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権利は放棄できます
 夕食時も過ぎた静かな廊下を歩いて、クザンはこっそりと自分の執務室を覗き込んだ。
 まだ明かりがついている室内には、クザンの部下となった青年が一人で佇んでいる。
 書類整理をしているその姿に、こんな時間まで働いているのかとクザンが目を丸くしたところで、くるりと彼が振り返った。

「クザン大将、どこに行ってたんですか」

「あらら、見つかっちまった」

 非難するような言葉を寄越されて、笑ったクザンが室内へと完全に入り込む。
 自分より随分と大きな相手を見上げて、ナマエは勝ち誇った顔をした。

「自転車はあるから遠出はしていないだろうと思って、ここで待ち伏せていた俺の勝利ですね」

 言い放った彼は、どうやらクザンを待ってこんな時間まで残っていたらしい。
 改めて時計を見やり、就業時間を大幅に過ぎていることを確認したクザンは、呆れたようにため息を吐いた。

「だからって、こんな遅い時間まで待ってることねェのに」

「こんな遅い時間まで帰ってこなかった人が言う台詞じゃありません」

「はいはい、ごめんなさい」

 ぴしゃりと寄越された叱責に、おざなりに謝罪する。
 本当はそう思っていないくせに、と呆れた顔をしたナマエが書類の束を掴んだのを見下ろしながら、クザンは肩を竦めた。

「仕方ないから家まで送ってってあげるよ、ほら、準備して」

「俺はこの書類にサイン貰わないといけないんです」

「朝いちでやるから」

 言いつつ差し出された書類をちらりと見やって、クザンの手がひょいとナマエからそれを取上げ、改めて自分の机へ置く。
 表に書かれた名前の中に赤犬のものがあったから、確かにこれは早めに処理をしておいたほうが良いものだろう。
 だが、今この時間にやっても、明日の朝やっても変わらない。

「今日はもう帰るよ、遅いし」

 外は真っ暗だしと続けたクザンの言葉に、ちらりと外を見やったナマエは、仕方無さそうに頷いた。

「…………分かりました」

 あっさりと引き下がって卓上を片付け始めたナマエに、おや、とクザンが少しばかり目を丸くする。
 もっと粘るかと思ったのに、と呟いた彼に、だって、とナマエは口を動かした。

「一緒に帰るんですよね?」

「こんな遅い時間じゃ、海軍の目だって行き届かないでしょうが。悪い人が出たら怖いでしょ」

 当然だろうと頷いて、クザンは目の前の相手を見下ろす。
 ナマエは、大きな声で怒鳴る相手や、暴力的な相手が苦手だ。
 それがどうしてかをクザンは知っているから、万が一にも暴漢に遭遇してしまったらナマエが怯えるだろうと分かっていて、放っておくことなどできはしない。

「それとも、一人で帰りたい?」

「一緒がいいです」

 試すようにクザンが言うと、間髪いれずにナマエはそう答えた。
 それじゃ早く仕度して、と呟いたクザンへ頷いて、ナマエの手が素早く卓上を片付ける。
 ほんの数分で片づけが済んで、机の鍵まで掛けたナマエは、お待たせしました、と告げてクザンの顔を見上げた。

「それじゃ、帰ろうか」

「はい」

 クザンの言葉に素直に返して、執務室を出たクザンの後を青年が追いかけた。
 自分の一歩に対して二歩を使う青年に合わせて、クザンがいつもより少々ゆったりと足を運ぶ。

「クザン大将」

 しばらく歩いたところで、ふいにナマエが口を開いた。
 てくてくと足を動かしながら、クザンはナマエのほうを見やる。

「明日朝のサインが終わったら、またサボりますか」

 まるで明日の天気を聞くように尋ねられて、クザンは肩を竦めた。

「………………そこはノーコメントで」

「本部から出てどこかに行くなら、後ろに乗せてください」

「あららら……珍しいね、サボりたいの?」

「クザン大将が一緒なら、きっと怒られるのは大将だけですよね」

 クザンの言葉を肯定するように、そう言った青年がクザンを見上げる。
 視線を落としてその顔を見下ろしたクザンは、やれやれとため息を零した。

「酷いこと考えるじゃないの。おれがボルサリーノやサカズキに怒られて泣いたらどうするつもり?」

「慰めてあげますよ」

 頭も撫でてあげます、なんて言いながら、すでに明日もクザンがサボると想定しているらしい青年は、どこか楽しそうだ。
 クザンが助けた身元不明の青年は、いつだってクザンの傍に居たがる。
 恐らくは、知らない場所に慣れなくて不安なのだろう。
 クザンの部下には面倒見の良い連中も多いから、そのうち打ち解けるだろうとクザンは思っているのだが、なかなかどうしてうまくいかない。
 一人でいるときの彼は表情が硬いとも聞いているから、ここらで一つ息抜きをさせてやるのも手だろうかと考えて、仕方ないな、とクザンは呟いた。
 放り出すことも出来る。
 成人しているのだから、自分の世話は自分でしろと突き放す事だって可能だろう。
 それをクザンがしないのは、こうやって頼られるのに、悪い気はしないからだ。

「それじゃ、弁当でも用意してくれるならいいよ」

「家庭科1だった俺にそれを言うとは……クザン大将も度胸がありますね」

「…………出来合いを詰め替えるだけでいいからさ」

「わかりました」

 『カテイカイチ』が何かは分からないが嫌な予感がして言葉を重ねたクザンに、青年は楽しそうに笑った。


END


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