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だらだら


 突然な話だが、俺の上司が小さくなった。
 いや、小さくなったは語弊がある。
 まあつまり、見た目だけが子供になったのだ。
 黒い癖毛をもふもふとさせたその人は、これがないと落ち着かないんだよね、なんて言いながら首から大人サイズのアイマスクを提げている。誰か、それは首元を飾るものじゃないと教えてやったほうがいい。
 この状況の原因であるバカもといベガパンクによれば、こうなってから大体一週間、つまりはあと三日ほどで元に戻るらしい。
 直属の部下である俺の元へ押し付けられた大将青雉は、今日も面倒なくらいに元気だ。

「あァ〜……しんど」

 今だって大きな声でそんなことを言いながら、俺が寝床にしていたソファの上でごろごろと転がっている。
 どうやら俺の上司は目覚まし時計が嫌いらしく、俺を今まで助けてくれた戦友は電池すら抜かれてベッドの下だ。
 だからこの部屋でぱっと時間を確認するすべは無いが、俺の腹時計その他によれば、今は昼前だ。
 一時間前に起きたばかりの子供が『しんどい』なんて言える時間じゃない。
 大体、本当にしんどいならもう少し大人しくしていたほうがいいんじゃないのか。
 なんでそんなに元気に転がっているんだ。
 そういう気持ちをこめて、手元の洗濯物を畳む。
 数日も家に居れば汚れた服だって溜まるし、部屋だって汚れる。
 いつもは上司が寝ている間にさっさと最低限のことをしてしまうのだが、たまには本腰を入れてやらないと、仕事初め前日にぐったりしてしまうことは間違いない。
 俺が動いている物音に気が付いて目を覚ましたらしい上司からの手伝いの申し出には断りを入れて、掃除を続行した俺が作業を終了したのはつい先程だ。
 洗濯物は干したことだし、とりあえずこの洗濯物を畳み終えたらいったんは終了である。
 やれやれと俺が軽く息を吐いたのが聞こえたのか、ぎしぎし人のソファを軋ませながらごろごろしていた俺の上司が、ねェ、と明らかにこっちへ向けて声を投げてきた。
 仕方なく、最後の一枚のタオルを手に持ったまま、そちらを見やる。
 俺の視線を受け止めて、俺の枕代わりのクッションを抱きかかえた子供が、少しばかり口を尖らせていた。
 すねているようなその様子は、子供らしい雰囲気で多分可愛らしい分類だろう。
 しかし、実際はこの表情を大将青雉がやっているのである。
 脳裏にその姿を想像しようとして挫折した俺は、とりあえず両手でタオルを畳みながら、何ですか、とそちらへ言葉を放った。

「ナマエってば、上司がしんどいって言ってるのに、心配もしてくれねェの?」

「だって元気じゃないですか」

 言い放ってきた相手へ、そう言い返してタオルを畳み終える。
 本当に体がつらいなら心配だってするしすぐさまベガパンクなり医者なりの元へ運ぶが、どう見たって俺の上司はすこぶる元気だ。
 俺の回答を受けて、あらら酷い、と呟いた相手から目を逸らす。
 視界の先には、畳み終わった洗濯物だ。
 とりあえずこれを片付けてしまおう、と考えながらタオルを手に立ち上がった丁度その時、どしりと何かが背中に飛びついた。
 その勢いと驚きに前のめりに倒れそうになって、俺はあわてて足に力を入れる。顔面からフローリングと激突するのだけは避けたい。
 一瞬強張った体をほっと少しばかり緩めて、中腰のまま、俺は思い切り人の背中に飛びつき張り付いている相手を見やった。

「……何してるんですか、クザン大将」

 俺の家には俺と上司の二人しか居ないのだから、今の危ない行為は当然ながら俺の上司によるものだ。
 いつの間にソファを下りたのだろうか。足音は聞こえなかった気がする。まさか六式は使っていないだろうな。
 黒い髪を視界に入れた俺がそんな風に思った先で、人の背中に飛びついただけでは飽き足らず、その両手両足を使って人の体をずりずりと這い上がった俺の上司は、最後に俺の両肩に腕を乗せて俺の顎の下辺りで両手を組み、その状態に満足したのか、よし、と頷いた。

「何がよしですか。降りてください」

 このまま立ち上がれば、確実にその腕で俺の首が絞まる。
 だからこそそう言った俺に、やーだ、と我が上司はなんとも子供っぽい返事を寄越した。

「ほら、それよりさっさとそれ片付けなって。大丈夫、首とかは絞めないようにするから」

 肩越しにそんな風に言われて、はあ、とため息を零す。
 仕方なく、俺は片手で上司の組まれた両腕を掴み、もう片手で洗濯物の山をいくつか掴んで背中を伸ばした。
 腕を掴んでいる手に力が必要ないのは、俺の体を両足で挟むようにしている上司が有言実行を心がけているからだ。
 それでもいつ何時その状態に飽きられるかも分からないので、やっぱり片手で自分の呼吸を確保したまま、俺は洗濯物をクローゼットへと運んだ。
 片手しか使えないから何度も行き来する羽目になっているが、まあ仕方無い。
 俺の苦労など気にした様子もなく、人の背中を陣取った子供の姿の上司が、先程とは打って変わって楽しそうに言葉を紡いだ。

「ねェ、今日はどこ行くの」

「あー、どこがいいですか?」

 もうそろそろ昼食時だ。どこかへ出かけて、そこで食事を取るのもいいだろう。
 ちなみに、上司が俺の家へ来てから今日まで、俺たちの食事は基本的に外食だ。
 何故なら、俺の料理が壊滅的だからだ。
 まさかこんな姿の相手、しかも上司に料理を作らせたりなんて出来ないし、自分ひとりだったら我慢して食べる自作料理を食べさせることも出来ない。
 領収書を提出したら後で経費として落としてくれると書類にもあったので、俺は毎回きちんと領収書を貰っている。
 俺の言葉を聞いた上司は、どこでもいいよ、と言って小さく笑ったようだ。

「そういう発言が一番困るらしいですよ、クザン大将」

「あらら、そうなの?」

「そうですよ」

 そんな返事では、聞いた意味が無いではないか。
 俺の言葉に軽く上司は首を傾げたようだが、気にせず俺はクローゼットへ服を片付け終え、タオルを一枚持ち直してからそのまま移動した。
 当然、俺の背中に張り付いている上司も一緒だ。
 洗面所にやってきてからようやく手を離すと、上司はがしりと俺の体にしがみ付く力を強くした。
 なんだか、こういう妖怪が居た気がする。
 がっしりと抱きつかれたまま、さっさと顔を洗ってから、改めて俺は自分に抱きつく上司を鏡越しに見やった。
 何度も何度もしんどいしんどいと喚いていた上司が、どうしてそんなことをしていたのかを俺は知っている。
 ただ構って欲しいなら、もう少し分かりやすくしていればいいのだ。
 大体、なぜ俺が片付けの手伝いを断ったのかなんて、自分の執務机を思い返せば簡単に分かるだろう。
 よくもまァ、あんな机で仕事が出来るものだ。
 いや、違った。
 この人はサボり魔だった。
 そして掃除の腕が壊滅的だ。

「ナマエ、どうかした?」

 そんなことを考えながら見つめていたら、背中にしがみ付いたままの上司が鏡越しに首を傾げて見せる。
 あれだけしんどいと喚いていたくせに、今はもういつもの彼だ。
 どこか不思議そうなその顔を見ながら、俺は軽く肩を竦めた。

「とりあえず、ワノ国料理でも食べに行きましょう、クザン大将」

「いいねェ」

 近くにある店を思い出して言い放った俺に、目的地が決まったことを把握したらしい俺の上司はにんまり笑い、ぱっと俺から離れた。
 そのまま洗面台へ向かってばしゃばしゃと顔を洗い出した様子に、顔すら洗っていなかったのか、と俺は呆れた。
 けれどもそういえば確かに、起きてからベッドを移動してソファへ来た後は、ずっとごろごろと転っていたような気がする。
 顔を洗い終えたその手がタオルを探したので、さっき使った奴の綺麗な面を差し出してやった。
 せっせと顔を拭いて、ぷは、とタオルから顔を離した大将を見下ろして、早く着替えましょうか、と言葉を落とす。
 今の体にぴったりな可愛らしい寝巻き姿の我が上司殿は、俺の言葉にそうだねと笑った。
 そうして、昨日買った服の入っている袋を目指して、洗面所からリビングへと移動していく。
 小さな背中を追いかけて自分もクローゼットのあるリビングに向かいながら、今日も一日が始まるらしいと今更理解して、俺は大きく伸びをした。
 クザン大将と俺の非日常も、今日でそろそろ四日目だった。



end


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