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ネコマムシと誕生日
※トリップ系主人公



「おー、満月だ」

 昨日と違う位置にある月を見上げて、俺はそんな風に呟いた。
 暗い森を照らす月光は闇に慣れた目には明るくて、少しばかり目を細める。
 俺がこの『島』にきて、もうすぐ一年だ。
 実際には島でもないのだが、そんな細かいことを言っても状況が変わるわけじゃない。
 突如として現れた『レッサーミンク』である俺をこの『島』の住人たちはとても怪しんだが、誰がどう見ても空から降ってきたという俺には帰るあてがなく、落ちてきた俺を捕まえて審議した『森』のミンク族達の長の一存で、俺はここに留まることになった。
 建物を離れる時は大体監視されているが、それだって俺が出所不明の人間なのが悪いのだから仕方ない。
 俺に言わせれば駅のホームから足を滑らせたというきっかけがあるが、『この世界』には地下鉄すら珍しいし、ミンク族には説明してみてもうまく伝わらなかったし、何よりそれとこの状況の因果関係は分からないのだ。
 どうやって帰れるのかも分からないまま、とりあえず自分ができる仕事を見つけて過ごしている。

「このくらいでいいかな?」

 籠を持ち直してそんな風に呟き、籠の中を覗き込む。
 せっせと摘んだマタタビが、数枚の葉や折った枝と共に籠の中に転がっていた。
 ネコやその類の派生らしい種族のミンク族にとって、マタタビは気持ちよく酔っ払えるものの一つらしい。
 俺は猫を飼ったことが無いので分からないが、猫にマタタビというのはよく聞いたし、きっとこちらの世界でもそういうことなんだろう。
 くじらの森を治める長が大きなネコのミンクだからか、森の方ではよく採取されてストックされている。
 いつもはネコ族ではないミンク族が集めてくるそうだが、ちょうど在庫の切れたそれを集めるのを、俺が頼まれた。
 何度か手伝って『どれをどの程度摘むのが最適か』を習ったし、やった俺から見れば仕事の出来は上々だ。

「帰るよー」

 闇の深い森の中、先ほどちらりと尻尾を見せてくれた今日の『監視役』のいるほうへ声を掛けつつ、俺は籠を抱えて歩き出した。
 耳を澄ましても自分以外の足音は聞こえないが、『監視役』はいつもそうなので気にしても仕方ない。
 俺を監視するのは大体ネコのミンク族だし、今日はいつもよりもっと離れていたから、よけい分からないんだろう。
 マタタビの匂いを避けているのかもしれない。くじらの森を治める長は自由ネコだというのに、相変わらず侠客団はストイックだ。
 足を動かして、来た道を戻る。
 俺や他のミンク族達が踏み歩いてできた獣道はしっかりと土が踏み固められているが、もうすっかり草が伸びていた。足を取られないように注意しながら進んでいって、よくやく目的地へと辿り着く。
 マタタビの入った籠は裏口から入る厨房のいつもの棚へと片付けて、それから帰宅のあいさつをするために家主のいるだろう部屋へと向かった。

「ネコマムシの旦那ァ、ただいま」

 家の主に合わせて大きな扉はいつも通り半開きで、隙間から入り込みつつ家主に声を掛けると、座り込んでいた巨大なミンク族の耳がぴくりと動く。
 いつもの室内にたった一人きりが座っているという状況に、あれ、と目を丸くする。
 側近どころか、俺が出かける前はいた『王の鳥』も見当たらない。
 森と街を行き来する彼女達は夜型の生活だけをするわけにもいかないから、寝てしまったんだろうか。
 そんなに時間が掛かったかな、と頭を掻きつつ足を踏み出すと、ごろろろ、とわずかに喉の鳴る音がした。

「おお、ナマエ、よう帰ったきに!」

 それと共に巨体がぐるりと振り返り、巨大なネコ族がにんまりと笑みを浮かべる。
 大きな口には煙管をくわえていて、ふわりとこぼれた煙がすぐに消えた。

「待っちょったぜよ、どこに行っちょった?」

「おつかいだけど、そんなにかかってた? 起きてからどのくらい経ってる?」

 俺が建物を離れたのは、まだネコマムシの旦那が気持ちよく休んでいる日暮れの時間帯だ。
 すぐに起きるだろうから伝えておく、とワンダは言っていたのに、伝言をされなかったんだろうか。
 不思議に思いながら近付くと、ごろごろとまた喉の鳴る音がする。
 それと同時に目の前の巨体がこちらへ向けてとびかかってきて、うぎゃ、と思わず間抜けな声が出てしまった。
 しかしそんな俺を逃さず太い腕が俺の体を抱え込み、ごろんと転がったネコマムシの旦那の上へと引き上げられる。

「うぶ、旦那、ちょっと!」

「ゆガラ、マタタビの匂いをさせちょるがや〜」

 毛皮に顔を埋める形になって慌てて身を起こすと、そんな風に言い放ったネコマムシの旦那が俺を両腕で捕まえたままで少しばかり首を起こした。
 ごち、と大きな頭に頭をぶつけられて、ぐりぐりと擦りつけられた後で、今度は何やら頭や体の匂いを嗅がれている。
 ごろごろと喉を鳴らしながらのそれはマタタビに喜ぶときの旦那の姿に少し似ていて、どうやら俺にもマタタビの匂いがついていたらしい、と俺は把握した。
 普通にマタタビを採取しただけだし、俺自身にはまるで分からなかったが、ミンク族は鼻がきくから効果があったんだろう。

「どこに隠しちょるきに?」

「うひゃ、持ってない、持ってないから!」

 引き寄せた俺の体に鼻先を押し付けながらマタタビを探すネコマムシの旦那に、腹をくすぐられてこそばゆくなりながら必死に両手でその顔を押しやる。
 すると、俺の手から香るマタタビの匂いを感じたらしいネコマムシの旦那が、ざらつく舌でべろりと俺の掌を舐めた。

「いたい!」

 ざりり、と皮膚の薄いところを舐められて慌てて手を引くと、またごちりと頭がぶつけられる。
 ぐりぐりと頭を擦りつけてくるそれは、ミンク族で言うところの挨拶らしい。
 それぞれの種族がそれぞれの種族に合わせた表現で行ってくるから、油断するとたまにとても強く咬まれたりする。
 ネコマムシの旦那は勢いをつけてぶつかってきたリ擦りつくくらいのことなので、とりあえず頭を左右に動かしてやり返すと、ゴロニャニャニャ、と旦那が笑い声らしきものを漏らした。
 その両腕で俺を抱えたままむくりと起き上がって、俺の体がその毛皮にまた押し付けられる。
 まだごろごろと喉を鳴らしているから、その振動が伝わって少しくすぐったい。

「マタタビ味のレッサーミンクは珍しいぜよ」

「いや、おつかいで摘んできただけで……そうだ、ワンダは?」

 楽しそうな相手に言い返しつつ、そういえばと俺に『おつかい』をたのんだ彼女の名前を口にした。
 俺の言葉に、ワンダは仕事に行っちょう、と答えたネコマムシの旦那の尻尾が、ゆるりと前側に回る。
 ふさふさの毛皮に覆われたそれにまで体を抑えられて、どうやら俺からは相当マタタビの匂いがするらしい、と把握した。
 ひょっとしたら、一回マタタビめがけて転んだせいかもしれない。
 目の前の巨体に体を押し付けられたまま、少し悩んでから、あの、と声を漏らす。

「マタタビ、一つ持ってこようか?」

 たくさん摘んできたことだし、一つくらい今渡しても変わりないのではないか。
 酒も飲むし煙草も吸うネコ族を一番酔わせるのはあの物体で、ネコマムシの旦那もかなり気に入っているということは、もう知っている。
 俺の匂いを嗅いで満足は出来ないだろうと考えての俺の言葉に、またネコマムシの旦那が笑い声を零した。

「『本物』は本番まで取っちょくぜよ」

「ほんばん?」

 なんの話だ、と落ちてきた言葉に眉を寄せた俺の頭がまたぐりぐりと攻撃されて、ひょいと体が持ち上げられる。
 ぬくもりから離れた俺の顔の真ん前にやってきたのは当然腕の主の顔で、こちらを見た巨大なネコ族が、大きな口を大きく笑みの形にした。

「それに、ゆガラの匂いも好いちょるがや」

 言いながら近寄ってきた鼻先がぺちりと俺の鼻の頭に触れて、口にくわえたままだった煙管から漂う煙草のわずかな匂いが、俺の鼻をくすぐった。
 種類は分からないが、すでに慣れてしまったその匂いは、俺に言わせればネコマムシの旦那の匂いだ。
 確かに俺だってその匂いを嫌いだと思ったことはないが、はたしてそういうことは面と向かって言うものなんだろうか。
 一年足らずを共に過ごしてはいるものの、相変わらずミンク族のそういうところがよく分からない。

「…………旦那って、時々すごく恥ずかしいこと言うと思う」

「ゴロニャニャニャ!!」

 顔を離したネコマムシの旦那に抱え直されながらの俺の唸りに、ネコマムシの旦那は楽しそうに笑い声を漏らした。
 そうして結局ワンダや他のミンク族が戻ってくるまで、俺は旦那から解放されなかった。

「今日はゆガラの生まれた日ぜよ! 大人しゅう祝われちょるんが役目やき!」

 いや、そんな風に言ったネコマムシの旦那は用意させたご馳走と酒の前でも俺を膝から降ろさなかったから、その日が終わるまで解放されなかった、と言った方が正しかったかもしれない。
 確かに〇月◇日は俺の誕生日だけど、まさか最初の頃の尋問まがいの問いに必死になって答えていた時の情報を覚えられているとは思わなかった。
 すごく嬉しくて、ついでにいえば恥ずかしくて逃げたくなったのに逃がしてくれなかったネコマムシの旦那は、本当にひどいミンク族だ。



end


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