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イヌアラシと誕生日
※主人公は無知識
※名無しモブキャラがちらっと注意



 俺には昔、『内緒の友達』がいた。
 俺の家の庭にそびえる、じいちゃんのじいちゃんが植えたという随分太い木の下に突然現れたそいつは、背丈こそ俺と変わらなかったが、誰がどう見ても人間じゃなかった。
 何せ二本足で佇み、両手を使い、衣類を着込んだ『犬』だったのだから、あんまり物を知らない子供の俺にだって明らかだ。

『はじめまして! ねえねえ、おなまえなんてゆーの?』

『イ……イヌアラシ』

 しかし、その頃見せてもらっていた知育アニメのおかげで、世の中のどこかには『そういう人間』もいるんだろうと思っていたから、すごいと目を輝かせるだけだった。
 俺が言うおかしなことに不思議そうに首を傾げて、楽しいことを一緒にやるときは尻尾を振って、たまに一緒におやつを食べる『友達』。
 けれども、誰かに友達になったそいつの話をしてみても、誰も俺と同じものが見えないから信じてもらえない。
 最後にはふざけていると怒られたりしたので、俺は自分の友達を誰かに紹介することを諦めた。
 何せ、叱られる俺の横で、俺にしか見えない大事な友達までしょんぼりと尻尾を垂らしてしまうのだ。
 これはいけないし、俺には見えているんだから大丈夫だと胸を張って、俺はこっそりと大人に怒られない程度にその友達と遊んでいた。一日中一緒にいられたわけじゃなかったから、どこかに『帰って』いたんだとは思うけど、どこに住んでいたのかは知らない。

『イヌアラシ、にいちゃんからボールかりてきた!』

 ボールなげしようよ、と誘えば『おもしろい遊びか?』なんて言いながらぱたりと尻尾を振った『イヌアラシ』と会えなくなったのは、本当に突然だった。
 どれだけ探しても見つからない『イヌアラシ』に、俺のことが嫌いになったんだと泣きまくったあの頃の俺は、本当にただのガキだった。
 けれどももう、それだってずっとずっと昔のこと。
 今はもう、大事だった友達の顔すらおぼろげだ。
 一緒に遊んだボールすら失くしてしまったから、本当にあの友達が存在していてくれたのかどうか、確かめる術すらない。
 そういえば大事なサインボールを失くしたことを兄貴に怒られたなァ、と懐かしい思い出を手繰り寄せたのは、会社帰りにコンビニへと立ち寄った時だった。
 キャンペーンなのか、野球選手の写真が使われたくじを引かされたのは、夜食を買ってそこそこ金額を使ったからだろう。

「おめでとうございます。あたりですね」

「ああ……どうも」

 あまり表情の変わらないなじみの店員に声を掛けられて、手元のカードをちらりと見下ろした。
 午前様になった本日、〇月◇日は俺の誕生日だから、神様とやらからの誕生日プレゼントかもしれない。
 疲れて少し眠い頭でそんな馬鹿なことを考えつつ、さっさとその場で引き換えてもらった景品のジャーキーを夜食のパンと同じ袋に入れてもらった。
 ありがとうございました、と寄越される声に背中を押されるようにして店から出て、家へ向かって慣れた道を歩く。
 深夜すぎ、街角の外灯はどうにか暗い道を照らしてくれているが、俺が女だったら絶対に歩かせない道だ。住宅街だが、明かりの点いている家だってもうほとんどない。
 ひんやりとした静けさにじわりと眠気が押し寄せ、その事実に気付いて少しだけ歩みを速めた俺は、さっさと帰ろうとあくびをしながら角を曲がり、そして、踏み出した足が空ぶったという事実に目を見開いた。

「あ……!?」

 体が前に倒れ込み、訳が分からないまま後ろに下がろうとしたが、むなしく足元が滑る。
 ふわ、と内臓を置き去りにするような浮遊感を味わい、背中に冷や汗をかいたのを感じた。
 倒れ込む先にあるのはアスファルトではなく、どうしてか真っ暗な闇だ。
 落ちるのか、飲まれるのか、それすら分からず助けを求めたくて身じろぐが、掴まれるものすら周りには無い。
 喉が引きつり悲鳴すら上げられないまま、俺は闇へ向けて倒れ込んだ。

「うっ」

「ぐっ」

 そうして、その勢いのまま何かもふりとしたものにぶつかって、くぐもった悲鳴を上げる。
 俺のそれに合わせて短く声が上がったのが聞こえたので、誰かにぶつかったらしいと気付き、慌てて体を両腕で支えた。
 手元の柔らかさは毛皮や毛布のそれに似ていて、とりあえずあのおかしなところに倒れ込んで怪我をしなかったのはその柔らかさのせいだと把握した。
 考えにくいが、誰かが地下で寝ていて天井に穴が開いていたために俺がベッドに飛び込んだとか、そんな馬鹿な話だろうか。

「あ、すみません本当に、その」

 とりあえず体を起こして、先ほどの声の主を探してきょろりと周囲を見回す。
 見回すそこは明らかに家の中で、間違いなく自分が不法侵入をしたということは分かった。しかし、天井を開けておく方が悪いだろう。あんなところに穴をあけていたら、人間どころか車だって落ちかねない。
 薄暗い中でさらに周囲を見回して、ふと自分が乗っているものへと視線を向ける。
 もふりと柔らかいそれはやっぱり毛布だ。
 そうして、それを辿ってゆるゆると視線を動かしていった先で、どうしてか正面に壁がある。
 しかもそれは他の壁と同じ板張りではなく、ふかふかの毛皮だった。
 そうしてさらにその上には、巨大な犬の頭がある。

「はァ……」

 剥製にしても、こんなにでかい犬がいるのか。
 人間なんてひと噛みで半分食べられそうな頭を見上げて思わず息を漏らした俺は、その『剥製』の目が動いたのに気付き、びくりと体を震わせた。
 見ている先で一度、二度と瞬きをした『剥製』が、それからゆっくりと動き出す。

「…………ゆガラ、どこから侵入した?」

 こぼれた声は先ほど聞いた短い悲鳴の声と似ているが、巨大な犬の『剥製』が喋った、という事実の前には些細なことだ。
 驚きのあまり硬直してしまった俺を前に、一度『剥製』が首を傾げ、垂れた耳がゆらりと揺れた。
 そうしてそれから、すん、と匂いを嗅いだらしい相手が、ゆるりとその顔をこちらへと向けて来る。

「ひ……っ」

 大きな牙がむき出しになっている口元を近付けられ、わけが分からないながらも逃げようとした俺の体は、左右から伸びてきた大きな手に取り押さえられた。
 犬の『剥製』だったのに、随分と人間のような両手だ。
 ただし短い毛にほとんどが覆われていて、伸びている爪も『人間』のそれとは明らかに違う。
 ついでにいえば温もりが感じられて、目の前の相手が『剥製』ではなく『なまもの』なのだと俺に伝えた。
 ぐっと体を掴むその力は強く、相手がその気になれば自分の体が左右にちぎられそうだという事実に、体が震えるのを止められない。
 がちがちと歯が鳴るのは、食いしばることも出来ないからだ。
 寒さ以外の理由でこんなに震えたことは、今まで生きてきて一度だってなかった。
 初体験だ。
 こんな初めていらなかった。
 ぐるぐるとそんなどうでもいいことを考える俺の前まで近寄ってきた鼻先が、ひくりと動く。
 何かを確かめるように数回そうやって俺の匂いを嗅いで、そうして近くなった双眸が、まっすぐに俺を見つめる。

「………………ナマエ?」

 たっぷりの間をおいて、ゆるりと相手から紡がれた言葉は、俺の名前の音をしていた。
 その事実に目を瞬かせ、震えながら見上げた先で、『ナマエだろう』と今度は断定的な言葉が放たれる。
 確かに、俺の名前はナマエだ。
 運転免許証にもそう書いてあるし、住民票の写しを取ったってそう書いてあるだろう。両親や兄貴に聞いてくれたってかまわない。
 しかし、俺とこの相手は初対面の筈だ。こんな怖い知り合いは俺にはいない。
 なぜ、俺の名前を知っているのか。

「あ……あの……?」

 どうにか体の震えを落ち着かせようとしながらそっと声を零すと、少しだけこちらを見つめる目が伏せられた。
 近かった顔が離れていき、先ほどと同じ高さへと戻る。けれども俺の体を捕まえている両手はそのままだから、相変わらず逃げられない。

「私が分からないか」

 まああれから幾年も経つからな、と寄越される言葉からするに、相手は俺の知り合いだと言いたいらしい。
 俺には人間の知り合いしかいませんよ、と答えていいものか、生意気なことを言ったら噛まれてしまうんじゃないのか。
 おろおろと目をさ迷わせた俺は、ふと、相手の後ろ側でぱたりと揺れる存在に気が付いた。
 ふさふさの毛並みが、左右に揺れるたびに小さく音を立てている。

「しかし、まさかもう一度会えるとは思わなんだ。ゆガラはどうやってこのゾウへ?」

 言葉を放ちつつだんだんと勢いを増していくその動きは、まるで喜ぶ犬の尻尾みたいだ。
 そう思ったとたんに、ふと脳裏によぎった一人の『知り合い』に、俺は慌てて視線を大きな顔へと向けた。
 俺の動きに戸惑ったのか、ゆるりと首を傾げる仕草に、今度は既視感を抱く。
 ずっと昔に会ったきりの『友達』のおぼろげな顔が目の前の相手と重なるのかはもう分からなくて、それでもほかに可能性を見いだせず、俺は恐る恐ると口を動かした。

「………………イヌアラシ?」

 そろり、と吐き出したそれに、ぱた、と先ほどまで揺れていた尻尾の動きが止まる。

「……覚えていたか!」

 そうしてそれから、笑うように歯を剥いた相手が、またその顔を近付けてくる。
 今度は大きな舌が現れて、べろりと俺の頬を舐めた。
 ばしばしと少し大きな音がして、見やった先の尻尾が先ほどよりも明らかにものすごい勢いで揺れている。
 当たったら痛そうな動きだが、虐げられているのはクッションと毛布だ。悲鳴は今のところ聞こえない。

「久しぶりだなナマエ、息災か? 随分と小さくなったな」

 嬉しそうに寄越される言葉にとまどいながら、そっちがデカくなったんだよと答えた俺は、ちらりと自分の真上を見やった。
 しかしそこには俺が落ちてきた穴などはまるで見当たらず、きれいな天井があるだけだ。
 その事実を確かめて、それからゆっくりと手を動かす。
 体は掴まれていたが、ある程度の自由のある手で目の前の鼻先を抑えると、『イヌアラシ』は俺を舐めるのを止めた。

「ナマエ?」

「いや、待って……ちょっと待ってくれ」

 不服そうな声が聞こえたが、とりあえずそう訴える。
 頭がいっぱいで破裂しそうだ。どういうことなのか全然理解できない。
 いつもならもう少し思考が回るところだが、残業に次ぐ残業でこの時間まで家に帰れなかった俺にはもはや無理な話だ。

「頼む、一回寝かせてくれ。起きたら考えるから」

 だからこそそう訴えると、先ほどのように首を傾げた『イヌアラシ』が、ナマエがそう言うのなら、と言いながら俺の体を引き寄せる。
 ごろりと体が相手の上へと倒れ込み、戸惑う俺の体が、くるりと毛布で包まれた。

「私が見張っていよう。安心して眠るといい」

「いや、見張……いいや、もう」

 なんで『見張る』必要があるのか分からないし、どうして『イヌアラシ』の上で眠らなくちゃならないんだと訴えたかったが、もふりとした魅惑の柔らかさにじわりと思考が溶けたのを感じた。
 ひょっとしたらこの毛布の下は『イヌアラシ』の毛皮なんだろうか。毛布自体も上等な気がするし、気持ちがいいのは間違いない。
 驚きと戸惑いで遠ざかっていた眠気が、急速に強くなっていくのを感じる。

「おやすみ、ナマエ、いい夢を見ろ」

「おや……すみ……」

 囁く言葉に返事をしたところで、俺の意識はそのまま途切れた。
 そうして目を覚ましてから、自分が『異世界』にいるのだと把握するのには、数時間が掛かった。
 今年の誕生日プレゼントはどうやら、とんでもないものだったらしい。



end


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