ぬくもりの魔術
※アニマル主人公は仔猫
※ほぼ海軍大将赤犬
※『とある猫のはなし。』『此処こそ安全地帯』と同設定
俺はナマエ。
猫だ。
いや、かつては人間だったはずなのだが、死んで気が付いたら猫だった。
それも仔猫だ。
周りの人間がどうしようもなく大きいのもあって、その指三本もあればすっかり尻を落ち着けられる程度には小さい。
まるで育っている気がしないが、結構食べているし多分大きくなっている、筈である。
しかし、それでも間違いなく肉付きは悪い。
仔猫特有の丸い腹は別として、他の部分は大体が毛皮と皮と骨なのだ。多分、鍋で煮込んでも出汁しか出ないと思う。
だからそんな、じっとこちらを見ないでほしい。
「……に」
尾を体に巻き付けて、耳を少しばかり寝かせながら、俺は小さく鳴き声を零した。
聞こえたのか聞こえていないのかは分からないが、こちらを見据えている視線はそれでも外れない。
着替える時も物静かだった目の前の相手は、今は俺のよく知る『和服』に近い恰好をしている。
俺の飼い主の同僚であるその人間は、海軍大将赤犬だった。
人間だった頃読んだ漫画の記憶が正しいのならば、随分と苛烈な正義を担っていた海兵だ。
『大将黄猿』の飼い猫であるはずの俺がどうして今彼の前にいるのかと言えば、ここが彼の私宅で、そして俺が今のところ、この家で過ごしているからである。
『…………なんじゃァ、そりゃあ』
『オォ〜、ナマエだよォ……この間約束しただろォ〜?』
今から数えて二日前、そんな会話を海軍本部の大きくて妙にピリピリした部屋で交わした黄猿は、俺を片手で持って相手の方へと差し出した。
人形でも持つように後ろから掴まえて、人差し指と親指で俺の胴回りを固定したそれは猫の持ち方としてどうなのかと思ったが、首の後ろをつままれて痛くなっても困るので抗議はしなかった。
聞いちょらんぞ、と唸った赤犬に、肩を竦めた黄猿が繰り返した話は、俺が黄猿の家で聴かされた話と同じだった。
黄猿に随分と遠くへ行く仕事が入ってしまって、そこが夏島と冬島を経由するものだから、仔猫というか弱き俺の体調を考えた黄猿は、俺をマリンフォードへ残していくことにしたというのだ。
かといって、中身はともかくとしてただの仔猫でしかない俺を、家に一匹っきりにするわけにもいかない。
そんなことまで考えてくれた飼い主の鑑である黄猿が俺を『預ける』と決めた先は、どうしてか俺をその眼前に突き出されている海軍大将だった。
むしろ俺はもうすでに了承を受けているものだと思っていたのだが、目の前のいかめしい顔からしてまるで納得されている様子がない。
『…………にい?』
じっと視線を注がれて、ひとまず頭を傾がせて鳴き声を零すと、俺の方を見ていた赤犬がふとその目線を逸らした。
なんでわしが、と低く響いた声に、どうしてだか楽しそうに黄猿が笑い声を零していて。
それからそのまま俺は海軍大将赤犬へと押し付けられて、持っていた荷物も渡した黄猿はさっさと任務へ出て行ってしまった。
「にっ」
押し付けられて迷惑なのは分かるが、赤犬は一応、最低限の世話をしてくれている。
水も食事もあるし、トイレも綺麗だ。
玩具で遊んでくれることは無いが、まあそのくらいは我慢できる。
最初の日は突然真横を通られたりして驚いてぴょんぴょんと跳ねていたが、そういえば昨日も今日もそんなことは無かった。
多分、気を使われているんだろう。そのくらい分かる。
だからこそ俺だって随分と大人しくしているというのに、どうしてそんなに睨むのか。
頭から食べられそうな視線を抗議すると、俺の鳴き声を聞いた赤犬がわずかに目を眇める。
睨まれている。やっぱり怖い。
ぶわ、と尻尾が膨らんだ俺を見やり、軽く息を吐いた相手の大きな手が、真上からこちらへと迫った。
見たことは無いが、簡単にマグマを零して敵を殺すその大きな掌に真上から迫られて、少しばかり身を低くする。
逃げようかどうしようか、迷った俺の頭にぽんと触れたその掌は、どうしてだか随分と軽かった。
それに、何だかとても温かい。
「…………にー?」
何だこれ、とぐりぐりと頭を擦り付けてから、少しだけ場所を移動してその手の下から顔を出す。
こちらを見下ろしている赤犬はやはりいかめしい顔をしているが、差し出されたその手が宙に浮いているのが、見上げてすぐに分かった。頭に乗った重みが軽かったのは、相手がそれ以上手を降ろさなかったからだ。
「にい」
どうかしたのか、と鳴き声を零しつつ、体をその大きな手へと押し付ける。
やっぱり、温かい。
黄猿の手も気持ちいい温もりだったけど、赤犬は何だかでろりと溶けたように懐きたいくらいに温かだ。
そう言えばここ最近は涼しくなっていて、朝晩は用意された寝床の奥の方へと潜り込むのが日課である。
それでも寒いと思っていたのだが、これは、良いものを見つけたのではないだろうか。
ふくらみが落ち着いた尻尾を持ち上げて、するりとその指に這わせてみると、わずかに赤犬の手が強張った。
それから、恐る恐るといった風にその指が動いて、俺の尻尾を軽く挟む。
嫌がって逃げればそれ以上追いかけてくることなく、それを確認した俺はもう一度大きなその掌に体を擦り付けた。
「にーい」
鳴きながらすりすりと頬ずりすれば、持ち上がっていたその手がゆっくりと降りてきて、俺の体に触れて軽く動く。
恐る恐ると人のことを撫でだした赤犬の手つきはくすぐったくて、はし、と前足でその指の一本を掴まえた。
しっかりと確かな感触のある指だが、これがマグマになったならきっと触ることだって叶わないだろう。
黄猿は随分と制御がうまいらしいけど、赤犬はどうなんだろうか。
ちょっと確かめてみたい気持ちがわいたものの、悪魔の実の能力者がどういう状況で能力を発動するのかも分からないのですぐに諦めて、俺は掴まえた指をぺろりと舐めた。
びく、とその手が揺れたのが面白くて、二度三度毛づくろいするように舐めてやってから、もう一度頭を擦り付ける。
「にい」
「……なんじゃ」
このくらいでどの程度の好感度が上がるかは分からないが、ちらりと見やった赤犬はまだ顔が厳しいものの、もうこちらを睨んではいなかったので、どうやら俺の作戦は成功したようだった。
これなら今晩、夜中にこっそり布団の中に入っても怒らないに違いない。
黄猿が帰ってくるまでの残り三日、素晴らしい暖房を見つけたという事実に胸の高鳴りを押さえきれず、にい、とまた鳴き声を零して、俺はもう少しだけ掴まえた指に頭を擦り付けておくことにした。
※
「ナマエ、イイコにしてたかァ〜い?」
「にっ!」
連れていかれた執務室で、赤犬の大きな執務机の上を落ちないようにうろうろと歩き回っていたら現れた懐かしい顔に、俺は鳴き声を上げた。
それを聞き、そうかァい、なんて適当に相槌を打って、近寄ってきた黄猿がこちらへ手を差し伸べる。
それを受けて前足の片方を乗せてから、このまま連れていかれそうだと気付いた俺は、くるりと後ろを振り向いた。
「にー」
執務机に向かい、俺を机の上に乗せた後はずっと仕事をしていた赤犬へと近付いて、鳴き声を上げる。
お世話になりましたと頭を下げたところで伝わるかも分からなかったので、机の上に置かれていたその手に軽く体を擦り付けて見上げると、こちらをちらりと見やった赤犬が、ふん、と鼻を鳴らした。
それから、俺がすりついていたのとは違う方の手がやってきて、俺の体を軽く撫でる。
ここ三日で随分と俺を触るということに慣れた掌は相変わらず温かで、気持ちのいいそれにすりすりと擦りついていたら、どうしてだかひょいとその場から体が移動した。
「オォ〜、わっしの前でいちゃつくんじゃねェよォ〜」
浮気は見えねェとこでやりなさいねェ〜、なんて言いながら、俺を持ち上げた誰かさんが俺を引き寄せる。
そのままぽいと何処かへ放り込まれて、体を包む布地に思わずもがいた俺は、自分が黄猿のコートのポケットにいると気が付いた。
「にっ、にいっ」
もぞもぞと身じろぎ、それからどうにかポケットの出口に両前足を掛けて顔を出す。
前より顔を出すことが簡単になった気がする。やっぱり、一応俺の体は育っているようだ。
「何をしちょるんじゃ、おどれ」
どことなく呆れたような声を出した赤犬の顔は、俺がいる場所が机より低いせいでまるで見えない。
にい、と鳴き声を零した先で、あげないよォ、なんて子供みたいな台詞を黄猿が零した。
「ナマエはわっしのだからねェ〜」
「おどれが押し付けよったんを世話しちょっただけじゃァ」
「君、可愛いの好きだからねェ〜」
何やら俺の知らない事実を告げる黄猿に、赤犬の方が知らんわと低く唸る。
どんな顔をして話しているんだろう。見上げた黄猿が笑っているから、きっと向こうも笑っているに違いない。
俺と一対一の時は殆ど口をきかなかった赤犬も、やっぱり黄猿がいると話すらしい。
猫の身ではこんな和気あいあいとした雰囲気は醸し出せないなと、何となく疎外感を感じつつ、俺はもぞりと身じろいだ。
体をポケットの中へと引っ込めて、どこもかしこも黄猿の匂いがするそこで体を丸める。
ほっと体の力が緩んでしまうのは、もう条件反射だからどうしようもない。
ポケットの外で俺のことを可愛いだの何だのと言いだす黄猿には少しばかり抗議したいところだが、ポケットから抜け出して床に落ちるととても痛いことはもう知っているので、飽きるのを待った方がいいだろう。
そうと決まれば、待っている間は眠るに限る。
赤犬より温度は低いけど、穏やかな温もりとどこの誰より安心する匂いに包まれたままでそう結論付けた俺は、身を丸めたままで目を閉じた。
「…………にー」
『おやすみ』の代わりに鳴き声を零したけど、多分黄猿の耳には届かなかっただろう。
そのまま眠り込んで、昼も夜も過ぎて真夜中近くに腹が減りすぎて目を覚ますまで寝続けたのは、もしかしたら案外気を張って疲れていたからなのかもしれない。
end
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