はんぶんこ
※子ボルサリーノ注意
※逆トリップ話につき注意
※バレンタインネタ
「ばれんたいんって、なァに〜?」
寄越された言葉に、ん? とナマエは声を漏らした。
その視線をキャンバスから離して声がした方へと向ければ、最近ナマエしか住んでいないはずのこの家の住人となっている小さな子供が、細い足を投げ出すように座っている。
小さなその膝の上には厚みのある雑誌があり、傍らには紙が数枚と先が丸くなったえんぴつ、それから辞書がいくつか落ちていた。小さなその背中を支えている大きなクッションは、先日少年のためにナマエが用意したものだ。
どう見たって普通の子供だが、彼が『異世界』の人間であるということをナマエはよくよく知っている。
初対面でナマエのイーゼルを半壊させた『ヒカリニンゲン』であるらしいその子供は、体を光に変えて誰かを攻撃することが出来る、ナマエが知っている常識の中ではあり得ない存在だった。
「急にどうしたんだ? ボルサリーノ」
尋ねつつ、キャンバスから体ごと少年の方へ向き直ったナマエへ、えっとねェ、と声を漏らした子供が立ち上がる。
小さな手で大きな雑誌を抱えたまま、歩き出した彼はそのまままっすぐにナマエへと近づいて、開いたままのそれを椅子に座るナマエの膝の上へと乗せた。
「これ、ここにかいてあるでしょォ?」
言いつつボルサリーノが指差したのは、何やら特集が組まれた記事の一つだった。ずいぶんと季節外れだ。
この世界へとやってきたときにはひらがなを読むことすら覚束なかったと言うのに、彼はどうやらカタカナも平気で読めるようになったらしい。
子供の成長というものをひしひしと感じながら、うーん、とナマエが言葉を零す。
「そこに載ってるのは、日本の風習だからなァ」
「ニホンのフーシュー?」
「世界的には少し違う、と聞いたことがある」
「セカイテキにィ?」
寄越された言葉に首を傾げて、少しだけ眉を寄せた子供が、むっと唇を尖らせた。
小さな手がぱむぱむと雑誌を叩いて、ナマエが知ってることだけでいいからおしえてよォ、とその口が言葉を紡ぐ。
そうだなとそれへ頷いて、ナマエはひょいと膝に乗せられた雑誌を掴まえた。
「俺が学生の頃は、女子が好きな相手にチョコレートを渡す日だったよ」
『本命』だの『友』だの『義理』だの、果ては『キープ』だの『投資』だのと言った言葉まで掲載されているそれらを確認してから、ナマエの手が雑誌を閉じる。
表紙にあった年度は数年前のもので、どうやら以前業者が置いていったものが本棚に紛れていたらしい、とナマエは把握した。
カラーのページが多いのでボルサリーノの目を引いたようだが、この雑誌はどうも、子供向けだとは思えない。
すでに大体のページは眺めたのか、本を取り上げた格好になったナマエを非難することなく、ボルサリーノは首を傾げた。
「すきなヒトにわたすのォ? ……なんでチョコレート〜?」
「チョコレートを作った会社がそうしようと言いだして、定着したって話だったな、そういえば」
「カイシャ?」
「……まあ、大人が決めたんだ」
「ふうん?」
ナマエの返事に、ボルサリーノが声を漏らす。
少し考えるようにその目がナマエから離れてから、何かを思い立ったらしい子供の手が、ぱっとナマエの膝から離れた。
「ボルサリーノ?」
「ナマエ、まだオエカキのとちゅうでしょォ? ぼく、つぎのごほんとってくるねェ〜」
呼びかけたナマエへそんな風に言ってから、ボルサリーノの手が雑誌を持ったままのナマエへ向けて差し出される。
かたづけてくるからちょォだい、と寄越されて、ナマエは素直にその小さな手へと雑誌を乗せた。
受け取ったそれを抱えて、一時間前にこの部屋へ来たのとちょうど逆の道を辿ったボルサリーノが、部屋の外へと消えていく。
隣の部屋の本棚へと向かったのだろう小さな背中を見送ってから、軽く頭を掻いたナマエはその視線をキャンバスへと戻した。
白いその上には、昨日ボルサリーノと共に行った近郊の丘の絵が薄い線で描かれていて、半分ほど色が乗っている。
山々が秋と冬のはざまの彩を保ち、あたたかな日差しが落ちていたそこを思い返しながら、改めて筆を手にして、ナマエはゆるりと筆先をキャンバスへと押し付けた。
パレットから運んだ色が、そこにナマエが見た景色を鮮やかに描いていく。
あともう少しで完成するそれが終わったら、次はボルサリーノの絵を描こう、なんてことをナマエは頭の隅で考えた。
一緒に丘へ行った時も、ボルサリーノはナマエの本棚から持ち出した本を抱えていて、スケッチするナマエの傍らで大人しくそれを読んでいた。
分からない漢字や言葉を時々聞かれながら過ごしたあの時間はとても穏やかで、それを残したいと思ったからだ。
もちろん子供の許可なくそんなことは出来ないので、これを完成させたら頼んでみるかとナマエが結論を出したところで、ぱたぱたと小さな足音が部屋の方へと近づいてきた。
ボルサリーノが戻ってきたらしい、と気付いてナマエが筆を扱うその手を止めて視線を向けると、ちょうど部屋へと入ってきたボルサリーノが、そのままぱたぱたと歩み進んでナマエへと近寄ってきた。
「はい、ナマエ」
そうして言葉と共に何かを膝へと押し付けられて、ナマエの視線が自分の膝を見下ろす。
ボルサリーノの小さな手が抑えていたのは、甘いにおいのする板状のチョコレートだった。包みがちぎれているのは、半分が昨日のボルサリーノのおやつとなったからだ。
ぱち、と瞬きをしてから、ナマエの視線がボルサリーノへと向けられる。
「……食べないのか?」
昨日は美味しいと喜んで食べていた筈だが、飽きてしまったのだろうか。
そんな風に思ってのナマエの言葉に、何故かボルサリーノは怪訝そうな顔をした。
不思議そうにその首が傾げられてから、んー、と声が漏れる。
「ナマエ、きょお、なんにち〜?」
「今日か? 今日は十四日だな」
頭の中にカレンダーを描きながら答えて、ナマエの目がもう一度自分の膝の上の『チョコレート』を見やった。
それから、ほんの少しの沈黙の後で、ん?、と小さくその口が動く。
「まだ二月じゃないぞ」
「だってずっとさきでしょォ〜?」
教えてやったナマエへ、もう、とボルサリーノがすこしばかり唇を尖らせた。
どうやらこの子供は、『バレンタイン』がやりたいらしい。
不満そうなその顔に、悪かった、と返事をしてから、ナマエの手がひょいとボルサリーノが渡してきた食べかけのチョコレートを掴まえる。
包みを開こうとしてから、動かした手が絵の具で汚れていることに気付いて手を止めたナマエを見上げて、ボルサリーノがよいしょと声を漏らしてナマエの膝の上へとよじ登った。
小さいとは言え、急に体重を預けられて、ナマエが慌ててバランスをとる。
膝に乗せた相手が後ろ向きに倒れたりしないよう気遣うナマエを気にした様子もなく、ナマエの両足を跨ぐようにして座り込んだボルサリーノの手が、ナマエが片手で持ったままのチョコレートの包みをぴりぴりと開いた。
「ナマエは、す〜ぐてェよごすんだからァ」
銀色の包みを破きながらの非難に、絵の具を使ってるからな、とナマエは笑って答える。
見ず知らずのナマエに保護された形となっているボルサリーノは、よくそうやって小さな体で彼なりにナマエの世話を焼いていた。
仕方なさそうに言いながら、そのくせ楽しいと言いたげな顔ばかりをするので、ナマエも彼のしたいようにさせている。
「せっかくのボルサリーノのおやつなのに、俺が食べてもいいのか」
「しっかたないよォ〜、オトナがきめたんでしょォ〜?」
チョコレートが残りの半分ほどを露出したところで手を止めたボルサリーノは、ナマエの言葉にそんな風に返事をした。
その手がナマエの腕を掴まえて、ぐい、と無理やり動かし、ナマエの手が持ったままのチョコレートがナマエの口へと押し付けられる。
「すきなヒトにあげるんだからねェ〜」
ナマエが買い与えたチョコレートを使ってそんなことを言う相手に笑って、ナマエはそのままチョコレートに噛みついた。
無理やり歯が触れていない部分からへし折るように割って、包み紙側に残った三分の二を、そのまま膝の上の子供の口へと押し当てる。
「それじゃあ、俺もやらないとな」
口にチョコレートのかけらを咥えたまま言葉を放ったナマエに、ボルサリーノがぱちくりと目を瞬かせた。
それから、ナマエの手から離れた掌が、そっと口に押し当てられたチョコレートの包みを掴む。
そっと自分の口から離したそれを見下ろして、やや置いてその口元に笑みを浮かべて、子供は改めてナマエを見やった。
「ぼくもたべていいのォ〜?」
「ああ、半分こな。残りはボルサリーノのだよ」
問われた言葉にナマエが答えれば、やったァ、と嬉しそうに言ったボルサリーノがチョコレートにかじりつく。
どうやら、まだそのチョコレートに飽きてはいなかったらしい。
嬉しそうに菓子をかじるボルサリーノを膝に乗せたまま、そう判断したナマエも同じように、咥えていたチョコレートを口の中へと引きこんだ。
口中に広がる久しぶりの甘味を噛みしめながら、汚れた手でボルサリーノの服に触れないように注意をしつつ、小さな体を支えるように腕を回す。
結局、ボルサリーノがおやつを終えるまでナマエの膝は解放されず、絵が完成したのはその日の夜のことだった。
子供の快諾を得て次のキャンバスに子供の絵が描かれ始めたのは、次の日からだ。
それが、一緒にいられる最後の日を迎える為の行為だと言うことにナマエが気付いたのは、絵が完成したその翌日のことである。
end
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