- ナノ -
TOP小説メモレス

フカボシ王子と誕生日
※『恋のイルネス』設定
※主人公は有知識トリップな白ひげクルー
※少年なフカボシ王子



 俺は今、窮地に立たされている。

「ナマエ? 黙っていてはわかりません」

 むっと拗ねた様な顔をした人魚が、そんな風に言いながら俺の膝に乗っている。
 先ほどまでその体を浮かせていたシャボンはすぐ傍らで主の帰りを待っているのだが、業を煮やしてそれから降りてきたフカボシ王子には、まだ戻るつもりはないようだ。
 オヤジが『友』と酒を飲みたくなったから、なんていう理由でモビーディック号が立ち寄ることになった魚人島では、今日も白ひげ海賊団への歓迎の宴が開かれている。
 相変わらずきらびやかで楽しげで美味しい食事が振る舞われるそれから俺がこっそり抜けてきたのは、こっそりと近寄ってきた魚人島の王子様に袖を引かれたからだ。

『ナマエ、ついてきてください』

 相変わらず白くて柔らかそうな手で人の服を掴み、お願いしますとこの王子様に下からじっと見つめられて頷かない奴がいたら、そいつは多分人間じゃないので俺の前に引っ立ててきてほしい。
 そして俺はいくらよその世界の住人とは言えただの人間なので、抗えるわけもなくこうしてついてきたのだった。
 人間である俺に気遣ったらしい部屋は空気がしっかりと送り込まれた場所で、逆に人魚であるフカボシ王子には自由がきかない。
 だからこそ自宅であるはずのこの城の中の一部屋に俺を連れ込んだフカボシ王子はシャボンを使っていたのだが、柔らかいクッションを背もたれにしてマットを敷いた床へと座り込まされた俺の傍で漂っていた筈の彼は、すでにそれをやめてしまっている。
 甘えるように膝に乗られて、大きな体を余すことなく俺に預け、こちらへ倒れ込まないようにだろうがすがるように両手で俺の体に触れながらこちらを見ているこの王子様をそこいらに放り出せるような人でなしがいたら、まず間違いなく俺が許さない。

「ナマエ」

 咎めるように名前を呼ばれて、ああ、うん、と微妙な返事をした。
 どうにか現実から目を逸らそうとしているのだが、俺のそんな努力など知る由も無いフカボシ王子が、柔らかそうな唇の隙間から尖った歯を覗かせる。

「せっかくのお誕生日プレゼントなんですから、つかわなくては」

 今日をのがしたら次はいついらっしゃるかも分からないでしょう、と続く言葉は、確かにその通りだ。
 なんという偶然か、今日、〇月◇日は俺の誕生日だった。
 前に話したそれをしっかりと覚えていたらしいこの賢い王子様は、この部屋に俺を連れ込んだ後、すぐに俺を祝福してくれた。

『お誕生日おめでとうございます、ナマエ』

 今日という日にあなたが生まれてくれて嬉しいだとか、これからの一年があなたにとっていいものでありますようにだとか、高貴なお生まれらしいきれいな言葉で綴られた祝福になんだかくすぐったくなってしまったのは、俺という人間が随分と海賊稼業に染まってしまったという証だろう。
 それでも、祝福してくれるだけで嬉しかった。
 だというのに、さらにフカボシ王子はとんでもない発言を寄越したのである。

『おいわいの品を、と思ったのですが、まえ、ものは不要だと仰っていたので……』

 貴金属の類を寄越されそうになって断ったことを覚えていたのか、そんな風に言った可愛らしい王子様は、そのうえでわずかな微笑みと共に言葉を重ねた。

『私では、いかがでしょう?』

 なんでもひとつ、ねがいごとをおっしゃってください。
 なんだかもう眩しいくらいの笑顔と共に寄越された言葉の破壊力ときたら、思わず出かけた言葉を必死になって飲み込んだくらいだ。
 分かっているのである。
 この王子様に他意は何一つない。
 俺は王子様お気に入りの『海賊の友人』で、比べるのもおこがましいがオヤジとネプチューン王のようなものだ。
 金で解決できるものではなく自分ができることを贈り物にしようとする、美しい心構えのような気もする。
 しかし、汚れた大人の俺にとっては、清廉すぎて眩いどころかどうにかしてやりたい対象にしかならない。
 しかもわざわざ連れてこられたこの部屋は、今、俺と王子様の二人だけ。いつもの見張りすらいないので、何をしようとも気付かれないだろう。
 まさしく鴨がねぎと鍋とガスコンロを持ってきたような状況だった。

「ナマエ、どうして何もおっしゃらないのですか」

 ついには困ったような声を出して、私では不足ですか、と尋ねる相手が眉を下げる。
 不足なわけがある筈もない。できればもうさっさと言質を取って美味しく頂いてやりたいくらいだ。
 白い掌は滑らかだがその背中はどうだろう。尾びれがのたうつさまはどれほど可愛らしいだろう。肉を噛みちぎりやすそうな歯はどのくらい硬いのか。俺にひどいことをされて、この王子様は一体どんな声を出して、どんな顔をするんだろう。
 実直な王子様のことだ、『プレゼント』を盾にとればかなりの無体を強いることが出来るに違いない。
 だがしかし、一時の欲望に駆られてそんなことをしてしまえばどうなるかなんて、考えなくても分かることだった。
 俺は今、まさしく窮地に立たされている。
 頭の中が勝手に目の前の王子様にひどいことをしているせいで、まるでまともなことが思いつかない。
 いっそ頭をそこの柱や壁にぶつけて煩悩を振り払いたいが、俺の『発作』を知っているフカボシ王子は俺をそれらから離れた場所に座らせている。
 クッションや尻の下のマットが柔らかいのも、俺が床に頭を打ち付ける可能性を考慮してのものだろう。俺の大事な人魚王子はとても賢くて困る。

「あー……あー……そのー……」

 じっと見つめてくる相手に冷や汗すら浮かべながら、馬鹿みたいに声を漏らす。
 どうにか必死に考えたあたりさわりのない願い事が出てくるのには、途方もなく時間が掛かった。
 そのうえで、俺の願いを聞いたフカボシ王子が不満そうな顔をしながら『もっとないのか』と問うてくるのだから、もういっそ誰か俺を殴って気絶させてほしかった。



end


戻る | 小説ページTOPへ