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世界で一番だなんて言えない
 俺がこの世界へ来てから、もう三年が経つ。
 今日もモビーディック号は宴の準備で大わらわだ。
 そして俺は、その主役であるマルコを会場から引き離して相手する大事な役目を仰せつかっている。

「向こうには小せェ村があるみたいだねい」

 軽く羽ばたいて高い場所から確認したマルコが、降りてきながらそんなことを言う。
 それじゃあ脅かさないようにしないとな、とそれへ返事をして、俺は肩を竦めた。
 俺の様子を眺めたマルコが、軽く首を傾げながらこちらへと近寄る。

「ナマエ、お前昨日寝てねえのかい?」

 問いかけられて、え、と思わず声を漏らした。
 目の下に隈があるよい、と自分の目の下を指差しながら言われて、あわてて手でそのあたりをこする。

「そ、そうか? まあ、昨日は楽しみで眠れなかったからな」

「人の誕生日で何を楽しもうってんだよい」

 ごまかすように言った俺へ、呆れたようにマルコが笑った。
 けれどもそれ以上は追及せずに、俺へと背中を向けて歩き出す。
 後ろからそれを追いかけながら、俺はこっそりと息を吐いた。
 去年、俺が手に入れたあの本には、俺が『元の世界へ帰る』ための方法が書かれていた。
 やり方は簡単だったが、そのタイミングと時間制限が問題だった。
 俺が元の世界へ帰るには、この世界へ来たのと『同じ日』でなくてはいけない。
 来た日から数えて七回目までしか、それを行うことはできない。
 俺がこの世界へ落ちてきたのは、マルコの誕生日と同じ日だ。
 つまり、当日を一回目とするなら今日が四回目。
 帰りたくない、わけではないのだ。
 でも、帰ったら俺は恐らく二度とここへは戻れない。
 マルコと一緒にいることが出来ない。漫画を読めばマルコを見ることはできるのかもしれないが、それは一方的なものでしかない。
 本を読み終えた時、随分と悩んだ。
 けれどもそのうち日常の中で薄情なことにその悩みは薄れていって、昨日唐突に思い出してしまった。
 いっそ忘れていたかったのに。
 もやもやと考え込んで眠れないまま夜を過ごしたのは久しぶりだ。
 優柔不断だと妹に笑われたことを思い出す。

「ナマエ」

 前から名前を呼ばれて、俺は慌てて遅れていた分の距離を詰めた。
 いつの間にやら立ち止まって俺を見ていたマルコが、ぼうっとすんなよい、と俺へ向かって笑いかける。
 どう見たって男だし、笑顔に女っぽさも感じないはずなのに、何でそれを見て自分の心臓が高鳴るのだか今一つ俺自身にも理解できない。
 どこかの誰かが言っていたが、恋はハリケーンとはよく言ったものだ。

「悪い」

「別に構わねえが、あんまり慌てて転ぶなよい」

 昔みたいに、と言われて、あのころよりはいい加減慣れたよ、とそれへ返事しながらマルコに並ぶ。
 俺が並んだのを見て歩き出したマルコは、どうやらさっき確認した村の方へと向かっているらしい。空を飛んで行かないのは、火の鳥の姿が随分と目立つからだろう。
 マルコの横を歩きながら、生い茂った木々をくぐって、ふと口を動かす。

「そうだった。なあ、マルコ」

「なんだよい」

「誕生日おめでとう」

 まだ言ってなかった。
 思い出しての俺の言葉に、やや置いてからマルコがため息を零す。

「……そういや言われてなかったよい。遅ェよい」

 同室の相手に無視されてたのかよいおれは、と呟かれて、悪かった、と素直に謝る。
 俺の方をちらりと見やって、マルコの手が木の枝をぐいと上へ押し上げた。

「……別に謝る必要は無ェよい」

 寄越された言葉に、そうか? と首を傾げてみるが、マルコがそう言ってくれるならとありがたく享受して、俺もマルコと同じように木の枝を軽く押しやる。

「お前へのプレゼントは部屋に置いてきた」

「そうかい。戻った時の楽しみにしとくよい」

 俺が大したものを用意できていないのは当然なのだが、そういったマルコは少し機嫌がよくなった。
 その隣を歩きながら、あんまり期待はしないでくれよ、と笑うことしか俺にはできなかった。







 最近気付いたのだが、酒を飲むとマルコは人にべたべたするようになる。
 この前はサッチだったが、今日は俺が相手らしい。
 去年の今日もこうじゃなかったろうか、なんて考えつつ、俺は隣に座っているマルコの相手をしていた。
 そろそろ宴も終わる頃合いだ。
 あちこちでアルコール漬けになったクルー達が行き倒れている。白ひげはもう部屋に引き上げたらしい。

「ナマエ、おれに言うことあんだろい」

「はいはい。誕生日おめでとう、マルコ」

 隣からもたれたまま寄越された何度目かの言葉へ何度目かの返事をすると、ん、とマルコが何度目か分からぬ満足げな頷きをした。
 そしてそれから、その目が俺を見やる。

「よし、おれを背負えよい」

「はいはい」

 両手を伸ばして少しぼんやりとした声に乞われて、答えながらその体を背中にする。
 全身の重みを人に預けてくるマルコは重たいが、まあ運べないほどではない。そう思えるくらいには、俺の体は鍛えられているのだ。
 酒のせいで少し意識が遠くで、無駄にときめいたり焦ったりしないのが唯一の救いだった。

「部屋にでいいのか?」

「オヤジのとこだよい。『ワガママ』言ったからねい」

 人の背中に乗ったまま言い放ったマルコへ、わかった、と頷いてふらりと歩き出した。
 どうやら、マルコの今年の『ワガママ』は『船長と同じ部屋で眠る』ことだったらしい。
 本当に、マルコや他のクルー達は、白ひげのことが好きだ。
 もちろん俺だって『オヤジ』と呼べるくらいにはあの人のことを好んでいるが、マルコや他の隊長格には負けると思う。
 酔っ払いに声を掛けられて、それへ返事をしながらふらふらと甲板を横切り、そのまま船内へと入る。
 俺の足取りに揺られるまま、俺の背中に居座るマルコがふと口を動かした。

「……ナマエ」

「んー?」

 呼びかけられて、ふわふわとした意識のままで返事をする。
 あまり酒には強くないから加減して飲んだつもりだったが、俺も随分と酔っているらしい。
 マルコを白ひげのところに置いたら、さっさと部屋へ戻って休もう。
 そんなことを考えながら歩いている俺の後ろで、マルコが呟く。

「…………お前、女に興味ねェのかよい」

「え」

 何とも唐突すぎる問いかけだ。
 酔いも何もかも吹き飛んだ気がする。
 思わず変な声を出した俺の後ろで、この前の島でも娼館に行かなかっただろう、とマルコが呟いた。
 確かにその通りだが、なんでそんなことをマルコがチェックしているんだろうか。
 困惑しつつも、どうなんだよい、と言葉を寄越されて、少しばかり考えてから返事を紡ぐ。

「……そういうのを商売にしている女を相手にするのが、苦手なんだ」

 あふれる色気を振りまいて袖を引いてくる彼女達に慣れるほど接する機会なんて、現代日本ではそれほど無かったと思う。
 俺はどちらかと言えば淡白な方だったし、この世界へ来る少し前までは彼女だっていた。仕事が忙しくなったら振られてしまったが。
 俺の言葉に、へえ、とマルコが後ろで声を漏らす。

「……それじゃ、島で素人女引っかけてんのかい?」

「ああ……まあ、たまに?」

 そんなことは一度だって無いが、何となく肯定しておいた方が良い気がして、俺は一つ頷いた。
 女なんかじゃなくてお前をどうにかしたいとかお前とどうにかなりたいとか、今言ったって仕方の無いことだ。
 マルコが娼館に行っているのを俺は知っている。
 マルコは普通の異性愛者だ。俺だって、マルコに出会って落ちるまではそうだった。
 かつての自分を思えば、同性に好きだと言われても困るだけだなんてことくらい、簡単にわかる。
 ふうん、と唸って、俺の両肩の上から投げ出されていたマルコの両腕が、ゆらりと動いて俺の首元で組まれた。
 しっかりと捕まられて、締められそうな予感に少しばかり怯えながら足を動かす俺の後ろで、マルコが呟く。

「なんだ……わりィ男だねい、ナマエ」

 相手の女も可哀想に、といもしない女性のことを憐れまれてしまった。
 その声が酔っぱらいながらも本気の色を宿していたので、そうだなァ、と適当に返事をすることも阻まれて、俺は黙ってマルコを運搬する。
 それっきり何も言わなかったマルコは、白ひげの部屋についた時にはぐっすり眠り込んでいた。



end


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