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キャプテン・クロと誕生日
※有知識トリップ主
※『とある計画の一端』設定



 『百計のクロ』を知っているだろうか。
 世間的には死んだはずの海賊の名前で、すなわち今俺の隣で本をお読みのキャプテンのことである。

「あー……キャプテン?」

「なんだ」

 問うために呼びかけた俺に対して返事をしたキャプテン・クロは、質問は簡潔に述べろ、と言いながらぺらりと手元の本をめくった。
 俯いているがために眼鏡がズレたのか、空いているほうの手で少し奇妙な眼鏡の上げ方をしている。最近ふと思ったのだが、あの仕草はちょっと猫が顔を洗う動きに似ている気がする。
 眺めたそれを見やってぼんやりと変なことを考えつつ、俺は少しばかり体を揺さぶった。

「いや、あの、なんで俺こんなことになっているのかなって思いまして」

 言葉と共に体を指さしたいところだが、腕すらも自由に動かない。
 今朝がた、ふと何か気配を感じてふと目を覚ました時、俺を覗き込んでいたのは仲間達数人だった。
 いつだったか『誘拐』された時のような光景に寝ぼけた頭で困惑していると、我慢しろよだの少しの間だからなだのと優しげな言葉をくれながら、キャプテン・クロの部下達は俺に毛布を巻き付けてロープでがんじがらめにした。
 ご丁寧にいつもの仮面が外れかけたのも直されて、そうしてのたうつことしかできなくなった俺が運び込まれたのが、このキャプテン・クロの船長室である。

『遅かったな』

 朝早かったのに部屋の主はもう目を覚ましていて、そんな風に言いながら俺を自分の横に運ぶよう指定した。
 クロに逆らう人間なんて、この船の上には全くいない。
 誘拐されて成行きのままに海賊になっている気がする俺だってその例外ではなく、『大人しくしていろ』と言われたらそれ以上の抵抗もできなかった。
 しかし、こうしてキャプテン・クロが座る椅子の傍らで床に座らされて、あれからもう二時間は経つ。
 一時間くらいは二度寝もしたが、さすがに傍らにこの人がいては安心してぐっすりと眠るなんてこともできそうにない。別に俺の寝首をかくとは思わないが、なんとなく緊張するのだ。

「まだ気付かねえのか」

 本を片手に言葉を落とされて、気付けないですすみません、とひとまず謝る。
 俺の軽い謝罪を鼻で笑って、クロが足を組み替えた。
 だん、と少し勢いをつけて降ろされた足にびくりと体が震えたが、そのままこちらを蹴とばしに来る様子はない。
 どうしたのかと見つめていると、本を閉じたクロの手がこちらへ伸びて、ひょいと俺の顔から仮面を外した。
 可愛い猫の絵がついているそれを頭の上に引っ張られて、自然と上向いた俺の顔を椅子に座ったままのキャプテンが覗き込む。

「種明かしをしてやろう」

 他の誰も言ってねェんなら仕方がねェ、と言葉が続くが、なんなのかと尋ねても答えてくれなかった様子からして、クルーに緘口令を敷いていたのはこの人なんじゃないだろうか。
 そんな考えはちらりと浮かんだものの、わざわざ突っ込んで機嫌を損ねるのは得策ではないと分かっているので、よろしくお願いします、と俺はキャプテン・クロに教えを乞うことにした。
 俺のそれに満足そうに眼を細めたクロが、いつもの武器を外している手をわずかに動かして、俺の顎へと触れ、掴んでもう少し顔を上へと向けさせる。
 少し首が痛い状態になって、ついでに言えば唇も歪められている間抜け顔になっているだろう俺を見下ろしたキャプテン・クロは、かつてあの島で見たような微笑みをその顔に浮かべた。

「今日は何月何日ですか? ナマエ」

 尋ねてきた声音も、『クラハドール』のそれと変わらない。
 柔らかで穏やかで誠実そうな、そして間違いなく偽物のやさしさに満ち溢れたその顔を見上げて目を瞬かせていた俺は、じっと見つめてくる相手が『答え』を待っていると気付いて、慌てて口を動かした。

「◇日です、〇月の」

「よろしい」

 俺の返答に頷いてから、キャプテン・クロの指がさらに少し力を入れて、俺の唇を無理やり尖らせた。

「まだわからねェのか、ナマエ」

 今度は『クラハドール』の表情のままで粗野な言葉遣いと低い声を落とされて、思わず目を白黒させてしまう。
 何かの作戦が行われる日なのか、と少し考えてみるが、『今日』何かをやるなんて話は聞いた覚えがなかった。
 聞いたけど忘れているとか、そんな筈はないだろう。
 だって、今日は俺の誕生日だ。
 さすがに俺だって、自分の誕生日に何かの計画があれば記憶の端には引っかかる。

「え、ええと」

 答えなければならないと分かっているのに、しかしまるで思いつかずに眉を下げた俺に対して、やがてクロの顔から穏やかで優しい『クラハドール』が消えた。

「…………わからねェのか?」

 眉間に皺を寄せて、馬鹿を見る目をしたクロの声はとても冷たい気がする。
 すみません、ともう一度謝りながら頷くと、一瞬俺の顎から離れた手が、今度はがしりと俺の首を掴むようにして押し込まれる。
 そのまま持ち上げる仕草をされて、俺は慌てて不自由な体で立ち上がった。
 しかし手も足も自由にならないミノムシのような姿では満足に立つこともできず、傾いた体がクロの方へと倒れ込む。

「す、すみません!」

 慌てて声をあげながら逃れようとしたものの、しかし俺が身を捩ってその上から床へ降りるより早く動いたクロの手が、俺をそのまま自分の膝の上へと引き上げてしまった。
 俺の体は殆ど仰向けで、まるで相手の膝に寝そべるような格好だ。足の下半分あたりが椅子のひじ掛けから外側へと放られている上に、上に乗せられたキャプテン・クロの片腕が俺の体を抑え込んでいる。

「…………あの?」

 どういうことだと見つめた先で、ふん、と鼻を鳴らしたクロが足を組み替えた。
 少し高くされた膝によってますます体がクロの方へとくっついて、床へ降りることが難しくなる。
 そのうちクロはもう片方の腕を動かし、本を持ちながらその肘を俺の額に乗せた。
 ぐっと押し付けられてしまうと、ちょうどうまい具合に頭の後ろにあったひじ掛けと肘の間に挟まれる形になって、もはや首を振ることもできない。

「キャプテン・クロ?」

 どういうつもりなのかと声を掛けた俺を膝に乗せたまま、うるせェぞ黙ってろ、とクロが唸った。
 またも本を読みだしたクロは、もはや俺に『答え』をくれるつもりがないらしい。
 訳が分からないままされるがままになっていた俺が、なんとみんなが『誕生日』を祝ってくれる準備をしていた、と知ったのは、それからもう一時間ほど後のことだ。
 言ってくれても良かったんじゃないかと思う。


end


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