それなら行くか、と頷いたのはナマエだ。
これほどの大雨が降るとは誤算だったが、向かう先には殆ど放置状態の東屋もあるのだから、食事位は出来るだろう。
真冬だったらさすがに断念したかもしれないが、今の季節なら、雨に濡れてもそれほど冷えることもない。
何より、『前例』を知っているナマエにとって、ボルサリーノはいつ『元の世界』へ帰るか分からない存在だった。
『元の世界』でのボルサリーノがどういう生活をしていたのかは知らないが、それならやりたいと言ったことはさせてやりたいと、そのくらいのことは人から離れた生活をしているナマエにだって思えるのだ。
「帰ったらすぐに風呂に入れば大丈夫だろう」
タオルも持っていくか、と呟いたナマエの言葉に、ぱちぱち、とボルサリーノが瞬きをする。
それから、その体がまたしても輝き、不意打ちの眩さに思わず目を閉じたナマエの体に、小さな子供が思い切り抱き付いた。
嬉しそうにぎゅうぎゅうと抱き付きながらナマエの網膜を攻撃するボルサリーノの後ろで、レンジが短く温め終了の声を漏らしていた。
end
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