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音貝
※子マルコ版の何年も後



『ナマエもだいすきよい!』

 聞きなれない高い声がそんな風に言葉を紡ぐのに、マルコはぴくりと眉を動かした。

「……おい……いつまでそれを聞いてんだよい」

「いや、うん」

 唸ったマルコの言葉に、このころのお前可愛かったなあと思って、と答えた相手が振り返る。
 笑った相手はナマエと言う名のマルコの『兄弟』で、少しだけ年上の相手が座って手に持っているのは、マルコのクローゼットから出てきた古びたトーンダイアルだった。
 いまだに中身の残っていたらしいそれが再生しているのは、もはやマルコの記憶の中にもないはるかに昔の思い出だ。
 見つけたのはマルコのクローゼットの整理をしていたナマエで、片づけを終えてから今までずっと、何度も何度も同じところまでが再生されている。
 ナマエは楽しいのかもしれないが、記憶にない自分の台詞を何度も何度も再生されるというのは、何とも気恥ずかしいことだ。
 これがマルコの部屋でのことでなかったら、今すぐナマエから無理やりダイアルを奪い取ってしまっているところである。

「これ、そういえばおれが初めてマルコにやったものだったなァ」

「そうだったかい」

「マルコがおねだりしたんだろ」

「へえ」

 古びたそれをもう一度磨いてから、ナマエがしみじみと言葉を零す。
 変に記憶力のいいやつだとそれを見やって、マルコが視線を手元の書類へともう一度落としたところで、かちりと小さな音がした。

『ナマエ、なにかおはなししてよい!』

 そうして漏れた高い声に、マルコの視線がナマエへ戻る。

「おい、ナマエ」

「あはは、ごめん」

 また再生するつもりかと唸ったマルコに、ナマエはすぐにダイアルを止めた。
 それから近寄ってきた相手にマルコが手を差し出すと、ナマエが素直にマルコへトーンダイアルを返却する。
 それを素早く机の引き出しに放り込んで、マルコはそのまま引き出しを閉めた。

「まったく、せめて一回聞くだけで終わっとけよい」

「だって懐かしいだろ」

 唸るマルコの向かいでそう言って、それに暇だし、とナマエが続ける。
 あと少しで終わると答えて、マルコは手元の紙切れを軽く叩いた。

「文句ならサッチに言えよい、おれァもう降りられるところだったんだ」

 モビーディック号は、すでに新たな島へとたどり着いている。
 本当ならマルコとナマエもすでに船を降りている筈で、だというのに『この島へ着くまでに』と期限を切っていた書類をサッチが持ってきたのが錨を降ろすほんの少し前だったのだ。
 放っておいて島へ降りても良かったかもしれないが、手つかずのものを残して船を降りるのが嫌だとマルコが言ったら、一緒に降りるところだったナマエもマルコの後をついてきた。
 そうして先ほどからマルコが書類の中身を確認している横であちこちをがさがさと漁って、ついにはトーンダイアルを見つけ出してしまったというわけである。
 途中途中で話しかけられるから何度も手が止まってしまって、通常よりも時間が掛かってしまった。
 それでもようやく終わりが訪れ、最後のサインをしたマルコがそれの端にそっとペーパーウェイトを置く。あとはこれと他の書類を傘下の海賊団へ送り、出来上がった海図を返してもらうだけだ。
 それはさすがに今この場ではできないことなので、これでようやく島へ降りることができる。

「終わったか?」

「終わったよい」

 尋ねたナマエへマルコが答えると、それなら良かったと答えたナマエがどうしてか時計を確認した。
 それから少しだけ微笑んで、マルコへ立ち上がるのを促す。
 応えて椅子から腰を浮かせながら、マルコは少しだけ不思議そうな顔をした。
 どうかしたのかと見つめた先で、ふふ、とナマエが何かを含むような笑い声を零す。
 それは悪だくみをしているときによく見る顔で、マルコの目には剣呑さが宿った。

「……何をたくらんでんだよい」

「え? 何も?」

 マルコの追及にナマエはすぐに答えるが、誤魔化せると思っているのだろうか。
 吐かせてやろうかと手を伸ばすと、マルコがその肩を掴む前にナマエの手がそれを捕まえて、無理やり下へと降ろさせた。

「行こうぜ、マルコ」

「行こうって……どこにだい」

「島に決まってるだろ」

 マルコの言葉にナマエはわざとらしいほど不思議そうな顔をしたが、マルコが問いたいのはそういうことではない。
 ナマエにもそれは伝わっている筈なのに、気にせず歩き出した相手に手を引かれて、マルコもその場から歩き出した。

「おい、ナマエ」

「大丈夫大丈夫、ついて来たら分かるから」

 通路へ出て、そのまま甲板へ向かいながら寄越された言葉に、マルコは眉を寄せたままでため息を零す。
 マルコより少し年上の、目の前の『兄弟』は、時々とても強引だ。
 マルコが小さかった頃は感じなかったその強引さは、どうやら本当に一部の相手にしか示さないものらしいと気付いたのはいつだったろうか。
 新入り達はみんな『ナマエさんはやさしいですね』と口をそろえるし、同じ頃から一緒にいる兄弟分の中でも、ナマエのそんな一面を知っている者はごくわずかだ。
 そんなことを思い返せばわずかなくすぐったさが身の内にくすぶって、それから逃げるように足を速めたマルコが、ナマエの隣に並ぶ。
 それからちらりと横を見やり、機嫌がよさそうな相手に唇を緩めてから、ふと思い出して言葉を紡いだ。

「ナマエ、さっきのトーンダイアルだけどよい」

「ん?」

「なんで毎回、途中で止めてたんだ」

 何度も何度も繰り返される幼い『マルコ』の言葉の後も、いくらかナマエとのやり取りは続いていた筈だ。
 けれどもナマエは毎回マルコの言葉を聞いて再生を止めて、また最初から聞き直すという行為をしていた。
 何度も何度も自分の知らない自分の言葉を聞くというのは何とも言えない時間だったが、それよりも一度だけ聞いた台詞を思い出して、マルコは口を動かした。

「おれのばっかり聞くってのは、卑怯じゃねェかい」

『そっか、ありがとなマルコ。おれも大好きだよ』

 あんな簡単な言葉で喜んでいた小さな頃のマルコは、何ともお手軽なお子様だった。
 マルコの言葉に、ちらりとナマエがマルコを見やる。
 それから少しだけ眉を寄せて、その目はすぐに逸らされた。

「……一回でいいだろ、あんなの。おれじゃあ全然可愛くないしな」

「それはおれが決めんだよい」

「いいんだよ、絶対マルコの方が可愛かったんだから」

 つんと顔を逸らした相手へマルコが言葉を重ねると、さらに顔を逸らしたナマエはきっぱりとそう言った。
 顔は澄ましているが、髪からのぞく耳が赤くてはまるで効果がない。
 わかっているくせに知らないふりをするナマエがおかしくて、くくくと喉奥で笑いをかみ殺したマルコの腕を掴むナマエの指に、ぎゅっと強く力が入った。
 それでも好きなようにさせておいて、とりあえずはナマエの誘導に従って足を動かす。
 部屋に戻ったら絶対に最後までトーンダイアルを再生してやろう、とマルコが心に誓ったことを知らないナマエは、耳の赤みが引くまで決してマルコの方を見なかった。
 連れて行かれた先の酒場で、巨大なケーキと大勢の『家族』に迎え入れられ、今日が自分の誕生日だということをマルコが思い出したのは、それから十分ほど後のことだ。



end


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