ゲンゾウと誕生日
※主人公は一般人でベルメールの幼馴染
「あれ、ベルメールちゃんは?」
ひょいと覗き込んだ家の中にいなかった人物に、おれは目を丸くした。
おれの言葉に『ミカン畑だろう』と答えたのは、小さな籠の横でゆりかごの中を覗き込んでいた家主だった。
帽子の上についた風車が窓から吹き込む風でからからと回っていて、それを見上げたゆりかごの中の赤ん坊がきゃっきゃと笑い声を零している。
「なんだ、ナミちゃんが笑ってるからベルメールちゃんもいると思ったのに」
軽く笑ってそんな風に言いながら、おれは人様の家へと上がり込んだ。
赤ん坊を入れる籠網のゆりかごの傍には何枚か毛布が敷かれていて、家主殿もその上に膝をついている。
両手に持った紙袋を手にゆりかごを挟んでちょうど家主の反対側へと座り込むと、オレンジの髪の可愛い赤ん坊が、おれに気付いてその目をこちらへ向けてくる。
「あう、だー」
「よーしよしよし、ほらナミちゃん、ぬいぐるみだよ」
持ってきた紙袋の中身を一つ取り出してゆりかごへと入れると、不思議そうにしながらぬいぐるみを小さな手が捕まえて、ぐいと兎の耳を引っ張る。
喃語を漏らしてぬいぐるみを弄る相手に笑っていると、ミカンの匂いがするな、とおれの贈り物を見たゲンさんが言葉を漏らした。
「ゴサの方で見かけたんだ。ぬいぐるみの中にポプリが仕込まれてるんだって」
「赤ん坊にやって大丈夫か?」
「心配性だなァ、大丈夫だよ。ベルメールちゃんもミカンの匂いがするから、落ち着くんじゃないかと思ってさ」
一応他にもいろいろ買ってきたけど、と言いながら手元の紙袋を家主へと差し出すと、ゲンさんがそれを受け取る。
開いた紙袋の中身を検める顔は真面目な駐在さんそのものだが、頭の上にある風車がどうにも絵面を引き締めさせない。
けれども帽子についているそれは、赤ん坊に泣かれてばっかりだった彼が笑ってもらうためにやった努力の成果だ。
そこまでして赤ん坊に笑ってほしかったのかと思うと可愛らしい気すらする。
それと同時に、それがベルメールという名のあの子の『子供』だからなのかとも考えると、少し複雑な感じだ。
「またこんなに買い込んだのか。お前が物を与えてばかりで困ると、ベルメールが笑っていたぞ」
「ええ? ベルメールちゃんが笑顔になるんなら、こりゃあもっと買ってこないと」
「馬鹿者、そういうことじゃない」
幼馴染の元海兵を思い浮かべて笑うと、呆れたように首を横に振られる。
分かってるよとそれに答えて、おれはゆりかごの中へと視線を戻した。
ミカンの香りに安らいだのか、それとももともとそういう時間だったのか、いつの間にか兎の耳を口にくわえた赤ん坊が、うつらうつらと目を閉じかけている。
ミルクの香りがしそうな赤ん坊を見下ろして、可愛いなあ、と呟いた。
ゆりかごの中の『ナミ』と、そうして今はいないがもう一人の小さな女の子である『ノジコ』は、おれの幼馴染であるベルメールちゃんが連れて帰ってきた子供だった。
最初は産んだのかと驚いたが、戦場で拾ってきた孤児だったらしい。
三人共に血のつながりはかけらも無いが、それでもそれを補って余りある家族の絆がある。
本当はゲンさんもそこに混じりたいんじゃないかなと思うようになったのは、ゲンさんが村の中で誰より『ナミ』と『ノジコ』を可愛がっていると気付いたからだった。
ひょっとしてベルメールちゃんが好きなのかなんて、そんな恐ろしい質問はいまだに出来ていない。素直に頷かれても、顔を真っ赤にして首を横に振られても、どちらにしてもおれには大打撃だ。
「可愛いのは当然だろう」
ふん、とまるで自慢するように胸を張られて、ははは、と軽く笑い声を零す。
二人そろって少し声を潜めているのは、いよいよ赤ん坊が眠りにつこうとしているからだ。
「そうだな。ベルメールちゃんの子供だし」
きっとこの子はお転婆に育つに違いない。
ずっとずっと先の未来を脳裏に描いて、どんなかわいい子に育つかなァ、なんて呟くと、何やら頬に刺さる視線を感じた。
気付いてそちらへ顔を向ければ、おれの方をゲンさんがじっと睨み付けている。
強面の相手にされると何とも怖い表情だ。おれがゲンさんのことを何も知らない子供だったら、大声で泣いていたに違いない。
「ゲンさん?」
どうかしたのかと思ってみていると、そっとゆりかごの中へ手を入れたゲンさんが、ナミちゃんの体をしっかりと薄くて小さなタオルケットで覆い隠した。
すっかり眠り込んでいるナミちゃんは反応もせず、おれが渡した兎を抱きしめている。
「この子達に手を出したら、いくらナマエでも私が許さんぞ」
「ええ?」
きりりと顔を引き締めた相手にそんなことを言われて、思わず戸惑いの声が出てしまった。
「おれ、赤ん坊とか女の子とか、そういう趣味無いんだけど」
「わかっている。年頃になったナミやノジコに手を出したら許さんと言っているんだ」
まるで父親のような発言だ。
本当にナミちゃん達を可愛がっていると分かるそれに、ベルメールちゃんが聞いたら呆れそうだな、なんてことを考えながら笑みを浮かべた。
「大変だ、ゲンさんのせいでナミちゃん達が嫁き遅れちゃうよ」
なんてこったと首を横に振ると、そこまで制限するつもりはないぞ、と少し慌てたような声で返事が寄越される。
どうかなー、とそれに笑いながら、おれは自分の胸に軽く手を当てた。
「おれだってゲンさんのせいで嫁き遅れてるのに」
「私が何をした!? その前にお前は男だろうが!!」
やれやれとため息を零したおれに、ゲンさんが声を張り上げる。
大きかったそれに驚いたのか、起きてしまった赤ん坊がゆりかごの中から小さく泣き声をあげた。
慌ててゆりかごを揺らしだした相手に笑って、おれも同じく可愛い赤ん坊を泣き止ませることに手を尽くすことにする。
そうやってナミちゃんの為に動きながら、本当なのにな、と胸の内だけで小さく呟いた。
せめて誰かさんが結婚でもしたら諦めもつくだろうに、まるでベルメールちゃんを待っていたかのように独り身だったゲンさんは、いまだに独身のままだ。
おかげさまでおれはずっと諦められないまま、初恋を拗らせ続けている。
男なんだからもっと思い切りなよと怒っていたのは、在りし日の幼馴染殿だったか。
これからもこの島で生きていくんだからそんなに思い切ったことは出来ないのに、ベルメールちゃんは時々すごくひどいことを言う。
「……よし、寝たな……!」
ようやっと起こしてしまったナミちゃんが寝付いて、ふう、と息を漏らしたゲンさんが額の汗をぬぐった。
静かに声を潜めている相手に、そうだね、と頷いてから立ち上がる。
「ん? どうした、ナマエ」
「いや、そろそろお暇しようと思ってさ。片付けもあるし。あ、その袋はベルメールちゃんに渡しといてよ」
今日は買い出しの関係で一日店を休んだが、明日からはまた営業日だ。
掃除や買い込んだものの片づけを済ませないと、と続けたおれの言葉に、そうか、と答えたゲンさんが何か言いたげにその目を少しだけさ迷わせた。
「ゲンさん?」
どうかしたのか、とその顔を見つめると、数拍をおいて意を決したようにこちらへ視線を戻したこの家の主が、ゆるりと口を動かした。
「きょ……今日は、うちで夕食を食べて行かないか」
「え?」
放たれた言葉に思わず目を丸くする。
そんなおれを見上げて、今日は誕生日だろう、とゲンさんが口を動かした。
「ベルメール達が言い出したんだが、もうじきあいつらも来るだろう。料理は、まあ、私の手作りで悪いが、ベルメールも何か持ち寄ると言っていたし」
どうだろうか、と続く言葉に、ああなるほど、と声を漏らした。
確かに今日は〇月◇日。おれの誕生日だ。
どうやらベルメールちゃんは、おれの誕生日を覚えていたらしい。
わざわざその日にゲンさんまで誘っての夕食会だなんて、おれの想いに気付いている我が幼馴染殿は抜け目ない。
しかもゲンさんの手料理が食べられるなんて、これは今までにないくらいすごい誕生日プレゼントだ。ベルメールちゃんから見返りを求められた時が怖い。
「嬉しいなァ、ありがとう、ゲンさん」
しかしそれでも、まさかおれに断るなんて言う選択肢がある筈もなく、おれはゲンさんの誘いに乗った。
「おかしいな、これ、ゲンさんからの提案だったけど?」
一時間後、料理の入った鍋を手にやってきたベルメールちゃんからの小さな耳打ちに、どうしようもなく動揺したおれが皿をひっくり返さなかったことを、誰か褒めてほしい。
end
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