サディちゃんと誕生日
※主人公は看守
ここは大監獄インペルダウン。
悪人を懲らしめ、閉じ込めるための施設であり、おれの職場である。
「それじゃ、お先に昼入りまーす」
同僚に声を掛けると、おう、と答えた数人が軽く手を動かした。
それへ手を振り返して時間を確認する。とりあえず、一時間はこの場を離れることが出来そうだ。
休憩室へ向かうために管理部屋を出ると、とたんにむわりと熱気が襲い掛かってきた。
「……うっはあ、あっちい」
壁の向こうが大火事のようなものなのだから当然だが、やっぱり暑い。ネクタイを緩めてパタパタとシャツの胸元を動かしてはみるが、送り込む空気も生暖かいので諦めた。
せめてこれに顔色を変えられなくならないと駄目だとドミノ副看守長にも言われているが、暑いものは暑い。
じわりと滲む汗をぬぐいつつ、さっさと休憩室へ行こうと足を動かす。
細い路地へと折れて、だんだんと熱源から遠ざかり石造り特有のじんわりとした涼しさを感じ始めたところで、ひゅ、と空気を裂くような音が耳に届いた。
ほとんど反射で体を逸らしたところで、先ほどまでおれの腕があった位置を一本のムチが通過していく。
ぱしん、と壁を叩くそれの跳ね返りを避けて慌てて振り向くと、いつの間におれの背後を取っていたのか、相変わらずの格好の獄卒長殿がそこに立っていた。
「危ないじゃないですか」
「ん〜! そんな怖い顔しないで、あなたなら避けられるでしょう?」
目元を前髪で隠してあでやかな唇を晒した相手が、微笑みすら浮かべながら鞭を引き寄せる。
くるりと手元で巻いたものを腰裏に戻してから、大きな胸を揺らすようにして近寄ってくる彼女から、おれはそっと目を逸らした。
熱い箇所が多いからまあ分からないでもないが、本当にこの人はとんでもない露出をしている。
おれ達や署長ですらもかっちりと着込んでいるのに、とんだ自由人だ。
目のやり場に困る。
「ナマエ、ちゃあんとこっちを見て?」
甘く囁くように言葉が寄越されて、伸びてきた手がおれの顔に触れた。
ぐい、と引っ張られて仕方なく視線を戻せば、おれの顔を相手が覗き込んできている。
しっかりと隠れた目元の方から注がれる視線を感じてその顔を見つめていると、やがておれの顔から手を離した相手が唇の笑みを深めた。
「……貴女の持ち場はもっと下ではないのですか」
できるだけ露出の激しいところを見ないようにしながら言葉を紡ぐと、サディちゃんって呼んで、と少女のような言葉を相手が口にした。
それから、片手に持っていた槍を揺らして、彼女がおれの顔を見上げたままで唇を動かす。
「休憩時間だもの、どこに行こうと自由よ。あなただって今は休憩時間でしょう?」
「それは……待ってください、なんで知ってるんですか、おれの休憩時間を」
丸め込むような言葉に反論しようとしたところで、おかしな事実に気付いて眉を寄せた。
おれ達の休憩時間は不定期だ。今日は今の時間だが、昨日は違ったし明日も違うだろう。
おれの問いに、『サディちゃん』が自分の手首を示す。
見ればそこには一匹の子電伝虫が取り付けられていて、今はぐっすりとお休み中のようだった。
同僚の誰かが連絡したらしいという現実に、小さく息を吐く。
おれはどうも、この獄卒長殿に『好かれて』いるようだった。
何かした覚えがないので、ひょっとしたらこの顔が好みだとか、そういうものかもしれない。
嗜虐趣味のある獄卒長に好かれているという事実に当初は戦慄したが、あいさつ代わりに鞭を寄越してくる以外には、今のところ大きな被害は受けていない。
そのうち飽きてしまうんだろうと思っているが、好かれるようになって半年、まだ『サディちゃん』に飽きはきていないようだ。
おれのため息に、怒っちゃいやよと笑った彼女が、片手を自分の後ろに回した。
また鞭を取り出すつもりなのかとその動きを見守っていると、おれの視線に気付いた相手が動きを止める。
目元も見えない相手の表情は唇からしか読み取れず、今は微笑んでいないことしかわからない筈なのに、どうしてか少し困った顔をしている気がした。
「……あの?」
じっと動かない相手を見つめて、どうかしたのかと声を掛けると、さらに少し押し黙ってから、彼女は槍を手放した。
狭い路地で簡単に立てかけられたそれを放っておいて、その手がまたおれの顔へと伸びてくる。
先ほどと違うのは、丁寧に手入れされた指先が、おれの両目を狙うように伸ばされたことだった。
「っ!」
「ちょっとだけ、ね? 目を閉じていて?」
目つぶしされそうになって慌てて顔を逸らそうとしたところでそう言われて、すぐに目を閉じる。
おれの瞼には細い指の感触が触れたが、それ以上押し込まれるようなことはなかった。しかしこれでは、目を開ければ眼球に指が触れかねない。
一体何なんですか、と尋ねたおれには答えずに、うふふと笑った彼女がおれの向かいで身じろぐ。
数秒を置いて、かちゃり、と何か金属の音がして、おれの首のあたりに少し冷たいものが触れた。
重みのあるそれに眉を寄せたおれの顔から、彼女の手が退く。
「目を開けてみてちょうだい」
乞われるがまま、そろりと目を開くと、どうしてだか両手を軽くあげていた彼女が、まあ、と口を開いた。
「ん〜! すっごく似合ってるわ、ナマエ!」
「似合って……?」
寄越された言葉に困惑しつつ、違和感のある首元へ手をやる。
そこでちゃりりと音がして、おれは触れたものを軽く引っ張った。
指に触れているのは、細い鎖だ。
そうしてそれを辿れば、感触からして鉄の輪が、ぐるりとおれの首を回っている。
数秒を掛け、自分に首輪がはまっているという事実に気付いて、おれは視線を向かいの相手へと戻した。
「これは、どういうつもりで」
「だって、今日はあなたのお誕生日でしょう?」
素敵だわと少女のように両手を合わせながら、獄卒長が言葉を口にする。
言われてみれば確かに今日は〇月◇日だが、それと首輪と一体何の関係があるのか。むしろなぜ、おれの誕生日をこの人が知っているのか。
間違いなく怪訝そうな目になっただろうおれの向かいで、特注したの、絶対に似合うと思ったのよと嬉しそうな声を放った相手が、微笑みをうかべた。
「お誕生日おめでとう、ナマエ!」
よかったら今夜は一緒にディナーをいかがかしら、と続いた言葉になんとなく頭痛がしたのは、きっとおれの気のせいではないはずである。
外してくれと頼んでも外してくれなかった首輪が、本当の本気でおれへの誕生日プレゼントらしいと知ったのは、その日の夜のことだ。
獄卒長殿の感性は、まるで分からない。
end
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