温泉同行
※主人公は白ひげクルーで適当
「……おふろ、よい?」
俺の提案を聞いて、目の前の子供がとんでもなく怪訝そうな顔をした。
違う違うと首を横に振ってから、屈み込んで相手に視線を合わせる。
しかし俺の顔を見つめた小さなマルコは、それからちらりと俺の後方へ視線を向けて、そのうえでもう一度俺の顔を見てから眉を寄せた。
「おふろよい!」
騙されない、とでも言いたげな大声に、何人かの道行く人が振り返る。
その中に混じっていた『家族』達が頑張れと親指を立てていくのを見送ってから、俺は分かってないなと肩を竦めた。
「これは温泉だ、温泉」
俺のすぐ後ろにある暖簾の向こうには、この湯治が盛んな島でも特に名湯と名高い湯があるのだ。
湯船につかるのが好きな俺はもちろんもともとここへ行くつもりで、だったらマルコを連れて行けと子供と着替えを託されたのが十分ほど前のこと。
まあ今日という日ならなかなかな値段の代金だって払ってやっていいかと子供を小脇に抱えてきたというのに、硫黄の混じった湯の匂いに気付いたらしいマルコが暴れて俺の腕から逃れた。
そして今は地面をしっかりと踏みしめて、嫌だと真正面から意思表示をしている。
悪魔の実の能力者たる俺の目の前のお子様は、まだ湯船が苦手らしい。
「おんせんって、おふろよい! このまえナマエがいってたよい!」
「……言ったっけか」
きいと高い声を出して訴えてくる相手に、軽く首を傾げる。
そういえば、好きなことは何だと聞かれて『温泉に入ること』と答えた様な気がする。オンセンとは何だと問われたら、そりゃあ風呂だと答えるだろう。
「マルおぼれちゃうのよい! おふろやあよい!」
「モビーでだって入ってるだろ? ほら、湯船に入るのが嫌ならいつも通り汗流すだけでもさ」
「ばしゃあってされるのもやあよい! きょうはマルのたんじょーびだから、マルはわがままいってもいーのよい!」
じたじたと地団太を踏んで、マルコがそんな主張をしてくる。
誰だ、そんな余計なことを言ったのは。
「ナマエがいったのに!」
船に残っている家族の誰かを恨もうとしたところで、前方の子供からそう言われてしまった。
まるで覚えていない。いつそんなことを言ったんだろうか。
どうにも記憶力の良いマルコのことだから、俺が覚えていないようなずっと前のことかもしれない。
確かに今日は、マルコの誕生日だ。
御年四歳になられるマルコ様は、今日はわがままの限りを尽くすつもりらしい。
風呂にも入らないだなんて、水に余裕があるなら毎日風呂に入りたい俺にはいかんとも理解のしがたい話である。
「だから、誕生日プレゼントにここの金出してやるんだろ。たっけェんだぞ、ここ」
言いつつひょいと子供を抱き上げると、嫌がるようにじたばたと暴れたマルコが、そんなのいやだと悲鳴をあげた。
しかし、俺を蹴とばすつもりもないらしい小さな子供の抵抗なんて、大した障害にはならない。
周囲からの目線のやさしさを感じつつ子供の顔を自分の目の高さに合わせると、目じりに涙すら浮かべたマルコがこちらを睨み付けてきた。
相変わらず非難がましい目線だが、今の俺にモビーへ戻るという選択肢はない。
温泉は後で入りに来ればいいが、マルコを連れて出かけろと言うことはつまり、マルコを連れ出しておけという意味だ。きっと今頃、マルコや他の十月生まれの『誕生日』を祝うためにあれこれと準備をしているんだろう。
そしてこの島に来て、温泉以外で時間を潰す方法なんて俺は知らない。
「溺れさせたりしないから、俺のこと信用しろよ」
説き伏せるために目の前の相手へそういうと、むっとマルコが頬を膨らませた。
「このまえ、マルのことぶくぶくーってさせたよい!」
急に立ち上がった俺の膝から湯船に落ちたと主張してくる子供に、あれ、と首を傾げる。
「……そうだっけか?」
「ナマエはすぐわすれるのよい!」
思わず呟いた俺を非難して、マルコの手が自分を持ち上げている俺の腕をぺちりと叩いた。
悪い悪い、とそちらへ言葉を投げつつ、子供に少しだけ顔を近づける。
「今度はそんなことしないから、付き合えよ。どうせならマルコと一緒に入りたいんだって。温泉は気持ちいいぞ」
こちらを睨む瞳を見つめてそう囁くと、小さな子供らしからぬ眉間の皺を刻んでいたマルコが、むむむむ、と唇を震わせてから、俺の視線に負けたようにその目を逸らした。
俺の腕に触れた手が、先ほど叩いた箇所をそっとさする。
「……ん。じゃあ、ヤクソクよい」
「おう。よし、終わったらフルーツ牛乳も買ってやる」
「こーしーじゃないよい?」
「コーヒーはまだ早いだろ」
そんな会話を交わしつつ、俺はマルコを小脇に抱え直して暖簾をくぐった。
そんなつもりはなかったのだが、どうしてか湯船にじゃぶんと落ちたマルコに『うそつき!』とののしられたのは、それから大体三十分くらい後の話である。
end
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