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とある猫のはなし。
※アニマル主人公=仔猫(転生)





 さて、ここで有名なあの文章を言ってみよう。
 吾輩は猫である。
 名前はまだ無い。

「……にい」

 口を開けて鳴き声を零してみながら、俺は小さく息を吐いた。
 さっきまでは腹が空いていてにいにい鳴き声も上げられたのだが、どうにももうそんな体力も残っていない。
 母親は一体どこに行ったんだろう。
 寒いし、まだうまく物も見えないから視界も暗いし、心細いことこの上ない。
 よちよちとしか歩けない体で移動ができるわけもなく、置いて行かれたこの場所にじっとしているわけだが、このままでは遅かれ早かれ飢えか寒さで死んでしまうんじゃないだろうか。
 何てはかない猫生だろうか。
 まあでも、まだ目も明かないような猫を拾ってくれるもの好きなんてそういないことくらい、俺だって知っている。
 この体に生まれ直す前、俺は人間だったのだ。
 普通に生きていたただの会社員だ。
 それがついうっかり病に侵されて死んでしまったわけだが。
 付き合ってた彼女にも別れを告げて、最後は家族に看取られながら死んだ気がする。
 最後の一年の思い出なんて、白い病室と家族が買ってきてくれていた本や漫画くらいなもんだ。
 わざとらしく連載作品ばっかり持ってきていたのでそれを読んでいたんだが、そういえばあの漫画やらの最後は一体どうなったんだろう。

「にい」

 あまりの空腹と寒さでそんな現実逃避をしながら、そっと身を丸める。
 ひたひたとやってくる睡魔に身を任せたらそのまま死んでしまいそうな気がして、それはいかんと目を閉じながら抵抗をしたところで、ざり、と何かがすぐそばの大地を踏みしめる音がした。
 驚いて気配を探れば、体を上から何かに捕まれて、ぐいと持ち上げられる。少しばかり香った男物の香水と人の匂いに、くんくんと鼻を動かした。

「オォ〜、うるさいと思ったら捨て猫かァい」

 人の家の庭先ではやめとくれよォ、なんて人道的にどうかとは思うが本心で間違いない言葉が落ちてきたのを聞いて、にィ、と小さく鳴き声を漏らす。
 俺のそれを聞いて、俺の体を何かの上に横たえた後で、温かい何かが俺の体を軽く撫でた。
 するすると顔の方まで寄ってきたので、口元に当たったそれにぱくりと食いつく。
 食べ物かと思ったが、ちうちう吸い付いてみても何も出てこない。
 なんだこれはと舌で舐めてから顔を離すと、上から小さく笑い声が漏れた。

「わっしは食いもんじゃないよォ〜?」

 どうやら、俺が食いついたのは指だったらしい。
 ええい紛らわしい、とぎこちなくしか動かない前足で目の前のものを捕まえて、罰を食らわせる為に噛みつく。
 歯が生えていないのであまり痛みは無いようだが、やめとくれよォと言葉が落ちてきたので少しは効いているようだ。
 逃げられないよう少しだけ爪を立てながらマフマフと噛んでいる俺をよそに、やれやれ、とため息が漏れる。

「しっかたないねェ〜」

 セントーマルくんでも呼ぼうかァ、なんて呟かれて、なんだかそれ知っている名前のような気がする、と思ったのが一番最初だった。







 何ということだろうか。
 俺が猫として生まれ直したこの世界は、どうやらあの漫画『ワンピース』の世界だったらしい。
 意味が分からないだろう。俺にも意味が分からない。
 とりあえず分かるのは、俺を拾って育ててくれることになったのがあの『大将黄猿』であるということだ。
 海賊には容赦のないあの海軍大将も、動物にならまあ適当に相手をしてくれるなんて知らなかった。

「にい」

「ん〜……?」

 リビングのソファに座っている黄猿に近寄って鳴き声を上げると、まったりと読書にいそしんでいたらしい黄猿の目がちらりとこちらを見下ろした。
 目がちゃんと使えるようになって、それからは毎日見ているその顔を見上げて尾を立てれば、組んでいた黄猿の足先がこちらを向く。
 登ってこいと示されていると判断して、俺はそのつま先に飛びついた。
 爪を立てても黄猿は怒らないが、やっぱり痛いだろうし、と出来るだけ爪を立てないようにしつつよじ登る。
 時々つるりと下へ滑り落ちたりしながらもどうにか膝の上までくると、伸びてきた黄猿の手がひょいと俺を掴んで自分の腹の上へと降ろした。

「相変わらず、爪の使い方がへったくそだねェ〜」

 気遣ってやったと言うのに、何とも呆れた声が落ちてくる。
 にい、と鳴いてそれへ抗議してやってから、俺は両の前足でふみ、と黄猿の腹を踏んだ。
 すでに海軍大将であるらしい黄猿の体は硬くて、薄いシャツの上からだとその筋肉の形までしっかりと分かる。
 この年齢でこれだと、もっと若い頃はがちがちの鋼みたいな体だったりしたんじゃないだろうか。
 何とも恐ろしい。
 腹の上で猫が戦慄しているとも知らず、くすぐったいよォと笑った黄猿の手が、がしりと俺の頭を捕まえた。
 ふわりと香るのは、黄猿がつけている香水のにおいだ。
 家にいる時も付けているので、黄猿がいなくなって何となく人恋しくなった時は、このにおいが強い所にいるのが俺の日常だった。
 ふんふんとそれを嗅ぎながら、視界をふさいだままの手を両足で捕まえる。
 ついでに後ろ足も使ってがっちりと掴まえて目の前の掌の端に噛みつくと、最近生えてきた俺の歯が当たったらしい黄猿がまたくすぐったいと笑った。甘噛みだが、痛いと言わないあたり打たれ強い男だといつも思う。

「腹でも減ってるのかァい?」

 尋ねながら長い指によしよしと頭を撫でられて、持ち上がった俺の体が後ろから黄猿のもう片手に捕まれる。
 ぐいと引っ張られて捕まえていた腕から引き剥がされて、俺は解放された目を黄猿へ向けた。

「にーい」

 別に腹が減ってるわけじゃないので、しゅるりと伸ばした尾を俺を掴んでいる黄猿の腕に擦り付けた。
 すでに俺を構う為に本を手放した黄猿が、軽く首を傾げる。

「それじゃ、遊ぶかァい?」

 猫を相手に何を真剣に話しかけているのかと思うが、俺はちゃんと返事が出来る賢い猫であるので、にーい、ともう一度鳴き声を放って否定した。
 遊ぶだけなら、一匹で遊べる。
 さっきまで噂の『戦桃丸くん』がこの間買ってきたおもちゃで遊んでいたし、それを黄猿だって見ていた筈だ。元が人間である俺でもあれだけ遊べたのだから、あの玩具は普通の猫などイチコロに違いない。
 そんな用事じゃあないのだとその顔を見上げると、ぱちりと黄猿が瞬きをした。

「ん〜?」

 不思議そうにしながらも手を離されたので、改めて黄猿の体の上に着地した俺は、もう一度両足でふみふみと黄猿の腹部を踏みつける。
 やっぱり硬い。もう少し厚みのある服を着てくれたらその分柔らかいのにな。
 黄猿が座っているソファの方が柔らかいが、まあいいか。
 仕方なく妥協してやって、黄猿の腹の上に体を折り曲げる。
 尾も引っ張って体を丸めた俺を見下ろして、オォ〜、と黄猿が小さく声を漏らした。

「眠たいのかァい、ナマエ〜?」

「にい」

 寄越された言葉に返事をしてやって、俺はそっと目を閉じた。
 腹も減っていなくて、適度に運動をして疲れて、日当りのいいリビングに黄猿が座っているとなれば、俺の選択肢など限られている。
 俺を見下ろした黄猿が笑った気配がして、そっと伸びてきた手が軽く俺の体を撫でた。

「そういやナマエ、午後から出かけようと思うんだけどねェ〜、ついてくるかァい?」

 俺はもはや眠る体勢だと言うのに、そんな風に声を掛けてきた黄猿に、俺は耳だけを向けた。
 俺の反応を見下ろして、まだ話を聞いていると判断したらしい黄猿が、午後の予定を口に出す。
 海軍大将だが独り身の黄猿は、どうやら今日の買い物は久しぶりに自分で行くことにしたらしい。
 『戦桃丸くん』はどうしたんだと少しだけ目を開けて見上げると、俺の疑問を読み取ったかのように黄猿が笑った。

「戦桃丸くんはベガパンクにとられちまっててねェ〜、次に呼べるのはあと一週間後だよォ」

「に……」

 寄越された言葉に、そうなのか、と俺は小さく声を漏らす。
 一見金太郎みたいなアイツが何をしているのか俺は全く知らないが、黄猿の世話を慣れた手つきで手際よくやっているあの様子からして、他でも人の世話を焼いているんだろう。
 そういう奴は損をするんだと今度言っておかなければ。もっとちゃっかりやっていくべきだ。例えば黄猿みたいに。
 まあでも、たまには黄猿と散歩に行くのも悪くないかもしれない。
 人間との付き合いだと説明すれば、ちょっと縄張りを横切るのも許してもらえるだろう。

「にー」

 そこまで決めて、ぱたりと軽く尾を振ってから鳴き声を零すと、俺の了承を受け取ってくれたらしい黄猿が、それならよかったよォ、と囁いた。
 それから、面白いものを見るような目で俺を見下ろす。

「……ほんとに、人の言葉が分かるみたいな反応だねェ〜」

 小さな声で言いながらよしよしと頭を撫でられて、その手から香るにおいに体の力を抜いた俺は、それ以上は反応をせずに目を閉じた。
 退けと言われたら退くつもりだが、黄猿はそう言う様子もなく、俺の頭からずらした手で俺の背中を軽く撫でている。
 俺が猫の体で目撃した限りでも『海軍最高戦力』の言葉に間違いはないと断言できる海軍大将の一人は、意外と小さな生き物が好きなようだ。
 まあ、そうでなかったら、拾った俺をそのまま家で面倒見たりはしないだろう。
 半分くらいは『戦桃丸くん』の世話になった気もするが、アイツを呼んだのも黄猿なのだからやっぱり黄猿の世話になったも同然である。
 俺を自分のペットにして、俺に名前を付けて、俺を養ってくれている黄猿のそばというのは、俺が知っている限りこの世界で一番の安全地帯だ。
 生まれ直した猫生、はかなく終わると思ったが、案外俺はしぶとく生きていけるらしい。

「にい……」

 窓の外からはあたたかな日差しが入り込んできていて、リビングの中はあたたかだ。
 そんな中でゆっくりと近寄ってきた睡魔に、俺は意識を預けることにした。
 黄猿がこちらを見下ろしてまだ笑っているようだが、もはや目を開けていることも難しい。
 運動後の昼寝とは、猫の至福の時なのだから許されるだろう。たぶん。



end


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