サッチと誕生日
※主人公はトリップ主
「……あー、こりゃ、まいった」
甘い匂いの漂う調理場で、サッチは目の前のものを見ながら軽く声を漏らした。
時刻は夜遅く、対面になっているカウンターにもその向こう側にも『家族』は誰もいない。
そんな時間に甘い匂いを漂わせているのは、サッチがこっそりと料理を行っているからである。
彼の目の前には試作品である小さなケーキが座っていて、スポンジを覆うクリームが目を刺すような青色に染まっていた。
すぐそばのボウルの中身は白い生クリームで、サッチの目の前のケーキにもそれが塗りつけられている筈だ。
どうやら、このたびたどり着いた島で手に入れた生クリームは、時間経過で色を変えるものだったらしい。
なるほど島の店頭にあった菓子類が色彩豊かな筈だと納得して、サッチは丁寧に拭った指先で自分の顎を撫でた。
「駄目だな、これは」
ぽつりと呟き、じっと目の前の相手を見つめる。
サッチは白ひげ海賊団の台所を預かる、四番隊の隊長だ。
もちろん、自分が作った食べ物には絶対の自信を持っている。
味見だってきちんとしているし、まずいものは作らない。
だからこれもただの『おやつ』としてなら成功だったが、サッチの今回の目的は違ったのだ。
何せ明日は〇月◇日、四番隊の新入りであるナマエと言う名の海賊の誕生日なのである。
ナマエはサッチが海で拾った男で、どうにも食にうるさい、というより臆病なたちだ。
自分が見たことのない食べ物はなかなか食べようとせず、故郷では質素な食生活を送っていたのか、派手な色味の食べ物を好まない。他の『家族』達に比べて食も細いようだが、恐らく食べる量をあえて減らしているのだろう。
夜に輝く蛍光色のクッキーを夜食代わりに出した時は傍らから半分奪われるまでずっと手に持っていたし、似たような色味のソースを使った料理にもなかなか手をつけなかった。
その中でも特に青色は、『食欲が減退する色』だの『チャクショクリョー』がどうだのとよくわからないことを言う。
食べて死ぬならともかく、わざわざ一人の好みの為にメニューを変えてやることは出来なかったからサッチも今まで少ししか気遣えていなかったが、ささやかな『誕生日プレゼント』にしてやるつもりの物体を、相手が決して好まないだろう食べ物にすることはないだろう。
シンプルに生クリームを使ってやろうと思ったのになァ、と一人ごちて傍らに置いてあったパッケージを見やる。
サッチが普段使う生クリームとは違ったが、色も白かったから大丈夫だろうと思っていただけに、とても残念である。
「んー……明日……もう一回島に降りて、普通のか……せめてもう少し柔らかい色に変わる代用品を探すか」
今の時間では店も開いていないだろう、と時計を見やって判断して呟き、サッチの手がパックの口を閉じた。
しかし勿体ないからと試作に作ったスポンジを引き寄せて、残りのクリームを塗りたくっておくことにする。
出来上がったものは、大部屋にでも持っていけば甘いものが得意な『家族』が片付けるだろう。
すでにボウルの中の白かった生クリームたちも青く染まり始めていて、海を思わせる青みの美しさにわずかに目を細めたところで、足音がサッチの耳へと届いた。
それを受けてサッチが顔をあげると、ほぼ同時に食堂を覗き込んできた相手と目が合う。
「やっぱり、サッチ隊長だ」
言葉を零して笑ったのはナマエで、何してるんですか、と声を掛けながら彼はそのままサッチの方へと近付いてきた。
「夜遅くに何か作ってるなんて珍しいですね……うわ! 青!」
言葉と共にカウンターの向こう側からサッチの方を覗き込んで、そうしてサッチの手元にあった青いクリームに悲鳴が上がる。
なんですかそれ、と困惑交じりの声を零した相手に笑って、この島の生クリームだとさ、とサッチは答えた。
「最初は白かったんだぜ。泡立てたらだんだん青くなっちまってなー」
「なんですかその知育菓子みたいなの……」
そんなのは魔女だけがねるんですよ、とサッチにはあまり理解のできないことを言って、ナマエはサッチがスポンジにクリームを塗りつけるのをじっと見つめた。
眉を寄せながらも興味津々な様子に、クリームを均していた手を止めたサッチが、先ほど完成していた小さなケーキの皿をつまんでナマエの方へと差し出した。
「ちょっと食べてみるか?」
放った言葉は、ただの冗談だ。
これだけ真っ青なのだ。ナマエはきっと嫌がるだろうし、それを聞いたら『だよな』と相槌を打って、冷蔵庫に入っている余りのゼリーでも振る舞ってやろうかと思っていた。
「あ、いいんですか?」
だというのに、サッチの言葉に返ってきたのはそんな台詞で、サッチの目が丸くなる。
ナマエはそんなサッチに気付いた様子もなく、それじゃあ遠慮なく、と言葉を置いてサッチの手から小さな皿を受け取った。
フォークもないからかその手がひょいと青い生クリームまみれのケーキをつまんで、いただきます、なんて言葉が口から漏れる。
そうしてそのあと、少し控えめにその口がケーキに噛みついて、もぐり、とその一口分がナマエの口の中へと消えた。
口の中身を咀嚼してから、その顔がわずかに緩んでサッチへと向けられる。
「…………おいひいです」
唇の端に青いクリームをつけたままで、ナマエがそんな風に口にした。
数秒その顔を眺めてから、サッチは首を傾げる。
「……お前、そういうの平気になったんだっけか?」
つい先日も『騙されたと思って食ってみろって』と励ました覚えがあるだけに、何とも不思議な心地だ。
それともケーキだけが例外なのかと目を瞬かせたサッチの前で、平気っていうか、とケーキを飲み込んだナマエが口を動かした。
「サッチ隊長が作ったものは絶対安全な食べ物だって、最近気付きました」
「え」
きっぱりと寄越された言葉に、サッチの口から間抜けな声が出る。
なんでも美味しいです、とはっきり口にして、ナマエがもう一口ケーキを齧る。
その様子にはまるで躊躇いがなく、本気で言っているのだとサッチは理解した。
なかなか食事に手を付けず、食べるとしても恐る恐る口に運ぶことが多いナマエにそう言われるという事実は、なんとなく面映ゆいような気がする。
「…………信頼されちゃってんのか、おれ」
「隊長?」
思わず呟いたサッチの向かいで、聞き取れなかったのかケーキを頬張るナマエが首を傾げる。
その様子にやがて軽くため息を零してから、サッチは何でもねえよと返事をした。
その手が再び残りのクリームを手元のスポンジへと塗り付けて、用意してあったフルーツを飾っていく。
「でも、なんでこんな時間からケーキなんですか?」
「あと十五分したら教えてやるから、もう少し付き合っとけ」
小さなケーキを食べ終えて、指についた生クリームを軽く舐めたナマエへサッチがそう言い返すと、ナマエは不思議そうにしながらも頷く。
どこぞの誰かさんの誕生日へ向けて、時計の長針がかちりと音を立てて一つ進んだ。
end
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