- ナノ -
TOP小説メモレス

ことの終わり



 突然な話だが、俺の上司は小さくなっていた。
 いや、小さくと言うより、見た目だけが子供になっていたのだ。
 一緒にファミレスへ行って明らかに子供扱いをしてくる周囲に顔を見合わせて笑ったり、寝ぼけて人の部屋を凍りづかせた誰かさんに怒ったり、ソフトクリームを並んで食べたり、背中にしがみ付いてくる相手をあしらったり。
 そうやって過ごした俺達の時間は、そんな状況を作り出した迷惑な天才科学者の予想によれば、一週間は続くはずだった。
 だというのに、目の前のこれは一体どういうことだろうか。

「……何してるんですか、クザン大将」

 何だか違和感を感じて目を覚ました俺は、目の前にある顔を眺めて呟いた。
 ん? と声を漏らした相手が、面倒臭そうに目を閉じる。
 その大きな手はしっかりと俺の腕を掴んでいて、逃げられそうにない。
 そう、大きな手だ。
 いつも通り俺が明け渡したベッドで眠っているはずの小さかった俺の上司は、元の姿に戻っていた。
 多分着替えたんだろう、着込んでいる服は『元に戻ったときのために』と一緒に買いに行った青いシャツだ。
 それはどうでもいいのだ。
 問題は、どうしてこの人が俺の横で寝ているのか。
 正確に言えば、ソファで寝ていたはずの俺がどうして今自分のベッドの上にいるのか。そこに限る。
 もぞりと身じろいでみても、上司の手は俺から離れなかった。
 それどころかしっかりと掴まれて、ついでに言えば一緒に被る格好になっている毛布の中がひんやりとした気がして、俺は動きを止める。寝ぼけてヒエヒエの実の能力を使われてはたまらない。この距離では、凍傷は必至だ。
 じっとしたままで、目の前の顔を眺めた。
 どうやら、これは夢では無いらしい。
 起きる時間にはまだ少し早い気がするが、だんだんはっきりしてきた頭で、そんなことを考えた。
 まだ五日目だ。ベガパンクの言っていた日付より、少し早い。
 だが、確実に目の前のこの人は元の体に戻ったらしい。
 見覚えのあるその顔が、何となく懐かしく思える。
 じっくり視線を注いでいると、しばらくしてぱちりと目を開けた上司が、呆れたようにこちらを見た。

「……ナマエ、穴でも空けたいの? おれに」

「ちょっと二、三穴穿っときましょう」

 寄越された声に軽口を叩いて、それからそっと尋ねてみる。

「どこか、体に異常は無いんですか。具合が悪いとか、気分が悪いとか、気持ちが悪いとか、苦しいとか」

「あらら、いつだったか聞いた台詞」

「笑い事じゃないですよクザン大将」

 こんな唐突に元に戻られて、そこの心配をしないほうが不自然というものだ。
 けれども俺の発言にくすくす笑って、平気だよ、と紡いだ上司はシーツへ懐くように顔を押し付けた。

「でも、早めに治っちまったのは残念だなァ」

 そんな風に言って、その手がようやく俺からするりと離れる。二度寝するつもりなのかその目が半分ほど閉じられて、ふう、と小さく息が吐かれた。
 解放されはしたものの、同じように隣に寝転んだままで、俺は首を傾げた。
 俺の反応に、何でか分かんないの? と少し残念そうに声を漏らして、我が上司は言葉を紡ぐ。

「今日は一緒に動物園にでも行こうかって、言ってたじゃない」

「ああ……」

 そういえば、昨日の夕食のときに、そんな話をした気がする。
 体が小さくなるなんてまたとない経験なのだから、どうせなら満喫したらいいんじゃないかという俺の意見に、被害者であるこの人が初日で賛成を唱えたからだ。
 昨日だってどうでもよさそうな顔で『いいね』と言っていた割りに、そこそこ楽しみにしてくれていたらしい。
 けれども、俺はもう一度首を傾げた。

「それで、何が残念なんですか?」

 俺の問いかけに、閉じそうになっていた上司の目がもう一度ぱちりと開く。
 その目を見つめ返しながら、そういえばこんな目線でその顔を見たことは無いな、なんてことを俺は考えた。揃って寝転んでる所為だ。
 俺の上司は恐ろしく背が高い。
 俺の世界では見たことも無いくらいだ。
 むしろワンピースの男性陣は大きい人種が多い。
 日本人としては平均値だったはずの俺だって、この人に掛かればただのちびっこだ。
 呪ってやるから身長を十センチくらい寄越せばいい。

「明日まで休みですよ、クザン大将」

 俺達に与えられた休暇の期間を忘れているらしい相手へ囁いて、少しばかり笑いかけてみる。

「動物園、行きましょうか」

 大将青雉が来ているなんて、きっと来客たちも驚くだろう。
 けれども、芸能人じゃあるまいし、プライベートだと分かればさらっと流してくれるに違いない。
 横にいるのが男の俺なら、何かの視察だと判断される可能性もなきにあらずだ。
 俺の言葉に、数回の瞬きをした上司は、それからはあと深く深くため息を吐いた。
 人の顔を見てため息なんて、相変わらず失礼だ。
 むっと眉を寄せた俺の横で、失礼な我が上司が、あー、と声を漏らす。

「……うん、分かってた。ナマエってそういう奴だよね」

「何がですか?」

「いやァ、うん、何でもない……それじゃあ、準備しようか」

 そんな風に言葉を零して、そのままむくりと上司が起き上がる。
 驚いてその動きを見守っていたら、着替えを入手した彼はそのまま洗面所のほうへと歩いていってしまった。
 いつもだったら俺がどうにか起こさないと起きないくせに、どうやらよほど動物園が楽しみだったらしい。
 これは早めに仕度をしないと、せかされることは間違いない。
 後を追うように起き上がって、俺も自分の着替えのためにクローゼットへと向かった。
 今日着ていく服を取り出して、上司が戻ったら入れ替わりで洗面所が使えるようにしながら、あ、と小さく声を漏らす。
 そういえば、結局聞いていないが、どうして俺はソファじゃなくてベッドで眠っていたんだろうか。
 ちらりとベッドとソファを見やってみたが、当然ながら答えは返ってこなかった。



end


戻る | 小説ページTOPへ