裏切り者の緩やかな死
※何気に異世界トリップ主人公は死にたがりにつきちょっと暗め
※戦争編後
ふと気配を感じて、ナマエの視線が彼方を見やる。
高いバルコニーの向こうに広がるのはグランドラインの大海原と青い空で、しばらくそちらを見つめていたナマエの目をちかりと刺したのは、見覚えのある輝きだった。
ぴか、と光った何かがナマエの真横に留まって、あまり時間をかけずにそこへ姿を形成していく。
唐突すぎるその様子に驚いた顔の一つもせずに、ナマエは仰ぐほど大きくなったその人影を見上げた。
ふうと息を吐いたその人が、移動手段とは違ったゆるりとした動作で視線を動かして、傍らのナマエを見やる。
「ナマエ、元気にしてたかァい?」
問いかけられて、はい、とナマエは頷いた。
その手が今まで触っていたガーデニング道具を置いて、つけていた軍手も外す。
「お茶お飲みになりますか、ボルサリーノ大将」
「オォ〜、もらおうかねェ〜」
にっこり笑ったボルサリーノの台詞に分かりましたと頷いて、ナマエはそのまま室内へと戻った。
ナマエが住むには少し広いその家は、小さな無人島の外れに建っている。
時々の休暇をここで隠れて過ごしているという持ち主に合わせてあちこちが大きく高い作りになっているので、成人しているが一般的な身長しかないナマエは場所によっては踏み台が手放せないのが現状だ。
いつもの通り踏み台を運んで紅茶を淹れて、トレイに乗せたそれを手にバルコニーへと戻る。
勝手知ったる様子でバルコニーに置かれた白磁の椅子に座っていたボルサリーノの前にトレイから紅茶を移動させると、礼を紡いだボルサリーノがひょいとカップを持ち上げた。
そのままカップに口をつけるボルサリーノの向かいにある小さめの椅子へ自分も腰掛けて、ポットと自分の分のカップをトレイと共にテーブルへ置いてから、ナマエは首を傾げた。
「ボルサリーノ大将、なんだかお疲れの顔をしてますね」
いつだってひょうひょうとした顔をしているボルサリーノが、ナマエに分かるほどの疲れを見せることはごく稀だ。
そう思って声を掛けたナマエへ、ボルサリーノが不思議そうな顔をする。
そんなつもり無いけどねェ、と呟いてからカップをソーサーへ戻したボルサリーノは、やや置いてから背もたれにその大きな背中を預けて足を組んだ。
「……センゴクさんが、退陣することになってねェ〜」
穏やかに呟いたボルサリーノの言葉に、ナマエが少しばかりの驚きを浮かべる。
それをちらりと見てから、ボルサリーノは続けた。
「サカズキとクザンが、跡目争いしてんのさァ」
『徹底的な正義』を掲げる大将赤犬と『だらけきった正義』を掲げる大将青雉の間に挟まれているらしい大将黄猿の言葉に、そうですか、とナマエは頷いた。
トレイの上から自分のカップを持ち上げて、それをソーサーごと改めてテーブルの上に置きながら、少し考えるようにしてからナマエが呟く。
「……ボルサリーノ大将はしないんですか?」
「わっしかァい?」
寄越された言葉に、ボルサリーノが少しばかり目を丸くする。
怖いこと言うねェと肩を竦めて、その口にわずかな笑みが浮かんだ。
「やだよォ、元帥なんてェ〜……上と下に挟まれてろくなことになんねェだろォ〜?」
気疲れしちまうよォと続けたボルサリーノの口がため息を零して、その大きな手がもう一度自分のカップを捕まえる。
「まァ、話し合いで解決すればいいんだけどねェ〜」
持ち上げたそれを口へ近付けながら呟いたボルサリーノに、ナマエはカップを持ち上げもせずに言葉を投げた。
「しないですよ」
「ん〜?」
「解決しないです。決闘になりますよ、新世界で」
あまりにもきっぱりはっきりとした言葉に、ボルサリーノの視線がナマエへと戻される。
椅子に座ったまま、正面からボルサリーノを見つめたナマエは、いつもと変わらない顔でボルサリーノを見つめ返した。
ナマエがどこの誰なのかと言うことを、ボルサリーノは知っている。
ナマエがそれを語ったからだ。
火拳の二つ名を持つ海賊を助けて海軍に追われる身になって、殺しに来てくれたはずのボルサリーノの手で白ひげ海賊団の元から攫われたあの日、ここへつれて来たボルサリーノにナマエは全てを吐き出した。
殺してもらえるのだから、頭がおかしいと思われたって、軽蔑されたってもう構わないと思ったからだ。
自分がどれだけ最低な人間であるかと言うことも、自分が未来を少しばかり知っていたということも、帰り方も知らず、帰る場所も帰る資格も無いことも言い募ったナマエを、ボルサリーノは笑いも怒りも罵りもしなかった。
ただそのまま受け入れて、宥めて、ナマエをここへ閉じ込めたのだ。
孤島の端に作られたこの家は大きな壁に阻まれていて、中から外へ出ることも外から中へ入ることも容易には叶わない。
光人間であるボルサリーノにとっては簡単な行為だろうが、貧弱な海兵でしかなかったナマエには無理な話だった。
広すぎる庭と家のあるそこで過ごして、休みになるたびやってくるボルサリーノを迎えて過ごして、もう随分と経つ。
あの日ナマエが語ったことを忘れてはいなかったらしいボルサリーノは、ああ、と納得したように声を漏らしてから、カップ片手に口を動かした。
「……どっちが勝つかも分かるかいィ〜?」
「サカズキ大将です」
「……オォ〜、やっぱりそうだろうねェ〜」
ナマエが放った答えに、ボルサリーノが頷く。
そうなるとまた忙しくなるねェ、なんて呟いてカップをソーサーへ戻したボルサリーノの前で、ナマエがそっと口を開いた。
「…………あの、ボルサリーノ大将。それで、今日は俺を」
「ナマエ〜」
殺しに来てくれたんですか、と紡ぐところを呼びかけることで遮られて、ナマエの目が縋るようにボルサリーノを見つめれば、それを見返したボルサリーノが肩を竦めた。
「サカズキが元帥になってェ、後続が育ってわっしが退役したらァ、もう少し田舎に引っ越そうかァ」
穏やかすぎるその言葉に、ナマエがぱちりと瞬きをする。
戸惑う彼に笑いかけて、ボルサリーノの声が続きを紡いだ。
「手配書もなかなか出回らないようなとこでさァ〜……こうやって、お茶でも飲んで過ごすんだよォ」
まるで夢でも語るようなのんびりとした声音に、ナマエが少しばかり顔を顰める。
ナマエをここへ閉じ込めてから、ボルサリーノはいつだってこうだった。
今日こそ殺してくれるのか、と尋ねるナマエをはぐらかして、その手に掛けることなく帰っていく。
罰が欲しいと強請るナマエへ、決してそれを与えてはくれないのだ。
不満げなナマエの顔を見やって更に笑みを深めたボルサリーノは、わっしはねェ、と呟いて、両手を足の上で軽く組んだ。
「殺してくれって言われて殺してやるほどお人良しじゃァないよォ〜?」
知ってるでしょォ、とまで囁かれれば、確かにその通りだと思ってしまったナマエは口を閉じた。
ボルサリーノが、海軍大将らしく非情な面を持っていることを、ナマエは知っている。
目の前で海賊達を殲滅されたあの時、この人なら自分を裁いてくれるに違いないと、そう思ったのだから。
ナマエはボルサリーノに罰してもらいたかった。
だから、ここへ閉じ込められても抵抗をしないし、逃げ出そうとしたこともない。ボルサリーノだって、そんなことは分かりきったことだろう。
俯いてしまったナマエへ向かって、ボルサリーノが優しく囁く。
「でも、最後はちゃァんとわっしが殺してやるからァ、安心して一緒にいなよォ」
優しく優しく響いたその言葉に、ナマエはしばらくうつむいたままでいて、それからゆっくりと顔を上げた。
目の前の相手を信じきったその双眸でボルサリーノを見つめて、はい、とその口が声を零す。
「はい、ボルサリーノ大将」
いつか殺してくれると約束してくれるなら、ナマエはいくらだってボルサリーノに従うだろう。
例えばボルサリーノが約束を果たしてくれるのが、自身の今際の際だったとしたって構わない。
素直なナマエの言葉に目を細めたボルサリーノが、ついでに名前だけで呼ぶ練習もしていなさいねェ、なんてことを言って、持ち上げたカップの中身を飲み干す。
空になったカップへいつもの通りポットから紅茶を注いだナマエは、それからはいつもの通り、休暇中の大将黄猿をもてなすことに専念したのだった。
end
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